黄金期を回顧、名門・ミランの復権は“計画”と“設計”にあり
2019.10.04 16:00 Fri
かつては、世界屈指のビッグクラブとして数えられ、インテルやユベントスらとイタリアサッカー界を牽引する存在であったミラン。しかし、ここ数年でその立ち位置は大きく変化した。
イタリアの首相も務めたシルヴィオ・ベルルスコーニ氏がクラブを買収し会長に就任した1986年から、実力も知名度もある選手を獲得し、黄金期を築いたミランだったが、90年代後半に低迷。2010年代に入ってからは凋落の一途を辿ると、タイや中国の実業家がオーナーとなっても復権の兆しは見えてこない。
常に優勝を争っていた80年代後半から90年代前半と、現在のミランの間には大きな隔たりがある。それは、長期的な“計画”と明確な“設計”と言って良いだろう。

黄金期のミランを支えたもの。その1つが、世界最高峰の守備陣だ。
ミランというクラブを思い浮かべた時、多くの人が名前を挙げるのがDFフランコ・バレージとDFパオロ・マルディーニではないだろうか。それぞれが背負った「6」と「3」の背番号は、クラブの永久欠番となっている。(ちなみに、マルディーニの「3」は息子のクリスティアンのみ着用可能)
マルディーニがトップチームに加わったのと時を同じくして、前述の通りベルルスコーニ氏がクラブを買収。ここから、チームの黄金期が築かれていく。
大きな変化の1つは、豊富な資金を手にしたことだ。ベルルスコーニ会長就任から2シーズン目の1987-88シーズンには、後にサッカー界に革命を起こすアリゴ・サッキ氏を監督に招へい。さらに、PSVからルート・フリット、アヤックスからマルコ・ファン・バステンとオランダ代表を支えていた2人を獲得。また、後により強固な守備陣を形成するアレッサンドロ・コスタクルタや後に監督に就任するカルロ・アンチェロッティも獲得し、チームの戦力アップを図った。
サッキ監督が掲げた“プレッシングサッカー”は、欧州のサッカー界を席巻する。高い位置から相手にプレスをかけ、ボールを奪い切ったらショートカウンターで一気にゴールを目指すスタイルは、バレージ、マルディーニを中心とした強固な守備陣と、ファン・バステン、フリットらの攻撃陣が共鳴し、わずか2敗で9シーズンぶりのスクデットを獲得したのだ。

選手たちの能力が高いことも去ることながら、ここで注目すべきなのはベルルスコーニ氏が掲げた計画がチームに変革をもたらせたと言って良いだろう。
資金を投じて、チームを2つ編成できるほどの戦力を整えていくミランは、セリエAを制した翌シーズンにレアル・サラゴサからオランダ代表MFフランク・ライカールトを獲得。これにより、ファン・バステン、フリット、ライカールトの“オランダトリオ”が形成された。
セリエAでは3位に終わったものの、UEFAチャンピオンズカップ(後のチャンピオンズリーグ)では20シーズンぶりに優勝を成し遂げていた。
チーム作りの変革として招へいしたサッキ監督の下、ミランの強さは増大していく。戦力バランスがより整ったことはヨーロッパで戦う力をも与え、1988-89シーズンのチャンピオンズカップでは準決勝でレアル・マドリーを5-0、決勝でステアウア・ブカレストを4-0と粉砕。当時のステアウア・ブカレストは、ルーマニアの英雄でもあるゲオルゲ・ハジを擁するチームであったが、ミランの前には為す術がなかった。
1989-90もチャンピオンズカップを制し、連覇を達成。大きな戦力変更は行わずに、継続したチーム作りを行えたことも大きいだろう。サッキ監督の下で積み上げたプレッシング戦術の浸透、そして旬な選手を適材適所で確保したことが、黄金期形成に繋がったと言える。

