W杯を10大会取材、サッカージャーナリストの賀川浩さんが99歳で死去…JFAが追悼コメント
2024.12.05 19:50 Thu
W杯を10大会取材した賀川浩さん
サッカージャーナリストの草分け的存在として知られていた賀川浩さんが他界した。99歳だった。
1974年の西ドイツ・ワールドカップ(W杯)から2014年のブラジルW杯まで、2010年の南アフリカW杯を除く10大会取材し、2010年には日本サッカー殿堂入り。2015年には国際サッカー連盟(FIFA)の年間表彰式で会長賞を受賞していた。
国内外問わず、多くの名シーンを取材されてきた賀川さん。日本サッカー協会(JFA)は、宮本恒靖会長や田嶋幸三名誉会長、そして相談役の川淵三郎氏のお悔やみのコメントを紹介している。
◆JFA 川淵三郎 相談役
「僕にとって賀川さんの思い出といえば1962年12月13日の産経新聞のコラムだ。三国対抗サッカーの真っ最中の12月11日、僕は日本代表の合宿を抜け出して大阪で結婚式を挙げ、その日の夕方の便で東京に戻った。脊椎分離でB代表に落ちていた僕は、翌日のディナモ・モスクワ戦でなんとしても活躍したかった。試合は2-2で引き分けに終わったが、前半44分にゴールを決めた。試合後に賀川さんに「花嫁にいいお土産ができましたね」と言われ、「ああ、こういうときはそういう発言をすればいいのか」と教えられた記憶がある。当時、新聞に戦評は出てもコラムが載ることは少なかったのだが、翌日の産経新聞には僕のことを書
いた賀川さんの記事が掲載され、それがとてもうれしかった」
「賀川さんはとても温厚な方で穏やかに取材対象者に話しかける、当時としては稀な記者だった。選手の心情をよく理解されていたのだと思う。厳しい記事も書かれたと思うが、僕の長いサッカー人生の中で賀川さんの記事で不快になったことは一度もない。サッカーを良くしようという思いが第一義にあった。サッカーへの愛情に満ちた、日本を代表するサッカージャーナリスト、それが賀川さんだった。賀川さんに心からの哀悼の意を表します」
「48年前、私が主将を務めた浦和南高校が全国高校サッカー選手権大会で優勝し、賀川さんの記事の中に自分の名前を見て喜んだ思い出がある。賀川さんは日本のサッカー記者の草分け的存 在で、日本代表をはじめ、高校サッカー、大学サッカー、日本サッカーリーグ、Jリーグなど70年にわたって取材された」
「また、日本がFIFAワールドカップに出場する可能性など全くなかった時代から2014年のブラジル大会まで10回にわたって現地取材された。その功績は世界も認めるところで、2015年にはFIFAの会長賞を受賞された。日本サッカーに携わる者として、また、FIFA理事として誇らしかった」
「サッカーがマイナーだった時代から世界のサッカーを僕たちサッカー少年に伝えてくださったことに心から感謝している」
「2022年のカタール大会で日本がドイツ、スペインに勝利したことを隔世の感を持ってご覧になったと思うが、2026年大会では新たな歴史をつくりたい。それが賀川さんへの恩返しになると思う。謹んで御冥福をお祈りします」
◆JFA 宮本恒靖 会長
「賀川浩さんの御冥福をお祈りいたします。2015年にFIFA会長賞を受賞された後にテレビ番組の企画で対談させていただく機会がありました。当時すでに90歳を越えていらっしゃいましたが、トークは関西人らしいユーモアやウィットに富んでいて、サッカー人としての深い経験や知識から歴史を学ぶことの大切さを学ばせていただきました。当日は予定していた時間があっという間に過ぎてしまったことをよく覚えています」
「賀川さんが生涯をかけて伝えてこられたサッカーの素晴らしさを継承していき、さらに日本サッカーを発展させていけるようにみんなで力を合わせていければと思います」
1974年の西ドイツ・ワールドカップ(W杯)から2014年のブラジルW杯まで、2010年の南アフリカW杯を除く10大会取材し、2010年には日本サッカー殿堂入り。2015年には国際サッカー連盟(FIFA)の年間表彰式で会長賞を受賞していた。
国内外問わず、多くの名シーンを取材されてきた賀川さん。日本サッカー協会(JFA)は、宮本恒靖会長や田嶋幸三名誉会長、そして相談役の川淵三郎氏のお悔やみのコメントを紹介している。
