フランコ・バレージ

Franco BARESI
ポジション DF
国籍 イタリア
生年月日 1960年05月08日(64歳)
利き足
身長
体重
ニュース 人気記事 クラブ 監督データ

フランコ・バレージのニュース一覧

セリエCで低迷するミラン・フトゥーロ(U-23チーム)に、クラブレジェンドのマウロ・タソッティ氏(65)がコーチングスタッフ入りすることになった。 現在、セリエC・ジローネBで4勝10分け12敗と低迷するチームは、降格プレーオフ圏の20チーム中18位。仮にもアマチュアリーグのセリエDへ降格となれば、フトゥーロの財 2025.02.13 08:00 Thu
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ジェノアは24日、レジェンドの来訪を伝えて話題となっている。 今シーズンのセリエAではここまで17試合を戦い、勝ち点19の13位に位置するジェノア。29日には年内最終戦でインテルと対戦する。 そのジェノアは24日にクラブのX(旧ツイッター)を更新。投稿された写真に写っていたのはかつてジェノアでもプレーしたキ 2023.12.25 11:45 Mon
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カタール・ワールドカップ(W杯)もいよいよ3位決定戦と決勝のみとなり、どちらが優勝するのかを世界中の人々が注目している。 今回が22回目の開催となったW杯は、初の冬開催、初の中東開催となり、これまで夏に行われてきた大会とはまた違った様相を呈している。 4年後の2026年に行われる、アメリカ・カナダ・メキシコ 2022.12.15 20:00 Thu
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世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日7月17日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、1994年7月17日。アメリカで開催されたワールドカップ(W杯)の決勝でイタリア代表vsブラジル代表が対戦した日だ。 ◆イタリア代表の名手ロベルト・バッジョ 2020.07.17 20:30 Fri
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現代のサッカー界では、“ファンタジスタ”と呼ばれていたタイプの選手は少なくなっている。 1990年代から2000年前半のセリエAには、“ファンタジスタ”と称される選手が数多くいた。ユベントスで活躍し、今はレアル・マドリーの監督であるジネディーヌ・ジダン、ローマの王子様として知られるフランチェスコ・トッティ、イタリ 2019.10.16 17:30 Wed
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ミランのニュース一覧

マンチェスター・シティがミランのオランダ代表MFタイアニ・ラインデルス(26)の獲得に動くようだ。イギリス『TEAMTalk』が伝えた。 今シーズンは前人未到のプレミアリーグ5連覇を目指したシティだったが、29節を終えて5位に位置している。 ジョゼップ・グアルディオラ監督が率いてきた中では最も苦戦しているシ 2025.04.01 13:40 Tue
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ミランの新スポーツ・ディレクター(SD)はファビオ・パラティチ氏(52)になるようだ。イタリア『カルチョメルカート』が報じている。 ユベントス時代の不正会計により国際サッカー連盟(FIFA)から2年半の職務停止処分を受けているパラティチ氏。しかし6月にその職務停止が明けるため来季ミランでSDを務めることに障害はな 2025.04.01 11:00 Tue
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ミランが今季限りでセルジオ・コンセイソン監督(50)との契約を解除するようだ。イタリア『スカイ・スポーツ』や『カルチョメルカート』が報じている。 コンセイソン監督は昨年12月末にパウロ・フォンセカ前監督の解任を受けて就任。直後のスーペル・コッパではユベントスとインテルに勝利して優勝したが、セリエAでは13試合で6 2025.04.01 10:00 Tue
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日本代表MF遠藤航が所属するリバプールは31日、今夏のアジアツアーを発表。日本でも試合を行うことを発表した。 プレミアリーグで首位を走るリバプール。アルネ・スロット監督の下、チームはタイトル獲得に邁進中。遠藤もクローザーとして信頼を得ており、要所でしっかりと結果を残している。 リバプールは2025-26シー 2025.03.31 18:00 Mon
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ミランは30日、元イングランド代表MFルベン・ロフタス=チークが急性膿瘍性虫垂炎のため腹腔鏡による虫垂切除手術を行ったと発表した。イタリア『MilanNews.it』によると回復までに1カ月、復帰までに2カ月かかる可能性があるとのことで、その場合は今季絶望となる。 ロフタス=チークは同日、セリエA第30節ナポリ戦 2025.03.31 14:30 Mon
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フランコ・バレージの人気記事ランキング

