ファビオ・カンナバーロ

Fabio Cannavaro
ポジション 監督
国籍 イタリア
生年月日 1973年09月13日(52歳)
利き足
身長 175cm
体重 75kg
ニュース 人気記事 クラブ 監督データ 代表

ファビオ・カンナバーロのニュース一覧

ポーランド代表の指揮官探しが難航しているようだ。 昨年末にパウロ・ソウザ監督がフラメンゴに引き抜かれ、急遽後任探しに追われることになったポーランドサッカー協会(PZPN)。3月にはカタール・ワールドカップ(W杯)欧州予選のプレーオフが控えるため、迅速な解決が求められている。 しかし、思うように事は進んでいな 2022.01.12 20:12 Wed
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ポーランド代表監督就任の噂が取り沙汰されるファビオ・カンナバーロ氏(48)だが、その話を断ったようだ。移籍市場に精通するジャンルカ・ディ・マルツィオ氏が報じている。 ポーランドは今年3月にカタール・ワールドカップ(W杯)出場権がかかったプレーオフに臨む。だが、昨年1月から率いたパウロ・ソウザ監督が昨年末にブラジル 2022.01.12 13:40 Wed
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ポーランドサッカー協会(PZPN)が、元イタリア代表DFのファビオ・カンナバーロ氏(48)の招へいを検討しているようだ。移籍市場に精通するイタリア人ジャーナリストのファブリツィオ・ロマーノ氏や、ジャンルカ・ディ・マルツィオが交渉を報じている。 カタール・ワールドカップ欧州予選でイングランド代表と同居したグループI 2022.01.09 06:10 Sun
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広州FC(元広州恒大)は7日、元中国代表MFチェン・チー(41)を選手兼任の暫定監督に任命したことを発表した。 オーナー会社の『恒大集団』の経営破綻によってクラブ存続の危機に瀕していた広州FC。選手やスタッフへの給与も十分に支払えず、その影響でファビオ・カンナバーロ監督とも9月末に契約解消に至っていた。 い 2021.12.07 19:48 Tue
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中国サッカー界のバブルは完全に崩壊してしまっているようだ。 かつては莫大な資金をバックに、各国の代表クラスの選手やヨーロッパで実績のある選手を獲得する“爆買い”で知られた中国スーパーリーグ。しかし、金銭にものを言わせた戦略は徐々に弱体化していった。 さらに、コロナ禍の影響などもあり、クラブの解体が進み、最強 2021.11.25 07:25 Thu
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ディナモ・ザグレブのニュース一覧

ディナモ・ザグレブのMF金子拓郎(26)が帰国する可能性が出ている。 北海道コンサドーレ札幌から2023年7月にレンタル移籍でディナモ・ザグレブに加入した金子。ここまでクロアチア1部リーグで21試合に出場し1ゴール5アシストを記録。ヨーロッパ・カンファレンスリーグ(ECL)でも8試合で2ゴール1アシストを記録して 2024.04.12 22:05 Fri
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ヨーロッパ・カンファレンスリーグ(ECL)・ラウンド16の2ndレグが14日に開催される。ECLグループステージ首位通過8チームと、プレーオフ突破8チームで争われる第2戦の展望を、注目カードを中心に紹介していく。 ◆ラウンド16 2ndレグ ▽3/14(木) 《26:45》 ビクトリア・プルゼニ vs( 2024.03.14 18:30 Thu
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ヨーロッパ・カンファレンスリーグ(ECL)・ラウンド16の1stレグが7日に開催される。ECLグループステージ首位通過8チームと、プレーオフ突破8チームで争われる初戦の展望を、注目カードを中心に紹介していく。 ◆ECLラウンド16 1stレグ ▽3/7(木) 《26:45》 アヤックス vs アストン・ 2024.03.07 18:30 Thu
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23日、UEFAヨーロッパ・カンファレンス(ECL)のラウンド16組み合わせ抽選会がスイスのニヨンで行われた。 ECLグループステージ2位通過8チームと、ヨーロッパリーグ(EL)の3位敗退8チームによって争われたプレーオフが22日に終了。 日本代表DF町田浩樹のロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズ、MF金子 2024.02.23 21:35 Fri
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ディナモ・ザグレブのMF金子拓郎が、レアル・ベティス戦を振り返った。クロアチア『HRT』が伝えた。 22日、ヨーロッパ・カンファレンスリーグ(ECL)プレーオフ2ndレグで、ディナモ・キエフはホームにベティスを迎えた。 金子が先発出場したこの試合。39分にセドリック・バカンブのゴールでベティスが先制するも、 2024.02.23 13:10 Fri
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世界一にもなれた稀代の創造主、ファン・セバスティアン・ベロン

