アル・ドゥハイル、エルナン・クレスポを新指揮官に招へい!

2022.03.25 22:28 Fri
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カタールのアル・ドゥハイルは24日、エルナン・クレスポ氏(46)の新監督招へいを発表した。契約期間は2023年6月30日までとなる。

アル・ドゥハイルは今月15日、ブラジルからのオファーを受けた前指揮官ルイス・カストロ監督(60)との契約を双方合意の下で解消。

後任人事に関しては4月に開幕するアジア・チャンピオンズリーグまでに決定するとアナウンスされていた中、元アルゼンチン代表の名ストライカーがその後釜に座ることになった。
現役時代にリーベル・プレートやパルマ、ラツィオ、インテル、チェルシー、ミランなどで活躍したクレスポ氏は、古巣パルマのプリマヴェーラなどイタリアの地で指揮官としてのキャリアをスタート。

2020年には母国のデフェンサ・イ・フスティシアを指揮し、クラブに史上初となるコパ・スダメリカーナ制覇をもたらした。その後、2021年2月にはブラジル屈指の名門サンパウロの新指揮官に就任も、同10月に成績不振を理由に解任されていた。
なお、ベルギー代表DFトビー・アルデルヴァイレルトやケニア代表FWマイケル・オルンガ、韓国代表DFナム・テヒらを擁するアル・ドゥハイルは、今シーズンここまで22試合を終えて勝ち点47を獲得。無敗で首位を独走するアル・サッドに次ぐ2位に付けていた。

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今夏開催35歳以上のW杯、内田篤人氏が考える日本代表の仮想メンバーは?「空気の読める人を」…適任者に難しいと感じる人も

2024年夏に開催される予定の35歳以上のワールドカップ(W杯)。6月の初旬に行われる予定となっているが、元日本代表DFの内田篤人氏が日本代表の仮想メンバーを考えた。 2023年にトップレベルのもと選手たちとビジネスマンが提携したグループである「エリート・プレイヤーズ・グループ(EPG)」が主催する大会。35歳以上の元代表選手か、トップリーグで100試合以上に出場した選手に参加資格が与えられるという。 今回出場する国は、イングランド、アルゼンチン、ブラジル、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ウルグアイのW杯優勝経験のある8カ国になり、トーナメント方式で開催される。 イングランドはマイケル・オーウェンやリオ・ファーディナンド、フランク・ランパード、ブラジルはカカ、ロナウジーニョ、リバウド、ロベルト・カルロス、イタリアはフランチェスコ・トッティ、ファビオ・カンナバーロ、フランスはティエリ・アンリ、アルゼンチンはエルナン・クレスポ、ドイツはメスと・エジル、スペインはダビド・ビジャ、カルレス・プジョール、ウルグアイはディエゴ・フォルランらが出場予定となっている。 懐かしのスター軍団が集まることが予想される今大会。日本は出場はできないが、内田氏が『DAZN』で配信中の「内田篤人のFOOTBALL TIME」で日本代表メンバーを考察した。 『DAZN』がその様子を公開。内田氏は「面白そうだな」と語り、「世界のオールスターじゃん」と語り、「これ日本出れる?」と驚いていた。 引退したメンバー限定だがFW三浦知良(オリヴェイレンセ)を呼びたいと話す中、内田氏はメンバー考察をする上で「(小野)伸二さんあたりが中心になれば集まるんじゃないかな」と語った。 メンバーには田中マルクス闘莉王、中澤佑二とW杯でコンビを組んでいたセンターバックや、GKには楢崎正剛と歴代のW杯経験者の名前が出る中で、MCの野村明弘さんは「できるだけ若い方が良い方が良いですよね?」とコメント。ただ、内田氏は「このメンバー相手に35歳ぐらいの動ける人を集めて勝ち上がったらなんなの?」と、ガチで戦うことは問題ありそうだとし、「空気の読める人を連れてこないといけない。闘莉王さんは絶対全部跳ね返しちゃうから。ガチで負けたくないから」とコメントした。また「(大久保)嘉人さんとかゴールすぐ狙うでしょ。振り向いてすぐシュート打つでしょ。松井さんとかドリブルとかしないし」と、本気で勝ちに行ってしまうメンバーは良くないのではないかと見解を示した。 今シーズン限りで現役引退を発表し、内田氏も日本代表で共に戦ったFW岡崎慎司の名前もだし「岡ちゃんも絶対に点取りにいく」と空気が読めないタイプだと感じているようだ。 その中ではやはり小野伸二氏は適任だとコメント。「そう考えると小野伸二さんは魅せられるじゃないですか」とし、技術で魅せられる選手が良いのではないかとした。 お祭りになるであろう「Over35 W杯」。内田氏はお祭りつながりで「Jリーグはオールスターやったら良いのに。なんでなくなっちゃったんだろう」と、2007年の開催を最後に開催されていないオールスターの復帰を望み「若い時凄く楽しかったのに」と、勝敗ではなくサッカーを楽しめる試みはあって欲しいとした。 <span class="paragraph-title">【動画】内田篤人氏が考えるOver35日本代表のメンバーは? 難しい選手も?</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="-zsyGTmQBtM";var video_start = 55;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.03.09 15:20 Sat
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日本代表が初めて感じた世界の壁、ストライカーが認める“9番”ガブリエル・バティストゥータ