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今日は何の日!7月17日は、アメリカW杯決勝でバッジョのPK失敗によりブラジルがイタリアを破り優勝/1994年

世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日7月17日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、1994年7月17日。アメリカで開催されたワールドカップ(W杯)の決勝でイタリア代表vsブラジル代表が対戦した日だ。 <div id="cws_ad">◆イタリア代表の名手ロベルト・バッジョ<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiIxWEh4QmVYWSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆「サッカー不毛の地」アメリカでの初開催 1930年に初開催されたW杯はこの大会まで中南米とヨーロッパでしか開催されたことはなかったが、この大会で初めて北米での開催が実現された。 「サッカー後進国」と言われたアメリカでの開催ということもあり、大会の成功に懐疑的な声があったものの、アメリカンフットボールの巨大なスタジアムなどを利用したことで、会場の規模は今までにないものとなり、1試合当たりの観客動員数が約6.9万人となるなど、大きな盛り上がりを見せた。 一方で、アメリカの広大な国土の中、長距離の移動やヨーロッパでの放送時間を考えて真夏の日中でのデーゲームが多く組まれるなど、気候や時差の面で、選手たちにとっては調整の難しさが課題となる大会でもあった。 ◆決勝は大会初のPK決着 7月17日にロサンゼルスで行われた決勝戦は、ブラジル代表とイタリア代表という顔ぶれに。前回王者のドイツや準優勝のアルゼンチンがベスト4を前に敗退するなど波乱もあったものの、共に優勝3回を誇る強豪同士の決勝となった。 決勝戦も炎天下の中のデーゲームとなり、どちらも決め手を欠いたまま0-0で90分を終え、大会史上初PK戦に突入する。 イタリア代表は1番手のDFフランコ・バレージがいきなり失敗すると、4人目のFWダニエレ・マッサーロも失敗。GKジャンルカ・パリュウカが1つセーブを記録するも不利な状況に立たされた。最後はイタリアの5人目のFWロベルト・バッジョのまさかのPK失敗により、ブラジルの4度目の優勝が決定した。優勝を逃したあのシーンは、誰もが1度は目にしているはずだ。 2020.07.17 20:30 Fri
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W杯初の悲劇を味わった、世界を魅了した“ファンタジスタ”ロベルト・バッジョ