これまでのサッカー界には、数多くのクリエイティブな選手が存在した。それは、サッカーのスタイルが大きく変化した現代にも存在しているが、当然のことながらそのプレースタイルも変化している。 一方で、自分のスタイルを崩さずに輝きを放ち続けようともがいた選手も多くいる。しかし、その多くが、サッカースタイルの波に敗れたり、リーグの特性、チームコンセプトの犠牲になっていった。 クリエイティブな選手としてパッと想像される中には、現在はレアル・マドリーで指揮を執るジネディーヌ・ジダンがいるだろう。ボールを持った時の立ち姿やドリブルで相手をかわす姿勢など、そのプレー自体がエレガントさに溢れており、現役ラストマッチとなった2006年ドイツ・ワールドカップ決勝での頭突きは世界が衝撃に包まれた。 そのジダンと肩を並べるクリエイティビティを持ち、自身のスタイルを貫き通したがために、意外なキャリアを歩むこととなったのが、元アルゼンチン代表MFファン・セバスティアン・ベロンだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆流浪の創造主 </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/veron3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> ベロンがキャリアをスタートさせたのは、母国のエストゥディアンテス。クラブの歴史において偉大な人物であり、“ブルッハ(魔法使い)”の愛称で親しまれたファン・ラモン・ベロン氏を父に持つベロンは、同じ道を歩んだ。 プロキャリアスタートから1年半で名門のボカ・ジュニアーズに移籍。すると半年で海を渡り、21歳でサンプドリアへと加入した。 当時からベロンのプレースタイルは異次元と言って良いもの。誰もが想像つかないような創造性を備え、独自のルールでプレーをしていた様にさえ見えるほど。ただ、その創造性がズバ抜けていたことで、チームの中心選手でもあった。 1998年に加入したパルマでは、同胞のFWエルナン・クレスポとのコンビがフィーバー。2人のコンビネーションの破壊力は抜群で、“ミラクル・パルマ”と呼ばれるチームの中心を担った。 プロビンチャ(地方クラブ)に過ぎなかったパルマだが、このシーズンは若きジャンルイジ・ブッフォンを守護神に、ファビオ・カンナバーロ、リリアン・テュラム、ネストル・センシーニの3バックが構えた。ベロンはトップ下で攻撃をコントロール。チームはUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)とコッパ・イタリアを制した。 強力なクレスポとのコンビは、1999年にそのままラツィオへと移籍。すると、ラツィオではスクデットとコッパ・イタリア優勝を成し遂げ、その創造性でチームを牽引した。 イタリアでの3クラブでは遺憾なく創造性を見せつけていたベロンは、2001年7月にマンチェスター・ユナイテッドへと加入。この移籍が1つの転機となった。 <div id="cws_ad">◆稀代の創造主 ベロンの魔法のようなプレーの数々<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiI2djQyV3dxayIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div><div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/1fb76a70&c=sega_20201102_1">バティストゥータ、サネッティ、ベロンが<br />「サカつくRTW」に登場!</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆守れなかった自分のスタイル </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/veron2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 当時のイングランド史上最高の移籍金2810万ポンド(当時のレートで約50億円)でユナイテッドへと加入したベロンは、異色の存在だったと言える。当時のメンバーでは、92年組と呼ばれるデイビッド・ベッカムやポール・スコールズ、ライアン・ギグスの他、ロイ・キーンやオーレ・グンナー・スールシャール、ルート・ファン・ニステルローイなどがいた。 超名門であってもベロンはその持ち前の感覚で、チームに違いをもたらす。2002-03シーズンにはプレミアリーグを制覇と結果も残した。 しかし、ベロンが異彩を放てた試合はセリエA時代と比べると大きく制限がされていた。その理由の1つは、ポジションの変更だ。 当時トップ下を置いていたセリエAとは違い、イングランドでは伝統的にフラットな[4-4-2]が採用。そのため、ベロンのポジションは1列下がったところに置かれた。 加えてプレミアリーグの激しいスタイルもベロンを困らせる。創造的なプレーに集中できなくなったベロンは、ユナイテッドでは自ら汗をかき、守備のタスクもこなす必要があったのだ。 チャンピオンズリーグというヨーロッパの舞台や、守備を重点的にプレーするフィル・ネビルとのコンビではその力を存分に発揮したベロンだが、リーグ戦では結果が出せず。ロマン・アブラモビッチ氏がオーナーとなったチェルシーに2003年8月へ移籍。しかし、チェルシーでも結果を残せず、インテルへと移籍し、イタリアで再びプレーした。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆旅の終わりは故郷へ、そして会長に </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/veron4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> インテルでプレーした後、2006年7月にプロキャリアをスタートさせたエストゥディアンテスへと復帰。すでに終わった選手としてのレッテルを剥がし、完全復活を果たした。 2009年には父と同じように愛するクラブをコパ・リベルタドーレス優勝に導き、自身も2008、2009年と2年連続で南米最優秀選手に選出。ベロンには欧州からのオファーもあったが、エストゥディアンテスへの愛情を示して残留すると、2014年にスパイクを脱ぐ。その後2017年に一度現役復帰するも、引退後はクラブの会長職を務めている。 キャリアを通してセリエAやプレミアリーグのタイトルも勝ち取ってきたベロンだが、キャリアで最も印象的な瞬間について、2009年のコパ・リベルタドーレス優勝だと語っており、いかにその瞬間がベロンにとって大きなものだったかが分かる。世界一にもなれた創造主は、母国で新たな才能を生み出すことに力を割いている。 <div style="text-align:left;" id="cws_ad"><hr>魔法のようなプレーとテクニックで往年のセリエAファンを魅了したベロンが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br /><br />ベロンとともにアルゼンチン代表として1998年のフランスW杯で日本代表と戦った、FWガブリエル・バティストゥータとDFハビエル・サネッティも同時に登場している。『サカつくRTW』で“小さな魔法使い”の姿を観たい方は是非一度チェックしよう。</div><hr> 2020.11.04 18:05 Wed
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ACL2度優勝、“広州恒大”としてアジア席巻した広州FCがチーム解散を発表…親会社の巨額負債の影響でプロリーグの資格を得られず

