クラブの怠慢が自殺の要因に? シティが退団する若手への適切なサポートをしなかったと遺族が主張
2021.11.09 19:30 Tue
わずか18歳で自ら命を絶ってしまったDFジェレミー・ウェステンだが、その原因がクラブにもあったと言われている。イギリス『BBC』が伝えた。ジェレミー・ウェステンは、13歳からマンチェスター・シティのアカデミーに在籍。当時クラブに在籍し、キャプテンを務めていた元ベルギー代表DFヴァンサン・コンパニの後継者になることを夢見た選手だった。
しかし、2018年1月にヒザを負傷。じん帯を損傷したことで5カ月ほどピッチを離れると、2018年12月にはシティを退団していた。
重傷を負い、その後プレーができないままシティを退団することとなったジェレミー・ウェステン。父のマニラ・ウェステンによれば、その後はクラブを見つけることができなかったという。そして2020年10月24日、マンチェスターの実家で自ら命を絶った。
妹の部屋のみがカギが掛かる作りになっており、ウェステンはそこで命を落としたという。救急隊員が駆けつけ、蘇生を行ったが、帰らぬ人となってしまった。
ただ、父であるマニラ氏は、息子が自殺する兆候はなかったとし、ケガの後シティから適切なサポートを受けていなかったと主張。あまりにも雑な扱いだったと感じているようだ。
「彼はマンチェスター・シティで、新たなクラブを見つけるための適切なサポートを受けているとは感じていなかった」
「それはマーケティングビデオではなかったと思う。手続き的なものだったと感じている」
「シティがもっとしてくれるべきだったのは事実だ。彼らが、他の人に対してもそうしていたことは知っている」
マニラ氏によると、シティはジェレミーがプレーする機会を与え、他のクラブが観に来れる試合を手配するとしていたが、それが実現しなかったと主張。また、ジェレミーのプレー映像がクラブに送られたものの、ケガをしてからはその動きはほとんど無くなったと主張している。
なお、シティのアカデミーの長であるジェイソン・ウィルコックス氏は、若い選手が退団することを伝える会議の前は、「眠れない夜」を過ごしたという。
「彼(ジェレミー)はとて物静かで感情的ではなかった」
「知らせを受けた時の少年たちの反応はそれぞれ違う」
「彼らはその瞬間、自分のキャリアが終わったと感じるだろう。ただ、決してそんなことはない。それは、彼らにとって新たな旅の始まりなのだ」
ウィルコックス氏によると、ジェレミーは様々なクラブで9度トライアルを受けていたとのこと。2018年と2019年には、シティでメンタルヘルスのスクリーニングを受けていたとも主張した。
しかし、2018年1月にヒザを負傷。じん帯を損傷したことで5カ月ほどピッチを離れると、2018年12月にはシティを退団していた。
妹の部屋のみがカギが掛かる作りになっており、ウェステンはそこで命を落としたという。救急隊員が駆けつけ、蘇生を行ったが、帰らぬ人となってしまった。
検死官のザック・ゴロンベック氏によると、「確率的に見て、ジェレミーが自ら命を絶ち、その意図を持っていたことが判断できる」との見解を示した。また、毒物学者によれば、精神安定剤など見られる、ベンゾジアゼピンが検出されたとしていた。
ただ、父であるマニラ氏は、息子が自殺する兆候はなかったとし、ケガの後シティから適切なサポートを受けていなかったと主張。あまりにも雑な扱いだったと感じているようだ。
「彼はマンチェスター・シティで、新たなクラブを見つけるための適切なサポートを受けているとは感じていなかった」
「それはマーケティングビデオではなかったと思う。手続き的なものだったと感じている」
「シティがもっとしてくれるべきだったのは事実だ。彼らが、他の人に対してもそうしていたことは知っている」
マニラ氏によると、シティはジェレミーがプレーする機会を与え、他のクラブが観に来れる試合を手配するとしていたが、それが実現しなかったと主張。また、ジェレミーのプレー映像がクラブに送られたものの、ケガをしてからはその動きはほとんど無くなったと主張している。
なお、シティのアカデミーの長であるジェイソン・ウィルコックス氏は、若い選手が退団することを伝える会議の前は、「眠れない夜」を過ごしたという。
