「W杯という宝石は、その希少性ゆえに価値がある」UEFA会長が改めて2年に1度のW杯開催構想に反対
2021.09.07 16:40 Tue
欧州サッカー連盟(UEFA)のアレクサンデル・チェフェリン会長が、改めて新たなワールドカップ(W杯)の構想に反対した。
来年11月に開幕するカタールW杯に向けて、各大陸で最終予選が行われている中、そのW杯に国際サッカー連盟(FIFA)が新たな変化をもたらせようとしている。
W杯は通常4年に1度行われる中、FIFAは2年に1度の開催に変更するというプランを立てている。
これは今年5月にサウジアラビアが初めて提案した構想。FIFAもこれに賛同し、元選手であるマイケル・オーウェンやヤヤ・トゥーレなどを起用して支持を表明し、ジャンニ・インファンティーノ会長は実現可能性を探っている段階だ。
そんな中、チェフェリン会長は当初から反対意見。ジュネーブで開催された欧州クラブ協会の160のクラブ代表の前で、改めて反対であることを主張した。
「2年に1度の開催では、正統性が失われ、ワールドカップそのものが希薄になる、全てのものには適切な期間があり、代表チームも食らうタガートも、その物理的・商業的な期間を十分に活用している」
「彼らは夏の期間を、リラックスしたり、回復したりするために使われるのではなく、大会のために使われることは必要としていない」
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W杯は通常4年に1度行われる中、FIFAは2年に1度の開催に変更するというプランを立てている。
そんな中、チェフェリン会長は当初から反対意見。ジュネーブで開催された欧州クラブ協会の160のクラブ代表の前で、改めて反対であることを主張した。
「ワールドカップという宝石は、その希少性ゆえに価値がある」
「2年に1度の開催では、正統性が失われ、ワールドカップそのものが希薄になる、全てのものには適切な期間があり、代表チームも食らうタガートも、その物理的・商業的な期間を十分に活用している」
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ケガに泣いた“ワンダーボーイ”、オーウェンが理由を語る「答えは分からない。でも、私見では遺伝」
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【得点者プロフィール】 マイケル・オーウェン(当時25歳) 国籍:イングランド 所属:レアル・マドリー ポジション:FW 身長:173cm リバプールの下部組織で育ち、そのままファーストチームへ昇格したオーウェン。“ワンダーボーイ”としても知られ、多くの注目を集めた。銀河系軍団と呼ばれていたレアル・マドリーへと移籍した後は、ニューカッスル、マンチェスター・ユナイテッド、ストーク・シティと渡り歩き、2013年に現役を引退している。 【試合詳細】 日程:2005年4月10日 大会:ラ・リーガ第31節 対戦相手:バルセロナ 時間:後半20分(3-1) <div id="cws_ad">◆イングランドの名コンビがクラシコで見せた技ありゴール!<br/><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJXQ3NHRUx2SiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> “怪物”ロナウドとの2トップを組んで先発出場したオーウェン。ジネディーヌ・ジダンやラウール・ゴンサレス、デイビッド・ベッカムといった銀河系の面々とともにピッチに立つと、3-1とリードして迎えた65分にゴールを奪う。 自陣でサミュエル・エトーからイバン・エルゲラがボールを奪うと、こぼれ球を拾ったベッカムがルックアップ。すぐさま右足で前線へフィードを送ると、最終ラインの裏へ飛び出したオーウェンの元へ。 ボールはバウンドとともにブレーキがかかりオーウェン冷静にトラップ。ボックス手前で右足を振り抜くと、グラウンダーのシュートがネットを揺らした。 イングランド代表のチームメイトでもある気心知れたベッカムからの絶妙なパスに、特徴でもある絶妙な飛び出しを見せたオーウェンのシュート技術。スペインの地でイングランドの2人が見せた素晴らしいゴールとなった。 2021.03.20 18:00 Sat5