かつてはアジアも席巻し、中国最大のビッグクラブとしても名を馳せ、“広州恒大”として活動していた広州FCが解散を発表した。中国『捜狐(sohu.com)』が伝えた。 中国スーパーリーグで歴代最多の8度の優勝を誇り、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)でも2度優勝。中国バブル期には“爆買い”する他の多くのクラブを制して、ブラジルの選手を中心に席巻していた。 中国の不動産大手である「恒大集団 」が保有し、その資金を利用して、元イタリア代表監督のマルチェロ・リッピ氏を招へいすると、その後はファビオ・カンナバーロ氏が監督を務めるなどした。 しかし、コロナ禍において中国の不動産バブルが崩壊すると、2020年には経営危機が報じられ、2021年には中国サッカー協会(CFA)の意向によりクラブ名に企業名を入れない方針となったことから、広州FCに名称が変更。2022年には恒大集団の財政難により、外国籍選手との契約を全て解除するなどし、一気にチームが弱体化。2023年からは2部を戦っていた。 広州FCは6日、チームの解散を発表。CFAが発表した2025シーズンのクラブライセンスの条件を満たせず、チームも消滅した。 「親愛なるファン、パートナー、そしてあらゆる立場の人々の皆様:中国サッカー協会が発表した2025年のプロサッカークラブ入会リストによると、当クラブは入会を認められておらず、中国のプロフットボールリーグで競技を続けることはできないこととなりました」 「中国プロサッカーリーグに参加して以来、クラブは浮き沈みを乗り越え、粘り強く戦い続け、中国スーパーリーグ8度制覇、AFCチャンピオンズリーグ2度制覇という偉業を達成し、その名を轟かせました。アジアサッカー界で強い「広州FC」。これらの輝かしい成果は、選手たちの汗と努力、コーチングチームの戦略的で細心の注意を払った傑作、そしてファンの粘り強さと熱狂的なサポートの証です。同時に、我々は青少年の育成システムを深く構築し、クラブの潜在的な新スターを多数育成し、チームの持続可能な発展に強力な推進力を注入しました」 「新シーズンのプロリーグ参入を目指して、クラブは様々な取り組みを行っていました。しかし、過去に多額の負債を抱えていたため、調達した資金では負債を完済するには不十分であり、最終的にライセンスを得ることができず、非常に残念に思っています。ここに、広州FCを気遣い、サポートしてくださっているあらゆる立場のすべての人々、そしてすべてのファンと友人に心からのお詫びの意を表したいと思います」 「同時に、我々は当初の意図を変えることなく、余波に対処し、中国サッカーと広東省、広州サッカーの発展を支援するつもりですので、ご理解と寛容に感謝いたします」 なお、中国スーパーリーグの滄州雄獅、中国乙級リーグ(中国3部)の湖南湘涛もライセンスを取得できず、解散を発表している。 2025.01.07 11:40 Tue
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フランス代表歴代最多出場記録保持者、リリアン・テュラム【ピックアップ・プレイヤー】