「彼(ジェレミー)はとて物静かで感情的ではなかった」
「知らせを受けた時の少年たちの反応はそれぞれ違う」
「彼らはその瞬間、自分のキャリアが終わったと感じるだろう。ただ、決してそんなことはない。それは、彼らにとって新たな旅の始まりなのだ」
ウィルコックス氏によると、ジェレミーは様々なクラブで9度トライアルを受けていたとのこと。2018年と2019年には、シティでメンタルヘルスのスクリーニングを受けていたとも主張した。
1
2
ヴァンサン・コンパニの関連記事
マンチェスター・シティの関連記事
プレミアリーグの関連記事
|
ヴァンサン・コンパニの人気記事ランキング
1
「私は狂人ではない」母国率いるかつての“悪童”ベラミー監督、自身に貼られたレッテルについて「誰もが私の気性の激しさを口にするが…」
ウェールズ代表のクレイグ・ベラミー監督(44)は、自身に貼られたレッテルを剝がすことに意欲を燃やしている。『ESPN』が伝えた。 現役時代は数多のクラブを渡り歩き、同僚をゴルフクラブで殴る事件を起こすなどの“悪童”ぶりでも知られていたベラミー監督。現役引退後は指導者の道を選択し、古巣カーディフ・シティのアカデミースタッフ、アンデルレヒトのU-21チーム監督などの職に就いた。 その後はヴァンサン・コンパニ監督に付き従い、アンデルレヒトやバーンリーでアシスタントコーチに就任。コンパニ監督がバイエルンの指揮官に就任すると袂を分かち、今年7月から母国ウェールズの指揮官に就任した。 ウェールズでは、ここまでUEFAネーションズリーグの6試合を戦い3勝3分けと無敗を維持。指揮官として好スタートを切っているベラミー監督は、ここまで退席処分もなしと順調だ(アイスランド代表戦で監督として初の警告は受けた)。 ベラミー監督も、自身は世間が思っているような破天荒な人間ではないと断言。それを監督業で証明していきたいと意気込みつつ、現在の仕事への手応えも語っている。 「私は狂人ではない。まともだということを、人々に見せることが重要だと思っていた。誰もが、私がピッチを走り回り、審判を押したりすることで退席処分を受けると思っていただろう」 「自分がそんな人間ではないと示すため、監督になったんだ。以前は、誰もが私の気性の激しさについて口にしていた。『ああ、でも彼は気性がね…』といった感じでね。私はそのたびに『それは本当か?』と思っていた。そして今、私のこうした面を見せることができている」 「うまくいかない時ほど、メディアは私の冷静で穏やかな面を見ることになるだろう。(アイスランド代表戦の警告について)今は感情があらゆるところで溢れていて、最も私を苦しめるタイミングだ。ただ、信じてほしいがそんな状態だと何も得られはしない」 「もちろん、私はそうした瞬間が来ないと思うほど甘くはない。いつ来るかは分からないが、必ず訪れるだろう。何人かは、それが起こるのを待っているように感じている。私もそれは把握しているし、冷静でいなければならない」 「(ウェールズについて)まだ長い道のりがある。6試合が終わっただけだが、良い時期もあった。私はここに座り、トルコ戦の引き分けに大喜びもしたと思う。あれはかなり良い引き分けだったが、選手たちにはもっと可能性があると信じている」 「我々はワールドカップに出場したい。そのためにはゴールを決めていく必要がある。そして出場できれば、そこで我々は競い合いたい。この選手たちは、そこへ出場するに値するのだ」 2024.11.21 18:25 Thu2
クラブの怠慢が自殺の要因に? シティが退団する若手への適切なサポートをしなかったと遺族が主張
