ユルゲン・クリンスマン
Jurgen Klinsmann
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ポジション | 監督 |
国籍 |
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生年月日 | 1964年07月30日(60歳) |
利き足 | |
身長 | 182cm |
体重 | 73kg |
ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
ユルゲン・クリンスマンのニュース一覧
韓国代表のニュース一覧
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インテル加入のゴセンスが新天地での活躍誓う 「ドイツ人選手の伝統を引き継ぎたい」
インテルに加入したドイツ代表MFロビン・ゴセンス(27)が新天地での意気込みを語った。クラブ公式サイトが伝えている。 フィテッセの下部組織に所属していたゴセンスはその後、ドルトレヒト、ヘラクレスを経て2017年6月にアタランタへ加入。アタランタでは公式戦157試合に出場して29ゴール21アシストを記録しており、昨夏に開催されたユーロ2020でも全試合に出場して1ゴール2アシストの成績を残した。 現在は負傷中であるゴセンスだが、インテルは同選手のクオリティを高く評価しており、27日に買い取り義務付きのレンタル移籍で獲得したと発表している。 クラブ公式サイトで加入後最初のインタビューに応じたゴセンスはビッグクラブ移籍の喜びを露わに。同胞であるローター・マテウス氏やアンドレアス・ブレーメ氏、ユルゲン・クリンスマン氏らがかつて所属したクラブでの活躍を誓いつつ、アタランタ時代のチームメイトであるDFアレッサンドロ・バストーニの存在を喜んだ。 「ヨーロッパでもっとも大きなクラブの1つに加入できて、とても誇りに思っている。ここに来られて感激しているし、早くプレーを始めていきたいね」 「(シモーネ・インザーギ監督とは)昨晩にビデオ通話で話したよ。彼は僕に何を期待しているのか話し、僕も自分の考えを少し伝えた。一緒に仕事ができることには、とても興奮している。チームやボスと一緒にピッチに立つのが待ち遠しい」 「このクラブでは、何人かの素晴らしいドイツ人選手が歴史を作ってきた。自分もその一員になりたいと思っており、それが僕の野望だね。ドイツ人選手の伝統を引き継ぎたいという強い思いでここに来たから、待ちきれない」 「(バストーニとは)今だけでなく、ほぼ毎日話をしている。2、3年前にもインテルは素晴らしいクラブであり、ここでプレーすることがどれだけ誇りかを話してくれた。だから、僕にとって難しい決断ではなかったよ。ビッグクラブであると知っていたから、説得の必要もなかった。彼はクラブの歴史やここでの働き方について話してくれたよ」 「インテルファンの皆、こんにちは! 僕はここにいることをとても誇りに思っていて、本当に幸せだ。スタジアムで皆に会えるのが待ち遠しい。インテルのため、ピッチ上で全てを捧げたいと思っているよ」 2022.01.28 11:36 Fri2
フリック監督解任でドイツ凋落の原因は?/六川亨の日本サッカーの歩み
日本がドイツ戦に4-1と快勝した翌日、飯田橋のJFAハウスでは第19回日本サッカー殿堂掲額式典が、名誉総裁である高円宮妃殿下をお招きして開催された。今年の掲額者は現国士舘大学理事長の大澤英雄氏、元JFA会長の大仁邦彌氏、長年少年サッカーの指導者として育成に貢献し、現在はコメンテーターとして活躍中のセルジオ越後氏、漫画「キャプテン翼」の作者である高橋陽一氏、そして2011年の女子W杯で優勝したなでしこジャパン(日本女子代表チーム)だった。 辛口コラムで知られるセルジオ越後氏だが、前夜の日本の快勝には「何も言うことはありません」と答えて会場の笑いを誘った。そして選手として来日し、その後は1979年に日本で開催された第2回ワールドユース(現U-20W杯)にコカ・コーラ社が大会スポンサーになったことで、「普及をしようと思って」スタートした「さわやかサッカー教室」で全国を巡回。25年間で50万人以上の少年少女を指導した。 指導を始めた当時の日本は「高校生からサッカーを始める子も多かった」時代だった。今回の受賞に関しても、「普及を評価されたのはうれしい。国籍はブラジルですが、日本に来て51年、両親の国でもらえたのもうれしい」と素直に喜びを口にした。 そして今日である。やはりというか、ドイツ代表のハンジ・フリック監督がDFB(ドイツサッカー連盟)から解任された。英BBCによると、1926年に役職が設置されて以来、任期中の解任は初のことだそうだ。 これまでもドイツ(西ドイツ時代を含め)は、代表監督の任期は最低でも8年、2回のW杯というのが暗黙の了解だった。アシスタントコーチ時代を含めれば、代表チームに関わる時間はさらに長い。そうした継続性と合理性・計画性が、彼らのストロングポイントと思われてきた。 実際、28年に監督に就任したオットー・ネルツ(34年の第2回イタリアW杯で3位)からハンジ・フリックまで歴代監督は11人しかいない。日本が、大日本蹴球協会を設立した1921年以降、現在の森保一監督まで延べ30人という人数と比べてもその少なさがわかるだろう(岡田武史氏や長沼健氏の再任は人数にカウントしていない)。 