奥寺康彦
OKUDERA Yasuhiko
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生年月日 | 1952年03月12日(73歳) |
利き足 | |
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ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
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現役引退・内田篤人の功績、CL日本人最長出場記録
鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が現役引退を決断した。 23日の明治安田生命J1リーグ第12節のガンバ大阪戦がラストマッチとなり、31日にで鹿島との契約が満了。スパイクを脱ぐこととなる。 内田と言えば、鹿島とともに忘れてならないのがシャルケでの活躍だろう。“ウッシー”の愛称でも親しまれ、右サイドバックのレギュラーとして長らくプレー。元スペイン代表FWラウール・ゴンサレスや元オランダ代表FWクラース・ヤン・フンテラール、ドイツ代表GKマヌエル・ノイアー(現バイエルン)などワールドクラスの選手ともチームメイトとしてプレーした。 シャルケでは公式戦通算153試合に出場し2ゴール18アシストを記録した内田。DFBポカールのタイトルのみとなったが、最高峰の舞台であるチャンピオンズリーグ(CL)では誇るべき成績を残している。 日本人としてチャンピオンズリーグに出場したことがあるのは19名。内田は29試合の出場で日本人歴代2位の出場試合数を記録しているが、プレーイングタイムでは1位の成績を残している。 内田は29試合で2418分間プレー。1ゴール2アシストを記録した。2位はドルトムントとマンチェスター・ユナイテッドで出場したMF香川真司(レアル・サラゴサ)で2286分(33試合)となっている。 また2010-11シーズンのCL準々決勝ではインテルと対戦し、長友佑都との日本人対決も実現していた。 ヒザのケガとの戦いもあった中でのこの記録はいずれ抜かれる可能性はあるが、偉大な功績と言えるだろう。 ◆チャンピオンズリーグ 日本人選手出場記録 1位:内田篤人/2418分(29試合) シャルケ 2位:香川真司/2286分(33試合) ドルトムント、マンチェスター・ユナイテッド 3位:長友佑都/1658分(21試合) インテル、ガラタサライ 4位:中村俊輔/1288分(17試合) セルティック 5位:本田圭佑/809分(11試合) CSKAモスクワ 6位:小野伸二/736分(9試合) フェイエノールト 7位:南野拓実/517分(7試合) ザルツブルク、リバプール 8位:稲本潤一/470分(7試合) アーセナル、ガラタサライ 9位:伊東純也/441分(6試合) ヘンク 10位:長谷部誠/347分(6試合) ヴォルフスブルク 11位:岡崎慎司/336分(7試合) レスター・シティ 12位:鈴木隆行/146分(4試合) ヘンク 13位:奥川雅也/72分(4試合) ザルツブルク 14位:柿谷曜一朗/57分(3試合) バーゼル 15位:奥寺康彦/30分(2試合) ケルン 16位:清武弘嗣/15分(1試合) 17位:宇佐美貴史/9分(1試合) バイエルン 18位:西村拓真/2分(2試合) CSKAモスクワ 19位:宮市亮/1分(1試合) アーセナル 2020.08.20 19:30 Thu2
得点ランク歴代3位の岡崎慎司が今季限りで引退/六川亨の日本サッカーの歩み
元日本代表FWで、現在はベルギーのシント=トロイデンでプレーしている岡崎慎司が今シーズン限りで現役引退を決断したと知人からLINEがあった。(注:その後に引退が公式発表) 滝川二高から清水へ入団したのが2005年のこと。以来シュツットガルト、マインツ、レスターなどヨーロッパのクラブで活躍を続け、20年の長きに渡りストライカーとしてゴールを狙い続けた。マインツでは2シーズン連続して2ケタ得点を記録し、レスターでは主力選手としてクラブのプレミアリーグ初優勝に貢献。 174センチ、76キロと体格に恵まれていたわけでもなければ、飛び抜けて足が速いとか、華麗なテクニックの持ち主でもなかった。ひらすら泥臭くゴールに突進し、身体ごと押し込むようなワンタッチでのプレーが代名詞でもあった。日本代表の試合に出場するため帰国するたびに、身体が一回り大きくなっているのを実感したものだ。それだけ努力を重ねたのだろう。 2007年の北京五輪にU-23日本代表として国際舞台にデビューすると、翌年には日本代表にも選出され、代表初ゴールは2009年1月のアジアカップ予選イエメン戦だった。この09年は16試合出場で15ゴールを奪い、世界得点ランキング1位に輝いている。こうして2019年まで日本代表として積み重ねた得点数は歴代3位の50ゴール(119試合出場)に達した。 歴代1位は言わずと知れた釜本邦茂の75ゴールで、76試合に出場での記録だけに突出した得点率であることがわかる。2位はキング・カズの55ゴールで、4位が本田圭佑と「アジアの核弾頭」と言われた原博実の37ゴールだから、岡崎の数字がいかに凄いかを物語っている。 釜本やカズ、原らの記録は東南アジアの弱小国から固め取りをできた時代でもあった。しかしW杯に連続して出場するようになってから、日本はアジア予選でも1次ではなく2次から出場するなど対戦相手のレベルも上がっている。そうした中での岡崎や本田の記録だけに、1点の重みが違うと言えるだろう。 ちなみに森保ジャパンの得点ランキングでは、1月のアジアカップで2点を加えた南野拓実の20ゴールがトップで13位、伊東純也が13ゴールで21位、4得点だった上田綺世が11ゴールで25位タイ(原口元気や中田英寿、久保竜彦ら)、浅野拓磨が9ゴールで36位タイ(奥寺康彦、福田正博、名波浩ら)、1ゴールだった堂安律が8ゴールで43位タイ、三笘薫、鎌田大地、田中碧の3人が7ゴールで47位タイとなっている。 そして代表復帰を望む声の多い大迫勇也は25ゴールで9位、まだ現役を続けていて北京五輪のメンバーだった香川真司が31ゴールで6位にランクインしている。 2024.02.26 19:30 Mon3
W杯最終予選で思い出した奥寺さんの言葉/六川亨の日本サッカーの歩み
