エウゼビオ・ディ・フランチェスコ
Eusebio DI FRANCESCO
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| ポジション | 監督 |
| 国籍 |
イタリア
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| 生年月日 | 1969年09月08日(56歳) |
| 利き足 | |
| 身長 | |
| 体重 |
| ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
エウゼビオ・ディ・フランチェスコのニュース一覧
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時代の波に乗れなかった名手がセリエAで初指揮へ…トリノが“日韓W杯世代”元イタリア代表DFを新監督に招へい
知る人ぞ知る名手がセリエAで初指揮へ。 イタリア『スカイ』のジャンルカ・ディ・マルツィオ氏によると、イバン・ユリッチ監督が退任するトリノは18日深夜、今季ベネツィアでセリエA昇格を成し遂げたパオロ・ヴァノーリ監督(51)の招聘作戦を完結させたとのこと。 ベネツィアに違約金80万ユーロ(約1.3億円)を支払い、19日に正式契約。指揮官を失うベネツィアは、これを元手にエウゼビオ・ディ・フランチェスコ氏(54)を招聘するという。 長年のカルチョファンには刺さるかもしれない名前 “パオロ・ヴァノーリ”。 90年代後半から21世紀初頭にかけ、セリエA135試合出場のイタリア人左サイドバック。パルマやフィオレンティーナ、ボローニャに所属し、セリエAが欧州No.1のリーグと言われた時代にあって、覚えている方もいるはずだ。 1999年11月には27歳でイタリア代表初招集。初キャップのベルギー代表戦でいきなりゴールも、定着できずに通算2キャップでフェードアウト…当時から端正な顔立ちで知られたが、2002年W杯で来日したアッズーリに、パオロ・ヴァノーリの名前は存在しなかった。 引退後はまずイタリアサッカー連盟入り。世代別イタリア代表でコーチ・監督を務めたのち、1年間だけA代表でアシスタントも。その後、アントニオ・コンテ氏の副官に“転職”し、チェルシーとインテルで同氏を支える。 コンテ氏ともどもインテルを離れると、今度はスパルタク・モスクワへ。初のクラブチーム指揮も、ロシアによるウクライナ侵攻を遠因に半年で契約を解消…ベネツィアで現職に就き、とうとうセリエA初指揮へ到達した格好だ。 2024.06.19 16:15 Wed2
元ローマ監督ディ・フランチェスコ氏がサンプドリア監督就任
サンプドリアは22日、エウゼビオ・ディ・フランチェスコ氏(49)の指揮官就任を発表した。契約期間は2022年6月30日までの3年間となっている。 サンプドリアでは前監督のマルコ・ジャンパオロ氏がミラン監督に就任していた。 ディ・フランチェスコ氏は現役時代、ローマ等で活躍。元日本代表MF中田英寿氏と共に2000-01シーズンにはスクデットの獲得にも貢献した。現役引退後、2008-09シーズンに当時セリエCのヴィルトゥス・ランチャーノで監督デビュー。その後レッチェやサッスオーロの監督を歴任し、2017-18シーズンからローマの監督に就任した。 同シーズンにはチャンピオンズリーグ(CL)でバルセロナを破りベスト4進出するなど躍進を果たした。しかし、今シーズンは主力のGKアリソンやMFラジャ・ナインゴランらの移籍により戦いぶりに安定感を欠き、CLラウンド16でポルトに逆転負けを喫した後に解任されていた。 2019.06.22 22:41 Sat3
アズムンがゴール後の謝罪ジェスチャー説明…後輩ハイセンの非礼を詫びる
ローマのイラン代表FWサルダール・アズムンが、フロジノーネ戦後の謝罪ジェスチャーについて説明した。『romapress』が伝えている。 ローマは18日に敵地で行われたセリエA第25節のフロジノーネ戦に3-0の勝利を収めた。 前半は[4-2-3-1]の布陣変更が機能せず、ビルドアップの局面でもミスが目立って再三シュートを浴びる展開に。それでも、GKミル・スヴィラールの好守などで凌ぐと、前半終盤にはDFディーン・ハイセンのスーパーゴールで先制に成功。 後半は[4-3-3]への布陣変更や細かな修正で流れを引き寄せると、MFブライアン・クリスタンテのミドルシュートのこぼれ球に詰めたアズムンのゴール、MFレアンドロ・パレデスのPKによるゴールで一気に突き放し、最終的に3-0で勝利した。 