「僕にとって賀川さんの思い出といえば1962年12月13日の産経新聞のコラムだ。三国対抗サッカーの真っ最中の12月11日、僕は日本代表の合宿を抜け出して大阪で結婚式を挙げ、その日の夕方の便で東京に戻った。脊椎分離でB代表に落ちていた僕は、翌日のディナモ・モスクワ戦でなんとしても活躍したかった。試合は2-2で引き分けに終わったが、前半44分にゴールを決めた。試合後に賀川さんに「花嫁にいいお土産ができましたね」と言われ、「ああ、こういうときはそういう発言をすればいいのか」と教えられた記憶がある。当時、新聞に戦評は出てもコラムが載ることは少なかったのだが、翌日の産経新聞には僕のことを書
いた賀川さんの記事が掲載され、それがとてもうれしかった」
「賀川さんはとても温厚な方で穏やかに取材対象者に話しかける、当時としては稀な記者だった。選手の心情をよく理解されていたのだと思う。厳しい記事も書かれたと思うが、僕の長いサッカー人生の中で賀川さんの記事で不快になったことは一度もない。サッカーを良くしようという思いが第一義にあった。サッカーへの愛情に満ちた、日本を代表するサッカージャーナリスト、それが賀川さんだった。賀川さんに心からの哀悼の意を表します」
◆JFA 川淵三郎 名誉会長
「48年前、私が主将を務めた浦和南高校が全国高校サッカー選手権大会で優勝し、賀川さんの記事の中に自分の名前を見て喜んだ思い出がある。賀川さんは日本のサッカー記者の草分け的存 在で、日本代表をはじめ、高校サッカー、大学サッカー、日本サッカーリーグ、Jリーグなど70年にわたって取材された」
「また、日本がFIFAワールドカップに出場する可能性など全くなかった時代から2014年のブラジル大会まで10回にわたって現地取材された。その功績は世界も認めるところで、2015年にはFIFAの会長賞を受賞された。日本サッカーに携わる者として、また、FIFA理事として誇らしかった」
「サッカーがマイナーだった時代から世界のサッカーを僕たちサッカー少年に伝えてくださったことに心から感謝している」
「2022年のカタール大会で日本がドイツ、スペインに勝利したことを隔世の感を持ってご覧になったと思うが、2026年大会では新たな歴史をつくりたい。それが賀川さんへの恩返しになると思う。謹んで御冥福をお祈りします」
◆JFA 宮本恒靖 会長
「賀川浩さんの御冥福をお祈りいたします。2015年にFIFA会長賞を受賞された後にテレビ番組の企画で対談させていただく機会がありました。当時すでに90歳を越えていらっしゃいましたが、トークは関西人らしいユーモアやウィットに富んでいて、サッカー人としての深い経験や知識から歴史を学ぶことの大切さを学ばせていただきました。当日は予定していた時間があっという間に過ぎてしまったことをよく覚えています」
「賀川さんが生涯をかけて伝えてこられたサッカーの素晴らしさを継承していき、さらに日本サッカーを発展させていけるようにみんなで力を合わせていければと思います」
宮本恒靖の関連記事
ワールドカップの関連記事
|
宮本恒靖の人気記事ランキング
1
元なでしこMF、新潟Lの川澄奈穂美がJFAの理事就任へ…技術委員長にはユース育成ダイレクターの影山雅永氏に
日本サッカー協会(JFA)は7日、2024年度の第3回理事会を開催。理事15名および監事1名の予定者を発表した。 JFAは、3月末に会長が交代予定。元日本代表DFでJFAの専務理事を務めている宮本恒靖氏が就任予定となっている。 そんな中、理事予定者の15名が発表。現役選手としてWEリーグのアルビレックス新潟レディースの元なでしこジャパンMFの川澄奈穂美(38)がリスト入りした。 現役選手のJFA理事は初のこと。INAC神戸レオネッサのほか、アメリカのシアトル・レイン、NJ/NY ゴッサムFCでプレーし、2023年7月に新潟Lに加入。今シーズンはキャプテンを務めている。 その他、会長予定者の宮本氏や、現副会長の岡田武史氏、野々村芳和氏、次期副会長予定者の西原一将氏(株式会社西原商会代表取締役社長、鹿児島県サッカー協会会長)、専務理事予定者の湯川和之氏(JFA事務総長)、常務理事予定者の髙田春奈氏(WEリーグチェア、JFA副会長)などが名を連ねている。 