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カタール代表に新たな帰化選手! エジミウソン・ジュニオール30歳がW杯最終予選初戦黒星で緊急の追加招集

カタール代表がブラジルから帰化した選手を緊急で追加招集した。 アジア杯王者のカタール代表は5日、2026年北中米ワールドカップ(W杯)アジア最終予選A組第1節を戦い、ホームでUAE代表に1-3と逆転負け。“W杯予選突破経験のないアジアチャンピオン”は、出だしでいきなり躓いた。 A組のライバルを見渡せば、隣国UAE以外にイラン、ウズベキスタン、北朝鮮、キルギス。それぞれ独自のサッカーを展開する難敵揃いであり、初戦をホームで落とした事実がのちのち響く可能性は排除できない状況だ。 焦りは禁物だが、カタール『ガルフ・タイムズ』によると7日、カタールサッカー協会(QFA)が早くも一手。 中立地ラオスで行われる10日のアウェイゲーム、第2節・北朝鮮戦に向け、国内リーグから緊急で2選手を追加招集した。 1人目は、アル・ラーヤンのイラク系カタール人FWアーメド・アル・ラウィ(20)。U-23アジア杯で大岩ジャパン相手に強烈なヘディングシュートを叩き込んだ、あのストライカーだ。 アル・ラウィは昨秋のA代表初キャップから通算5試合2得点。6月の代表ウィーク2試合で180分間フル出場し、今回は当落線上で落選したようだが、国内屈指の若手ストライカーとあって追加招集もある意味妥当と言える。 もう1人が「帰化選手」にして初招集。 2018年にスタンダール・リエージュからアル・ドゥハイルへ加入し、カタール在住7年目を迎えているベルギー出身のブラジル人FWエジミウソン・ジュニオール(30)だ。 こちらは左ウイングを本職とするアタッカーで、日本企業による買収以前のシント=トロイデンでプレーした経験も。すでにカタール国籍を保有し、A代表入りの噂が国内で流れていたなか、とうとう声がかかった格好だ。 カタール代表のスペイン人指揮官、マルケス・ロペス監督は『ガルフ・タイムズ』を通じ、「まだ9試合残っている。初戦の負けを帳消しにすべく、最善を尽くす」と談話。「北朝鮮に必ず勝つ」と意気込んだ。 <span class="paragraph-title">【写真】アル・ドゥハイルがエジミウソン・ジュニオールのカタール代表初招集を発表</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ar" dir="rtl">استدعى مدرب منتخبنا الوطني الأول السيد ماركيز لوبيز لاعب نادي الدحيل إدميلسون جونيور لقائمة العنابي استعداداً لمواجهة كوريا الشمالية المقبلة بتصفيات كأس العالم 2026.<a href="https://twitter.com/hashtag/%D8%A7%D9%84%D8%AF%D8%AD%D9%8A%D9%84?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#الدحيل</a> | <a href="https://twitter.com/hashtag/%D8%A7%D9%84%D8%B9%D9%86%D8%A7%D8%A8%D9%8A?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#العنابي</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/%D8%B1%D8%AD%D9%84%D8%AA%D9%86%D9%80%D8%A7_%D8%A5%D9%84%D9%892026?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#رحلتنـا_إلى2026</a> <a href="https://t.co/nH1ifXGq9W">pic.twitter.com/nH1ifXGq9W</a></p>&mdash; نادي الدحيل ALDUHAIL (@DuhailSC) <a href="https://twitter.com/DuhailSC/status/1832383551792189839?ref_src=twsrc%5Etfw">September 7, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.09.08 13:55 Sun
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監督批判で干された男が恩師の誘いを排除…ツィエクが土壇場で心変わり、UAE移籍確実から急転直下カタールへ