カタール・ワールドカップ(W杯)もいよいよ3位決定戦と決勝のみとなり、どちらが優勝するのかを世界中の人々が注目している。 今回が22回目の開催となったW杯は、初の冬開催、初の中東開催となり、これまで夏に行われてきた大会とはまた違った様相を呈している。 4年後の2026年に行われる、アメリカ・カナダ・メキシコの共催W杯では、出場国が32カ国から48カ国に増えることとなり、また違った形での楽しみが増えることになるだろう。 思えば、アメリカW杯が開催されたのは1994年。そこから32年が経過して再び開催される北米でのW杯だが、そこに日本代表が辿り着けなかったのが“ドーハの悲劇”と呼ばれる予選での出来事だった。 この大会では、予選でも各地で波乱が起こり、ヨーロッパではイングランド代表とフランス代表が敗退。南米ではアルゼンチンが大陸間プレーオフに回る事態となるなどした。 そんな中で迎えた本大会だが、初出場のナイジェリア代表、サウジアラビア代表が決勝トーナメントに進出したかと思えば、アルゼンチンはディエゴ・マラドーナがドーピング検査で陽性となり追放となるなど、本大会でも波乱続き。それでも決勝は、ブラジル代表vsイタリア代表という強豪が顔を合わせた。 <span class="paragraph-subtitle">◆W杯初のPK戦決勝で起きた悲劇</span> この大会、最も印象的なシーンとも言って良いのが、決勝戦。“ファンタジスタ”として多くのサッカーファンを魅了した、イタリア代表FWロベルト・バッジョの姿ではないだろうか。 ポニーテールをなびかせ、魅力あふれるテクニカルなプレーで世界を沸かせていたバッジョ。準決勝までに5ゴールを記録し、チームを牽引していた。 共に過去3度のW杯優勝経験がある強豪国同士の4度目を懸けた一戦は、炎天下の中ゴールレスで120分間が終了。W杯決勝では史上初となるPK戦に突入した。 イタリアは1人目のフランコ・バレージが失敗。そして、4人目のFWダニエレ・マッサーロも失敗する。ブラジルは順当に決めていく中、イタリアGKジャンルカ・パリュウカが1つセーブ。イタリア5人目のキッカーにバッジョが登場し、決めてブラジルにプレッシャーをかけたかったが、シュートはバーの遥か上に飛んで行き試合終了となった。 バッジョがうつむき立ち尽くす姿は、誰もが見たことがあるワンシーンではなかろうか。PK戦での敗退という残酷な結末が決勝で待っていたのは、この大会が初めてだった。 <span class="paragraph-subtitle">◆イタリアでのキャリアを全うした“ファンタジスタ”</span> バッジョは決してエリートではなく、セリエC1のヴィチェンツァでプロデビュー。しかし、そこで活躍を見せると1985年にセリエAのフィオレンティーナへと完全移籍する。 しかし、契約からわずか2日後に右ヒザ十字じん帯を断裂。リーグ戦に出場できないと、翌年もケガでほぼ稼働できず。それでもケガが癒えると、持ち味である得点力が花開き、1990年には当時の史上最高額の移籍金でユベントスに加入。この移籍にはファンが怒り、暴動が起きるほどの人気ぶりだった。 ユベントスではさらに得点力が磨かれ、チームのタイトル獲得にも貢献。1994年にはバロンドールを受賞した。 しかし、1994-95シーズンは再び負傷に悩まされると、チームからの移籍を決断。レアル・マドリー、マンチェスター・ユナイテッドが手を挙げる中、ミランへと完全移籍。その後は、ボローニャ、インテル、ブレシアと、イタリアでキャリアの全てを捧げることとなった。 キャリアの終盤でもケガに悩まされ、2002年の日韓W杯前にも左ヒザ十字じん帯を負傷。半年の離脱となり、W杯絶望と見られた中、まさかの2カ月で復帰。その後はリーグ戦でゴールも決めていたが、W杯メンバーには選ばれず。2004年に現役を引退した。 <span class="paragraph-subtitle">◆予測不能なプレーの連続</span> ロベルト・バッジョは“ファンタジスタ”と呼ばれる通り、テクニックに優れ、誰も予想が付かないプレーを試合中に見せることが特徴。ゴールを決めることはもちろん、決定的なパスを出すこと、そしてアイデア溢れる選択で観客だけでなく、相手選手も驚かせるところがその由来だ。 ゴール、アシストとサッカーの醍醐味であるプレーを司る姿は、イタリアだけに留まらず、世界中のファンが見惚れるほど。ちなみに幼少期の憧れはブラジル代表として活躍したジーコという逸話もある。 また、日本代表でもかつて活躍し、セリエAでもプレー経験があるFW三浦知良は同じ年齢。誕生日も8日しか違わず、交流を持っていることでも知られる。 現代サッカーにおいては希少な存在となった“ファンタジスタ”。多くの人が憧れたバッジョのような選手がこの先に現れるのか。新たな“ファンタジスタ”の誕生を多くの人が望んでいる。 <div id="cws_ad"><hr>イタリア代表で活躍し、セリエAでキャリアを全うした“ファンタジスタ”ロベルト・バッジョが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せたプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。<a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/5uev4c53" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/sega20221215.jpg" style="max-width:100%;"></div></a></div> <span class="paragraph-title">【動画】バロンドールも受賞したバッジョのユベントス時代の輝き</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiIxWEh4QmVYWSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> イタリア代表で活躍し、セリエAでキャリアを全うした“ファンタジスタ”ロベルト・バッジョが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場! 現役時代に魅せたプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。 <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/5uev4c53" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/sega20221215.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> 2022.12.15 20:00 Thu
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“ファンタジスタ”の変化で輝いたグランデ・ミラン、復権のカギも“ファンタジスタ”が握る

