沼津が10番MF染矢一樹ら3選手と契約更新
2020.12.29 16:06 Tue
アスルクラロ沼津は29日、MF染矢一樹(34)、MF鈴木拳士郎(24)、FW鈴木厚太(23)と契約を更新したことを発表した。
2009年にFC岐阜でプロキャリアをスタートさせた染矢は、ファジアーノ岡山、大分トリニータを経て2016年7月に沼津へ加入。今季は明治安田生命J3リーグに27試合出場して4得点をマークした。
沼津の下部組織でのプレー経験を持つ鈴木拳士郎は、2020年にカマタマーレ讃岐から沼津へ。J3リーグ25試合の出場で3得点を挙げた。鈴木厚太は専修大学から今季入団。J3リーグ2試合1得点の数字を収めた。
来季も沼津で戦う各選手は、クラブの公式サイトを通じて以下のように意気込みを語っている。
◆染矢一樹
「今年はコロナ禍で大変な中、変わらぬご支援を頂いた各スポンサー企業の皆様、サポート店の皆様、
そしてアスルサポーターの皆さん本当にありがとうございました」
「ここにいる未来ある若い選手達の手本となれるよう、また自分も若い選手に負けないよう来年も走り続けたいと思います。2021年もよろしくお願いします」
「来シーズンもアスルクラロ沼津でプレーさせていただくことになりました! 今年はコロナ禍で大変の中、多大なるご支援、ご声援本当にありがとうございました。ファン、サポーターの皆様の応援が、どれだけ幸せなことで勇気づけられるか、今まで以上に感じられた1年になりました」
「また、今年1年間、地元沼津でプレーさせていただき、本当に地元って素晴らしいところだなと思いました! もっと、もっと地元沼津が好きになりました!
来年は、素晴らしい沼津のことをもっと全国の人に知ってもらうべく、まずはピッチで表現していきたいと思います! 来シーズンも変わらぬご支援、ご声援よろしくお願いします!! 」
◆鈴木厚太
「東部地域、アスルクラロ沼津を応援してくださる皆様、ご支援ご声援ありがとうございます。皆様のおかげでサッカーが出来ること感謝しています。その中で結果が出せず本当に申し訳ありませんでした。結果にこだわって全力で走り続けます。これからも応援よろしくお願いします」
2009年にFC岐阜でプロキャリアをスタートさせた染矢は、ファジアーノ岡山、大分トリニータを経て2016年7月に沼津へ加入。今季は明治安田生命J3リーグに27試合出場して4得点をマークした。
沼津の下部組織でのプレー経験を持つ鈴木拳士郎は、2020年にカマタマーレ讃岐から沼津へ。J3リーグ25試合の出場で3得点を挙げた。鈴木厚太は専修大学から今季入団。J3リーグ2試合1得点の数字を収めた。
◆染矢一樹
「今年はコロナ禍で大変な中、変わらぬご支援を頂いた各スポンサー企業の皆様、サポート店の皆様、
そしてアスルサポーターの皆さん本当にありがとうございました」
「ここにいる未来ある若い選手達の手本となれるよう、また自分も若い選手に負けないよう来年も走り続けたいと思います。2021年もよろしくお願いします」
◆鈴木拳士郎
「来シーズンもアスルクラロ沼津でプレーさせていただくことになりました! 今年はコロナ禍で大変の中、多大なるご支援、ご声援本当にありがとうございました。ファン、サポーターの皆様の応援が、どれだけ幸せなことで勇気づけられるか、今まで以上に感じられた1年になりました」
「また、今年1年間、地元沼津でプレーさせていただき、本当に地元って素晴らしいところだなと思いました! もっと、もっと地元沼津が好きになりました!