わずか18歳で自ら命を絶ってしまったDFジェレミー・ウェステンだが、その原因がクラブにもあったと言われている。イギリス『BBC』が伝えた。 ジェレミー・ウェステンは、13歳からマンチェスター・シティのアカデミーに在籍。当時クラブに在籍し、キャプテンを務めていた元ベルギー代表DFヴァンサン・コンパニの後継者になることを夢見た選手だった。 しかし、2018年1月にヒザを負傷。じん帯を損傷したことで5カ月ほどピッチを離れると、2018年12月にはシティを退団していた。 重傷を負い、その後プレーができないままシティを退団することとなったジェレミー・ウェステン。父のマニラ・ウェステンによれば、その後はクラブを見つけることができなかったという。そして2020年10月24日、マンチェスターの実家で自ら命を絶った。 妹の部屋のみがカギが掛かる作りになっており、ウェステンはそこで命を落としたという。救急隊員が駆けつけ、蘇生を行ったが、帰らぬ人となってしまった。 検死官のザック・ゴロンベック氏によると、「確率的に見て、ジェレミーが自ら命を絶ち、その意図を持っていたことが判断できる」との見解を示した。また、毒物学者によれば、精神安定剤など見られる、ベンゾジアゼピンが検出されたとしていた。 ただ、父であるマニラ氏は、息子が自殺する兆候はなかったとし、ケガの後シティから適切なサポートを受けていなかったと主張。あまりにも雑な扱いだったと感じているようだ。 「彼はマンチェスター・シティで、新たなクラブを見つけるための適切なサポートを受けているとは感じていなかった」 「それはマーケティングビデオではなかったと思う。手続き的なものだったと感じている」 「シティがもっとしてくれるべきだったのは事実だ。彼らが、他の人に対してもそうしていたことは知っている」 マニラ氏によると、シティはジェレミーがプレーする機会を与え、他のクラブが観に来れる試合を手配するとしていたが、それが実現しなかったと主張。また、ジェレミーのプレー映像がクラブに送られたものの、ケガをしてからはその動きはほとんど無くなったと主張している。 なお、シティのアカデミーの長であるジェイソン・ウィルコックス氏は、若い選手が退団することを伝える会議の前は、「眠れない夜」を過ごしたという。 「彼(ジェレミー)はとて物静かで感情的ではなかった」 「知らせを受けた時の少年たちの反応はそれぞれ違う」 「彼らはその瞬間、自分のキャリアが終わったと感じるだろう。ただ、決してそんなことはない。それは、彼らにとって新たな旅の始まりなのだ」 ウィルコックス氏によると、ジェレミーは様々なクラブで9度トライアルを受けていたとのこと。2018年と2019年には、シティでメンタルヘルスのスクリーニングを受けていたとも主張した。 <span class="paragraph-title">【写真】重傷の後に退団し、その後に命を絶ったジェレミー・ウェステン</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">Heartbreaking story of Jeremy Wisten, 18, who took own life after Man City release<a href="https://t.co/DCMXTlAgiO">https://t.co/DCMXTlAgiO</a> <a href="https://t.co/dnPQOEhkEn">pic.twitter.com/dnPQOEhkEn</a></p>— Mirror Football (@MirrorFootball) <a href="https://twitter.com/MirrorFootball/status/1457989586689400832?ref_src=twsrc%5Etfw">November 9, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2021.11.09 19:30 Tue3
直近ではリュカ、それ以前ではラーム…バイエルン入りの伊藤洋輝、背番号は馴染み深い「21」に
日本代表DF伊藤洋輝はバイエルンでの背番号が「21」に決まった。 ヴァンサン・コンパニ新体制の補強第一号として、バイエルン入りが決まった伊藤。噂が出てから、とんとん拍子で決まっていった印象も強いこの移籍が発表され、2週間が過ぎたなか、バイエルンは公式Xで背番号決定を発表した。 21番は伊藤にとって日本代表だけでなく、シュツットガルトでも背負った馴染みのある番号。最近のバイエルンではフランス代表DFリュカ・エルナンデスが昨夏にパリ・サンジェルマン(PSG)へ移籍するまでつけ、空き番だった。 もっと遡れば、レジェンドOBであり、キャプテンも務めたフィリップ・ラーム氏も着用。