アジア制覇で燃え尽き? アル・アインの守備が破綻…ACLE直近3試合で14失点、国内でも失点かさむ
2024.11.06 17:00 Wed
撃ち合いを好むアル・アインだが、毎試合4失点5失点は流石に厳しい
アル・アインFCの守備が破綻している。
UAE随一の名門にして、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)2023-24王者のアル・アイン。決勝戦では、横浜F・マリノスを完全粉砕した。
そのACLでの勝ち上がり方が物語る通り、もともと失点上等の“撃ち合い”を好むチーム性質。稀代の点取り屋、エルナン・クレスポ氏が監督に就任する前から、その傾向は顕著だった。
しかし、毎試合のように4失点も5失点もするようなら、全くもって話は別。
新フォーマットとなったACLEにおいて、アル・アインは直近3試合でアル・ガラファに2-4、アル・ヒラルに4-5、アル・ナスルに1-5と合計7得点「14」失点。近隣諸国のライバル相手に大量失点が続いているのだ。
24-25シーズンも、ここまで5試合9失点。ゼロに抑えた試合はひとつもなく、ACLE参戦に伴う日程調整で消化していない試合が2つあるとはいえ、2勝2分け1敗の8位となっている。首位より最下位と勝ち点が近い状況だ。
公式戦トータルでは今季11試合27失点、11試合で無失点ゼロというアル・アイン。ACLEは西地区リーグステージの最下位だ。
UAE随一の名門にして、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)2023-24王者のアル・アイン。決勝戦では、横浜F・マリノスを完全粉砕した。
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新フォーマットとなったACLEにおいて、アル・アインは直近3試合でアル・ガラファに2-4、アル・ヒラルに4-5、アル・ナスルに1-5と合計7得点「14」失点。近隣諸国のライバル相手に大量失点が続いているのだ。
また、アジア王者である一方、国内リーグは2シーズン優勝から遠ざかるアル・アイン。
24-25シーズンも、ここまで5試合9失点。ゼロに抑えた試合はひとつもなく、ACLE参戦に伴う日程調整で消化していない試合が2つあるとはいえ、2勝2分け1敗の8位となっている。首位より最下位と勝ち点が近い状況だ。
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横浜F・マリノスは24日、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)2023-24・東地区準決勝2ndレグの蔚山HD(韓国)戦を本拠地・横浜国際総合競技場で戦い、2戦合計3-3のドローからPK戦を制し、見事に決勝戦進出を決めた。 横浜FM 3-2(2戦合計3-3/PK:5-4) 蔚山HD 【横浜FM】 植中朝日(前13、前30) アンデルソン・ロペス(前20) 【蔚山】 マテウス・サレス(前35) ダリヤン・ボヤニッチ(前42) 敵地韓国での1stレグを0-1と落としていた横浜FM。決勝戦進出へ向けて2ndレグは「90分間で1点差の勝利」が最低条件だったなか、30分までに3点をリードする100点の展開に。 ところが35分にセットプレーから1点を返され、続く39分に速攻を浴びた際、上島拓巳がボックス内のスライディングでハンドに。PK判定はもちろん、上島に1発レッドが提示され、早くも2戦合計3-3に追いつかれたと同時に数的不利となった。 ここからひたすら耐えまくった横浜FM。 肝を冷やした場面など数えきれず、延長戦も含めて120分間で浴びたのは「40」本ものシュート…GKポープ・ウィリアムのセーブも数えきれず、今季加入の守護神は最後、PK戦でキム・ミヌのシュートをストップ。まさに大車輪の活躍だった。 結果的にPK戦を制し、クラブ史上初のACL決勝戦進出が決定。その一方、西地区から決勝戦まで勝ち上がってきたのは、準決勝で“アジアの銀河系軍団”アル・ヒラル(サウジアラビア)を下したアル・アイン(UAE)だ。 元日本代表DF塩谷司(サンフレッチェ広島)が活躍したことでも広く知られるアル・アイン。現在は元アルゼンチン代表FWにして時代を彩った懐かしのストライカー、エルナン・クレスポ(48)が監督を務めているクラブだ。 あの伝説の“イスタンブールの奇跡”…2004-05シーズンの欧州チャンピオンズリーグ(CL)決勝にて共に先発で対峙した、当時29歳ミランのクレスポと、当時26歳リバプールのハリー・キューウェル(横浜FM監督)。 19年もの歳月を経て、それぞれ48歳、45歳の指揮官となった両者がアジアのクラブNo.1を決めるファイナルで激突する。 これは運命だろうか。ACL決勝2ndレグが行われるのは、イスタンブールの奇跡からちょうど19年となる2024年5月25日だ。 ◆ACL決勝日程 ▽1stレグ 5月11日 (H)横浜FM vs アル・アイン(A) ▽2ndレグ 5月25日 (H)アル・アイン vs 横浜FM(A) 2024.04.24 23:14 Wed4
アジア王者のUAEアル・アインがルガーニ獲得へ本腰...1stオファーは300万ユーロか
UAE1部のアル・アインが、元イタリア代表DFダニエレ・ルガーニ(30)の獲得へ交渉中だ。UAE『Al Bayan』が伝えている。 若手時代にイタリア代表の将来を背負うと期待されるも、ユベントスで控えの域を脱せぬまま30代に突入したセンターバック、ルガーニ。 放出候補に挙げられた回数も数えればキリがないが、5月には契約を2026年まで延長。しかし、現在は中東移籍の可能性が膨らんでいる。 横浜FM撃破で21年ぶりにアジア制覇のアル・アインだが、24-25シーズンは国内リーグで優勝を逃すことに。今後1年はクラブW杯含め、国内外で6大会を戦うハードスケジュールだ。 各ポジションの選手層拡充を念頭に、センターバックはルガーニを獲得へ。すでにユベントスとの腰を据えた交渉が始まり、アヤックスとの争奪戦になっているとのことだ。 現時点では、移籍金として300万ユーロ(約4.8億円)を提示しているそうだ。 2024.08.14 13:20 Wed5