現代のサッカー界では、“ファンタジスタ”と呼ばれていたタイプの選手は少なくなっている。 1990年代から2000年前半のセリエAには、“ファンタジスタ”と称される選手が数多くいた。ユベントスで活躍し、今はレアル・マドリーの監督であるジネディーヌ・ジダン、ローマの王子様として知られるフランチェスコ・トッティ、イタリア人ではロベルト・バッジョがその最たるものだろう。 しかし、現代のフットボーラーの最高峰として挙げられるポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(ユベントス)やアルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(バルセロナ)、ブラジル代表FWネイマール(パリ・サンジェルマン)などは、“ファンタジスタ”と呼ぶには違和感が残る。 古き良き“ファンタジスタ”とは、基本的には「トレクァルティスタ」、いわゆるトップ下のポジションでプレーしていた選手。さらに、攻撃面で大きな違いを生み出せる選手であり、チームの攻撃を司るタイプの選手が想像されるはずだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆重要なポジションの変化</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191008_3_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 現代のサッカー界に“ファンタジスタ”が減ったと思われる要因はいくつかあるだろう。世界各国のクラブが採用する戦術、サッカーのトレンドというのが1つ大きな要因とも言える。 また、各ポジションにおける役割に変化が生じたことも1つだろう。戦術のバリエーションが増えていったことで、各ポジションの選手が抱えるタスクが劇的に変化した。攻撃だけを許される選手は少なくなり、どのポジションにおいても少なからず守備のタスクがある状況だ。 しかし、考え方を変えれば、“ファンタジスタ”に値する選手像が変化していったとも考えられる。古き良き“ファンタジスタ”でイメージできる選手は減ったかもしれないが、現代版の“ファンタジスタ”はポジションを変え、スタイルを変えて存在するとも言える。C・ロナウド、メッシ、ネイマールは、現代版の“ファンタジスタ”なのかもしれない。 <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://sakatsuku-rtw.sega.com/&c=sega_20191008_1" terget="_blank">≪『サカつくRTW』はこちら≫</a><hr></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆“ファンタジスタ”を変化させ成功したミラン</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191008_3_tw3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> しかし、“ファンタジスタ”がその姿を変えていったのは、ここ数年の話というわけではない。過去にも、その固定概念を打ち破り、“ファンタジスタ”の生きる道を新たに示し、成功した例はある。その1つが、ファビオ・カペッロ監督が率いたミランだ。 1991年にアリゴ・サッキ監督からチームを引き継いだカペッロ監督。選手時代にもローマ、ユベントス、ミランで活躍し、イタリア代表も経験。引退後はミランで監督キャリアをスタートさせた。 シーズン途中に暫定監督を務め、サッキ監督にチームを引き継いだカペッロ監督は、4年の歳月を経て再びミランに戻ってきた。 1991-92シーズンから1995-96シーズンまで5シーズン指揮を執ると、セリエAで4度優勝。チャンピオンズリーグでは優勝は1度だったが、1992-93シーズンから3シーズン連続で決勝に進出するなど、ミラン黄金期を築き上げた。 そのカペッロ監督は、この黄金期に2人の“ファンタジスタ”に新たな役割を与えた。それが、デヤン・サビチェビッチとズボニミール・ボバンだ。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191008_3_tw4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> ディナモ・ザグレブで才能を開花させたボバンは、1991年にミランへ移籍。1年間はバーリへとレンタル移籍を経験するも、1992年から正式にミランの一員となった。一方のデヤン・サビチェビッチは、ツルヴェナ・ズヴェズダでチャンピオズリーグを制覇。1992年にミランへと加入した。 “東欧のブラジル”とも称された旧ユーゴスラビア(ボバンは後にクロアチア国籍、サビチェビッチはモンテネグロ国籍に変更)出身の2人。ともに、トップ下のポジションで輝き放ち、その才能を高く評価されていた。しかし、カペッロ監督は、この2人に「トレクァルティスタ」のポジションを与えず、[4-4-2]のサイドのポジションで起用していった。 <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://sakatsuku-rtw.sega.com/&c=sega_20191008_2" terget="_blank">≪『サカつくRTW』はこちら≫</a><hr></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆新たなポジションで輝く“ファンタジスタ”</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191008_3_tw5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> ボバンとサビチェビッチは、加入当初は外国人枠争いに敗れ、思うような出場機会を得られず、苦しい時間を過ごすこととなった。しかし、徐々にカペッロ監督の信頼を勝ち取ると、前述の通り2人はサイドのポジションで起用されることとなる。 「トレクァルティスタ」のポジションでゲームメイクと攻撃のタクトを振るっていた2人は、サイドに配置されたことでただの“ファンタジスタ”ではなくなっていく。 サッキ監督が掲げたプレッシングシステム、そしてその後を引き継ぎ、同じくプレッシングサッカーを磨き上げていったカペッロ監督によって確立されたスタイル、“ファンタジスタ”たちもその流れに乗る必要があった。 ボバンは華麗なプレーを保ったまま、しっかりとハードワークをこなしていく。特に、サッキ監督のプレッシング重視から、ピッチ全体での守備に関わるハードワークを求められていった結果、相反するといっても良い能力を身につけていった。 ただの“ファンタジスタ”で終わる可能性もあったボバンは、しっかりと監督が求めるプレーを体現し、新たなポジションで、新たなタスクを課されてもその輝きを失わなかった。 現在のミランには、“ファンタジスタ”と称されてきた選手もいる。MFハカン・チャルハノールは、精度の高いフリーキックを武器とし、決定的なパス、巧みなドリブルスキル、そしてキープ力も高い。不振にあえぐミランにおいて、チームを救える希望が持てる選手だ。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191008_3_tw6.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> かつては“ファンタジスタ”の新境地を生み出してチームの黄金期を形成したミラン。復活のカギも“ファンタジスタ”が握っていると言ってもいいだろう。 《超ワールドサッカー編集部・菅野剛史》<hr><div id="cws_ad">90年代前半にミランの黄金期を支えた、ズボニミール・ボバンが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場! さらに、クラブの象徴としても名を馳せたフランコ・バレージとパオロ・マルディーニ、類まれな身体能力で攻撃だけでなく、守備でも貢献し、大事な試合でのゴールが印象的なダニエレ・マッサーロも投入されている。『サカつくRTW』をプレーしている人も、これからプレーする人も是非一度チェックしてみよう。</div> <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://sakatsuku-rtw.sega.com/&c=sega_20191008_3" terget="_blank">今ならレジェンドが手に入る!<br />≪『サカつくRTW』はこちら≫</a><hr></div> 2019.10.16 17:30 Wed
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ミラン、セリエCで低迷のフトゥーロにテコ入れ…クラブレジェンドがボネーラ率いるコーチングスタッフ入り

