EUROデンマークの快進撃で思い出すユーゴの悲劇/六川亨の日本サッカーの歩み

2021.07.06 15:00 Tue
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7月22日の東京五輪初戦、対南アフリカ戦に備えてU-24日本代表が5日から静岡県でキャンプに入った。今後は現地で調整後、12日のホンジュラス戦、17日のスペイン戦を経て開幕戦に臨む。

そして海外ではEUROの準々決勝が終わり、ベルギーを撃破したイタリア、世界王者フランスを倒したスペイン、ライバルのドイツを粉砕したイングランド、そしてダークホースのデンマークがベスト4進出を果たした。

サッカーの母国であるイングランドは、ワールドカップで1回の優勝を記録しているが、それも66年に自国で開催した1回のみ。それ以外はワールドカップでもEUROでも華々しい結果は残していない。今回は決勝戦が11日にロンドンで開催されるだけに、千載一遇のチャンスと言っていいだろう。

そんなイングランドの前に立ちはだかりそうなのが92年の初優勝以来29年ぶりの欧州ナンバー1を狙うデンマークだ。グループステージでは開幕2連敗から決勝トーナメント進出というサプライズを起こした。もしかすると2度目の「おとぎ話」があるかもしれない。

EUROは88年の西ドイツ(当時)大会を取材したことを以前のコラムで書いた。当時は8チームによる、なんとものんびりとした大会だった。そして4年後の92年も8チームによる大会だったが、たった4年でヨーロッパに激震が走った。

まず予選の組分け抽選会はイタリアW杯が開催される前の90年2月に行われた。ところが前年の89年11月に「ベルリンの壁」が崩壊し、東ドイツが西ドイツと統一に向けた交渉が行われ、90年8月には東ドイツが西ドイツに吸収された。

このため90年イタリアW杯の優勝国は西ドイツだが、その後はドイツと表記されるようになり、東ドイツはEUROの予選を辞退することになった。

予選ではソ連がイタリアを抑えて本大会進出を決めたが、こちらも91年12月にソビエト連邦が崩壊。旧ソビエト連邦からなる独立国家共同体(CIS)としてEUROに参加。同年のバルセロナ五輪や94年のリレハンメル五輪までCISの名称で参加することになった。

そしてデンマークである。予選では90年イタリアW杯の準々決勝でアルゼンチンとPK戦の死闘を演じたユーゴスラビアが首位で予選を通過した。監督はその後、日本代表の監督を務めるイビチャ・オシム、主力選手は名古屋でプレーした「ピクシー」ことドラガン・ストイコビッチで、予選の得点王はダルコ・パンチェフ――91年のトヨタカップでレッドスター・ベオグラードの一員として来日し、チリのコロコロを下してクラブ世界一にも輝いた。

しかしユーゴスラビアは内戦の激化により、92年5月30日に国連安全保障理事会決議でスポーツを含めてあらゆる国際交流が禁止されたため、FIFA(国際サッカー連盟)とUEFA(欧州サッカー連盟)もユーゴスラビアのEUROへの出場を取り消し、代わって2位のデンマークに出場権を与えた。

ユーゴスラビア代表はすでに開催地のスウェーデンに入国していたが、そのまま帰国を余儀なくされ、一方バカンス中だったデンマークの選手は急きょ招集されてスウェーデン入りした。

オシム監督も内戦が激化するなかユーゴスラビア代表の監督を辞任。選手にも民族間の対立があったユーゴスラビア代表は、国家の解体に歩調を合わせて崩壊した。

こうして迎えた本大会で、グループAは地元スウェーデンが首位で準決勝に進出。2位はイタリアW杯ベスト4のイングランドが有力視されていたが、1勝もできず2分け1敗の最下位に沈む。代わって2位でベスト4に勝ち進んだのがデンマークだった。

GKピーター・シュマイケルを中心にした堅守でしぶとく勝点を稼いだ。現在行われているEUROでデンマークのゴールを守るGKカスパー・シュマイケルはピーターの息子ということも因縁を感じさせる。

一方グループBではファン・バステン、フランク・ライカールトやデニス・ベルカンプ擁するオランダが首位で通過。ユルゲン・クリンスマン、ステファン・エッフェンベルクら豪華な攻撃陣を誇る世界王者ドイツは2位で勝ち上がった。