空いていたのもあるだろうが、かつてレジェンドも背負い、自身にとっても馴染み深い背番号でドイツの名門でのキャリアをスタートさせる。 <span class="paragraph-title">【SNS】伊藤洋輝、バイエルンでの背番号が決定</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="de" dir="ltr"> Unsere neue Nummer 21. <br><br>Holt euch jetzt das Trikot von Hiroki <a href="https://twitter.com/hashtag/Ito?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#Ito</a>! <a href="https://t.co/RkwaLhQfu3">https://t.co/RkwaLhQfu3</a><a href="https://twitter.com/hashtag/MiaSanMia?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#MiaSanMia</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/FCBayern?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#FCBayern</a> <a href="https://t.co/ajJ0QYizTn">pic.twitter.com/ajJ0QYizTn</a></p>— FC Bayern München (@FCBayern) <a href="https://twitter.com/FCBayern/status/1807772304710975987?ref_src=twsrc%5Etfw">July 1, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.07.02 18:50 Tue4
ストライカーも探すバイエルン、スイス代表FWエンボロへの関心続く…モナコには放出の意思なし
バイエルンはモナコのスイス代表FWブリール・エンボロ(27)を注視し続けているようだ。フランス『フット・メルカート』が報じた。 新シーズンに向けてヴァンサン・コンパニ監督を招へいし、各ポジションの補強も進めるバイエルン。一方、カメルーン代表FWエリック・マキシム・チュポ=モティング(35)との契約が満了し、新たなストライカーを探している。 バイエルンは以前よりエンボロへの関心を示し、6月には選手本人がこの噂に言及。「僕のクラブとバイエルンへの敬意から、この件に関しては何も言えない」「モナコでとても幸せ」と主張しながら、バイエルンの印象や、かつてプレーしていたブンデスリーガへの思いを簡単に語っていた。 しかし、最近代理人を変更したというエンボロは、ドイツ復帰を希望しているとのこと。コメントの通りモナコでの居心地の良さも感じているため、移籍を最優先事項には掲げていない模様だ。 バイエルンは先日幕を閉じたユーロ2024でのエンボロの活躍を見て、コンパニ新監督の信頼できるオプションになると確信。対するモナコはなんとしても引き留めたい考えで、バイエルンからのオファーはまだ届いていないという。 かつてシャルケやボルシアMGで計6シーズン過ごしたエンボロは、2022年夏に移籍金1250万ユーロ(約21億4000万円)でモナコ入り。加入1年目からリーグ・アンで32試合12得点の好成績を残すも、2023-24シーズンはヒザのケガにより、リーグ戦5試合の出場にとどまった。 シーズン終盤には復帰し、そのまま今夏のユーロに参加。PK戦の末に敗れこそしたが、準々決勝のイングランド代表戦では値千金の先制点を決めていた。 バイエルン移籍となれば、ボルシアMGでスポーツ・ディレクター(SD)を務めていたマックス・エバール氏(現在はバイエルンのスポーツ部門取締役)とも再会。慣れ親しんだブンデスリーガで再びプレーすることになるのだろうか。 2024.07.18 15:06 Thu5
