ジダンのマルセイユルーレットをそのままデザインに!ボルドーの新ユニフォームが斬新

2022.10.04 22:15 Tue
Getty Images
リーグ・ドゥ(フランス2部)のボルドーが3日、今シーズンの3rdユニフォームを発表した。ボルドーは1881年に設立されたフランスで2番目に歴史のあるサッカークラブ。だが、昨シーズンは守備が崩壊してリーグ・アン最下位で1991年以来の降格を喫し、今シーズンはリーグ・ドゥで戦っている。

そのボルドーの3rdユニフォームは、サプライヤーのアディダスとともにアーティストのミカエル・エヴァノ・グレムス氏がデザイン。白をベースにしたユニフォームには、ネイビーとワインレッドの2色で流線的なデザインが施されている。
これは、幼少期にクラブOBである元フランス代表MFジネディーヌ・ジダン氏のマルセイユルーレットを生で観たというグレムス氏が、白、ネイビー、ワインレッドというクラブの歴史的なカラーを用いつつ、マルセイユルーレットの動きをそのままデザインに落とし込んでいる。

このユニフォームは、早速3日に行われたリーグ第10節のラヴァル戦で選手たちが着用。ボルドーは2-1で勝利を収め、3rdユニフォームでも初陣を勝利で飾っている。
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G大阪エースのファン・ウィジョが欧州挑戦! ボルドーに完全移籍

ガンバ大阪は14日、韓国代表FWファン・ウィジョ(26)がボルドーに完全移籍することを正式発表した。 ファン・ウィジョは2017年夏に城南FCから加入。今シーズンの明治安田生命J1リーグこそ4得点にとどまったが、得点ランキング3位の16得点を挙げた2018シーズンは残留の救世主として輝き、個人としても初のベストイレブンを受賞した。韓国代表としても近年、主力として定着しており、通算27試合8ゴール。2018シーズン途中にG大阪を一時離脱してオーバーエイジ枠で出場したアジア競技大会で得点王に輝き、大会優勝とともに、兵役免除を勝ち取っている。 そのファン・ウィジョは、13日にホームで行われた第19節の清水エスパルス戦にフル出場。ゴールこそなかったが、得意の形である左サイドからのカットインで右ポスト直撃弾を放つなど見せ場を作り、G大阪でのラストマッチをチームの勝利で飾った。G大阪在籍2年間で公式戦通算70試合31得点を記録した韓流ストライカーは移籍発表を受け、クラブ公式サイトを通じて次のようにコメントしている。 「韓国人という立場でしたが、たくさんの方が応援をしてくださって本当に感謝しています。サポーターの方々には深い愛情で見守っていただいたので、その分しっかりとスタジアムでもお返し出来たのではないかと思っています。ガンバはこの順位にいるクラブではないので、これから順位を上げてくれることを期待しています。本当に2年間有難うございました」 リーグ・アン6度の優勝を誇るボルドーは、かつてはジネディーヌ・ジダン氏(現レアル・マドリー監督)が在籍したことでも知られる1881年創設の名門。今年3月からパウロ・ソウザ監督が率いており、昨シーズンのリーグ・アンを14位でフィニッシュした。 2019.07.14 18:05 Sun
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コシエルニーはどうしてもアーセナルを出たかった? 現行給与は約40%減…

