フランコ・バレージ
Franco BARESI
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ポジション | DF |
国籍 |
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生年月日 | 1960年05月08日(64歳) |
利き足 | |
身長 | |
体重 |
ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
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1
今日は何の日!7月17日は、アメリカW杯決勝でバッジョのPK失敗によりブラジルがイタリアを破り優勝/1994年
世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日7月17日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、1994年7月17日。アメリカで開催されたワールドカップ(W杯)の決勝でイタリア代表vsブラジル代表が対戦した日だ。 <div id="cws_ad">◆イタリア代表の名手ロベルト・バッジョ<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiIxWEh4QmVYWSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆「サッカー不毛の地」アメリカでの初開催 1930年に初開催されたW杯はこの大会まで中南米とヨーロッパでしか開催されたことはなかったが、この大会で初めて北米での開催が実現された。 「サッカー後進国」と言われたアメリカでの開催ということもあり、大会の成功に懐疑的な声があったものの、アメリカンフットボールの巨大なスタジアムなどを利用したことで、会場の規模は今までにないものとなり、1試合当たりの観客動員数が約6.9万人となるなど、大きな盛り上がりを見せた。 一方で、アメリカの広大な国土の中、長距離の移動やヨーロッパでの放送時間を考えて真夏の日中でのデーゲームが多く組まれるなど、気候や時差の面で、選手たちにとっては調整の難しさが課題となる大会でもあった。 ◆決勝は大会初のPK決着 7月17日にロサンゼルスで行われた決勝戦は、ブラジル代表とイタリア代表という顔ぶれに。前回王者のドイツや準優勝のアルゼンチンがベスト4を前に敗退するなど波乱もあったものの、共に優勝3回を誇る強豪同士の決勝となった。 決勝戦も炎天下の中のデーゲームとなり、どちらも決め手を欠いたまま0-0で90分を終え、大会史上初PK戦に突入する。 イタリア代表は1番手のDFフランコ・バレージがいきなり失敗すると、4人目のFWダニエレ・マッサーロも失敗。GKジャンルカ・パリュウカが1つセーブを記録するも不利な状況に立たされた。最後はイタリアの5人目のFWロベルト・バッジョのまさかのPK失敗により、ブラジルの4度目の優勝が決定した。優勝を逃したあのシーンは、誰もが1度は目にしているはずだ。 2020.07.17 20:30 Fri2
W杯初の悲劇を味わった、世界を魅了した“ファンタジスタ”ロベルト・バッジョ
カタール・ワールドカップ(W杯)もいよいよ3位決定戦と決勝のみとなり、どちらが優勝するのかを世界中の人々が注目している。 今回が22回目の開催となったW杯は、初の冬開催、初の中東開催となり、これまで夏に行われてきた大会とはまた違った様相を呈している。 4年後の2026年に行われる、アメリカ・カナダ・メキシコの共催W杯では、出場国が32カ国から48カ国に増えることとなり、また違った形での楽しみが増えることになるだろう。 思えば、アメリカW杯が開催されたのは1994年。そこから32年が経過して再び開催される北米でのW杯だが、そこに日本代表が辿り着けなかったのが“ドーハの悲劇”と呼ばれる予選での出来事だった。 この大会では、予選でも各地で波乱が起こり、ヨーロッパではイングランド代表とフランス代表が敗退。南米ではアルゼンチンが大陸間プレーオフに回る事態となるなどした。 そんな中で迎えた本大会だが、初出場のナイジェリア代表、サウジアラビア代表が決勝トーナメントに進出したかと思えば、アルゼンチンはディエゴ・マラドーナがドーピング検査で陽性となり追放となるなど、本大会でも波乱続き。それでも決勝は、ブラジル代表vsイタリア代表という強豪が顔を合わせた。 <span class="paragraph-subtitle">◆W杯初のPK戦決勝で起きた悲劇</span> この大会、最も印象的なシーンとも言って良いのが、決勝戦。“ファンタジスタ”として多くのサッカーファンを魅了した、イタリア代表FWロベルト・バッジョの姿ではないだろうか。 ポニーテールをなびかせ、魅力あふれるテクニカルなプレーで世界を沸かせていたバッジョ。準決勝までに5ゴールを記録し、チームを牽引していた。 共に過去3度のW杯優勝経験がある強豪国同士の4度目を懸けた一戦は、炎天下の中ゴールレスで120分間が終了。W杯決勝では史上初となるPK戦に突入した。 イタリアは1人目のフランコ・バレージが失敗。そして、4人目のFWダニエレ・マッサーロも失敗する。ブラジルは順当に決めていく中、イタリアGKジャンルカ・パリュウカが1つセーブ。イタリア5人目のキッカーにバッジョが登場し、決めてブラジルにプレッシャーをかけたかったが、シュートはバーの遥か上に飛んで行き試合終了となった。 バッジョがうつむき立ち尽くす姿は、誰もが見たことがあるワンシーンではなかろうか。PK戦での敗退という残酷な結末が決勝で待っていたのは、この大会が初めてだった。 <span class="paragraph-subtitle">◆イタリアでのキャリアを全うした“ファンタジスタ”</span> バッジョは決してエリートではなく、セリエC1のヴィチェンツァでプロデビュー。しかし、そこで活躍を見せると1985年にセリエAのフィオレンティーナへと完全移籍する。 しかし、契約からわずか2日後に右ヒザ十字じん帯を断裂。リーグ戦に出場できないと、翌年もケガでほぼ稼働できず。それでもケガが癒えると、持ち味である得点力が花開き、1990年には当時の史上最高額の移籍金でユベントスに加入。この移籍にはファンが怒り、暴動が起きるほどの人気ぶりだった。 ユベントスではさらに得点力が磨かれ、チームのタイトル獲得にも貢献。1994年にはバロンドールを受賞した。 しかし、1994-95シーズンは再び負傷に悩まされると、チームからの移籍を決断。レアル・マドリー、マンチェスター・ユナイテッドが手を挙げる中、ミランへと完全移籍。その後は、ボローニャ、インテル、ブレシアと、イタリアでキャリアの全てを捧げることとなった。 キャリアの終盤でもケガに悩まされ、2002年の日韓W杯前にも左ヒザ十字じん帯を負傷。半年の離脱となり、W杯絶望と見られた中、まさかの2カ月で復帰。その後はリーグ戦でゴールも決めていたが、W杯メンバーには選ばれず。2004年に現役を引退した。 <span class="paragraph-subtitle">◆予測不能なプレーの連続</span> ロベルト・バッジョは“ファンタジスタ”と呼ばれる通り、テクニックに優れ、誰も予想が付かないプレーを試合中に見せることが特徴。ゴールを決めることはもちろん、決定的なパスを出すこと、そしてアイデア溢れる選択で観客だけでなく、相手選手も驚かせるところがその由来だ。 ゴール、アシストとサッカーの醍醐味であるプレーを司る姿は、イタリアだけに留まらず、世界中のファンが見惚れるほど。ちなみに幼少期の憧れはブラジル代表として活躍したジーコという逸話もある。 また、日本代表でもかつて活躍し、セリエAでもプレー経験があるFW三浦知良は同じ年齢。誕生日も8日しか違わず、交流を持っていることでも知られる。 現代サッカーにおいては希少な存在となった“ファンタジスタ”。多くの人が憧れたバッジョのような選手がこの先に現れるのか。新たな“ファンタジスタ”の誕生を多くの人が望んでいる。 <div id="cws_ad"><hr>イタリア代表で活躍し、セリエAでキャリアを全うした“ファンタジスタ”ロベルト・バッジョが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せたプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。