サッカーでは、GK、DF、MF、FWとそれぞれ役割の全く異なるポジションで、それぞれにスター選手がいる。今回の企画『Pick Up Player』では、現役を問わず各クラブを代表する選手たちをプレー動画付きで紹介していく。 今回は元フランス代表DFリリアン・テュラム氏(48)だ。 <div id="cws_ad">◆テュラム、ユベントスでのプレー集<br /><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJSOWVqWmxaQiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> テュラム氏は、グアドループの漁業の拠点となるグランド・テール島の港町ポワンタピートルに生まれた。1月1日の新年を迎えてわずか20秒後に誕生したことで1972年に生まれた最初の子供としてメディアが取材に訪れ、新聞の記事に掲載されたという逸話がある。 1990年にモナコでプロデビューを果たしたテュラムは、1996年にパルマへ移籍。スピードとパワーを併せ持つ身体能力と戦術眼の高さを武器に、世界屈指のDFと評され、イタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォンと元イタリア代表DFファビオ・カンナバーロと共に世界最高守備トリオと称されるほどの強固な守備を形成した。 その後、ブッフォンとともにユベントスに移籍すると、2001-02シーズンと2002-03シーズンでセリエA連覇。2004年にカンナバーロが加入してトリオを再結成し、2004-05シーズンから連覇を果たした。しかし、2006年夏にGMらによる審判への買収・脅迫行為が発覚したことでスクデットはく奪及び、史上初のセリエB降格処分を受けた。 テュラムはその後、2シーズンのバルセロナでのプレーを経て、パリ・サンジェルマンに移籍するかと思われた矢先、メディカルチェックで心臓の奇形が発覚。再検査の結果、テュラムの心臓は正常であったことが判明したが、実兄がバスケットボールの試合中に心臓発作で亡くなっており、母親を安心させるために2008年8月に引退した。 1994年8月にフランス代表デビューを飾ったテュラムは、自国開催となった1998年のワールドカップで初優勝、ユーロ2000優勝、2003年のコンフェデレーションズカップ優勝に貢献。代表キャリアとしては142試合に出場しており、歴代最多出場記録保持者だ。また、その142試合でゴールを決めたのはわずか1試合だったが、その試合が1998年の自国開催のW杯準決勝クロアチア戦だった。先制を許したフランスだったが、後半にテュラム氏の2ゴールで逆転。決勝でもブラジルを撃破し、悲願のW初優勝を飾っていた。また、テュラム氏は人格者としても知られており、フランス国内での人気は非常に高い。 2020.09.20 20:00 Sun
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ウディネーゼがカンナバーロ監督の後任決定…今年4月までレギア・ワルシャワ率いたランジャイック氏に

ウディネーゼは14日、コスタ・ランジャイック氏(53)の監督就任を発表した。 ランジャイック氏は母国ドイツで指導者キャリアを歩み出し、デュイスブルクやカイザースラウテルン、1860ミュンヘンなどで監督を歴任。2017年11月からはポーランドに渡り、ポゴン・シュチェチンの指揮を挟み、2022年夏からレギア・ワルシャワを率いた。 レギア・ワルシャワでは1年目にポーランドカップを制し、2023年のポーランド・スーパーカップも優勝。今季もレギア・ワルシャワでスタートしたが、今年4月に解任され、フリーだった。 ウディネーゼでは今年4月からファビオ・カンナバーロ監督(50)が指揮。セリエAで降格危機に瀕するチームを見事に残留の15位フィニッシュに導いたが、自身のインスタグラムで退任を表明していた。 2024.06.14 16:35 Fri
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“買い物上手”なユベントス、2000年以降フリーで獲得したベストイレブンが豪華!

