モーゼスが恩師・コンテ監督に感謝「また一緒に仕事ができてうれしい」
2020.05.18 15:30 Mon
インテルの元ナイジェリア代表FWヴィクター・モーゼスがアントニオ・コンテ監督を称賛した。ナイジェリア『ザ・ネーション』が伝えた。2012年8月にウィガンからチェルシーに加入したモーゼスだが、トップチームではなかなか出場機会を得ることができず、リバプール、ストーク・シティ、ウェストハムと3シーズン連続でレンタル移籍を繰り返していた。
しかし、アントニオ・コンテ監督が就任した2016-17シーズンからは、[3-4-3]の新布陣を採用したチームで、右ウイングバックの絶対的レギュラーに定着。
コンテ監督退任後は出場機会を再び出場機会を失い、レンタル移籍でフェネルバフチェに移籍していたものの、今季からインテルを指揮するコンテ監督に呼ばれる形で、1月にインテルへレンタルで加入している。
モーゼスは恩師であるコンテ監督を称賛し、自身に与えた影響について語った。
「彼は僕のメンターであり友人でもある。多くの監督の下でプレーしてきて、そのすべてを愛してきた。最も重要なのはアントニオ・コンテだった」
「アントニオ・コンテの下では、僕にとって素晴らしいシーズンだった。いつでも彼を尊敬している。彼は素晴らしい人だ」
「これまで、そのポジション(ウイングバック)をプレーしたことがなかった。監督が来たとき、彼はそれについて話し、それから僕をそこに置いた」
「監督のサポートを得られて良かった。彼は僕を支援してくれて、外に出て自分を表現する自信を与えてくれた。だから僕は、彼、ファン、そしてフットボールクラブのためにプレーしたかっただけだよ。僕は彼を失望させなかった」
1月にインテルに加入したモーゼスは、右サイドのバックアッパーとしてセリエAで3試合、ヨーロッパリーグで2試合、コッパイタリアで2試合に出場している。
「僕は自分を信じている監督の下で、より良くプレーすることを理解するようになった。そして、それはコンテが僕のためにしてくれたことだ。3試合プレーしたが、それは素晴らしいことだった」。
「僕は気が晴れているよ。ロックダウンの前に、3試合でプレーした。ウディネーゼとの試合を2-0で勝利した。チームにとって良いことで、チームのためにプレーしている」
「それは簡単ではなく、非常に戦術的だ。チームとチームメイトの協力に身を置くことが重要だが、監督は大きな助けをしてくれた」
「彼は僕に何をすべきかを教えてくれ流。そして、僕は彼の指示のほとんどを覚えてそれに従う。彼は世界で最高の監督の一人だ」
「彼は自分自身のサッカーをし、多くの情熱を持っている。また彼と一緒に仕事ができてとても嬉しい」
しかし、アントニオ・コンテ監督が就任した2016-17シーズンからは、[3-4-3]の新布陣を採用したチームで、右ウイングバックの絶対的レギュラーに定着。
コンテ監督退任後は出場機会を再び出場機会を失い、レンタル移籍でフェネルバフチェに移籍していたものの、今季からインテルを指揮するコンテ監督に呼ばれる形で、1月にインテルへレンタルで加入している。
「彼は僕のメンターであり友人でもある。多くの監督の下でプレーしてきて、そのすべてを愛してきた。最も重要なのはアントニオ・コンテだった」
「彼はチェルシーにやって来て、すべてを変えた。素晴らしい人だ。正直に言って、僕にとっての試合を完全に変えたよ。彼は僕に、自分自身を信じ、サッカーを楽しむための闘志を与えてくれた」
「アントニオ・コンテの下では、僕にとって素晴らしいシーズンだった。いつでも彼を尊敬している。彼は素晴らしい人だ」
「これまで、そのポジション(ウイングバック)をプレーしたことがなかった。監督が来たとき、彼はそれについて話し、それから僕をそこに置いた」
「監督のサポートを得られて良かった。彼は僕を支援してくれて、外に出て自分を表現する自信を与えてくれた。だから僕は、彼、ファン、そしてフットボールクラブのためにプレーしたかっただけだよ。僕は彼を失望させなかった」
1月にインテルに加入したモーゼスは、右サイドのバックアッパーとしてセリエAで3試合、ヨーロッパリーグで2試合、コッパイタリアで2試合に出場している。
「僕は自分を信じている監督の下で、より良くプレーすることを理解するようになった。そして、それはコンテが僕のためにしてくれたことだ。3試合プレーしたが、それは素晴らしいことだった」。
「僕は気が晴れているよ。ロックダウンの前に、3試合でプレーした。ウディネーゼとの試合を2-0で勝利した。チームにとって良いことで、チームのためにプレーしている」