<a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/5uev4c53" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/sega20221215.jpg" style="max-width:100%;"></div></a></div> <span class="paragraph-title">【動画】バロンドールも受賞したバッジョのユベントス時代の輝き</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiIxWEh4QmVYWSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> イタリア代表で活躍し、セリエAでキャリアを全うした“ファンタジスタ”ロベルト・バッジョが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場! 現役時代に魅せたプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。 <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/5uev4c53" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/sega20221215.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> 2022.12.15 20:00 Thu3
“ファンタジスタ”の変化で輝いたグランデ・ミラン、復権のカギも“ファンタジスタ”が握る
現代のサッカー界では、“ファンタジスタ”と呼ばれていたタイプの選手は少なくなっている。 1990年代から2000年前半のセリエAには、“ファンタジスタ”と称される選手が数多くいた。ユベントスで活躍し、今はレアル・マドリーの監督であるジネディーヌ・ジダン、ローマの王子様として知られるフランチェスコ・トッティ、イタリア人ではロベルト・バッジョがその最たるものだろう。 しかし、現代のフットボーラーの最高峰として挙げられるポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(ユベントス)やアルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(バルセロナ)、ブラジル代表FWネイマール(パリ・サンジェルマン)などは、“ファンタジスタ”と呼ぶには違和感が残る。 古き良き“ファンタジスタ”とは、基本的には「トレクァルティスタ」、いわゆるトップ下のポジションでプレーしていた選手。さらに、攻撃面で大きな違いを生み出せる選手であり、チームの攻撃を司るタイプの選手が想像されるはずだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆重要なポジションの変化</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191008_3_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 現代のサッカー界に“ファンタジスタ”が減ったと思われる要因はいくつかあるだろう。世界各国のクラブが採用する戦術、サッカーのトレンドというのが1つ大きな要因とも言える。 また、各ポジションにおける役割に変化が生じたことも1つだろう。戦術のバリエーションが増えていったことで、各ポジションの選手が抱えるタスクが劇的に変化した。攻撃だけを許される選手は少なくなり、どのポジションにおいても少なからず守備のタスクがある状況だ。 しかし、考え方を変えれば、“ファンタジスタ”に値する選手像が変化していったとも考えられる。古き良き“ファンタジスタ”でイメージできる選手は減ったかもしれないが、現代版の“ファンタジスタ”はポジションを変え、スタイルを変えて存在するとも言える。C・ロナウド、メッシ、ネイマールは、現代版の“ファンタジスタ”なのかもしれない。 <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://sakatsuku-rtw.sega.com/&c=sega_20191008_1" terget="_blank">≪『サカつくRTW』はこちら≫</a><hr></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆“ファンタジスタ”を変化させ成功したミラン</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191008_3_tw3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> しかし、“ファンタジスタ”がその姿を変えていったのは、ここ数年の話というわけではない。過去にも、その固定概念を打ち破り、“ファンタジスタ”の生きる道を新たに示し、成功した例はある。その1つが、ファビオ・カペッロ監督が率いたミランだ。 1991年にアリゴ・サッキ監督からチームを引き継いだカペッロ監督。選手時代にもローマ、ユベントス、ミランで活躍し、イタリア代表も経験。引退後はミランで監督キャリアをスタートさせた。 シーズン途中に暫定監督を務め、サッキ監督にチームを引き継いだカペッロ監督は、4年の歳月を経て再びミランに戻ってきた。 1991-92シーズンから1995-96シーズンまで5シーズン指揮を執ると、セリエAで4度優勝。チャンピオンズリーグでは優勝は1度だったが、1992-93シーズンから3シーズン連続で決勝に進出するなど、ミラン黄金期を築き上げた。 そのカペッロ監督は、この黄金期に2人の“ファンタジスタ”に新たな役割を与えた。それが、デヤン・サビチェビッチとズボニミール・ボバンだ。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191008_3_tw4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> ディナモ・ザグレブで才能を開花させたボバンは、1991年にミランへ移籍。1年間はバーリへとレンタル移籍を経験するも、1992年から正式にミランの一員となった。一方のデヤン・サビチェビッチは、ツルヴェナ・ズヴェズダでチャンピオズリーグを制覇。1992年にミランへと加入した。 “東欧のブラジル”とも称された旧ユーゴスラビア(ボバンは後にクロアチア国籍、サビチェビッチはモンテネグロ国籍に変更)出身の2人。ともに、トップ下のポジションで輝き放ち、その才能を高く評価されていた。しかし、カペッロ監督は、この2人に「トレクァルティスタ」のポジションを与えず、[4-4-2]のサイドのポジションで起用していった。 <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://sakatsuku-rtw.sega.com/&c=sega_20191008_2" terget="_blank">≪『サカつくRTW』はこちら≫</a><hr></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆新たなポジションで輝く“ファンタジスタ”</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191008_3_tw5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> ボバンとサビチェビッチは、加入当初は外国人枠争いに敗れ、思うような出場機会を得られず、苦しい時間を過ごすこととなった。しかし、徐々にカペッロ監督の信頼を勝ち取ると、前述の通り2人はサイドのポジションで起用されることとなる。 「トレクァルティスタ」のポジションでゲームメイクと攻撃のタクトを振るっていた2人は、サイドに配置されたことでただの“ファンタジスタ”ではなくなっていく。 サッキ監督が掲げたプレッシングシステム、そしてその後を引き継ぎ、同じくプレッシングサッカーを磨き上げていったカペッロ監督によって確立されたスタイル、“ファンタジスタ”たちもその流れに乗る必要があった。 ボバンは華麗なプレーを保ったまま、しっかりとハードワークをこなしていく。特に、サッキ監督のプレッシング重視から、ピッチ全体での守備に関わるハードワークを求められていった結果、相反するといっても良い能力を身につけていった。 ただの“ファンタジスタ”で終わる可能性もあったボバンは、しっかりと監督が求めるプレーを体現し、新たなポジションで、新たなタスクを課されてもその輝きを失わなかった。 現在のミランには、“ファンタジスタ”と称されてきた選手もいる。