来年は、素晴らしい沼津のことをもっと全国の人に知ってもらうべく、まずはピッチで表現していきたいと思います! 来シーズンも変わらぬご支援、ご声援よろしくお願いします!! 」
◆鈴木厚太
「東部地域、アスルクラロ沼津を応援してくださる皆様、ご支援ご声援ありがとうございます。皆様のおかげでサッカーが出来ること感謝しています。その中で結果が出せず本当に申し訳ありませんでした。結果にこだわって全力で走り続けます。これからも応援よろしくお願いします」
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ゴンさんの場合は1998年の…</span> ゴン「あのときはパラメヒコですね。だから、ずっとパラメヒコなんですよ。心残りはアルゼンチン戦のときに、パラメヒコのポイント取り替え式の方を履いてしまったことがあったこと。それまではずーっと、そうじゃないやつをこだわりで履き続けていた」 「アップのときに、バティストゥータが取り替え式を履いてたんですよ。それを見て『バディが取り替えだ! じゃあ、俺も取り替え式履かなきゃ』となってしまった。自分の弱さに情けなさを感じてしまいました」 <span style="font-weight:700;">──カズさんはどうですか?</span> カズ「チャリティや、オールスターという舞台のときには、必ずプーマの方がその試合用に用意してくれるんですけど、アップのときに履くのに、本番になるといつも履いてるやつを履いちゃうんですよ」 「だけど、あのチャリティゲームだけは、用意されたやつをたまたま履いたんです。いつも持って来てくれる人がいるんですけど、持ってきたやつを履いてないと、泣きそうな顔をするんです。あの試合はぶっつけ本番で履いたんですよ」 <span style="font-weight:700;">──新作の「evoTOUCH J」はどうですか?</span> ゴン「軽いですね」 カズ「今のスパイクは軽いですね。このスパイク、ハイカットになってても軽いですね」 ゴン「ステッチがなくなってる! 僕、ステッチが好きなんです。パラメヒコももう4本ステッチを入れてくれと要求しているんですけど、これはなくても伸びないんですよね? 素晴らしいですね」 カズ「日本人向きに作ってるんですよね? 日本人には履きやすいと思う。さっきちょっと履いたけど、最初の履き心地が良かったです」 ゴン「ソール短くないですか?! 大丈夫ですか?! 大丈夫ですね」 カズ「これでボール蹴ってみたいですね」 ゴン「日本だけでなく、世界でもこれから使用されていくということですか?」 カズ「ヨーロッパでやっている選手も履くんですか?」 司「履く機会はありますよね。もちろん」 <span style="font-weight:700;">──デザインとかどうですか?</span> ゴン「今は派手ですよね、白、黄色、ピンク、赤…いろいろありますよね。カズさんはどうなんですか?」 カズ「そのへんも、全くこだわりがなくなっちゃいました」 <span style="font-weight:700;">──昔はカラーの制限も厳しかったですよね</span> カズ「そうですね。ブラジル時代、派手なのを履いていたら、チームの人に結構言われましたよ。黒ベースで白ラインが入っているのが主流でしたからね。『今日のプレーが悪いと叩かれるからそれ(派手なスパイク)を履くな』って言われてましたよ」 ゴン「今は黒が珍しいですよね。グラウンド上で黒いスパイク履いている人が少なくなっちゃいましたもんね。でも、黒でしょ! やっぱり黒に白がいいかな。黒に赤も好きでしたけど、黒にした方が良いなと。ゲン担ぎも兼ねてですね」 <span style="font-weight:700;">──話を聞いているとこだわりがいっぱいありますね。刺繍でいろんなメッセージ性の強いものもありましたよね?</span> カズ「そうですね。日の丸を入れてもらったりとか。まだ当時、それこそ20年以上も前のことですけど、当時好きなロゴを入れたりするのはなかったですから、珍しかったですよね」 ゴン「走りですよ。カズさんが1番最初だったんですよ。僕、ドーハのとき、手書きだったんですよ。帰ってきてから、刺繍になったんですよ」 <span style="font-weight:700;">──カズさんが高校1年生の12月にブラジルへと渡って34年が経ちますが</span> 「思い出したりしますね。