一方で、現在のミランはどうだろうか。サッキ監督以降も、セリエAやチャンピオンズリーグのタイトルを獲得しているチームは、継続性があった。ファビオ・カペッロ監督時代(1991-1996)にはセリエA3連覇を含む4度の優勝とチャンピオンズリーグ制覇、カルロ・アンチェロッティ監督時代(2001-2009)にはセリエAで1度、コッパ・イタリアで1度、チャンピオンズリーグで2度タイトルを獲得している。
最後にタイトルを獲得した2010-11シーズンは、マッシミリアーノ・アッレグリ監督時代(2010-2014)であり、退任後はチャンピオンズリーグにも出場しておらず、セリエAでも上位争いができていない状況だ。
近年は長期政権を築ける監督がおらず、アッレグリ監督が退任して以降は6シーズンで、現在のマルコ・ジャンパオロ監督が7人目。また、シニシャ・ミハイロビッチ監督(現ボローニャ)、ヴィンチェンツォ・モンテッラ監督(現フィオレンティーナ)ら、現在は他クラブで指揮を執る監督も1シーズンでチームを去っており、チーム作りが迷走したと言ってもいいだろう。
加えて、今シーズンのスカッドを見ても、最も長く在籍しているのは2014-15シーズンに加入したジャコモ・ボナヴェントゥーラで、今シーズンが6年目。5年以上在籍している選手もボナヴェントゥーラを含めて5名しかおらず、ここでも継続したチーム作りができているとは言えない。20年以上にわたって在籍した選手の例は、他クラブでもあまりないが、長期にわたってチームの屋台骨になっている選手はいない。
莫大な資金を投じて選手補強を行っても、効果的に使えたとは言えず、ベルルスコーニ氏が掲げたチーム作りのような“計画”と、チームを育てる上での“設計”がなされなければ、黄金期を再び築き上げることは難しくなるだろう。名門復権には、目先の結果以上に、長期的なビジョンが必要だ。
《超ワールドサッカー編集部・菅野剛史》
イタリアの首相も務めたシルヴィオ・ベルルスコーニ氏がクラブを買収し会長に就任した1986年から、実力も知名度もある選手を獲得し、黄金期を築いたミランだったが、90年代後半に低迷。2010年代に入ってからは凋落の一途を辿ると、タイや中国の実業家がオーナーとなっても復権の兆しは見えてこない。
常に優勝を争っていた80年代後半から90年代前半と、現在のミランの間には大きな隔たりがある。それは、長期的な“計画”と明確な“設計”と言って良いだろう。
◆世界最高峰の守備陣+オランダ三銃士の登場

Getty Images
黄金期のミランを支えたもの。その1つが、世界最高峰の守備陣だ。
ミランというクラブを思い浮かべた時、多くの人が名前を挙げるのがDFフランコ・バレージとDFパオロ・マルディーニではないだろうか。それぞれが背負った「6」と「3」の背番号は、クラブの永久欠番となっている。(ちなみに、マルディーニの「3」は息子のクリスティアンのみ着用可能)
共にミラン下部組織出身のバレージとマルディーニは、長年にわたってチームのディフェンスラインを支えた。バレージは、1977年から1997年、マルディーニは1985年から2009年。ともに20年以上のプロキャリアをミランのみに捧げ、名実ともにチームの“象徴”としてプレーを続けた。
マルディーニがトップチームに加わったのと時を同じくして、前述の通りベルルスコーニ氏がクラブを買収。ここから、チームの黄金期が築かれていく。
大きな変化の1つは、豊富な資金を手にしたことだ。ベルルスコーニ会長就任から2シーズン目の1987-88シーズンには、後にサッカー界に革命を起こすアリゴ・サッキ氏を監督に招へい。さらに、PSVからルート・フリット、アヤックスからマルコ・ファン・バステンとオランダ代表を支えていた2人を獲得。また、後により強固な守備陣を形成するアレッサンドロ・コスタクルタや後に監督に就任するカルロ・アンチェロッティも獲得し、チームの戦力アップを図った。