MFハカン・チャルハノールは、精度の高いフリーキックを武器とし、決定的なパス、巧みなドリブルスキル、そしてキープ力も高い。不振にあえぐミランにおいて、チームを救える希望が持てる選手だ。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191008_3_tw6.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> かつては“ファンタジスタ”の新境地を生み出してチームの黄金期を形成したミラン。復活のカギも“ファンタジスタ”が握っていると言ってもいいだろう。 《超ワールドサッカー編集部・菅野剛史》<hr><div id="cws_ad">90年代前半にミランの黄金期を支えた、ズボニミール・ボバンが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場! さらに、クラブの象徴としても名を馳せたフランコ・バレージとパオロ・マルディーニ、類まれな身体能力で攻撃だけでなく、守備でも貢献し、大事な試合でのゴールが印象的なダニエレ・マッサーロも投入されている。『サカつくRTW』をプレーしている人も、これからプレーする人も是非一度チェックしてみよう。</div> <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://sakatsuku-rtw.sega.com/&c=sega_20191008_3" terget="_blank">今ならレジェンドが手に入る!<br />≪『サカつくRTW』はこちら≫</a><hr></div> 2019.10.16 17:30 Wed4
ミラン、セリエCで低迷のフトゥーロにテコ入れ…クラブレジェンドがボネーラ率いるコーチングスタッフ入り
セリエCで低迷するミラン・フトゥーロ(U-23チーム)に、クラブレジェンドのマウロ・タソッティ氏(65)がコーチングスタッフ入りすることになった。 現在、セリエC・ジローネBで4勝10分け12敗と低迷するチームは、降格プレーオフ圏の20チーム中18位。仮にもアマチュアリーグのセリエDへ降格となれば、フトゥーロの財源を維持することも難しくなる可能性があるとのこと。 この成績不振を受け、クラブはダニエレ・ボネーラ監督(43)の解任への動きをみせ、アルベルト・ボリーニ氏、フェデリコ・グイディ氏、マッシモ・オッド氏ら後任候補の名前も挙がっていた。 しかし、クラブは12日に「本日付けでマウロ・タソッティがミラン・フトゥーロのダニエレ・ボネーラ監督のテクニカルスタッフに加わることを発表する」と、クラブレジェンドがテクニカルアナリストとしてコーチングスタッフ入りすることを発表した。 今回の人事に関してはボネーラ監督へのサポートとともに猶予を与えつつ、有事に備えて後任指揮官を託す思惑があるようだ。 現役時代にフランコ・バレージ、アレッサンドロ・コスタクルタ、パオロ・マルディーニらと黄金期のディフェンスラインを支えた名DFであるタソッティ氏は、ミランではファーストチームやプリマヴェーラの指導者を歴任。近年はウクライナ代表でアンドレイ・シェフチェンコ監督の副官、ジェノアでアシスタントマネージャーを務めていた。 2025.02.13 08:00 Thuフランコ・バレージの移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
1997年7月1日 |
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- |
1977年7月1日 |
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完全移籍 |
フランコ・バレージの監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2020年10月28日 |
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副会長 |
2008年8月4日 | 2020年10月27日 |
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監督 |
2006年6月17日 | 2008年6月30日 |
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監督 |
2003年9月21日 | 2006年6月16日 |
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監督 |
2003年5月23日 | 2003年9月20日 |
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スポーツ・ディレクター |
2002年7月1日 | 2003年5月22日 |
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監督 |
フランコ・バレージの今季成績
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勝
|
分
|
負
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セリエA | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
UEFAチャンピオンズリーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
コッパ・イタリア | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
スーペル・コッパ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
合計 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
フランコ・バレージの出場試合
セリエA |
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第1節 | 2024-08-17 |
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vs |
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トリノ | ベンチ外 |
H
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第2節 | 2024-08-24 |
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vs |
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パルマ | ベンチ外 |
A
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第3節 | 2024-08-31 |
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vs |
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ラツィオ | ベンチ外 |
A
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第4節 | 2024-09-14 |
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vs |
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ヴェネツィア | ベンチ外 |
H
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第5節 | 2024-09-22 |
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vs |
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インテル | ベンチ外 |
A
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第6節 | 2024-09-27 |
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vs |
