デイビッド・モイーズ
David MOYES
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| ポジション | 監督 |
| 国籍 |
スコットランド
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| 生年月日 | 1963年04月25日(62歳) |
| 利き足 | |
| 身長 | |
| 体重 |
| ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
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1
香川真司がユナイテッド退団の転機を明らかに 「ディ・マリアとファルカオがやって来て…」
レアル・サラゴサに所属する元日本代表MF香川真司がマンチェスター・ユナイテッド退団の経緯を激白した。 2010年夏から所属したドルトムントでユルゲン・クロップ氏の下、飛躍を遂げた香川は2012年夏、サー・アレックス・ファーガソン元監督に能力を買われ、当時イングランド屈指の強豪だったユナイテッドに移籍。その初年度のプレミアリーグで20試合に出場するなど、公式戦26試合6得点6アシストの数字を残した。 しかし、自身をドイツからイングランドに連れてきたファーガソン元監督が勇退の2013年夏以降は状況が一変。デイビッド・モイーズ氏、ライアン・ギグス氏、ルイス・ファン・ハール氏の下でプレーしたが、序列を上げられず、ブラジル・ワールドカップ(W杯)終了後の2014年夏にドルトムント復帰を決断した。 その結果、ユナイテッドの選手として公式戦通算57試合6得点10アシストという数字を収めるにとどまり、2シーズンでオールド・トラフォードでの挑戦に終止符を打った香川。あれから6年の月日が経とうとするなか、イギリス『The Athletic』のインタビューで、その当時をこう振り返り、退団の転機を明かした。 「(2013年夏から率いたモイーズが解任され、)新たに監督が変わり、(ギグス暫定体制を挟み、2014年夏から指揮を執ったファン・ハールは)たった2シーズンで4人目の監督でした」 「加入時は25年間にわたり、率いる監督(ファーガソン)の下でしたけど、その後、モイーズ、ギグス、ファン・ハールが指揮を執りました」 「ブラジルでのW杯でうまくプレーできず、日本代表もグループステージ最下位で敗退しました。自分のベストを取り戻すために、新たな挑戦の必要性を感じました」 「マンチェスターに残る選択肢もありましたけど、アンヘル・ディ・マリアとラダメル・ファルカオがやって来たことで、僕の状況をさらに悪くさせてしまいました」 「ファン・ハールから『シンジ、君は私の下でそんなにプレーさせられない』と告げられ、それで加入から2年が経った今、マンチェスターを去るときだと認識しました」 「そういう話を聞かされた選手であれば、誰しもが『出て行くタイミングだ』と考えるはずです」 「とても良い時期も、とても悪い時期もありました。マンチェスター時代の悪い時期は僕の学びになり、より強くしてくれました」 2020.03.08 12:25 Sun2
ファーディナンドがモイーズ監督との対立を明かす「かなり激しく言い争った」
マンチェスター・ユナイテッドのレジェンである、リオ・ファーディナンドが、デイビッド・モイーズ元監督と幾度となく対立したと明かした。イギリス『ミラー』が報じている。 ユナイテッドで27年間の長期政権を築き、クラブを世界最高峰のクラブに押し上げた、サー・アレックス・ファーガソン氏の後継者として、デイビッド・モイーズ監督は2013年にユナイテッド指揮官に就任した。 しかし、その期待とは裏腹にモイーズ監督率いるユナイテッドは結果を残せず。結果、モイーズ監督は1シーズンを持たずに解任され、そこからユナイテッドの苦しい時代が続くこととなった。 <div style="margin:0 auto; min-width:300px; " id="cws_ad"><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJJT3ZHUXFiaCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div> 加入以来、ユナイテッドCBの一角を担ってきたファーディナンド氏は、ユナイテッド退団後にモイーズ監督の戦術は「恥ずべきものだった」と批判。