「それは簡単ではなく、非常に戦術的だ。チームとチームメイトの協力に身を置くことが重要だが、監督は大きな助けをしてくれた」
「彼は僕に何をすべきかを教えてくれ流。そして、僕は彼の指示のほとんどを覚えてそれに従う。彼は世界で最高の監督の一人だ」
「彼は自分自身のサッカーをし、多くの情熱を持っている。また彼と一緒に仕事ができてとても嬉しい」
ヴィクター・モーゼスの関連記事
インテルの関連記事
セリエAの関連記事
記事をさがす
|
|
ヴィクター・モーゼスの人気記事ランキング
1
モーゼスが恩師・コンテ監督に感謝「また一緒に仕事ができてうれしい」
インテルの元ナイジェリア代表FWヴィクター・モーゼスがアントニオ・コンテ監督を称賛した。ナイジェリア『ザ・ネーション』が伝えた。 2012年8月にウィガンからチェルシーに加入したモーゼスだが、トップチームではなかなか出場機会を得ることができず、リバプール、ストーク・シティ、ウェストハムと3シーズン連続でレンタル移籍を繰り返していた。 <div style="margin:0 auto; min-width:300px; " id="cws_ad"><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJ1dW9rdTIycCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div> しかし、アントニオ・コンテ監督が就任した2016-17シーズンからは、[3-4-3]の新布陣を採用したチームで、右ウイングバックの絶対的レギュラーに定着。 コンテ監督退任後は出場機会を再び出場機会を失い、レンタル移籍でフェネルバフチェに移籍していたものの、今季からインテルを指揮するコンテ監督に呼ばれる形で、1月にインテルへレンタルで加入している。 モーゼスは恩師であるコンテ監督を称賛し、自身に与えた影響について語った。 「彼は僕のメンターであり友人でもある。多くの監督の下でプレーしてきて、そのすべてを愛してきた。最も重要なのはアントニオ・コンテだった」 「彼はチェルシーにやって来て、すべてを変えた。素晴らしい人だ。正直に言って、僕にとっての試合を完全に変えたよ。彼は僕に、自分自身を信じ、サッカーを楽しむための闘志を与えてくれた」 「アントニオ・コンテの下では、僕にとって素晴らしいシーズンだった。いつでも彼を尊敬している。彼は素晴らしい人だ」 「これまで、そのポジション(ウイングバック)をプレーしたことがなかった。監督が来たとき、彼はそれについて話し、それから僕をそこに置いた」 「監督のサポートを得られて良かった。彼は僕を支援してくれて、外に出て自分を表現する自信を与えてくれた。だから僕は、彼、ファン、そしてフットボールクラブのためにプレーしたかっただけだよ。僕は彼を失望させなかった」 1月にインテルに加入したモーゼスは、右サイドのバックアッパーとしてセリエAで3試合、ヨーロッパリーグで2試合、コッパイタリアで2試合に出場している。 「僕は自分を信じている監督の下で、より良くプレーすることを理解するようになった。そして、それはコンテが僕のためにしてくれたことだ。3試合プレーしたが、それは素晴らしいことだった」。 「僕は気が晴れているよ。ロックダウンの前に、3試合でプレーした。ウディネーゼとの試合を2-0で勝利した。チームにとって良いことで、チームのためにプレーしている」 「それは簡単ではなく、非常に戦術的だ。チームとチームメイトの協力に身を置くことが重要だが、監督は大きな助けをしてくれた」 「彼は僕に何をすべきかを教えてくれ流。そして、僕は彼の指示のほとんどを覚えてそれに従う。彼は世界で最高の監督の一人だ」 「彼は自分自身のサッカーをし、多くの情熱を持っている。また彼と一緒に仕事ができてとても嬉しい」 2020.05.18 15:30 Mon2
プレミアリーグがバーンリーのモーゼス獲得を阻止…選手はロシアから特例措置での移籍望む
プレミアリーグが、バーンリーの元ナイジェリア代表FWヴィクター・モーゼス(31)獲得の動きを阻んでいるようだ。イギリス『スカイ・スポーツ』など複数メディアが報じている。 モーゼスは昨年夏にチェルシーからスパルタク・モスクワに完全移籍。今年2月にはクラブとの契約を2024年6月まで延長していた。 しかし、ロシアによるウクライナ侵攻を受け、両国のリーグでプレーする選手に関しては、国際サッカー連盟(FIFA)と欧州サッカー連盟(UEFA)が少なくとも今年6月末まではフリーエージェントと見なし、国外のクラブへの移籍を許可する特例の措置を決定。 これにより、モーゼスはロシアを一時離れ、家族がいるイングランドでのプレーを熱望。