地元スウェーデンもトマス・ブロリンら好選手を揃えていたものの準決勝でドイツに2-3と惜敗。そしてデンマークはオランダとの死闘を2-2からのPK戦を5-4で制して決勝戦に進出。すると決勝戦でも2-0の勝利を収め、代替出場で欧州制覇という偉業を達成した。

「もしもユーゴスラビアがそのまま出場していたらEUROで優勝したか」とは、当時の世界中のジャーナリストとファンが考えたテーマだった。もちろん、その問いに答えはない。あるのは、輝かしい才能を持った偉大なチームが崩壊してしまったという事実だけだった。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた


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日本サッカー歴代ベストマッチ5/六川亨の日本サッカー見聞録

今年の9月10日で創設100周年を迎えたJFA(日本サッカー協会)だが、サポーティングカンパニーの朝日新聞社は100周年を記念して、インターネット投票でファン・サポーターから「あなたが選ぶ、日本サッカー名勝負」を募った。前回は10位から6位までの5試合を紹介したので、今週はベスト5をお届けしよう。 まず5位は、もっと上位にランクされてもいいのではと思った試合であり、最も身近な一戦だ。2018年7月2日、現在は橋本拳人が所属するロストフで行われたロシアW杯決勝トーナメント1回戦、日本対ベルギー戦(2-3)、いわゆる「ロストフの悲劇」である。 この試合を現地で取材した際は、記者席の隣の隣にベルギー人記者3人が並んで座っていた。後半に入り原口元気と乾貴士のゴールが決まると彼らはすっかり意気消沈し、背中を丸めるようにして試合を見ていた。しかし2-2の同点に追いつくと途端に元気を取り戻し、背筋を伸ばして「どうだ」とばかりにこちらに視線を向けてくる。そしてアディショナルタイムに入り日本は左CKを獲得したが……。その続きは言うまでもないだろう。こちらは123ポイントを獲得しての5位だった。 4位は、5位とは10ポイント差で、オールドファンの投票が多かったのかもしれない。こちらは「マイアミの奇跡」と呼ばれた1996年のアトランタ五輪グループリーグ初戦のブラジル戦(1-0)である。各年代を通じて初めてブラジルを倒した歴史的な一戦でもある。GK川口能活が“神がかった"セーブを連発してブラジルの猛攻をシャットアウト。そしてGKジダとCBアウダイールの連係ミスから最後はMF伊東輝悦が決勝点を奪った。指揮官は、後に「ロストフの悲劇」を味わうことになる西野朗監督だった。 3位(151ポイント)は、今回のベスト10では最も古い試合となる1993年10月28日のアメリカW杯アジア最終予選、日本対イラク戦(2-2)である。初の外国人監督であるハンス・オフトに率いられた日本は、初戦でサウジアラビアと引き分け、続くイランには完敗と不安なスタートだったが、北朝鮮と韓国に完勝して初のW杯出場に“王手"をかけた。あとは最終戦のイラク戦に勝つだけ。試合は1-0、1-1、2-1と常に日本がリードしていたものの、試合終了間際、イラクの右CKからオムラムに同点ヘッドを許し、W杯出場は消滅した。世に言う「ドーハの悲劇」である。この敗戦で選手たちの受けたダメージは計り知れないと思ったものの、再開されたJリーグでは誰もが気迫のこもったプレーを見せたことに、“プロ"の魂を感じずにはいられなかった。 といったところで2位(175ポイント)である。こちらは正直意外だったが、改めて考えると納得できる選出でもある。今から10年前の2011年7月17日、ドイツW杯女子決勝の日本対アメリカ戦(2-2、3PK1)である。ショートパスによるポゼッションスタイルの日本女子サッカーが、澤穂希らピークを迎えた選手を擁して世界一になった試合でもある。1-2で迎えた試合終盤、日本は左CKからエースの澤が起死回生の同点ゴールを決めた。この大会の澤は、“キング"カズと同様に「何かやってくれるかもしれない」という期待感があり、見事それに応えた。未曾有の災害だった東日本大震災から4ヶ月後、明るい話題となった“なでしこジャパン"の快挙だった。 いよいよ残すは1位となった。ここまでくれば、1位の試合を想像できるかもしれない。176ポイントを獲得して1位となったのは、1997年11月16日、マレーシアのジョホールバルで開催されたフランスW杯アジア最終予選の第3代表決定戦、日本対イラン戦(3-2)である。先制したものの逆転され、同点に追いついて突入した延長戦。岡田武史監督から切り札として投入された俊足FW岡野雅行は決定機を何度も外した。そのたびに「岡野~!」とテレビの前で叫んだファンも多かったのではないだろうか。しかし、そんな岡野が中田英寿のシュートのリバウンドをスライディングしながら押し込んでVゴールを奪い、日本を初のW杯に導いた。「ジョホールバルの歓喜」とも言われた試合が1位になったのは当然かもしれない。 以上が、ファン・サポーターの選んだ「あなたが選ぶ、日本サッカー名勝負」のベスト10だ。ランキングには11位以下29位までにも興味深い試合が多々ある。ランキングされた試合で一番古いのは1985年のW杯予選で、逆に最も新しいのは2021年3月の国際親善試合だが、対戦相手はいずれも同じ国というのがヒントである。逆に彼らとの対戦がベスト10にランキングされなかったのも意外と言えば意外だった。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.09.25 12:00 Sat
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JFA100周年で歴代ベストマッチ10/六川亨の日本サッカー見聞録