その後出版した自らの自伝『#2sides』の中でも「モイーズ監督はチーム内で無意識にネガティブな雰囲気を作り出していた」「彼の下でプレーすることを楽しいと思わなかった」と綴っていた。 また、不仲の要因として、モイーズ監督がエバートン指揮官時代の守備の要だった元イングランド代表DFフィル・ジャギエルカの映像を見せてファーディナンドを指導しようとしたという噂が出ていた。 しかし、ファーディナンド氏は、イギリス『BBC』のラジオ番組に出演した際に噂は否定。しかし、モイーズ監督とは、何度も対立したことがあったと明かした。 「正直その噂がどこから出たのか私には分からないし、そんなこと一度もなかった」 「フィル・ジャギエルカはとても良い選手だ。モイーズ監督が我々にこうしろ、ああしろと言って彼の映像を見せたことがないというのは確実だが、噂の出所は分からない」 「どこからともなく出てきた馬鹿げた話。誰かがでっち上げた話だが、良いジョークになって広まったようだ」 「ただ、正直に言うと、モイーズ監督とはかなり激しく言い争ったことはあった。ヴィダ(ネマニャ・ヴィディッチ)と私とモイーズ監督の間でも、ミーティングで何度か激しく口論したこともあった」 「我々はいくつかのことについて、意見ややり方が合わなかったんだ。ディフェンスの陣形についてとか、その他色々ね」 「彼はいくつかのことを我々に求め、我々は彼が言うことに賛同できなかった。でもそれがフットボールさ。モイーズ監督だって、今までたくさんの選手と対立してきただろうし、我々との対立が最初で最後ではないだろう」 監督との対立を繰り返したファーディナンド氏は、ファーガソン政権が終わった1年後にユナイテッドを退団。しかし、モイーズ氏は就任10カ月での解任となり、ファーディナンド氏よりも早くクラブを退団していた。 2020.05.20 21:30 Wed3
激動のユナイテッドを知るチチャリート「モイーズはとても頑固だった」
メジャーリーグ・サッカー(MLS)のロサンゼルス・ギャラクシーに所属するメキシコ代表FWハビエル・エルナンデスがマンチェスター・ユナイテッド時代を振り返った。『ESPN』が伝えている。 “チチャリート”の愛称でも知られるエルナンデスは2010年夏にグアダラハラからマンチェスター・ユナイテッドに加わり、欧州に進出。その後、レアル・マドリーやレバークーゼン、ウェストハム、セビージャを経て、1月にアメリカへ渡った。 <div id="cws_ad"><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJVVjRoeUpoVCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> エルナンデスが、ユナイテッド時代の2013年には、サー・アレックス・ファーガソン氏の後継者として、指揮官に就任したデイビッド・モイーズ監督の指導も受けていたが、その当時を酷評している。ユナイテッドのレジェンドであるリオ・ファーディナンド氏とのYouTubeで語った。 「モイーズと僕の間に個人的な問題はなかった。ユナイテッドが彼を連れてきたのは間違いだった」 「ユナイテッドはサー・アレックスからの交代をするつもりだった。それは不可能だ。(ジョゼップ・)グアルディオラや(ユルゲン・)クロップ、(ジョゼ・)モウリーニョでさえ、サー・アレックスや(ヨハン・)クライフのレベルにはない。だが、ユナイテッドはそれを試みた」 「何人かの選手のキャリアが変わったかもしれない。ラファエウ、僕、(ダニー・)ウェルベック、ファビオ、多くの選手がクラブを離れてプレーしなければならなかった」 「彼が良い監督か悪い監督かは別として、僕はそれについて疑うつもりはない。問題は、彼の順応性についてだ。史上最高の(ファーガソン監督の)やり方を半分も引き継がないことは賢明だと言えないだろう」 「彼がとても頑固だったから、7カ月で終わった。彼には順応性がなく、成長も受容もなかった。ユナイテッドで働くには成長する必要がある」 結局、モイーズ監督は1シーズンを持たずに解任。その後、レアル・ソシエダとサンダーランドでの指揮を経て、現在はウェストハムを指揮しているが、まさかエルナンデスもウェストハムで再び指導を受けるとは思っていなかっただろう。 2020.06.02 22:15 Tue4
日本代表と1月に対戦する中国代表、李鉄監督が突如辞任