そして、同選手の窮状を理解しつつ、重要な戦力としても評価するバーンリーが移籍先として名乗りを挙げて交渉を進めていたという。 しかし、プレミアリーグは降格圏の19位に低迷するバーンリーが、通常の移籍期間外に重要な戦力となり得るモーゼスを獲得した場合、コンペティションの公平性が脅かされる可能性を危惧し、「スポーツインテグリティ」の問題を理由にこの動きを阻止しているようだ。 なお、FIFAとUEFAの特例措置ではロシア、ウクライナを除く国外のリーグでは各クラブが最大2名を獲得できるルールとなっている。ただ、その特例措置を受け入れるかどうかは各リーグに一任されており、セリエAとブンデスリーガではプレミアリーグと同様の理由で獲得を許可していない。 その一方で、ラ・リーガやリーグ・アン、イングランドでもチャンピオンシップ(イングランド2部)は、この特例措置を利用して選手を受け入れている。 そのため、セリエAとブンデスリーガ同様にプレミアリーグに対しては、今回のモーゼスの一件に関して賛否両論の声が挙がっており、元フィンランド代表のキャプテンで、社会問題への発言力でも注目されるティム・スパルフ氏は、「私たちは彼らに、彼らが安全だと感じる場所に行ってプレーする機会を与える必要がある。これは人道上の問題だ」と、リーグ側に対してプレーヤーズファーストを求めている。 2022.03.27 07:30 Sunインテルの人気記事ランキング
1
10年前、当時21歳のベイルがCLで覚醒…!インテル相手に記録した衝撃のハットトリック【CL名場面プレイバック】
20日、遂に新シーズンの幕が上がったチャンピオンズリーグ(CL)。今まで数多くの名場面が生まれてきたが、その中でも選りすぐりの名場面を振り返る。今回は、トッテナム時代のウェールズ代表FWガレス・ベイルが今から10年前に見せた驚愕のハットトリックだ。 育成の名門サウサンプトンで育ったベイルは2007年夏にトッテナムに加入。当初は左サイドバックとしてプレーしていたが、2010-11シーズンに一列前で起用されるようになると、その攻撃力が爆発した。 <div id="cws_ad">◆10年前、伝説となったベイルのサン・シーロでの夜<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJiUGM1dHM4WSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ベイルがその才能を覚醒させるきっかけの1つとなった試合が、2010年10月20日にサン・シーロで行われたCLグループリーグのインテル戦だった。 試合は開始2分でインテルが先制すると、その後8分にはトッテナムのGKエウレリョ・ゴメスが一発退場。10人になったトッテナムは前半だけで4失点と数的不利を背負うという絶望的な状況に置かれた。 しかし後半、ベイルが覚醒する。52分に自陣でボールを持ったベイルがドリブルを開始。相手を寄せ付けない高速ドリブルでぐんぐん加速し、あっという間にボックス左に侵入すると、そのまま左足を振りぬいてシュートを放つ。ゴール右下の完璧なコースに鋭いシュートを突き刺して1点を返した。 その後は膠着状態が続いたものの90分、左サイドのスペースで味方からのボールを得たベイルが、またも高速ドリブルでボックス左に侵入。1点目とほぼ同じ位置からシュートを放つと、再びゴール右下のコースにシュートを突き刺して2点目を奪った。 直後の92分、中央突破に成功したMFアーロン・レノンがペナルティアーク内までボールを運ぶと、ボックス内のベイルにパスを送る。このパスを受けたベイルが再びゴール右下にシュートを突き刺し、1点差に迫る3点目を記録した。 トッテナムの反撃もここまでとなり、試合は4-3でインテルが制したが、当時世界最高のサイドバックの一人であった元ブラジル代表DFマイコンの守るインテルの右サイドを完全に圧倒してのハットトリックは世界に衝撃を与えた。 その後、天職とも言えるポジションを手にしたベイルは、トッテナムの攻撃を牽引し、ワールドクラスのアタッカーへと成長を遂げる。2013年夏にレアル・マドリーへ巨額の移籍金で加入し、数々のタイトルを勝ち取ったベイルは、今シーズンからブレイクを果たしたトッテナムに復帰した。ベイル擁するトッテナムは今季、CL出場を逃しているものの、チームを再びCLの舞台に導く活躍に期待だ。 2020.10.21 20:15 Wed2