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レッチェ | ベンチ外 |
H
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第7節 | 2024-10-06 |
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vs |
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フィオレンティーナ | ベンチ外 |
A
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第8節 | 2024-10-19 |
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vs |
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ウディネーゼ | ベンチ外 |
H
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第10節 | 2024-10-29 |
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vs |
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ナポリ | ベンチ外 |
H
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第11節 | 2024-11-02 |
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vs |
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モンツァ | ベンチ外 |
A
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第12節 | 2024-11-09 |
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vs |
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カリアリ | ベンチ外 |
A
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第13節 | 2024-11-23 |
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vs |
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ユベントス | ベンチ外 |
H
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第14節 | 2024-11-30 |
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vs |
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エンポリ | ベンチ外 |
H
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第15節 | 2024-12-06 |
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vs |
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アタランタ | ベンチ外 |
A
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第16節 | 2024-12-15 |
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vs |
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ジェノア | ベンチ外 |
H
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第17節 | 2024-12-20 |
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vs |
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エラス・ヴェローナ | ベンチ外 |
A
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第18節 | 2024-12-29 |
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vs |
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ローマ | ベンチ外 |
H
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第20節 | 2025-01-11 |
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vs |
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カリアリ | ベンチ外 |
H
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第19節 | 2025-01-14 |
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vs |
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コモ | ベンチ外 |
A
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第21節 | 2025-01-18 |
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vs |
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ユベントス | ベンチ外 |
A
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第22節 | 2025-01-26 |
![]() |
vs |
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パルマ | ベンチ外 |
H
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第23節 | 2025-02-02 |
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vs |
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インテル | ベンチ外 |
H
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第24節 | 2025-02-08 |
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vs |
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エンポリ | ベンチ外 |
A
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第25節 | 2025-02-15 |
![]() |
vs |
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エラス・ヴェローナ | ベンチ外 |
H
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第26節 | 2025-02-22 |
![]() |
vs |
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トリノ | ベンチ外 |
A