先週、久しぶりに息子と2人で静岡に帰ったんですけど、静岡駅から旅立ったときのことをちょうどしてたんですよ。『ここからブラジル行ったんだよ』と」 <span style="font-weight:700;">──新CMはご覧になられましたか?</span> ゴン「あれ藤枝東ですよね?! あれは藤枝東ですよ! あの廊下と廊下の引き扉とか! あれは藤枝東ですよ! 今、藤枝東は人工芝にもなってますもんね! 僕は知ってます!」 カズ「僕は静学にいた期間短かったから全然覚えてない」 ゴン「静学も変わってますよ」 カズ「通ってた場所になかったから。最後に行ったとき、さら地だった笑 移転したんでしょうね」 <span style="font-weight:700;">──今の高校生とご自身の高校時代の違いはありますか?</span> ゴン「技術が非常に長けているなと。あと、戦術重視で戦っているなと。自分たちのことは、あそこまで細かい戦術はなかった。僕がいた頃は堅守速攻という形だったんで」 カズ「あるじゃない」 ゴン「でも、そんなに細かい戦術はあまり記憶にない。あったのかもしれないけど、僕はとにかく裏に走っていただけだったので」 <span style="font-weight:700;">──カズさんはどのように感じられておいでですか?</span> 「戦術ありきになっているところがあるので、自分で考える力がなくなってきているのかなと。日本人の欠点としてよく言われているけど、選手かわ試合中ベンチを見ているっていうね」 「僕はブラジルにいましたけども、ブラジルの子供たちの高校生年代には見られない光景です。やりかたはあるにしても、自分で判断して自分でやっていきますから。勝っているときに守るのか、攻めるのか、日本人はベンチに向かって聞いてますから。高校生はそういうのがありますよね」 ゴン「それこそ今、養わないといけない課題として周りが動いていることだと思うんですよ。判断力だったり、そういうことがグラウンドの上でなされれば、自立もできるだろうし。自分たちがどうやって攻めるのか、守るのかにつながっていくんじゃないかなと」 「僕、高校3年とき、カズさん見たときに強烈でしたよ。またぐ、またぐ。そのとき、ディフェンスやってましたから。負けるたびに坊主でしたから。そのときはカズさんじゃなくて、『カズ、スゲー』って言っているときの時代でした」 「大学卒業してすぐブラジル留学させてもらったときに、サントスのカズがいたんですよ」 カズ「前座試合出てたよね。サントスがモジミリンのホームに行っていたんですけど、モジミリンとどこかのクラブが試合していて、サテライトみたいなチームでゴンちゃんが試合に出ていた。その試合の後、2人で会ったんです」 ゴン「そう。で、帰国する直前にまたサウナで会ったんですよ」 カズ「で、きーちゃんもいたね」 ゴン「北澤がホンダでプレーしていて、留学していたんですよ!」 カズ「黒崎とね」 ゴン「北澤と黒崎がサンパウロFCに3カ月留学していたんですよ。そういう時代ですよ。きーちゃんはまだ長髪じゃなかったよね」 カズ「ゴンちゃんがヤマハに入って留学して、ホンダも若い選手をブラジルに送っていたんですよね」 ゴン「今、ヨーロッパに行く人が多くなっているけど、ブラジルに行く人はほとんどなくなっている。でも、ブラジル行ったらハングリーになりますよね」 カズ「そうね。ウチの若い選手も3年前にブラジルに行ってたのがいた。やっぱりレベルが高いって言ってましたよ」 ゴン「サッカーのレベルも高いですし、物もパクられる。そこでディフェンス力も鍛えられる」 カズ「危機管理がね。盗まれなかった?」 ゴン「僕は危機管理能力が高いので大丈夫でした。常にスーツケースに鍵をつけていました」 <span style="font-weight:700;">──来年でお二方50歳。プロとしては32年になりますけども</span> カズ「そうですね。頑張りたいですね。でも、やるからには役に立たないといけないんでね、準備して、ピッチに立てるようにしたいですね」 ゴン「どういう形で関わるかわからないですけど、やるんだったら、チームのためになるように努力していきたいですし、やるからには高いところを目指して日々挑戦していきたいですね」 2016.12.01 23:52 Thu5