80年代まで、日本の場合は五輪やW杯予選で敗退すると監督交代が基本で、98年に初めてW杯に出場してからは、4年サイクルで監督が代わるのが通例となっていた。それに対しドイツは長期的な視野に立っての強化から、最長ではヨアヒム・レーヴが15年間でW杯は10年南アで3位、14年ブラジルでは優勝、08年のEUROでも準優勝を果たしている。 かつて72年にEUROで初優勝後、74年の自国開催のW杯でも優勝したあとは(ヘルムート・シェーン監督)、96年にEUROで3度目の優勝を飾るまで、ドイツはW杯でも優勝か準優勝が当たり前の時代があった。そんなライバルをゲリー・リネカーは「サッカーは11人でやるスポーツだが、最後に勝つのはドイツだ」という名言を残した。 しかしそれも、W杯で2大会連続してグループリーグ敗退では「過去の名言」と言わざるを得ない。 では、なぜドイツはここまで凋落してしまったのだろうか。シュバインシュタイガーは2013年にバイエルンの監督に就任したベップ・グアルディオラが3年連続してブンデスリーガを制したことで、「ドイツサッカーのバルセロナ化」をもたらしたことが凋落の一因と、日刊ゲンダイIGITALで鈴木良平氏(日本人初のドイツS級ライセンスを初めて取得)が紹介していた。「シンプルにゴールを目指し、劣勢でも諦めない姿勢」、いわゆる「ゲルマン魂」の喪失である。これはこれで、面白い指摘だと思う。 そしてもう1点は、やはり育成が上手くいっていないのか、代表選手のスケールダウンを感じずにはいられない。日本との試合でも、脅威になっていたのはサイドアタッカーのサネとニャブリくらい。そんな彼らも後半、日本が5BKにして人数を増やすと前半の輝きは失われていった。 超大国だったころのドイツ(西ドイツ)には、ローター・マテウスやマティアス・ザマー、ミヒャエル・バラックのような「中盤の将軍」がいた。前線には速さ、強さ、高さを兼ね備えたルディ・フェラー、ユルゲン・クリンスマン、ミロスラフ・クローゼといったストライカーがいた。しかし一昨シーズンまで得点王はロベルト・レヴァンドフスキが5シーズン連続して獲得しているように、ドイツ人選手の影はかなり薄まっている印象が強い。 いまドイツサッカーに何が起こっているのか。それを日本も調べることで、今後の強化に役立てることができるのではないだろうか。ドイツをロールモデルに強化を進めてきた日本サッカーだけに、同じ失敗を繰り返さないためにも彼らの問題点を共有すべきである。 2023.09.12 10:15 Tue3
韓国がクリンスマン監督を更迭! 招へいから1年の解任劇に…「指導力とリーダーシップを示せなかった」
韓国サッカー協会(KFA)は16日、ユルゲン・クリンスマン監督(59)の解任を発表した。 現役時代にドイツ代表のストライカーとして活躍したクリスマン氏。現役を引退してからはドイツ代表やアメリカ代表、そしてバイエルンなどの指揮官を歴任し、2023年2月から韓国の指揮を託された。 先のアジアカップでは64年ぶりの優勝が期待されたが、ベスト4で涙。指揮官の進退が注目されるなか、大会中の主将ソン・フンミンと若手有望株イ・ガンインら若手メンバーのいざこざも発覚していた。 そして、KFAのチョン・モンギュ会長は協会の公式サイトを通じて声明。アジアカップの結果を詫びつつ、15日の代表チーム強化委員会による議論を経て、16日の役員会で解任を決議したという。 招へいから1年ほどでの更迭を巡り、代表としての理念とともに、「我々が代表チーム監督に求める指導力とリーダーシップを示せなかった」と説明した。 「代表というのは単なるスポーツチームという枠を超え、国民の関心と支持を得て、そのエネルギーを国民に還元する、名実ともに大韓民国を代表するチーム。 これからもそうあるべき」 「だが、様々な議論と意見を総合した結果、クリンスマン監督は指揮官としての競争力と姿勢が国民の期待と感情に及ばず、この先も改善されにくいと判断し、2026年北中米ワールドカップ2次予選前の監督交代を決定した」 2024.02.16 17:15 Fri4
1年持たずに解任のクリンスマン監督、韓国サッカー協会は違約金11.3億円を支払う可能性…支払い義務条項が含まれているとも
就任から1年が経たずに解任されてしまった韓国代表のユルゲン・クリンスマン監督(59)だが、違約金も相当な金額になるようだ。 2023年2月27日に韓国代表の監督に就任したクリンスマン氏。かつてはドイツ代表やアメリカ代表を指揮した中、就任当初から懐疑的な目を向けられてしまう。 就任から5試合勝利がなかった韓国。2023年9月のサウジアラビア代表戦で初勝利を収めると、そこから7連勝。ただ、アジアカップ2023では難しい戦いを強いられる。 グループステージを突破し、決勝トーナメントではサウジアラビア、オーストラリア代表と優勝候補を相手に120分の死闘で勝ち切るも、準決勝では格下のヨルダン代表相手に2-0で完敗。これにより、再び解任論が巻き起こることとなった。 また、ヨルダン戦を前にチーム内で揉め事が発生。ヨルダン戦では笑顔で相手を称えた行為が、負けていながら不適切だとし、国民の大きな反感を買っていた。 大韓サッカー協会(KFA)は、15日にアジアカップの内容を分析し、チームの状況について会議を行った中、「マネジメント能力に疑問がある」として、解任する方向性が示されていた。 そんな中迎えた16日、正式に解任が決定。1年持たずの解任となってしまった。 