サッキ監督が掲げた“プレッシングサッカー”は、欧州のサッカー界を席巻する。高い位置から相手にプレスをかけ、ボールを奪い切ったらショートカウンターで一気にゴールを目指すスタイルは、バレージ、マルディーニを中心とした強固な守備陣と、ファン・バステン、フリットらの攻撃陣が共鳴し、わずか2敗で9シーズンぶりのスクデットを獲得したのだ。
◆長期の計画で構築された黄金期

Getty Images
選手たちの能力が高いことも去ることながら、ここで注目すべきなのはベルルスコーニ氏が掲げた計画がチームに変革をもたらせたと言って良いだろう。
資金を投じて、チームを2つ編成できるほどの戦力を整えていくミランは、セリエAを制した翌シーズンにレアル・サラゴサからオランダ代表MFフランク・ライカールトを獲得。これにより、ファン・バステン、フリット、ライカールトの“オランダトリオ”が形成された。
セリエAでは3位に終わったものの、UEFAチャンピオンズカップ(後のチャンピオンズリーグ)では20シーズンぶりに優勝を成し遂げていた。
チーム作りの変革として招へいしたサッキ監督の下、ミランの強さは増大していく。戦力バランスがより整ったことはヨーロッパで戦う力をも与え、1988-89シーズンのチャンピオンズカップでは準決勝でレアル・マドリーを5-0、決勝でステアウア・ブカレストを4-0と粉砕。当時のステアウア・ブカレストは、ルーマニアの英雄でもあるゲオルゲ・ハジを擁するチームであったが、ミランの前には為す術がなかった。
1989-90もチャンピオンズカップを制し、連覇を達成。大きな戦力変更は行わずに、継続したチーム作りを行えたことも大きいだろう。サッキ監督の下で積み上げたプレッシング戦術の浸透、そして旬な選手を適材適所で確保したことが、黄金期形成に繋がったと言える。
◆計画性と継続性の欠如が招いた低迷

Getty Images
一方で、現在のミランはどうだろうか。サッキ監督以降も、セリエAやチャンピオンズリーグのタイトルを獲得しているチームは、継続性があった。ファビオ・カペッロ監督時代(1991-1996)にはセリエA3連覇を含む4度の優勝とチャンピオンズリーグ制覇、カルロ・アンチェロッティ監督時代(2001-2009)にはセリエAで1度、コッパ・イタリアで1度、チャンピオンズリーグで2度タイトルを獲得している。
最後にタイトルを獲得した2010-11シーズンは、マッシミリアーノ・アッレグリ監督時代(2010-2014)であり、退任後はチャンピオンズリーグにも出場しておらず、セリエAでも上位争いができていない状況だ。
近年は長期政権を築ける監督がおらず、アッレグリ監督が退任して以降は6シーズンで、現在のマルコ・ジャンパオロ監督が7人目。また、シニシャ・ミハイロビッチ監督(現ボローニャ)、ヴィンチェンツォ・モンテッラ監督(現フィオレンティーナ)ら、現在は他クラブで指揮を執る監督も1シーズンでチームを去っており、チーム作りが迷走したと言ってもいいだろう。
加えて、今シーズンのスカッドを見ても、最も長く在籍しているのは2014-15シーズンに加入したジャコモ・ボナヴェントゥーラで、今シーズンが6年目。5年以上在籍している選手もボナヴェントゥーラを含めて5名しかおらず、ここでも継続したチーム作りができているとは言えない。20年以上にわたって在籍した選手の例は、他クラブでもあまりないが、長期にわたってチームの屋台骨になっている選手はいない。
莫大な資金を投じて選手補強を行っても、効果的に使えたとは言えず、ベルルスコーニ氏が掲げたチーム作りのような“計画”と、チームを育てる上での“設計”がなされなければ、黄金期を再び築き上げることは難しくなるだろう。名門復権には、目先の結果以上に、長期的なビジョンが必要だ。
《超ワールドサッカー編集部・菅野剛史》
ミランの黄金期を支え、クラブの象徴としても名を馳せたフランコ・バレージとパオロ・マルディーニが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!