ご存知のように、北中米W杯のアジア最終予選で日本は中国にホームで7-0、バーレーンにアウェーで5-0と圧勝した。このアウェーのバーレーン戦、そして来月10日、アウェーのサウジアラビア戦を取材もしくは取材予定のフリーの記者・カメラマンは少なからずいた。 前回カタールW杯のアジア最終予選のように、森保ジャパンに「何か起こる」とすれば、中東勢との連戦が序盤のヤマ場になると予想したからだ。 結果は大勝での連勝に加え、グループCのライバルと目されるオーストラリアとサウジアラビアも、その試合内容からはかつて日本と接戦を演じた当時の“したたかさ”がない。このぶんでは「ジェッタ行き」を取りやめる記者・カメラマンもいるかもしれない。 そんな日本の強さは、これまでに多くのメディアが詳報してきた。簡単に言うと、“海外組”の増加による実力と経験値の向上に加え、切磋琢磨するメンタリティー。東京五輪とカタールW杯、さらには今年1~2月のアジアカップなどによるチームの一体感と勝利への高いモチベーション。そしてチャーター機によるJFAのバックアップなどだ。 これらに加え、バーレーン戦ではアジアカップの反省を生かし、中東勢が得意とする単独ドリブルでのカウンターや、サイドチェンジからのカウンターを未然に防ぐ、攻守の切り替えの速さと集団で囲い込む守備も効果的だった。 攻撃が持ち味だからといって、ボールをロストしたら追いかけて取り返さないとヨーロッパでは使ってもらえない。そんなスタンダードを久保建英、堂安律、三笘薫らは当り前のように代表戦で実践した。これはもっとクローズアップされてもいいプレーだろう。 そして、これは古い話で恐縮だが、中国戦やバーレーン戦を取材していて80年代前半の奥寺康彦さんの言葉を思い出した。 奥寺さんは日本人プロ第1号として1977年に1FCケルンに加入。その後はヘルタ・ベルリンやヴェルダー・ブレーメンなどでプレーした。そして1982年のキリンカップでブレーメンの一員として来日し、見事優勝を果たすのだが、その奥寺さんに宿泊先となっている東京プリンスホテルの喫茶室でインタビューする機会を得た。 気さくに質問に答えてくれるので、「日本代表とブンデスリーガのプロチームとの差はどこにあるのですか」と聞いたところ、次のような答が返ってきた。 「日本とブンデスリーガで、一人一人の差はそんなに大きくないだろうね。日本人だってやれると思う。しかしそれがフィールドプレーヤー10人の積み重ねになると、チームとしてとても大きな差になる。それが日本(アマチュア)とブンデスリーガ(プロ)の差なんじゃないかな」 なるほどと思ったものだ。当時の木村和司さんや金田喜稔さんは、フィジカルはともかくテクニックではヨーロッパ勢に引けを取らなかっただろう。しかし1人、2人の突出したタレントの力だけでは五輪予選やW杯予選は突破できないのが当時の日本の実力だった。 翻って森保ジャパンは、1人1人の“個のクオリティ”が高いだけでなく、互いに補完しあうことで“チームとしての総合力”を高めているような気がしてならない。それが中国やバーレーンとの試合では後半のゴールラッシュにつながったのではないだろうか。 個人的に「欠けているピース」を探すとすれば、後半ビハインドの際にパワープレー要員として投入できるストロングヘッダーだ。しかしこれは日本サッカーの長きにわたる課題でもあるだけに、そう簡単には見つからないだろう。 文・六川亨 2024.09.16 20:00 Mon奥寺康彦の移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
1987年7月1日 |
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- |
1986年7月1日 |
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完全移籍 |
1981年7月1日 |
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完全移籍 |
1981年6月30日 |
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レンタル移籍終了 |
1980年11月1日 |
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レンタル移籍 |
1977年7月1日 |
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完全移籍 |
奥寺康彦の監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2017年10月19日 | 2017年10月23日 |
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監督 |
2008年6月20日 | 2011年11月8日 |
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会長 |
1999年1月1日 |
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会長 |
1996年1月1日 | 1996年12月31日 |
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監督 |
1994年1月1日 | 1998年12月31日 |
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会長 |
奥寺康彦の今季成績
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勝
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分
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負
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明治安田J1リーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
YBCルヴァンカップ2025 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
合計 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
奥寺康彦の出場試合
明治安田J1リーグ |
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第1節 | 2025-02-15 |
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vs |
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FC東京 | ベンチ外 |
H
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第2節 | 2025-02-22 |
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vs |
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ファジアーノ岡山 | ベンチ外 |
H
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第3節 | 2025-02-26 |
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vs |
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横浜F・マリノス | ベンチ外 |
A
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第4節 | 2025-03-02 |
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vs |
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サンフレッチェ広島 | ベンチ外 |