韓国『聯合ニュース』によれば、クリンスマン監督は2026年7月まで残っていたとのこと。北中米ワールドカップ後までの契約を結んでいたが、約2年半の契約を残しての解任となり、違約金を支払うことに。解任時は残り期間の年俸を支払う義務の条項が入っているという。 クリンスマン監督の年俸に関しては、29億ウォン(約3億3000万円)程度とされており、残り期間の支払いを考えると70億ウォン(約7億9000万円)程度の支払いが必要となるという。 さらに、コーチ陣も退任させており、その違約金も含めれば、総額で100億ウォン(約11億3000万円)になると見られている。 KFAのチョン・モンギュ会長は解任発表後に会見を行い「監督との契約解除に関する事項は、弁護士と相談しなければならない」と語り、「私が会長として財政的になにをすべきかを考えてみる」とコメントした。 また、今回の事態については「総合的な責任は協会、そして私にある」とコメント。ただ、「原因に対する評価はもう少し詳しく見て、対策を立てるようにする」とコメントした。 2024.02.16 19:40 Fri5
サウジアラビア代表がマンチーニ監督解任…24日に契約解除合意が発表
ロベルト・マンチーニ監督(59)がサウジアラビア代表を解任された。 サウジアラビアサッカー連盟(SAFF)は24日、マンチーニ監督との間での即時契約解除が合意に至ったことを発表した。 マンチーニ監督はエルヴェ・ルナール前監督の後任として、昨年9月に2026年北中米ワールドカップ(W杯)出場を目指すサウジアラビア代表の指揮官に就任。 日本代表と同じグループCに入っている北中米W杯アジア最終予選では、ホームで初めて日本に負けるという屈辱を味わうと、15日に行われたバーレーン戦では0-0のゴールレスドローに終わり、1勝2分け1敗の勝ち点5で3位と低迷。 成績不振や低調なチームパフォーマンスに加え、年俸2500万ユーロ(約41億円)と言われる超高額なサラリーに厳しい批判に晒されていた中、解任に向けた動きが進行。 SAFFのヤセル・アル・ミセハル会長が解任を決断し、サウジアラビア国王の承認待ちの状況が続いていた中、正式に契約解除が決定した。 なお、後任候補にはジネディーヌ・ジダン氏という超ビッグネームに加え、元韓国代表指揮官のユルゲン・クリンスマン氏や、前監督であるエルヴェ・ルナール氏、かつて大分トリニータやジュビロ磐田で指揮をとったこともあるペリクレス・シャムスカ氏らの名前が挙がっている。 2024.10.25 02:30 Friユルゲン・クリンスマンの移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2004年7月1日 |
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- |
2004年3月1日 |
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完全移籍 |
1998年7月1日 |
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- |
1998年1月1日 |
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完全移籍 |
1997年7月1日 |
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完全移籍 |
1995年7月1日 |
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完全移籍 |
1994年7月29日 |
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完全移籍 |
1992年7月1日 |
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完全移籍 |
1989年7月1日 |
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完全移籍 |
1984年7月1日 |
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完全移籍 |
1982年7月1日 |
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完全移籍 |
1981年7月1日 |
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完全移籍 |
1980年7月1日 |
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完全移籍 |
1978年7月1日 |
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完全移籍 |
ユルゲン・クリンスマンの監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2023年2月27日 | 2024年2月16日 |
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監督 |
2019年11月27日 | 2020年2月11日 |