昨夏の移籍市場でアーセナルからボルドーに完全移籍した元フランス代表DFローラン・コシエルニーは大幅な減俸を受け入れていたようだ。イギリス『ミラー』が報じている。 コシエルニーは2010年7月にロリアンからアーセナルに移籍。キャプテンを務めるなど厚い信頼を集めたが、昨夏の移籍を目指して、アーセナルの一員として参加する予定だったプレシーズンツアー帯同を拒み、最終的にボルドー移籍が実現した。 そして、昨年10月には母国『レキップ』のインタビューで、移籍の理由を以下のように説明していた。 「プレミアリーグのシーズンはすごく長丁場だ。肉体的にも精神的にも多くが求められる。40~50試合もプレーできないと思ったし、ケガでキャリアを終わらせたくなかった」 「レベルを下げてでも、より多くの喜びを得られる方を選択したのさ。そこでキャリアを終わらせるのか、クラブを変えるのか。僕ら家族はそのときが来たと感じたんだ」 「フットボールだったり、身体の状態、妻、子供、日常生活などのすべてが僕の考えのなかにあった。僕は頭を高く上げたまま去ったと言うことしかできない」 そして今回、『ミラー』はコシエルニーがボルドーで受け取っている現行給与を明かし、同選手がアーセナル退団のために給与面で大きな犠牲を払ったと主張している。 コシエルニーはアーセナルで週給9万ポンド(約1270万円)を受け取っていたが、現在ボルドーで受け取っている給与は週給5万1000ポンド(約740万円)と、約40パーセントの減俸となっているようだ。 前述のコメント通り、華やかなスポットライトや魅力的なサラリーを捨ててまで環境面の充実を重視したコシエルニーは、今季ここまでの公式戦23試合に出場するなど充実した日々を過ごしている。 2020.02.08 15:05 Sat
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マルセイユがモナコに逆転でCLストレートイン! ボルドー&メスが自動降格…ムバッペが史上初の得点王&アシスト王ダブル受賞《リーグ・アン》

2021-22シーズンのリーグ・アン最終節が21日に行われた。 パリ・サンジェルマン(PSG)が早々に優勝を決定した今季のリーグ・アンだが、チャンピオンズリーグ(CL)やヨーロッパリーグ(EL)の欧州出場権争い、残留争いは最終節までもつれ込む大混戦となった。 2位のモナコ(勝ち点68)、3位のマルセイユ(勝ち点68)、4位のスタッド・レンヌ(勝ち点65)の3クラブが出場2枠を争うCL出場権争いを制したのは、マルセイユとモナコ。 ストラスブールとホームで最終節を戦ったマルセイユは、ジェルソンの2ゴール、ジェンギズ・ウンデル、バカンブのゴールによって4-0の快勝を収めた。 一方、モナコはRCランスとのアウェイゲームに臨み、2-1で試合最終盤までリードを維持したが、後半ラストプレーのセットプレーの流れから痛恨の失点を喫し、2-2のドローに終わった。 この結果、マルセイユが逆転で2位に浮上し、CLストレートインを確定。一方、土壇場で逃げ切りに失敗のモナコはCL予選からの参戦となった。 EL出場権争いではクープ・ドゥ・フランス優勝のナントと共に、レンヌが出場権を獲得。レンヌは前回王者リール相手に後半アディショナルタイムの同点ゴールによって貴重な勝ち点1を積んだことで、勝ち点で並ばれた5位のニースを得失点差で振り切り、最低限の目標達成となった。 ただ、5位のニースは前節終了時点で6位だったものの、スタッド・ランス戦の後半終盤にドゥロールのハットトリックで2点差を引っくり返して3-2の勝利を収めたことで、マルセイユに敗れたストラスブールを抜いてヨーロッパ・カンファレンスリーグ(ECL)行きを決める結果となった。 18位のメス(勝ち点31)、19位のサンテチェンヌ(勝ち点31)、最下位のボルドー(勝ち点28)の3チームの争いとなった残留争いでは、ボルドーとメスが自動降格。サンテチェンヌがリーグ・ドゥの昇格プレーオフを制したオセールとの昇格・降格プレーオフに回ることになった。 また、個人賞ではPSGのフランス代表FWキリアン・ムバッペがメスとの最終戦で2025年までの契約延長を自ら祝うハットトリックの活躍によって28ゴールで4シーズン連続の得点王を獲得。さらに、17アシストでアシスト王にも輝き、史上初のダブル受賞となった。 2022.05.22 06:26 Sun

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