さらに、ハードワークをする“ファンタジスタ”として中盤を支えたズボニミール・ボバン、類まれな身体能力で攻撃だけでなく、守備でも貢献し、大事な試合でのゴールが印象的なダニエレ・マッサーロも投入されている。『サカつくRTW』をプレーしている人も、これからプレーする人も是非一度チェックしてみよう。
さらに、ハードワークをする“ファンタジスタ”として中盤を支えたズボニミール・ボバン、類まれな身体能力で攻撃だけでなく、守備でも貢献し、大事な試合でのゴールが印象的なダニエレ・マッサーロも投入されている。『サカつくRTW』をプレーしている人も、これからプレーする人も是非一度チェックしてみよう。
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1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.5</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">1993-94シーズン/ミラン 〜グランデ・ミラン〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/1993-94milan.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ファビオ・カペッロ(47) 獲得タイトル:チャンピオンズリーグ、セリエA 攻撃力6:★★★★★★☆☆☆☆ 守備力10:★★★★★★★★★★ タレント8:★★★★★★★★☆☆ 連係9:★★★★★★★★★☆ 選手層8:★★★★★★★★☆☆ </p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">CL制覇、セリエA3連覇達成</div> サッキが退任後、1991年にミランの監督に就任したカペッロは、バレージやマルディーニ、コスタクルタら守備能力の高いDFを生かしたソリッドなスタイルで、1年目からセリエA初となる無敗優勝を達成。さらに翌年もセリエAを制し、CLの決勝にも進出したミランは、1993―94シーズンに3連覇の偉業を成し遂げた。このシーズンの得点数は、わずか36得点。優勝クラブとしては、過去類を見ない少なさだった。しかし、失点数はわずか15という特筆ものの数字だった。抜群の勝負強さを発揮する当時のミランは、“グランデ・ミラン”と称され、まさに黄金期を迎えていた。 1993-94シーズンのハイライトは、何といってもCL決勝だった。相手はクライフの下で、ミランと同じく黄金期を迎えていたバルセロナ。下馬評では、ロマーリオやストイチコフ、クーマンらを擁するバルセロナが圧倒的有利との見方が大勢を占めたが、フタを開けてみればミランが4-0で圧勝した。ミランは序盤から、お家芸となっていたハイプレスを敢行し、デサイーを中心に中盤で主導権を掌握。マッサーロの2ゴールでリードして試合を折り返すと、後半開始直後にはサビチェビッチの鮮やかなループシュートで加点した。そして、終盤にはデサイーにもゴールが生まれ、“ドリームチーム”を見事に粉砕してみせた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">鉄壁の守備陣</div> このシーズンのミランは、それまでチームを支えてきたオランダ・トリオが崩壊していた。ライカールトとフリットがクラブを去り、ファン・バステンも慢性的な負傷でコンディションが整わず。チームは転換期を迎えていた。そのなかでも、セリエAとCLを制覇できたのは、バレージとマルディーニ、コスタクルタ、タソッティというサッキ時代から不変のバックラインを擁していたからだ。パヌッチとガッリという優秀な選手もベンチに控えており、まさに隙のない守備陣だった。 守備に関して言えば、デサイーとアルベルティーニというセントラルMF2選手も効いていた。そして、前線にはテクニシャンのボバンとサビチェビッチが並んだ。チームはファン・バステンとフリットという得点源を補うようなストライカーが不在だったが、全体のバランスが良いチームだった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">FWデヤン・サビチェビッチ(28)</span> イタリア語で天才を意味する“ジェニオ”のニックネームを持つモンテネグロ人アタッカー。ミランに加入した1992―93シーズンは、ファン・バステンやフリットの高い壁に苦しんだが、カペッロ就任後はチームにとって欠かせない存在となった。とりわけ、1993-94シーズンのCL決勝の活躍は印象的。前半22分に右サイドのドリブル突破からマッサーロの先制弾をアシストすると、後半2分には巧みな仕掛けから見事なループシュートを決めて、タイトル獲得に大きく貢献した。一方、ユーゴスラビア代表(当時)としては、内戦などの影響で全盛期に国際舞台への出場が叶わず、晩年に1998年フランスW杯に出場するにとどまった。 2019.04.05 22:00 Fri4
