Jリーグ開幕を控えPRイベントが開催!J1各選手が意気込み、野々村チェアからは今後10年を見据えた改革案も

2024.02.19 18:12 Mon
©超ワールドサッカー
31年目のJリーグ開幕を目前に控え、19日には東京都内で「2024Jリーグ開幕PRイベント」が開催された。

過去に『Jリーグタイム』でMCを務めていた中川絵美里さんを司会に招き、野々村芳和Jリーグチェアマンによるプレゼンテーションで幕を開けた。

入場者数やメディアの露出量といった昨季の振り返りから、「Jリーグが世界一のリーグになること」へ向けて今後10年、30年後を見据えたビジョンを披露。選手の契約制度の変更や外国籍審判の招へいなどの提示がなされた。
さらには、20日にAFCアジアチャンピオンズリーグ(ACL)を控える川崎フロンターレを除いたJ1の各クラブ代表選手が登壇。開幕カードごとのフォトセッションのほか、ゲストの松木安太郎さん、槙野智章さん、お笑いコンビ「ミキ」の昴生さん・亜生さんを交えたトークセッションも行われ、各選手が意気込みや自己PRなどを語った。鹿島アントラーズの柴崎岳はアピールポイントとして「"全国"の小学生以下をホーム戦に無料招待」と告げた際には、報道陣からも感嘆の声が漏れていた。

また、手相占いをネタとする島田秀平さんの登場時には、選手を代表して柏レイソルの細谷真大とFC東京の松木玖生が手相を占ってもらったものの、「あんまり信じていないですけど…」、「(占いを)自分は信じ…ません」とばっさり。会場の笑いを誘ったが、2人ともに今季の活躍が期待される手相だったようで、細谷に関しては「何らかのタイトルを獲る可能性がある」という結果になっていた。
今季は20チームで争われる明治安田J1リーグは、23日のサンフレッチェ広島vs浦和レッズを皮切りに、同日の名古屋グランパスvs鹿島アントラーズと、「金J」2試合で幕を開ける。

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プロABC契約の撤廃を歓迎/六川亨の日本サッカー見聞録

今週はうれしいニュースと残念なニュースが交錯した。 まず、うれしいニュースは24日のJリーグ理事会でプロ選手の「ABC契約」が26年2月から撤廃されることだ。正直、時代に即しているとは言い難い契約がずいぶん長く踏襲されてきた。それがやっと撤廃されることが決まった。 この「プロ選手のABC契約」、導入されたのは1999年のことだった。高卒、大卒にかかわらず、日本人選手はまずプロC契約からスタートする。その際の年俸は460万円で(新卒サラリーマンの月給38万円は当時の物価からすればそれなりの高給だったが、プロとして誇れる数字ではないだろう)、出場試合数に応じてB契約、A契約と更新することができた。 この「プロABC契約」を導入したのは川淵三郎チェアマンだった。当時のJリーグには年俸の上限がなく、それこそJリーグ開幕前は選手の引き抜きを防ぐため、ラモス瑠偉や三浦知良、都並敏史、柱谷哲二、北澤豪、武田修宏ら元&現代表を擁するヴェルディ川崎(現東京V)などは“億”という年俸を選手に用意したと言われている。 当然、高卒や大卒の有望選手にも高額のオファーが提示されるようになる。いきなりヨーロッパのクラブに行っても契約できる時代ではない。まずは「Jリーグでプロになる」のがサッカー選手にとって“憧れ”の時代であり、高額な年俸はきわめて魅力的だった。 ただ、そうした栄華も長くは続かない。95年を境にJリーグブームは下り坂を迎え、日本経済のバブルも弾けた。そして97年、Jリーグバブルの頃は「会社の利益が税金で取られるくらいなら選手に還元する」という方針だった清水が経営難に陥り、運営母体だったテレビ静岡が経営から撤退。その後、関係者の努力により地元企業の新スポンサーが短期の約束だったが今日まで支援を続け、いま現在も清水をサポートしている。 清水に限らず、佐藤工業(フリューゲルスのスポンサー)やフジタ工業(ベルマーレ平塚のスポンサー)などゼネコンは業績不振に直面し、V川崎やジェフ市原(現ジェフ千葉)も観客動員に苦しんだ。そして98年10月、横浜フリューゲルスがJリーグから消滅し、窮余の策として横浜マリノスと合併することが電撃的に決まった。さらに11月にはJリーグの隆盛の一翼に担ってきたV川崎から、親会社である読売新聞とグループ企業が撤退することが正式に決まった。日本が初めてW杯に出場したにもかかわらず、だ。 翌99年、危機に直面したJリーグは「身の丈にあった経営」(川淵チェアマン)を提唱していたが、さらに選手の初年度の年俸に「ABC契約」という制限を加えたのに加え、1チームのプロ保有選手を25人に絞り、各クラブには経営状況を開示・報告するよう求めた。これは現在も受け継がれていて、クラブの健全経営の礎ともなっている。 ただし「ABC契約」は施行から四半世紀が過ぎている。その間に多くの選手が海外へ流出し、高卒や大卒で直接海外のリーグへチャレンジする選手も増えてきた。もはや“形骸化”したルールと言っていいだろう。撤廃は自然の流れであり、JFAでの選手登録は「プロ」か「アマチュア」の2種類、プロ選手の最低基本年俸は1200万円、新天地での生活のための支度金(引っ越しなどの費用)は500万円(独身、妻帯者を問わず)で一律化された。 やっと「時代が追いついてきたな」というのが正直な感想でもある。これには長年に渡る日本プロサッカー選手会(JPFA)の働きかけも大きかったのだろう。ただ、導入が26年からというのが気になるところ。会見で野々村芳和チェアマンは「J60クラブのヒアリングは終わっている」としてJ3クラブにとっても負担にならない金額であることを強調していた。たぶんJFLや大学・高校などJFAとの調整もあるのだろう。こちらは一日も早い導入を実現してほしいと願わずにはいられない。 そして残念なニュースは、WEリーグの新理事から女性理事が大幅に減少したことだ。こちらについては機会を改めて私見を述べたいと思っている。 2024.09.27 22:00 Fri
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ACLEの不可解な決定/六川亨の日本サッカー見聞録

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