去る9月10日、JFA(日本サッカー協会)は創設100周年を迎え、舞浜にあるシアターで200人以上のゲストを招いて記念式典を開催した。JFAの前身である大日本蹴球協会(戦後に日本蹴球協会と名称を変更)が誕生したのは1921年(大正10年)9月10日のことだった。 日本サッカー協会と改称したのは1974年と、西ドイツW杯が開催された年のため“クライフ旋風”を記憶しているオールドファンも多いだろう。それでも半世紀も前のことだから、改めて月日の流れる早さを感じずにはいられない。 式典にはFIFA(国際サッカー連盟)のジャンニ・インファンティーノ会長も祝福のビデオメッセージを寄せるなど祝賀ムードに包まれた。そしてゲストには、釜本邦茂氏をはじめとするメキシコ銅メダル組はもちろんのこと、日本人プロ第1号の奥寺康彦氏、サッカー教室で日本全国を回り普及に貢献したセルジオ越後氏、18年にJFAの殿堂入りしたラモス瑠偉氏らが元気な姿を見せて関係者と旧交を温め合っていた。 記念式典では日本サッカーの歴史を振り返りつつ、ゲストがステージに登壇して当時の思い出を語ったが、もう一つ興味深かったのが、JFAのサポーティングカンパニーである朝日新聞社が企画した「あなたが選ぶ、日本サッカー名勝負」の発表だった。 こちらはタブロイド版8ページの新聞でベスト29(同数で並んだ試合があるため実際はベスト32)まで発表されたので、そのうちのベスト10を紹介しよう。W杯か五輪絡みの試合が上位に来ていることは、読者の想像通りである。 まず10位(56ポイント)は意外にも、日本代表の試合ではなく2016年12月18日のクラブW杯決勝、レアル対鹿島の試合だった。初めてクラブW杯に出場した鹿島が難敵を退けて決勝戦に進出。レアルとの決勝では柴崎岳が2ゴールを決めて“白い巨人”を慌てさせた試合といえば、思い出す読者もいるのではないだろうか。 9位(61ポイント)は、オールドファンの得票が多かったのだろう。1968年10月24日のメキシコ五輪3位決定戦で、日本が釜本氏の2ゴールでメキシコを2-0と下し、銅メダルを獲得した試合だ。その後、日本は12年ロンドン五輪と21年東京五輪で3位決定戦に勝ち進んだが、あと一歩及ばすメダルを逃している。もしも銅メダルを獲得していれば、メキシコ五輪より上位にランクされたのかどうか。こちらは24年のパリ五輪で確かめられることを期待したい。 8位(80ポイント)も意外なようで、「なるほど」と納得できる選出だ。1995年5月15日といえば、もうお分かりだろう。記念すべきJリーグの開幕戦、オランダ人ストライカーのマイヤーのミドルシュートで先制したヴェルディ川崎だったが、1979年ワールドユース得点王のラモン・ディアスの決勝点で横浜マリノスが2-1と逆転勝利を収めた試合だ。ディアスはその後もゴールを重ね、Jリーグ初代得点王に輝いた。 7位からはW杯の試合が登場する。まずは2002年日韓W杯グループリーグ初戦、日本対ベルギーの試合だ(81ポイントと7位とは僅差)。埼玉スタジアムでの開幕戦、ビルモッツのゴールで先制された日本だったが、小野伸二のタテパスに鈴木隆行が足を伸ばして同点ゴールを押し込む。その後も稲本潤一がドリブル突破から逆転シュート決めたものの、追いつかれて2-2のドロー。しかし日本はW杯初の勝点1をゲットした。 6位も同じく日韓W杯のグループリーグ、日本対ロシア戦(91ポイント)だった。舞台を横浜国際(日産スタジアム)に移しての第2戦、日本は初戦で負傷した森岡隆三に代わり宮本恒靖が3バックの中央に入った。そして中田浩二の左アーリークロスをゴール中央で柳沢敦が落とすと、走り込んだ稲本が右足で突き刺し決勝点。勝点を4に伸ばし、決勝トーナメント進出に大きく前進した。 5位は、予想通りベストテン入りした試合だが、もっと上位にランクインしてもいい試合ではないかと思った。ここらあたり、もしかしたら投票者の年齢層が関係しているかもしれない。といったところで、ベスト5の紹介は来週に譲りたい。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.09.18 10:40 Sat
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クラブW杯ってあったの?/六川亨の日本サッカー見聞録