なお、2名は現在調整中となり、公表されていない。 また、現在技術委員長を務めている反町康治氏が退任の予定となっており、後任として影山雅永氏が就任予定。マカオ代表、U-16シンガポール代表、ファジアーノ岡山、U-20日本代表で監督を務め、現在はJFAユース育成ダイレクターを務めている。 なお、女子委員長は佐々木則夫氏、審判委員長は扇谷健司氏と現職の2人が継続して就任する予定となっている。 2024.03.07 20:35 Thu2
宮本恒靖氏がJFAナンバー3の専務理事に就任/六川亨の日本サッカーの歩み
2月1日付けでJFA(日本サッカー協会)の専務理事に就任した元日本代表の宮本恒靖氏が、2月6日に初めてメディアの取材に都内で応じた。 21年5月にG大阪の監督を退任後、「引退して経営サイドに行くと思って、経営学や法律は10年前に学んでいた。いつかどこかで」と思っていたところ、22年3月からJFAの理事として田嶋幸三JFA会長の補佐となり、「思ったより早いタイミング」の1年で会長、副会長に次ぐナンバー3の専務理事に就任した。 理事に就任するまでは、「JFAは19部署に分かれていて263人もの職員が働き、年間予算が200億円もあることを知らなかった」と驚いたそうだ。そして専務理事に就任してみて、「回って来る決裁の資料も仕事量も多いので鍛えられる。課題も多いので取り組んで行きたい。やることは多い」と多忙な毎日を送っていることを明かした。 専務理事としての抱負はまだ就任したばかりとあって、「ベースにあるのはサッカーが大きくなって欲しいということ。そこに貢献したい」と話すにとどめた。 岡田武史JFA副会長はすでにS級ライセンスを返上したが、宮本専務理事は「持っているので監督、コーチは(今後)まったくしないと思わないが、いまは自分の立場で貢献したいと思っている。いまはいまで自分の立場で集中してやりたい」と専務理事職に専念することを明言。その一方で、「いつか小学生を教えたいと思うかもしれない」と指導者への憧憬も漏らしていた。 神戸での現役引退後の2012年にはFIFAマスター(大学院)第13期生に合格。日本人の元プロ選手としては初めてで、翌年には無事に卒業している。宮本専務理事の3年後にはパク・チソン氏がFIFAマスターに入学したそうだ。 そんな宮本専務理事について、田嶋JFA会長は次のような期待の言葉を送った。 「日本代表としてしっかりしたキャリアを積んで、海外でもプレー経験があり、FIFAマスターを取っていて、語学も堪能(FIFAマスター入学にはTOEFL iBT 100点以上)、Jの監督経験もある。しっかりJFAで学んでもらい、ヨーロッパも経験した人が日本のサッカーを変えて欲しい。その旗頭となる人材として期待しています」 選手時代を含めてキャリアは申し分ない。とはいえ専務理事には就任したばかりなので、当面はJFAという巨大組織を把握することと、Jリーグと密にコミュニケーションを取ることが当面の業務になるだろう。 その後も各種大会の視察や47FA(都道府県協会)への挨拶周りなど業務は山積だ。宮本専務理事が自分のカラーを出せるのは、早くても夏以降になるのではないだろうか。 しかしながら急ぐ必要はない。まずは“地に足をつけ"て、じっくりと自分自身の目でJFAという組織がどのような組織なのか分析して欲しい。そしてもしも課題や問題点があれば、改善策を見いだしていただきたいものである。 2023.02.07 18:00 Tue3
日本も招致を目指した女子W杯、2031年、2035年は招致不可能に…宮本恒靖会長「非常に残念な知らせです」