ダニエレ・デ・ロッシ新体制で初スタメンを飾り、今季セリエA2点目を記録したアズムンは、同試合後のインタビューでゴール後にフロジノーネサポーターに向けた謝罪ジェスチャーについて説明。後輩ハイセンの非礼を詫びる意図があったことを明かした。 今冬の移籍市場でユベントスからローマに加入したハイセンだったが、その加入前にはフロジノーネへのレンタルでクラブ間合意。選手自身も当初はフロジノーネ行きに応じていたものの、ローマからのオファーによって翻意。不誠実な対応にフロジノーネのフロント陣から怒りの声が上がっていた。 そんな経緯もあり、今回の試合ではホームサポーターからブーイングや野次を浴びる形となっており、同選手はゴールを決めた直後にホームサポーターに向けて「黙れ」というジェスチャーを行い、主審からイエローカードを掲示されていた。 その行為に関しては試合後にデ・ロッシ監督、敵将エウゼビオ・ディ・フランチェスコ監督の双方から苦言が呈されていた。 そういったなか、アズムンはすでに後退していた後輩に代わって謝罪を行ったことを明かした。 「なぜ僕がフロジノーネのファンに謝罪したのか? それはハイセンの最初のゴールの後、フロジノーネのファンは彼のセレブレーションに怒っていたからだ」 「フロジノーネのプレーヤーは僕らに理解を示してくれたけど、僕は謝罪したかった。フットボールにおいてリスペクトは最も重要なことだ。僕らは同僚であり、友人であり、ピッチ上では難しいことだけど、お互いを尊重するのは正しいことだ」 また、結果的に3-0の勝利も前半はかなり厳しい内容だった試合に関しては、「特に前半は厳しい試合だった。だけど、ドレッシングルームでスタッフと戦術を変更し、後半は良いプレーができた。ゴールするのが僕の仕事だし、勝利には満足しているよ」と謙虚に振り返っている。 過去の日本代表戦でのMF柴崎岳への張り手によって悪童のイメージが拭えないイランのエースだが、対戦相手やファンへのリスペクトを持つ紳士な部分も持ち合わせているようだ。 2024.02.19 07:45 Monエウゼビオ・ディ・フランチェスコの移籍履歴
| 移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
| 2005年7月1日 |
ペルージャ |
引退 |
- |
| 2004年1月1日 |
アンコーナ |
ペルージャ |
完全移籍 |
| 2003年7月1日 |
ピアチェンツァ |
アンコーナ |
完全移籍 |
| 2001年7月1日 |
ローマ |
ピアチェンツァ |
完全移籍 |
| 1997年7月1日 |
ピアチェンツァ |
ローマ |
完全移籍 |
| 1995年7月1日 |
エンポリ |
ピアチェンツァ |
完全移籍 |
| 1988年7月1日 |
|
エンポリ |
完全移籍 |
エウゼビオ・ディ・フランチェスコの監督履歴
| 就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
| 2023年7月1日 |
フロジノーネ |
監督 |
| 2021年6月7日 | 2021年9月14日 |
ヴェローナ |
監督 |
| 2020年8月3日 | 2021年2月22日 |
カリアリ |
監督 |
| 2019年6月22日 | 2019年10月7日 |
サンプドリア |
監督 |
| 2017年6月13日 | 2019年3月7日 |
ローマ |
監督 |
| 2014年3月3日 | 2017年6月12日 |
サッスオーロ |
監督 |
| 2012年6月19日 | 2014年1月28日 |
サッスオーロ |
監督 |
| 2011年6月24日 | 2011年12月4日 |
レッチェ |
監督 |
| 2010年1月12日 | 2011年6月22日 |
ペスカーラ |
監督 |
| 2009年9月21日 | 2010年1月11日 |
Pescara U19 |
監督 |
| 2008年6月23日 | 2009年1月27日 |
Virtus Lanciano |
監督 |
| 2007年8月1日 | 2007年12月15日 |
Val di Sangro |
監督 |
| 2005年7月29日 | 2006年6月30日 |
ローマ |
監督 |

イタリア
ペルージャ
アンコーナ
ピアチェンツァ
ローマ
エンポリ
ヴェローナ
カリアリ
サンプドリア
サッスオーロ
レッチェ
ペスカーラ
Pescara U19
Virtus Lanciano
Val di Sangro