中国サッカー協会(CFA)は3日、中国代表の李鉄(リー・ティエ)監督(44)の辞任を発表した。なお、後任には李小鵬(リー・シャオペン)氏(46)が就任する。 李鉄監督は、現役時代はプレミアリーグのエバートンでプレーし、中国人として初めてのプレミアリーガーになった実力の持ち主。当時のデイビッド・モイーズ監督(現ウェストハム)の信頼を得て、トーマス・グラベセンとボランチでコンビを組んだ。 その後、ケガの影響で出場機会を失うと、シェフィールド・ユナイテッドへと移籍するも、ここでも出番はなし。その後中国へと戻って現役を引退した。 河北華夏(現:河北FC)や武漢卓爾(現:武漢FC)で監督を務めた後、2020年からマルチェロ・リッピ監督の後任として中国代表監督に就任。カタール・ワールドカップ(W杯)出場を目指すチームを率いていた。 2次予選を勝ち抜いた中国は、最終予選で日本代表と同じグループBに所属。ここまで6試合を戦い、1勝2分け3敗で5位と苦しい戦いを続けていた。 来年1月27日には日本代表と対戦する予定だったが、CFAは李鉄監督が数日前に辞任を申し出たとし、それを承認したと発表した。 後任となる李小鵬氏は、元中国代表の選手で、中国女子代表や青島中能、山東泰山などで監督を務めていた。 2021.12.04 21:28 Sat5
アディダスが飼い猫虐待ズマとの契約解除! ウェストハム対応に不満のスポンサーも契約停止…
ウェストハムのフランス代表DFクル・ズマの飼い猫への虐待事件が更なる波紋を広げている。イギリス『SPORT BIBLE』が報じている。 昨夏にチェルシーからウェストハムに完全移籍で加入したズマは、先日に兄弟のヨアンが『スナップチャット』に投稿した動画内で、飼っている猫に対して蹴飛ばす、逃げるところを追い回す、靴を投げつける、平手で殴打する姿が映されていた。 この動物虐待によって世界中から猛批判を受けることになったズマは、すぐさま公式に謝罪。しかし、虐待の常習性を疑う声も多く、9日に行われたワトフォード戦でデイビッド・モイーズ監督がスタメンフル出場させるクラブサイドの拙い対応もあり、未だ周囲から厳しい目に晒されている状況だ。 その後、動物福祉団体の英国王立動物虐待防止協会(RSPCA)がズマの非道な行為の被害に遭った2匹の猫を保護したことを発表。さらに、クラブはズマに対する処分として2週間分の給与にあたる25万ポンド(約3910万円)の罰金を科すことを発表していた。 しかし、ズマの非道行為に憤る19万人以上の人々は、今回の虐待事件で起訴を求める嘆願書に署名しており、地元のエセックス警察もRSPCAと連絡を取り合いながら、捜査を進めている段階だ。 こういった世間からの反応を受け、ズマ本人とスポンサー契約を結ぶ『アディダス』社は、「我々は調査を終え、クル・ズマがアディダスとの契約選手でなくなったことを確認する」と、同選手との契約を打ち切ったことを認めた。 さらに、ウェストハムとオフィシャル・ウェルネスパートナー契約を結ぶ、健康保険、生命保険、自動車保険、投資の大手プロバイダーである『Vitality』社は、渦中のズマを試合で起用する決断を下したクラブの対応への不満からスポンサー契約を停止したことを声明で発表した。 「今回の事件に対してクラブが示したその後の判断に、我々は非常に失望している」 「このため、ウェストハム・ユナイテッドとのスポンサーシップを直ちに停止する」 「我々は今後、クラブがこの状況に対処するためにどのような行動を取るのか理解するために、さらにクラブと関わっていくことになる」 先日に恋人への強姦、暴行、脅迫の容疑で逮捕されたイングランド代表FWメイソン・グリーンウッドは、ズマ同様に『ナイキ』社とのスポンサー契約を打ち切られる措置を取られた。 その一方で、マンチェスター・ユナイテッドはSNS上でDV疑惑が発覚したタイミングで同選手のトレーニング、試合参加の停止という適切な措置を講じたことで、今回のウェストハムのようなクラブスポンサーからの反発を招くことはなかった。 映像という明確な証拠、物言えぬ弱者とも言える動物への悪質な虐待行為という側面を考えれば、ズマの強行起用は紛れもない悪手だ。事態の深刻さを見誤ったか、勝ち点3獲得のためリスク承知でベストプレーヤーを送り出す判断を下したのかは不明だが、ウェストハムは、今回の判断によってスポンサー、ファンからの信頼を大きく失うことになった…。 2022.02.10 07:30 Thuデイビッド・モイーズの移籍履歴
| 移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
| 1998年1月11日 |
プレストン |
引退 |
- |
| 1993年9月20日 |
ハミルトン |
プレストン |
完全移籍 |
| 1993年8月1日 |
Dunfermline A. |