リハビリ中のバイエルンGKノイアーが再休止、復帰は4月中旬が現実的か…代役務めたウルビヒもU-21ドイツ代表を負傷離脱
バイエルンは22日、元ドイツ代表GKマヌエル・ノイアーの復帰状況を報告した。 ノイアーは5日に行われたチャンピオンズリーグ(CL)ラウンド16・1stレグのレバークーゼン戦で右ふくらはぎを負傷。58分に交代していた。 すでにリハビリトレーニングを開始していた守護神だが、再びふくらはぎに問題が発生。今後数日間はトレーニングを控える。 当初、ヴァンサン・コンパニ監督は「インターナショナルブレイクの前には復帰できるだろう。ただ、まだはっきりとはわからない。もっと時間がかかるかもしれないからね」とノイアーの状態に言及していた。 ドイツ『ビルト』によると、ノイアーは21日の練習を前日より大幅に短い35分間で終了。29日に行われるブンデスリーガ第27節のザンクト・パウリ戦での復帰が予定されていたが、今後2試合の欠場は確実だという。 また、その後の4月8日に行われるチャンピオンズリーグ(CL)準々決勝1stレグのインテル戦での復帰も予想されていないとのこと。ブンデスリーガ第29節のドルトムント戦を経て行われる、16日の2ndレグはまだ望みがあるようだ。 なお、ノイアーの代役を務めたGKヨナス・ウルビヒも負傷のためU-21ドイツ代表を離脱。ウルビヒがザンクト・パウリ戦に間に合わなければ、イスラエル代表GKダニエル・ペレツと元ドイツ代表GKスヴェン・ウルライヒが選択肢となる。 2025.03.23 23:21 Sunマンチェスター・シティの人気記事ランキング
1
ノルウェー代表で定位置と背番号を譲った後輩…セルロートが5歳年下ハーランドをラ・リーガに勧誘?「適応間違いなし」
ビジャレアルのノルウェー代表FWアレクサンダー・セルロートが、マンチェスター・シティの同代表FWアーリング・ハーランドについて語った。 今季ラ・リーガ14得点、公式戦17得点のセルロート。過去2年のレアル・ソシエダ時代を上回るペースでネットを揺らす195cmストライカーだ。 当然、この活躍からノルウェーを代表するセンターフォワードなのは確か。しかし、ノルウェー代表には当代屈指のゴールマシーン・ハーランドがおり、A代表通算53試合18得点セルロートは左右どちらかのウイングが“守備位置”となる。 このように、ハーランドがいることで、ノルウェー代表だと本職ではないポジションを任されるセルロート。それでもスペイン『Relevo』のインタビューでは、ハーランドとの良い関係性を語る。 「アーリングとはとても仲が良いよ。もう5年くらいノルウェー代表で一緒だしね。彼は天性のリーダー的な部分を持つんだ。どちらかと言えば、陰から人知れずチームを支えるタイプかな。全てを口に出して引っ張るのではなく、黙々と率先して行動することができる」 数年前には、当時20歳そこそこで台頭してきたハーランドに、ノルウェー代表で背番号「9」を譲ったセルロート。 「彼はあの時すでにフットボーラーとして“ブランド”が出来上がっていたからね。NIKEとの繋がりも考えればピッタリだろう(笑) 彼のほうから『9が欲しい』って来たから、僕は11にしたんだ」 その一方、ハーランドは昨季があまりに強烈だったためか、最近は得点ペースの鈍化が指摘される。この件についてセルロートは、同じFWとして少しばかり不快感を抱いている様子だ。 「彼が自らの個人賞をチームの戦績より優先させているとでも? 僕の知る彼はそうじゃないし、もしそうだとしても口には出さない」 また、将来のレアル・マドリー行きが噂され続けていることについては歓迎。スペインサッカーへの適応も問題ないだろうとした。 「イングランドもドイツもスペインもそんなに異なるサッカーじゃない。リーグの特色をつけたがる人々が私見を言っているに過ぎないんだ。アーリングも間違いなくスペインにフィットする。選手からチームへ、チームから選手へ、お互いに適応の努力をすれば、適応できないなんてあり得ない」 2024.04.19 16:20 Fri2
シティとミランが対戦、遺恨を残したペップから声をかけられたイブラヒモビッチは...