FIFAクラブW杯が今年日本で開催されることを知っているサッカーファンはどれだけいるだろうか? 当初の予定では12月9日から19日にかけて、首都圏を中心に開催される予定で、先シーズンのCLを制したチェルシー、オセアニアからはオークランド・シティ(ニュージーランド)、アフリカからはエジプトのアル・アハリの出場が決まっていた。 これに今シーズンのJ1リーグ王者と、川崎F、名古屋、C大阪が勝ち残っているACLの覇者、そして南米と北中米の優勝チームの計7チームが参戦して開催される予定だった。 しかし9日に開催されたJFA(日本サッカー協会)理事会で、「新型コロナの予測が難しい」ことに加え、「有観客で開催できるかどうかも不透明」(須原専務理事)なことから、日本は開催を返上することを決定した。 有観客にすると、世界中から選手と関係者に加えて各チームのファン・サポーターも集まる可能性がある。感染の拡大を防止するためにはそれなりの処置が必要になるものの、有観客にしたとしてもEUROの決勝のように5万~6万の入場者を入れることは日本ではできない。上限を制限するのは当然として、そうなると入場料収入の減少は避けられないだろう。 このためFIFAとは開催を見送る方向で協議を重ねてきた結果、JFAは開催の返上を正式に決めFIFAに通達した。今後の代替開催についてはFIFAが検討することになる。 そしてクラブW杯の開催を返上したことで、天皇杯の日程も正式決定した。すでに準々決勝は10月27日に開催されることは決まっていたが、9日の理事会で準決勝は12月12日、決勝は12月19日に国立競技場で開催されることが決定した。 天皇杯の決勝といえば、永年元旦の風物詩でもあった。かつては明治神宮で初詣を済ませた和服姿の女性が国立競技場のスタンドにはいたものだ。 須原専務理事も「サッカー協会としては(決勝は)1月1日がふさわしいし」と従来通りの開催を希望する。しかし「選手のコンディションに配慮すればリーグと天皇杯のオフを揃えたい。クラブW杯がないならシーズン終了を揃えたい」と“選手ファースト”を考慮しての変更を明かした。 従来、1月の日本のサッカーカレンダーは基本的にオフだった。厳寒だから当然だ。しかし19年は1月にUAEでアジアカップが開催され、翌20年1月はタイで東京五輪の最終予選を兼ねたAFC U-23アジア選手権が開催された。来年1月にアジアの主要大会は予定されていないものの、サッカーカレンダーをアジアに揃える必要は以前からあった。 その意味でもオフを早める今回の決定は賛成である。今シーズンのJ1リーグは20チームでリーグ戦を実施したし、東京五輪・パラリンピックの影響でアウェーの連戦を強いられたチームもある。チームによっては、19年のW杯ラグビー、20年は延期されたものの東京五輪のために、2年連続してアウェーの過密日程を組まれたチームがあった。 それでもチームから不満の声が漏れてこないのが、日本らしいと言えば日本らしい“美徳”でもある。そんな彼らには、是非とも来シーズンの捲土重来を期待したい。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.09.10 21:00 Fri
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オマーンに黒星スタートで早くも正念場/六川亨の日本サッカー見聞録