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第9節 | 2025-02-27 |
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vs |
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ボローニャ | ベンチ外 |
A
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第27節 | 2025-03-02 |
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vs |
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ラツィオ | ベンチ外 |
H
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第28節 | 2025-03-08 |
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vs |
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レッチェ | ベンチ外 |
A
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第29節 | 2025-03-15 |
![]() |
vs |
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コモ | ベンチ外 |
H
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第30節 | 2025-03-30 |
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vs |
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ナポリ | ベンチ外 |
A
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UEFAチャンピオンズリーグ |
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リーグフェーズ第1節 | 2024-09-17 |
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vs |
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リバプール | ベンチ外 |
H
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リーグフェーズ第2節 | 2024-10-01 |
![]() |
vs |
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レバークーゼン | ベンチ外 |
A
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リーグフェーズ第3節 | 2024-10-22 |
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vs |
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クラブ・ブルージュ | ベンチ外 |
H
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リーグフェーズ第4節 | 2024-11-05 |
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vs |
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レアル・マドリー | ベンチ外 |
A
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リーグフェーズ第5節 | 2024-11-26 |
![]() |
vs |
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スロバン・ブラチスラヴァ | ベンチ外 |
A
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リーグフェーズ第6節 | 2024-12-11 |
![]() |
vs |
![]() |
ツルヴェナ・ズヴェズダ | ベンチ外 |
H
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リーグフェーズ第7節 | 2025-01-22 |
![]() |
vs |
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ジローナ | ベンチ外 |
H
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リーグフェーズ第8節 | 2025-01-29 |
![]() |
vs |
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ディナモ・ザグレブ | ベンチ外 |
A
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プレーオフ1stレグ | 2025-02-12 |
![]() |
vs |
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フェイエノールト | ベンチ外 |
A
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プレーオフ2ndレグ | 2025-02-18 |
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vs |
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フェイエノールト | ベンチ外 |
H
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コッパ・イタリア |
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ラウンド16 | 2024-12-03 |
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vs |
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サッスオーロ | ベンチ外 |
H
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準々決勝 | 2025-02-05 |
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vs |
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ローマ | ベンチ外 |
H
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スーペル・コッパ |
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準決勝 | 2025-01-03 |
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vs |
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ユベントス | ベンチ外 |
A
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決勝 | 2025-01-06 |
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vs |
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インテル | ベンチ外 |
A
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