UAE1部のアル・ナスルSCへ移籍すると伝えられたモロッコ代表MFハキム・ツィエク(31)だが、急転直下カタールへ向かった。オランダ『Voetbal International』が伝える。 チェルシーからの放出により、23-24シーズンよりガラタサライ所属のツィエク。しかし昨秋、唐突な監督批判におよび、士気ゼロで干された結果、今冬の契約解除が確実となった。 ここ数日で伝えられた行き先は、UAE1部のアル・ナスル。トゥベンテやアヤックスで関係性を深めたアルフレッド・シュロイダー監督のもとへ向かうものとみられていた。 しかし、土壇場でドバイ行きの飛行機をキャンセルしたことが明らかに。 どうやらカタール1部のアル・ドゥハイルが突如としてツィエク陣営に連絡。詳細不明も相当な好条件を提示したとみて間違いなさそうで、ツィエクが心変わりしたとのことだ。 ガラタサライ側はツィエクを完全に見放していることから、無条件で契約解除に協力。そんななか、ツィエクは恩師の誘いにそっぽを向き、よりによってUAEの隣国カタールへ向かう。 アル・ナスルはツィエクと契約合意に達し、「あとは契約書を交わすだけ」だったそうだ。 2025.01.29 19:57 Wed
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移籍金は約9億円、柏FWオルンガがカタールのアル・ドゥハイル移籍間近

圧倒的な得点力でJリーグを沸かせた柏レイソルのケニア代表FWオルンガ(26)のカタール移籍が間近に迫っているようだ。カタール『スタッド・アル・ドーハ』が報じた。 オルンガは母国クラブからスウェーデンやスペイン、中国を経て、2018年夏に柏入り。アフリカ出身の選手らしい高い身体能力を武器に近年のJリーグを席巻するストライカーだ。 チームが明治安田J2に降格した2019シーズンは最終節で8ゴールを決めるなど27ゴール。日本のトップリーグである明治安田J1に舞台を移した2020シーズンも28ゴールを決め得点王と最優秀選手賞に輝いていた。 そのオルンガには予てから移籍の噂があった中、カタールからのオファーが舞い込んだと報道。アル・ドゥハイルが獲得に動いているという。 『スタッド・アル・ドーハ』はオルンガがアル・ドゥハイルに向かっている途中と報じていた中、最新情報として移籍が合意したと報道。「柏レイソルは、冬の移籍市場の期間にマイケル・オルンガ(26)とサインするというアル・ドゥハイルのオファーを承認した」としている。 またケニア『Nation』によると、移籍金は700万ユーロ(約8億8000万円)と見られているとのこと。オルンガ自身も「僕が日本を離れるのは条件の良いオファーが来たからであり、断りにくいオファーだ」と語っているという。 2021.01.06 09:40 Wed
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来月カタール開催のFIFAクラブワールドカップの対戦カード決定!