オーストラリアとサウジアラビアは5年前の9月にスタートしたW杯アジア最終予選と同じメンバーだ。当時のUAEが今回はオマーンであり、同じようにイラクは中国、タイはベトナムに置き換えることができる。 そして日本は5年前、清武のFKから本田圭祐が先制点を奪ったものの、FKとPKから逆転を許し、78分の浅野拓磨のボレーシュートも主審はゴールと認めず、日本はW杯最終予選で、さらには埼玉スタジアムで初黒星を喫した。 それでも本田や香川真司、大島僚太らが惜しいシュートを放つなど、UAEゴールを脅かした。日本の誤算としては、オマル・アブドゥルラフマンという右サイドからゲームを組み立てる、中東史上最高のコントロールタワーを過小評価したことかもしれない。 ただ、その“借り”はアウェーで左MFの原口元気と左SB今野泰幸がオマルをきっちり封じて返した。 ところがオマーン戦である。同じ黒星スタートでも、今回は内容があまりにも悪すぎた。シュート数でも枠内シュート数、CK、FKといったデータはいずれもオマーンが上回った。海外組が多いことによる移動と時差のハンデはあるものの、これまでの日本は「それでも勝って」きた。しかしオマーン戦は、敗れただけでなく中国戦に期待できる好材料が何もないないのが深刻だ。 日本の決定機は前半22分に吉田麻也のロングパスを伊東純也が巧トラップからシュートに持ち込んだが、GKの顔面ブロックにより防がれた1回だけ。1トップの大迫勇也はCBのマンマークとボランチのプレスバックにより自由を奪われポストプレーを封じられた。トップ下の鎌田大地も狭いスペースでのプレーから、大迫の落としをなかなか受けられず、2次攻撃へと展開できなかった。 さらに伊東と古橋亨梧は、オマーンの両サイドバックを相手に自慢のスピードを発揮することができなかった。オマーンの両SBは、2人に負けず劣らずスピードがある。後半2分に右SBアルハルティがドリブルで攻め上がったが、古橋は自陣近くになってやっと追いつけたほど、アルハルティのドリブルにはスピードがあった。 試合を見ていて、「日本のストロングポイントはことごとく消されている」と感じたものだ。 チームを率いるブランコ・イバンコビッチ監督は、古くは02年に釜山で行われたアジア大会決勝で、山本ジャパン(U-21日本代表)を破って優勝しているし、05年にはイランの監督としてホームのアザディ・スタジアムでジーコジャパンから勝利を奪っている。そんなベテラン監督だけに、日本の攻撃パターンをしっかり研究し、対策を立ててきた。 試合をしていて選手には「一筋縄ではいかない」と感じたなら、例えば伊東は原口とポジションチェンジして左に回るとか、大迫との2トップにシステムを変更するなどの工夫が欲しかった。それは森保監督も同様だ。 すでに日本代表は3日の朝にドーハ入りし、同日の夕方にはホテルへ移動して検査の結果待ちだ。昨日ドーハで開催されたオーストラリア対中国戦はホームのオーストラリアが3-0で勝っている。日本と同じ連敗スタートとなった中国は、これもホームとなるドーハでの日本戦に必死に勝ちにくることが予想される。 中国も、身体能力では日本を上回る。そうした相手に森保監督がどんなスタメンを選択するのか。万が一連敗するようなことがあれば進退問題に発展するかもしれないだけに、両国にとって極めて重要な一戦と言える。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.09.04 10:45 Sat
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歴史に残るスリリングな一戦/六川亨の日本サッカー見聞録