セリエCで低迷するミラン・フトゥーロ(U-23チーム)に、クラブレジェンドのマウロ・タソッティ氏(65)がコーチングスタッフ入りすることになった。 現在、セリエC・ジローネBで4勝10分け12敗と低迷するチームは、降格プレーオフ圏の20チーム中18位。仮にもアマチュアリーグのセリエDへ降格となれば、フトゥーロの財源を維持することも難しくなる可能性があるとのこと。 この成績不振を受け、クラブはダニエレ・ボネーラ監督(43)の解任への動きをみせ、アルベルト・ボリーニ氏、フェデリコ・グイディ氏、マッシモ・オッド氏ら後任候補の名前も挙がっていた。 しかし、クラブは12日に「本日付けでマウロ・タソッティがミラン・フトゥーロのダニエレ・ボネーラ監督のテクニカルスタッフに加わることを発表する」と、クラブレジェンドがテクニカルアナリストとしてコーチングスタッフ入りすることを発表した。 今回の人事に関してはボネーラ監督へのサポートとともに猶予を与えつつ、有事に備えて後任指揮官を託す思惑があるようだ。 現役時代にフランコ・バレージ、アレッサンドロ・コスタクルタ、パオロ・マルディーニらと黄金期のディフェンスラインを支えた名DFであるタソッティ氏は、ミランではファーストチームやプリマヴェーラの指導者を歴任。近年はウクライナ代表でアンドレイ・シェフチェンコ監督の副官、ジェノアでアシスタントマネージャーを務めていた。 2025.02.13 08:00 Thu

フランコ・バレージの移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
1997年7月1日 ミラン 引退 -
1977年7月1日 ミラン 完全移籍

フランコ・バレージの監督履歴

就任日 退任日 チーム 種類
2020年10月28日 ミラン 副会長
2008年8月4日 2020年10月27日 ミラン 監督
2006年6月17日 2008年6月30日 Milan U17 監督
2003年9月21日 2006年6月16日 ミランU19 監督
2003年5月23日 2003年9月20日 フルアム スポーツ・ディレクター
2002年7月1日 2003年5月22日 ミランU19 監督