【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.36“セリエ最多勝ち点”記録尽くめ/インテル[2006-07]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.36</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">2006-2007シーズン/インテル 〜セリエ最多勝ち点〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/2006-07inter.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ロベルト・マンチーニ(43) 獲得タイトル:セリエA 攻撃力8:★★★★★★★★☆☆ 守備力9:★★★★★★★★★☆ タレント10:★★★★★★★★★★ 連係8:★★★★★★★★☆☆ 選手層10:★★★★★★★★★★ </p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">記録尽くめ</div> カルチョーポリの影響でセリエBに降格したユベントスが不在だった2006-07シーズン。この状況下でマンチーニ監督に率いられたインテルが圧倒的な強さを見せる。降格したユベントスからイブラヒモビッチとヴィエラを招き入れ、チェルシーからレンタルでクレスポ、モナコからマイコンを獲得。リーグ屈指の陣容を整えてシーズンに臨んだ。 序盤戦から勝ち点を積み上げたインテルは、第8節からセリエA新記録となる17連勝を達成。記録が途切れて以降も勝ち星を積み重ねたチームは、30勝7分1敗という素晴らしい成績でスクデットを手に入れた。 ただ、リーグ戦で圧倒的な強さを見せたマンチーニ・インテルだが、それ以外の大会でタイトルを獲得することはできなかった。CLでは決勝トーナメント1回戦でバレンシアに敗れて敗退。コッパ・イタリアはリーグ優勝を決めた後に行われた決勝だったが、ローマによってシーズン2冠を阻まれた。 それでも、セリエAで素晴らしい結果を残したインテルは、様々なリーグ記録を塗り替えている。前述した17連勝に続き、シーズン30勝、アウェイ戦15勝、アウェイ戦11連勝。そして、最多勝ち点となる97ポイントだ。最多勝ち点記録やシーズン勝利数記録などは、2013-14シーズンのユベントスが塗り替えることとなるが、当時のインテルが圧倒的な強さを誇っていたことに疑いの余地はない。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">個に依存したスタイル</div> マンチーニ監督が率いたインテルは、イタリアらしい堅守速攻をベースとしたチーム。各ポジションに実績のあるタレントを有していたことで、守備的に戦いながらも前線の個が確実にチャンスを生かして結果を残した。特に、イブラヒモビッチにロングボールを当てるという強烈な個に依存する戦い方が主だった。 システムは[4-3-1-2]や[4-4-2]といった守備が安定しやすい布陣を採用。最終ラインは両サイドバックに攻撃が持ち味のマイコンやグロッソ、マクスウェルを起用したが、マテラッツィやサムエルらが中央を固めた。また、コルドバやブルディッソはセンターバックだけでなく、サイドバックとしてもプレー可能であったため、負傷者が出た際や守備固めの時に重宝された。 中盤は、カンビアッソやヴィエラの負傷離脱を強いられたが、守備陣と同じく複数のポジションをこなせるサネッティやスタンコビッチが確実に穴を埋める。また、34歳のフィーゴはスピードこそ衰えたが、ドリブルのキレやキックの精度など色褪せることのないテクニックを披露した。 FW陣は、チーム得点王(15ゴール)のイブラヒモッチを軸に豊富な駒を揃えていた。チーム2位の14ゴールをマークしたクレスポは、イブラヒモビッチと強力な2トップを形成。また、左足の魔術師・レコバ、イブラヒモビッチの貴重なバックアッパーであったフリオ・クルスはピッチに立てば仕事を果たした。一方、アドリアーノは私生活のトラブルやケガ、マンチーニ監督との不和といった影響で徐々に立場を失った。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">DFハビエル・サネッティ(33)</span> インテルの偉大なカピターノであり、誰もが認める鉄人。2006-07シーズンは、インテルの選手として、そしてキャプテンとしてシーズンを通して働き、悲願のスクデットを獲得した(2005-06シーズンは繰り上げによる優勝)。本職の右サイドバックだけでなく、左サイドバックや中盤のあらゆるポジションで安定したパフォーマンスを披露。チームへの貢献度は計り知れなかった。その後、インテルおける通算出場記録を塗り替えたサネッティは、19年間過ごしたクラブで現役を引退した。 2019.04.21 12:00 Sun3