FIFAクラブワールドカップ(CWC)2020の組み合わせ抽選会が19日に行われ、対戦カードが決定した。 新型コロナウイルスの感染拡大の影響によって延期となっていたCWCだが、昨年11月に今年2月にカタールで開催されることが決定。ただ、コロナ禍によってオセアニア王者のオークランド・シティ(ニュージーランド)の参加辞退が決定し、現行の7チーム制から6チーム制への変更を余儀なくされた。 2回戦ではCONCACAFチャンピオンズリーグ(北中米カリブ海王者)のUANLティグレス(メキシコ)と、AFCチャンピオンズリーグ王者(アジア王者)の蔚山現代(韓国)が対戦。もう1カードは開催国王者であり、柏レイソルからケニア代表FWオルンガが加入したことで注目を集めるアル・ドゥハイル(カタール)が、CAFチャンピオンズリーグ王者(アフリカ王者)のアル・アハリ(エジプト)と対戦する。 また、チャンピオンズリーグ王者(欧州王者)のバイエルン(ドイツ)と、サントス(ブラジル)とパウメイラス(ブラジル)が今月30日に決勝を戦うコパ・リベルタ・ドーレス王者(南米王者)は準決勝からの参戦。 前者はアル・ドゥハイルvsアル・アハリの勝者と、後者はUANLティグレスvs蔚山現代の勝者と対戦することになる。 ★FIFAクラブワールドカップ2020 日程 ◆2回戦 ▽2/4(木) UANLティグレス vs 蔚山現代[Match 2] アル・ドゥハイル vs アル・アハリ[Match 3] ◆5位決定戦 ▽2/7(日) [Match 2]の敗者 vs [Match 3]の敗者[Match 4] ◆準決勝 ▽2/7(日) コパ・リベルタ・ドーレス王者 vs [Match 2]の勝者[Match 5] ▽2/8(月) [Match 3]の勝者 vs バイエルン[Match 6] ◆3位決定戦 ▽2/11(木) [Match 6]の敗者 vs [Match 5]の敗者 ◆決勝 ▽2/11(木) [Match 6]の勝者 vs [Match 5]の勝者 2021.01.20 02:20 Wed
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コウチーニョがカタール行きに前進、この移籍を最も喜ぶのはバルセロナ?

アストン・ビラのブラジル代表MFフィリペ・コウチーニョ(31)だが、カタールへの移籍が接近しているようだ。 リバプールで輝かしい成績を残したコウチーニョだが、2018年1月にバルセロナへ移籍するとキャリアが停滞。余剰戦力扱いとなるとバイエルンへと移籍。超高額な移籍金がネックとなりバルセロナに戻ると、2022年1月にアストン・ビラへレンタル移籍。2022年7月から完全移籍に切り替わった。 2022-23シーズンはアストン・ビラでプレミアリーグ20試合に出場し1ゴール。シーズン後半戦はメンバーに選ばれなくなり、ウナイ・エメリ監督の下では余剰戦力扱いとなった。 さらに今夏のプレシーズンマッチで負傷し、3〜4週間の離脱となっている中、移籍のオファーが舞い込んでいる。 移籍に精通するイタリア人ジャーナリストのファブリツィオ・ロマーノ氏によると、オファーを出しているのはカタールのアル・ドゥハイルとのこと。すでにコウチーニョとは合意しているとされており、残すはクラブ間合意とのことだ。 サウジアラビアのクラブが今夏の移籍市場では躍動し、大金を投じてヨーロッパから選手を獲得している。どれほどの移籍金を出すのかは不明だが、この移籍が決定すると喜ぶクラブが。それはバルセロナだ。 かつてコウチーニョが所属したバルセロナだが、将来の選手の売却時の移籍金50%を手にする条項を盛り込んでいた。 そのため、高額な移籍金で合意すれば、深刻な財政難に悩まされるクラブにとっては臨時収入を得ることに。今夏獲得したDFイニゴ・マルティネスやGKイニャキ・ペーニャはまだ選手登録できていないため、この収入で選手登録が可能となる。 さらに、マンチェスター・シティのポルトガル代表DFジョアン・カンセロの獲得も求めている状況。コウチーニョのカタール行きはバルセロナにとっても大歓迎という状況だ。 2023.08.27 22:50 Sun

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