A
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第5節 | 2025-03-08 |
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vs |
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FC町田ゼルビア | ベンチ外 |
H
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第6節 | 2025-03-15 |
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vs |
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セレッソ大阪 | ベンチ外 |
H
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第7節 | 2025-03-29 |
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vs |
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名古屋グランパス | ベンチ外 |
A
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第8節 | 2025-04-02 |
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vs |
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ヴィッセル神戸 | ベンチ外 |
H
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第9節 | 2025-04-06 |
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vs |
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清水エスパルス | ベンチ外 |
H
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第10節 | 2025-04-13 |
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vs |
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アルビレックス新潟 | ベンチ外 |
A
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第11節 | 2025-04-20 |
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vs |
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ガンバ大阪 | ベンチ外 |
H
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第12節 | 2025-04-25 |
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vs |
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京都サンガF.C. | ベンチ外 |
A
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第13節 | 2025-04-29 |
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vs |
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鹿島アントラーズ | ベンチ外 |
H
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第15節 | 2025-05-06 |
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vs |
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東京ヴェルディ | ベンチ外 |
A
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第16節 | 2025-05-10 |
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vs |
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アビスパ福岡 | ベンチ外 |
H
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第14節 | 2025-05-14 |
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vs |
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川崎フロンターレ | ベンチ外 |
A
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第17節 | 2025-05-17 |
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vs |
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湘南ベルマーレ | ベンチ外 |
A
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YBCルヴァンカップ2025 |
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1回戦 | 2025-03-20 |
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vs |
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FC岐阜 | ベンチ外 |
A
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2回戦 | 2025-04-16 |
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vs |
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ギラヴァンツ北九州 | ベンチ外 |
A
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