年々移籍金が高騰する移籍市場だが、契約が切れた選手については移籍金なしのフリートランスファーで獲得することができる。 クラブによって補強戦略は異なるが、フリートランスファーで大物選手を獲得することに定評があるのがユベントスだ。 セリエA8連覇中のユベントスは2019年夏の移籍市場でも、パリ・サンジェルマンから元イタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォン(41)、フランス代表MFアドリアン・ラビオ(24)、アーセナルからウェールズ代表MFアーロン・ラムジー(29)の3選手を獲得している。 そんな中、ユベントスが2000年以降にフリートランスファーで獲得した選手でベストイレブンを組んでみた。 GKには2ndGKとしてコッパ・イタリア2連覇に貢献したブラジル代表ネト(現・バルセロナ)が選出。ブッフォンについては一度移籍金を支払って獲得しているため、選外とした。 DFには2000年代に活躍した選手が多く並ぶ。バイエルンからやってきたロベルト・コバチやレアル・マドリーでバロンドールも受賞したファビオ・カンナバーロもフリーでの加入。バルセロナから獲得したブラジル代表DFダニエウ・アウベス(現サンパウロ)もフリーだった。 MFが最も豪華なメンバーが揃う。エムレ・ジャン、サミ・ケディラというドイツ代表コンビに加え、ライバルであるミランから獲得して大活躍したアンドレア・ピルロ、さらにはユベントスが買い物上手であることを世に知らしめたポール・ポグバ(現・マンチェスター・ユナイテッド)がいる。 FWにはワントップにフェルナンド・ジョレンテ(現・ナポリ)が選出。元イタリア代表FWルカ・トニもいたが、わずか半年での在籍となり、貴重な大型FWとして当時のアントニオ・コンテ監督に重宝されたFWを選出した。 ◆ユベントスのフリートランスファー11 (契約年/加入前のクラブ) GK ネト(2015/フィオレンティーナ) DF オロフ・メルベリ(2008/アストン・ビラ) ファビオ・カンナバーロ(2009/レアル・マドリー) ロベルト・コバチ(2005/バイエルン) MF ダニエウ・アウベス(2016/バルセロナ) エムレ・ジャン(2018/リバプール) アンドレア・ピルロ(2011/ミラン) サミ・ケディラ(2015/レアル・マドリー) アーロン・ラムジー(2019/アーセナル) ポール・ポグバ(2012/マンチェスター・ユナイテッド) FW フェルナンド・ジョレンテ(2013/アスレティック・ビルバオ) 2020.01.26 16:00 Sun

ファビオ・カンナバーロの移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
2012年3月1日 Bengal Tuskers 引退 -
2012年2月1日 Al-Ahli (UAE) Bengal Tuskers 完全移籍
2010年7月1日 ユベントス Al-Ahli (UAE) 完全移籍
2009年7月1日 レアル・マドリー ユベントス 完全移籍
2006年7月19日 ユベントス レアル・マドリー 完全移籍
2004年8月1日 インテル ユベントス 完全移籍
2002年8月9日 パルマ インテル 完全移籍
1995年7月1日 ナポリ パルマ 完全移籍
1992年7月1日 ナポリ 完全移籍

ファビオ・カンナバーロの監督履歴

就任日 退任日 チーム 種類
2024年12月29日 2025年4月9日 ディナモ・ザグレブ 監督
2024年4月22日 2024年6月8日 ウディネーゼ 監督
2022年9月21日 2023年2月4日 ベネヴェント 監督
2019年3月10日 2019年4月28日 中国 暫定監督
2017年11月9日 2021年9月28日 広州FC 監督
2016年7月1日 2017年11月6日 天津天海 監督
2015年10月24日 2016年2月11日 アル・ナスル 監督
2014年11月5日 2015年6月4日 広州FC 監督
2013年7月6日 2014年11月4日 Al-Ahli (UAE) アシスタントコーチ
2011年8月25日 2013年7月5日 Al-Ahli (UAE) 監督
2011年8月25日 2013年7月5日 Al-Ahli (UAE) 戦略アドバイザー

ファビオ・カンナバーロの今季成績

UEFAチャンピオンズリーグ 2 1 0 1 0 0
合計 2 1 0 1 0 0

ファビオ・カンナバーロの出場試合

UEFAチャンピオンズリーグ
リーグフェーズ第7節 2025-01-22 vs アーセナル
3 - 0
リーグフェーズ第8節 2025-01-29 vs ミラン
2 - 1

ファビオ・カンナバーロの代表履歴

デビュー日 引退日 チーム
1997年1月22日 2010年6月24日 イタリア代表