カタールW杯アジア最終予選に臨む日本代表24名が26日に発表された。初招集はGKの谷晃生ただ一人で、東京五輪組(OA枠は除く)からは中山雄太、冨安健洋、板倉滉、堂安律、久保建英の5人が入った。 日本は9月2日、ホームにオマーンを迎える。前回のロシアW杯最終予選の初戦では、埼玉スタジアムでUAEにまさかの敗戦を喫しただけに、森保ジャパンには前車の轍を踏まないことを願うばかりだ。 その森保ジャパンの顔ぶれだが、相変わらず左SBの人材不足は解消されていないようだ。長友佑都の控えは佐々木翔と中山という、いつもと同じ人選。長友は所属クラブを模索している最中なので、コンディションが万全ではないかもしれないし、もしかしたら代表を辞退する可能性も否定できない。対戦相手とのマッチングにもよるが、4BKではなく3BKも視野に入れてオマーン戦と中国戦に備えた方がいいかもしれない。 攻撃陣では26日のELプレーオフ第2戦で先制ゴールを決めるなど、セルティックで好調を持続している古橋亨梧のプレーが楽しみだ。ポスト大迫として名乗りを上げるのか。もう26歳と決して若くはないが、いまが最盛期を迎えているストライカーだけに今予選でのブレイクを期待したい。 そしてJ1リーグでは、第26節で上位陣が順当に勝利を収めるなか、ついに首位の川崎Fの無敗記録がストップした。敵地に乗り込んでの一戦は福岡に0-1の完封負け。これで東京五輪後に田中碧と三笘薫が抜けた直後の試合こそ大分に勝ったものの、その後は2分け1敗と勝ちきれない試合が続いている。 その間に、横浜FMは4連勝で勝点を積み上げ、4試合で奪ったゴールは16、失点は僅か1ということで、得失点差でも+19で川崎Fと並んだ。川崎Fの独走かと思われたJ1リーグの優勝争いは、横浜FMとのマッチレースに様変わりしたと言っていい。 といったところで今回紹介したいのは、先週のコラムでもお伝えしたビーチサッカーの準々決勝だ。昨晩、タヒチ(15年と17年のW杯で準優勝)と対戦した日本は延長戦の末に5-4の勝利を収め、前回パラグアイ大会に続いてベスト4進出を果たした。 この一戦は、たぶんビーチサッカー史上に残るドラマチックな試合と言っても過言ではないだろう。 グループリーグで1-7と大敗したロシア戦の反省から、タヒチ戦の日本は受け身になることなく試合開始から果敢に攻めた。その甲斐あって5分にOGで先制すると、6分にはエースの山内悠誠がPKから追加点を奪う理想的な展開だった。ところが第2ピリオド(12分×3本)に1点を返されると、第3ピリオドでは31分にカウンターから失点して同点に追いつかれた。 さらに残り23秒で上里琢文がOGを献上し、2-3と逆転を許してしまう。ピッチサイドで観戦していた日本人の女性サポーターも茫然自失の表情で、それをテレビカメラは捕らえる。ところが日本は、キックオフからキャプテンの茂怜羅オズが右に出したパスを大場崇晃が砂地に叩きつけるシュートを決め、残り19秒で3-3の同点に追いついた。 試合は3分間の延長戦に突入し、日本はキックオフから攻め込み右CKを獲得すると、赤熊卓弥のヘッドによる折り返しを奥山正憲が決めて勝ち越しに成功。開始から19秒の早業だった。ところが30秒後、今度はタヒチの選手が歓喜の輪を作る。4-4の同点で試合は振り出しに戻った。 しかし日本も諦めてはいない。キックオフから攻め込むと、赤熊が執念のオーバーヘッド。これが右ポストを叩いてゴールに転がり込む。失点から11秒後の電光石火の早業だった。試合は残り11秒でタヒチがFKを獲得したが、決定的なシュートをGK河合雄介が2度にわたってセーブ。トータルスコア5-4で日本はタヒチを下してベスト4に進出した。 準決勝の相手はブラジルを延長戦で下したセネガル。ここまでくればチームの実力差はほとんどないようなもの。それでもタヒチ戦の劇的な勝利で、初の決勝戦進出に期待がふくらむ。試合は日本時間の29日の午前2時30分キックオフだ(第1試合のロシア対スイスは午前1時キックオフ)。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.08.28 18:30 Sat
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