インテル栄光のエース…ディエゴ・ミリート氏がCL制覇を懐かしむ 表彰式でR・マドリー会長から「キミはウチに来るべき」
元アルゼンチン代表FWのディエゴ・ミリート氏が、インテル時代のチャンピオンズリーグ(CL)制覇を懐かしんだ。 2009-10シーズン、インテルに45年ぶりの欧州制覇、2024年現在イタリア勢最後の欧州制覇をもたらしたストライカー、D・ミリート。 チャンピオンズリーグ(CL)決勝戦、バイエルン戦で2得点を叩き込み、2-0勝利のインテルは欧州王者に。D・ミリート氏はUEFA年間最優秀選手、セリエA年間最優秀選手に輝いた。 地球上の全インテリスタが崇めるアルゼンチン人FWは現在45歳。母国のTV番組『TyC』に出演し、伝説のCL準決勝、決勝を懐かしんだ。 「サッカー少年の夢が凝縮されたファイナルだったね。だが、準決勝も思い出深い。あの準決勝で当時のペップ・バルサ、弟(※)の所属するバルセロナを撃破した時点で、我々インテルの優勝を確信していたと記憶する」 (※)ガブリエル・ミリート 「準決勝の前夜、両親もアルゼンチンから欧州へ来ていてね。インテルが滞在するホテルにも来て、私が会いに行ったら、そこへ監督のジョゼ・モウリーニョだ(笑)」 「モウは両親に『バルサとインテル、どちらを応援してくれますかね?』なんてニヤニヤしながら聞いていた(笑) まったく面白い男だよ。外ではいつも、選手の重圧を取り除くために悪者を演じるんだが(笑) それがモウリーニョだ」 そして、栄冠を掴んだサンティアゴ・ベルナベウでの決勝戦。表彰式ではメダル授与を担ったレアル・マドリーのフロレンティーノ・ペレス会長から、わずか数秒間の短い会話で、2010年夏の加入を促されたという。 「かの有名なペレス会長は私に『おめでとう』と語りかけ、続け様に『やはりキミはレアル・マドリーの一員になるべきだ』と言ったんだ」 「本気で私の獲得を目指していることは、あの日に前後して知っていた。レアル・サラゴサ時代のにもアプローチされ、ベルント・シュスター(当時監督)からも電話が来ていたよ。結局はインテルが譲らなかったということだ」 D・ミリート氏は最後に、古巣で自身の系譜を受け継ぐアルゼンチン人エース、ラウタロ・マルティネスにエールを送った。 「いまの私は、ラウタロに想いを馳せる。すでに私なんかと比べ物にならないほどの存在だよ。いつの日か、彼はインテルでバロンドールを受賞するかもしれないね。私にできないこと全てが、ラウタロにはできてしまう」 2024.11.13 17:15 Wed4
19年間インテルでプレーしたサネッティが選んだ最高のチームメイトは「ロベルト・バッジョ」
元アルゼンチン代表DFで現在はインテルの副会長を務めるハビエル・サネッティ氏が、インテルのチームメイトでの最高の選手を明かした。 サネッティ氏は、アルゼンチンでキャリアをスタートさせると、1995年7月に母国のバンフィエルドからインテルへと完全移籍。引退した2014年7月まで19年間をインテルで過ごしていた。 <div style="margin:0 auto; min-width:300px; " id="cws_ad"><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiIyS3I2aGxJTCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div> セリエAの全盛期であった90年代から2010年代まで、数多くのスター選手らとプレーしてきたサネッティ氏。ガラタサライの日本代表DF長友佑都とも強い絆があるなど、多くの国の選手とも接している。 そんなサネッティ氏は、チームメイトであり同胞のエステバン・カンビアッソとインスタグラのライブ配信を実施。その中で最高のチームメイトについて明かした。 「ロナウドがバルセロナから来た時、彼は信じられないほど素晴らしい選手だった。でも、私が1人の名前を挙げなければならないならば、それはロベルト・バッジョだろう。彼はクオリティと情熱の理想的なバランスを持っていたんだ」 「私は、誰もがいつも言って来たように、バッジョに対して大きな称賛の気持ちを持っている」 バッジョ氏は、フィオレンティーナやユベントス、ミラン、ボローニャなどでプレーし、インテルには1998年7月から2000年7月まで在籍。公式戦59試合で17ゴールを記録していた。 2020.04.19 12:30 Sun5