【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.25“アンチェロッティのピルロシステム”セリエAで圧倒/ミラン[2003-04]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.25</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">2003-2004シーズン/ミラン 〜アンチェロッティのピルロシステム〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/2003-04milan.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:カルロ・アンチェロッティ(44) 獲得タイトル:セリエA 攻撃力8:★★★★★★★★☆☆ 守備力9:★★★★★★★★★☆ タレント9:★★★★★★★★★☆ 連係9:★★★★★★★★★☆ 選手層8:★★★★★★★★☆☆ </p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">セリエAで圧倒</div> 1980年代にサッキ、1990年代にカペッロの下で黄金期を築いたミランは、2000年代ではアンチェロッティ監督に率いられて名門としての強さを誇示した。2002-03シーズンにユベントスとの激闘を制してCLのタイトルを獲得したミランは、アンチェロッティ体制下3年目のシーズンである2003-04シーズン、さらに磐石なチームへと昇華する。 まずは、ローマからカフーを獲得し、ウィークポイントだった右サイドバックを補強。さらに、当時まだ無名だったカカをサンパウロから招き入れた。そのカカはすぐさまチームに馴染み、ルイ・コスタからトップ下のポジションを奪った。そして、セリエAでは一貫した強さを披露。第18節以降から首位の座を守り、当時の最多勝ち点記録(勝ち点82)を更新してスクデットを獲得した。 ただ、CLでは思わぬ展開となった。決勝トーナメント準々決勝でデポルティボと対戦したチームは、1stレグをホームで4-1と快勝。しかし、リアソールでの2ndレグでは“スーペル・デポル”の破壊力に屈して0-4の大逆転劇を許し、まさかの敗退。大会2連覇を成し遂げることはできなかった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピルロ・システム</div> 選手時代にもミランで活躍したアンチェロッティはこのシーズン、ピルロを生かすためのスタイルを確立。守備の時間を減らすためにポゼッションを高め、ピルロに自由を与えながらも、その脇のガットゥーゾやアンブロジーニを守備に集中させ、攻守のバランスを保った。 両サイドバックが比較的高い位置を取ったが、ガットゥーゾやセードルフ、アンブロジーニが卓越した戦術眼でうまくカバー。さらに、マルディーニとネスタという当時世界でも指折りのセンターバック2枚が安定した守備を披露し、相手の攻撃を未然に防いでいった。 攻撃面では、ピルロから送られる良質なロングボールを軸に、前線3枚を中心としたカウンターが大きな武器だった。このシーズンのシェフチェンコは確かな決定力を発揮し、自身2度目のセリエA得点王に輝いている。その他、FWとしてマルチなプレーを見せるトマソン、相手DFとの巧みな駆け引きからゴールを奪うインザーギらアタッカー陣の質も高かった。そして、新進気鋭のカカは高速ドリブルで攻撃に幅を持たせ、チームに不可欠な存在となった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">MFアンドレア・ピルロ(25)</span> インテル時代など、元々トレクァルティスタ(トップ下)を主戦場としていたが、レジスタ(中盤の底)へのポジション変更を機にその才能が一気に開花。卓越したボールコントロールと高精度のパスでピッチにアートを描いた。その決定的なパスは相手DFを絶望の淵に陥れたほど。両脇にガットゥーゾやセードルフといった戦術眼に優れた選手が守備力を補ってくれたことで、自身の能力を思う存分に発揮することが可能だった。 2019.04.15 22:00 Mon5