ハミルトン |
完全移籍 |
| 1990年8月1日 |
シュールズベリー |
Dunfermline A. |
完全移籍 |
| 1987年10月30日 |
ブリストル・シティ |
シュールズベリー |
完全移籍 |
| 1985年10月10日 |
ケンブリッジ・ユナイテッド |
ブリストル・シティ |
完全移籍 |
| 1983年10月28日 |
セルティック |
ケンブリッジ・ユナイテッド |
完全移籍 |
| 1982年7月1日 |
Celtic U20 |
セルティック |
完全移籍 |
| 1980年7月1日 |
|
Celtic U20 |
完全移籍 |
デイビッド・モイーズの監督履歴
| 就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
| 2025年1月11日 |
エバートン |
監督 |
| 2019年12月29日 | 2024年5月31日 |
ウェストハム |
監督 |
| 2017年11月7日 | 2018年5月16日 |
ウェストハム |
監督 |
| 2016年7月23日 | 2017年5月22日 |
サンダーランド |
監督 |
| 2014年11月10日 | 2015年11月9日 |
レアル・ソシエダ |
監督 |
| 2014年5月1日 | 2016年7月10日 |
UEFA |
マッチアナリスト |
| 2013年7月1日 | 2014年4月22日 |
マンチェスター・U |
監督 |
| 2002年3月14日 | 2013年6月30日 |
エバートン |
監督 |
| 1998年1月12日 | 2002年3月13日 |
プレストン |
監督 |
デイビッド・モイーズの今季成績
|
|
勝
|
分
|
負
|
|
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| プレミアリーグ | 17 | 6 | 7 | 4 | 0 | 0 |
| 合計 | 17 | 6 | 7 | 4 | 0 | 0 |
デイビッド・モイーズの出場試合
| プレミアリーグ |
|
|
|||
| 第21節 | 2025-01-15 |
|
vs |
|
アストン・ビラ | ||||
|
H
|
| 第22節 | 2025-01-19 |
|
vs |
|
トッテナム | ||||
|
H
|
| 第23節 | 2025-01-25 |
|
vs |
|
ブライトン&ホーヴ・アルビオン | ||||
|
A
|
| 第24節 | 2025-02-01 |
|
vs |
|
レスター・シティ | ||||
|
H
|
| 第15節 | 2025-02-12 |
|
vs |
|
リバプール | ||||
|
H
|
| 第25節 | 2025-02-15 |
|
vs |
|
クリスタル・パレス | ||||
|
A
|
| 第26節 | 2025-02-22 |
|
vs |
|
マンチェスター・ユナイテッド | ||||
|
H
|
| 第27節 | 2025-02-26 |
|
vs |
|
ブレントフォード | ||||
|
A
|
| 第28節 | 2025-03-08 |
|
vs |
|
ウォルバーハンプトン | ||||
|
A
|
| 第29節 | 2025-03-15 |
|
vs |
|
ウェストハム | ||||
|
H
|
| 第30節 | 2025-04-02 |
|
vs |
|
リバプール | ||||
|
A
|
| 第31節 | 2025-04-05 |
|
vs |
|
アーセナル | ||||
|
H
|
| 第32節 | 2025-04-12 |
|
vs |
|
ノッティンガム・フォレスト | ||||
|
A
|
| 第33節 | 2025-04-19 |
|
vs |
|
マンチェスター・シティ | ||||
|
H
|
| 第34節 | 2025-04-26 |
|
vs |
|
チェルシー | ||||
|
A
|
| 第35節 | 2025-05-03 |
|
vs |
|
イプスウィッチ・タウン | ||||
|
H
|
| 第36節 | 2025-05-10 |
|
vs |
|
フルアム | ||||
|
A
|

スコットランド
プレストン
ハミルトン
Dunfermline A.
シュールズベリー
ブリストル・シティ
ケンブリッジ・ユナイテッド
セルティック
Celtic U20
ウェストハム
サンダーランド
レアル・ソシエダ
UEFA
マンチェスター・U