ズラタン・イブラヒモビッチ氏が、ジョゼップ・グアルディオラ監督に対して気まずそうな態度をとった。ドイツ『ビルト』が伝える。 イブラヒモビッチとペップ・グアルディオラ。 両者は2009-10シーズン、バルセロナのトップチームで共闘することになり、当時インテルからサミュエル・エトー氏との実質トレードで加入したイブラ氏は、ペップ・バルサ2年目の最前線でスタメン起用され始めた。 しかし、序盤戦のゴール量産から次第にコンディションを落とし、グアルディオラ監督はイブラ氏のベンチスタートを増やすことに。 結局、加入から1年でミランにレンタル放出され、さらにその1年後に完全移籍移行。 現在に至る「ミランの王・イブラヒモビッチ」が生まれることとなったが、イブラ氏はグアルディオラ監督に対する恨み辛みを、のちに余すことなく、何度も口にしている。 「グアルディオラは幼稚なコーチ…話しかけられることなどないし、見ようともしない…俺を見るなり逃げ失せるような男だ…」 時は流れて2024年夏、7月28日。 イブラ氏がシニアアドバイザーを務めるミランと、グアルディオラ監督率いるマンチェスター・シティが、米国でのプレシーズンマッチにて対戦。ミランが3-2と勝利した。 グアルディオラ監督から立ち寄る形で試合前に顔を合わせた両者。イブラ氏が作った笑顔はどう見てもよそよそしく、握手とハグもそこそこに、ペップの話しかけにも目線を合わせるのがしんどかったような印象が。 おそらくグアルディオラ監督のほうは、過去の確執をそこまで気にするタイプではないが、イブラ氏の「気まずい…」という表情は本当に印象的。 1年限りとなったバルセロナでの共闘から14年、イブラ氏は当時のグアルディオラ監督の年齢(38〜39歳)を超え、今や自身もチームを監督する側の立場。TVカメラも近づいてきたなか、大人の対応をした格好か。 <span class="paragraph-title">【動画】ペップに声をかけられ、この上なく気まずそうなイブラヒモビッチ</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="in" dir="ltr">Ibrahimovic tampak menghindari kontak mata dan Guardiola pun coba bersikap 'senormal' mungkin. Para fans sepakbola menilai, Zlatan Ibrahimovic tampak masih tidak menyukai Pep Guardiola <br><br>Ibrahimovic pernah terang-terangan menulis Guardiola sebagai pelatih yang tidak punya… <a href="https://t.co/skUHPxR4Wv">pic.twitter.com/skUHPxR4Wv</a></p>— detiksport (@detiksport) <a href="https://twitter.com/detiksport/status/1819330955708190859?ref_src=twsrc%5Etfw">August 2, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.08.02 20:35 Fri3
「これは永久保存」世界レベルのDFルベン・ディアスが筋トレメニューを公開「めちゃくちゃ勉強になる」「トレーニングはベーシック」
マンチェスター・シティがポルトガル代表DFルベン・ディアスの筋トレメニューを公開している。クラブの公式SNSが伝えている。 2020年にシティに加入すると、すぐさま存在感を発揮しDFリーダーとしてハイレベルなパフォーマンスを披露しているディアス。なかなか定着できる選手がいなかったシティのセンターバックに欠かせぬ存在となった。 フィジカルやスピードに足元の技術と万能DFといっても過言ではないディアスだが、シティはそんなディアスの体を作り上げたトレーニングに密着している。 「センターバックのジムルーティーン」として紹介されたのは、計5つのメニュー。最初の2つは、臀部やハムストリングス、大腿四頭筋など下半身を全体的に鍛えられるバーベルフロントスクワットと、さらに臀部にフォーカスしたヒップスラストだった。 そして、ジャンプしてボックスに乗るというシンプルなメニューに加え、Aマーチトレーニングと呼ばれる、腰にベルトを巻いて柱につなぎ、姿勢を意識しながら歩いて前進するようなメニューも実施。これはアキレス腱を鍛えることもできるという。 最後に取り入れたのは、パワープレスというメニュー。体幹の固定力を鍛える運動で、重心を低く保ちながら負荷をかけていた。 