国際サッカー連盟(FIFA)は5日、理事会を開催し、2031年、2035年の女子ワールドカップ(W杯)に関して開催要件の概要を発表した。 日本も招致を目指していた女子W杯。2023年にオーストラリアとニュージーランドが共催で開催。2027年はブラジルで開催されることが決定している。 そんな中、FIFAの理事会は2031年と2035年に関して決定事項を発表。2031年に関しては、アフリカ(CAF)およびCOCACAF(北中米カリブ海)のどちらかから立候補を募ることが決定。また、2035年はCAFかヨーロッパ(UEFA)からの立候補を募ることとなった。 これにより、アジア(AFC)に属する日本では最短でも2039年大会まで開催がなくなることが決定している。 この発表を受け、日本サッカー協会(JFA)の宮本恒靖会長がコメントをしている。 「先般のFIFAカウンシル会議の内容を確認しています。2031年のFIFA女子ワールドカップ招致を目指していた私たちには非常に残念な知らせです。しかし、今回の決定にかかわらず、日本で女子サッカーを拡大していく、女子サッカーの人口を増やし、競技レベルの向上を目指していく考えに変わりはありません」 「間違いなく、良い流れがある今、2039年以降の女子ワールドカップ招致も視野に入れながら、ニールセン監督が率いるなでしこジャパンをはじめ、あらゆる年代の女子代表を世界一を目指して戦えるチームにしていくこと、全国各地で女子サッカーの環境を整えていくことに引き続き取り組んでいきます。これからも全国の関係者の皆さんで歩みを揃えていきましょう」 なでしこジャパンは2011年のドイツ女子W杯で初優勝。そこから優勝はない中で、2025年から初めての外国人監督であるニルス・ニールセン監督を迎えて始動。初の活動となったSheBelives Cupでは、オーストラリア女子代表、コロンビア女子代表、アメリカ女子代表を下し、大会初優勝を飾っていた。 2025.03.06 15:22 Thu4
ガンバ大記録達成ならず、宮本恒靖21年越しの悲願を阻んだのは奇しくも…
▽ガンバ大阪は12月1日、明治安田生命J1リーグ最終節で柏レイソルに2-4で敗戦。惜しくも、クラブ記録の10連勝達成には届かなかった。 ▽今シーズンからレヴィー・クルピ監督が就任するも、中盤戦まで苦しみ低迷していたG大阪。シーズン半ばに同監督を解任し、新指揮官としてU-23ガンバ大阪を率いていた宮本恒靖監督を招へいした。就任当初こそ苦しんだが、9月1日に行われたJ1リーグ第25節で川崎フロンターレに2-0で勝利してから、怒涛の巻き返しがスタート。エースの韓国代表FWファン・ウィジョの6試合連続ゴールなどで連勝街道を突っ走り、第33節V・ファーレン長崎戦を2-1で制したところでクラブ記録に並ぶ9連勝を達成した。しかし、クラブ新記録の10連勝をかけて臨んだ最終節の柏戦で敗れ、大記録樹立とはなっていない。 ▽過去を振り返れば、G大阪が以前に9連勝を達成したのは、ヨジップ・クゼ氏が率いていた1997年のこと。当時は前線にパトリック・エムボマ、DFラインではプロ3年目の宮本が頭角を現していた。しかし、ファーストステージでは8位と上位進出はできず。そんな中セカンドステージが開幕。攻守の歯車がかみ合うと、セカンドステージ第4節の清水エスパルス戦の勝利から波に乗り、当時のJリーグ記録となる9連勝を達成した。 ▽そして、そのシーズンに10連勝をかけて戦った相手が、奇しくも柏だった。しかし、ホームの万博記念競技場で相まみえたその試合でも、エジウソンの2発に沈み1-2で敗れている。 ◆2018年明治安田生命J1リーグ 節25節 川崎フロンターレ 2-0 〇 節26節 ヴィッセル神戸 2-1 〇 節27節 清水エスパルス 2-1 〇 28節 サンフレッチェ広島 1-0 〇 第29節 セレッソ大阪 1-0 〇 第30節 横浜F・マリノス 2-1 〇 第31節 浦和レッズ 3-1 〇 第32節 湘南ベルマーレ 1-0 〇 第33節 V・ファーレン長崎 2-1 〇 第34節 柏レイソル 2-4 ● ◆1997年J1リーグセカンドステージ 第4節 清水エスパルス 1-0 〇 第5節 サンフレッチェ広島 3-0 〇 第6節 アビスパ福岡 1-0 〇 第7節 セレッソ大阪 3-2 〇 第8節 ヴィッセル神戸 4-0 〇 第9節 鹿島アントラーズ 2-1 〇 第10節 名古屋グランパス 1-0 〇 第11節 ヴェルディ川崎 2-1 〇 第12節 横浜フリューゲルス 2-1 〇 第13節 柏レイソル 1-2 ● 2018.12.01 21:18 Sat5