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監督 |
2019年11月8日 | 2019年11月26日 |
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監督 |
2013年12月12日 | 2016年11月21日 |
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監督 |
2011年7月29日 | 2016年11月21日 |
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監督 |
2010年11月3日 | 2011年7月28日 |
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監督 |
2008年7月1日 | 2009年4月27日 |
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監督 |
2004年7月26日 | 2006年7月11日 |
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監督 |
ユルゲン・クリンスマンの今季成績
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勝
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分
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負
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アジアカップ2023 決勝トーナメント | 3 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 |
アジアカップ2023 グループE | 3 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 |
合計 | 6 | 2 | 3 | 1 | 0 | 0 |
ユルゲン・クリンスマンの出場試合
アジアカップ2023 決勝トーナメント |
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ラウンド16 | 2024-01-30 |
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vs |
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サウジアラビア | ||||
A
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準々決勝 | 2024-02-02 |
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vs |
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オーストラリア | ||||
A
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準決勝 | 2024-02-06 |
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vs |
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ヨルダン | ||||
A
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アジアカップ2023 グループE |
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第1節 | 2024-01-15 |
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vs |
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バーレーン | ||||
H
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第2節 | 2024-01-20 |
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vs |
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ヨルダン | ||||
A
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第3節 | 2024-01-25 |
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vs |
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マレーシア | ||||
H
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