フランコ・バレージの今季成績

セリエA 0 0 0 0 0 0
UEFAチャンピオンズリーグ 0 0 0 0 0 0
コッパ・イタリア 0 0 0 0 0 0
スーペル・コッパ 0 0 0 0 0 0
合計 0 0 0 0 0 0

フランコ・バレージの出場試合

セリエA
第1節 2024-08-17 vs トリノ ベンチ外
2 - 2
第2節 2024-08-24 vs パルマ ベンチ外
2 - 1
第3節 2024-08-31 vs ラツィオ ベンチ外
2 - 2
第4節 2024-09-14 vs ヴェネツィア ベンチ外
4 - 0
第5節 2024-09-22 vs インテル ベンチ外
1 - 2
第6節 2024-09-27 vs レッチェ ベンチ外
3 - 0
第7節 2024-10-06 vs フィオレンティーナ ベンチ外
2 - 1
第8節 2024-10-19 vs ウディネーゼ ベンチ外
1 - 0
第10節 2024-10-29 vs ナポリ ベンチ外
0 - 2
第11節 2024-11-02 vs モンツァ ベンチ外
0 - 1
第12節 2024-11-09 vs カリアリ ベンチ外
3 - 3
第13節 2024-11-23 vs ユベントス ベンチ外
0 - 0
第14節 2024-11-30 vs エンポリ ベンチ外
3 - 0
第15節 2024-12-06 vs アタランタ ベンチ外
2 - 1
第16節 2024-12-15 vs ジェノア ベンチ外
0 - 0
第17節 2024-12-20 vs エラス・ヴェローナ ベンチ外
0 - 1
第18節 2024-12-29 vs ローマ ベンチ外
1 - 1
第20節 2025-01-11 vs カリアリ ベンチ外
1 - 1
第19節 2025-01-14 vs コモ ベンチ外
1 - 2
第21節 2025-01-18 vs ユベントス ベンチ外
2 - 0
第22節 2025-01-26 vs パルマ ベンチ外
3 - 2
第23節 2025-02-02 vs インテル ベンチ外
1 - 1
第24節 2025-02-08 vs エンポリ ベンチ外
0 - 2
第25節 2025-02-15 vs エラス・ヴェローナ ベンチ外
1 - 0
第26節 2025-02-22 vs トリノ ベンチ外
2 - 1
第9節 2025-02-27 vs ボローニャ ベンチ外
2 - 1
第27節 2025-03-02 vs ラツィオ ベンチ外
1 - 2
第28節 2025-03-08 vs レッチェ ベンチ外
2 - 3
第29節 2025-03-15 vs コモ ベンチ外
2 - 1
第30節 2025-03-30 vs ナポリ ベンチ外
2 - 1
UEFAチャンピオンズリーグ
リーグフェーズ第1節 2024-09-17 vs リバプール ベンチ外
1 - 3
リーグフェーズ第2節 2024-10-01 vs レバークーゼン ベンチ外
1 - 0
リーグフェーズ第3節 2024-10-22 vs クラブ・ブルージュ ベンチ外
3 - 1
リーグフェーズ第4節 2024-11-05 vs レアル・マドリー ベンチ外
1 - 3
リーグフェーズ第5節 2024-11-26 vs スロバン・ブラチスラヴァ ベンチ外
2 - 3
リーグフェーズ第6節 2024-12-11 vs ツルヴェナ・ズヴェズダ ベンチ外
2 - 1
リーグフェーズ第7節 2025-01-22 vs ジローナ ベンチ外
1 - 0
リーグフェーズ第8節 2025-01-29 vs ディナモ・ザグレブ ベンチ外
2 - 1
プレーオフ1stレグ 2025-02-12 vs フェイエノールト ベンチ外
1 - 0
プレーオフ2ndレグ 2025-02-18 vs フェイエノールト ベンチ外
1 - 1
コッパ・イタリア
ラウンド16 2024-12-03 vs サッスオーロ ベンチ外
6 - 1
準々決勝 2025-02-05 vs ローマ ベンチ外
3 - 1
スーペル・コッパ
準決勝 2025-01-03 vs ユベントス ベンチ外
1 - 2
決勝 2025-01-06 vs インテル ベンチ外
2 - 3