フリーウェイトやマシンを使ったメニュー、さらにはアジリティを鍛えるメニューなど、多岐にわたるトレーニングを行っていたディアス。普段はこれ以外のメニューも取り入れているそうだが、最も重要なのはパワーでもなく「バランスをとること」と語っており、「日常生活でもピッチでも細部にまでこだわることでより良いバランス感覚が養える」と伝えている。 シティのSNSは、「フィジカルモンスター・ディアスの筋トレメニューを大公開 センターバックの皆さん、必見です」として紹介しているが、ファンも「これは永久保存」、「これめちゃくちゃ勉強になるな」、「CBに必要な動きから逆算したトレーニング 派手さは不要なのがよくわかる」、「トレーニングはベーシック」と反応しており、世界レベルの選手のトレーニングメニューに注目している。 ■ルベン・ディアスのトレーニングメニュー バーベルフロントスクワット(8回3セット) ヒップスラスト(5回5セット) ボックスジャンプ(5回5セット) Aマーチトレーニング パワープレス <span class="paragraph-title">【動画】世界レベルのDFルベン・ディアスのトレーニングは必見!</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ja" dir="ltr">フィジカルモンスター・ディアスの筋トレメニューを大公開<br>センターバックの皆さん、必見です <a href="https://t.co/DQ9ZVjTCTm">pic.twitter.com/DQ9ZVjTCTm</a></p>— Manchester City (@ManCityJP) <a href="https://twitter.com/ManCityJP/status/1663500501093339138?ref_src=twsrc%5Etfw">May 30, 2023</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2023.05.31 19:10 Wed4
アグエロがシティの歴史に名を刻んだ瞬間、プレミア初優勝を決めた93:20の熱狂
15日に行われた会見で不整脈を理由に33歳で現役を引退することを発表したバルセロナのアルゼンチン代表FWセルヒオ・アグエロ。キャリアを通じて400ゴール以上を決めてきたストライカーが最も多くのゴールを決めたのが、10年間に渡ってプレーしたマンチェスター・シティ時代だ。 2011年夏にアトレティコ・マドリーから加入したアグエロは、デビュー戦となったスウォンジー・シティ戦で2ゴール1アシストの圧巻の活躍を披露。以降は絶対的なエースとして公式戦384試合に出場し、クラブ歴代最多となる257ゴールを記録。4度のプレミアリーグ制覇を含む、通算13個のトロフィー獲得の立役者となり、個人としても2014-15シーズンに自身唯一のリーグ得点王を獲得した。 その257ゴールの中で最も重要だったと言っても過言ではないのが、2011-12シーズンのプレミアリーグ最終節のQPR戦での決勝ゴールだ。 試合前の時点で、マンチェスター・ユナイテッドと勝ち点84で並んでいたシティだが、残留争いに身を置いていたQPR相手にまさかの苦戦。90分を終えた段階で1点ビハインドの展開となる。 しかし、最後まで諦めないシティはアディショナルタイム2分にMFダビド・シルバの右CKをFWエディン・ジェコが頭で叩き込み、2-2の同点に追いつく。 優勝まであと1点が必要な状況だったが、残り時間もほんとんどないという状況。シティが最後の猛攻を仕掛けると、下がってボールを受けたアグエロがFWマリオ・バロテッリへと縦パス。バロテッリは潰されながらもアグエロへリターンを返すと、そのままボックス右に抜け出したアグエロがニアサイドに右足のシュートを突き刺し、勝ち越しゴールが決まった。 現地実況の「アグエロォォォォォォォ」の絶叫でお馴染みのこのゴール。時計の針は93:20を指しており、その直後にはタイムアップのホイッスルが鳴り、劇的過ぎるプレミアリーグ初優勝となった。 シティ退団時には、このタイトルが最も重要だったと語ったアグエロ。引退会見でも触れていたゴールは、キャリアを通じても思い出深いものとなっているようで、急速に発展を遂げたシティの歴史に名を刻む瞬間だった。 <span class="paragraph-title">【動画】あの興奮をもう一度…!実況も思わず大絶叫したアグエロの劇的ゴール</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJEejZpckhIMSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2021.12.16 19:10 Thu5