今夏にトッテナム移籍のレギロン、「激しい監督」のモウリーニョを称賛!
2020.11.04 15:20 Wed
今夏にレアル・マドリーからトッテナムに移籍したスペイン代表DFセルヒオ・レギロンは、新たなクラブでの生活に満足しているようだ。スペイン『アス』が伝えている。
マドリーのカンテラ出身であるレギロンは、2018-19シーズンにトップチームデビューを果たすと、当時指揮官だったサンティアゴ・ソラーリに重用され、ブラジル代表DFマルセロからポジションを奪うほどの活躍を見せた。
しかし、ジネディーヌ・ジダン監督がマドリーの指揮官に再任すると出場機会は激減。今夏に出場機会を求め、トッテナムへ移籍した。ノースロンドンのクラブではここまで公式戦7試合に出場しており、主軸の座を担っている。
スペイン『El Larguero de la SER』に出演したレギロンは、移籍の際ジダン監督と話しをすることはなかったと明かしつつ、現在のチームメイトやジョゼ・モウリーニョ監督に満足していると話した。
「僕は監督(ジダン)と話をせず、クラブと話し合いをした。彼らが僕の仕事についてどう思ってくれているかは分かっていたけど、決断の必要があったんだ。監督に説明を求めた方が都合は良かったかもしれないけど、そうしなかった。人にはそれぞれ好みがあるしね。年齢を考えると、プレーし続ける必要があったんだ」
「モウリーニョは本当に素晴らしいよ。彼が僕に走れと言ってきたら、真っ先に走るんだ。僕はこういう激しい監督が好きだ。彼は勝てないと他の監督と同じように怒るけど、同時にとても親密な人だよ」
インタビューの中でレギロンは、自身と同じタイミングでマドリーからトッテナムに1年間のレンタルで移籍したFWガレス・ベイルについて、マドリーでとは違った姿を見せていると話した。
「ベイルは変わったように見えるね。彼にとって言語がすべてだった。彼のスペイン語は僕の英語と同程度だったから。イングランドの習慣が、彼をより快適にしていると思う。一番驚いたのは、クラブが彼のためにゴルフ場を用意しているってことだった。彼はマドリーでも悪くなかったし、僕なら彼と契約するだろうけど、彼が(マドリーに)戻ってくるかは分からないね」
また、レギロンの契約にはマドリーの買い戻しオプションが付随しているが、本人もインタビューのなかで「マドリードは僕の故郷で、すべてを与えてくれた場所だ。将来的なことは分からないけど、戻ってくる可能性はあると思う」と語っている。
マドリーのカンテラ出身であるレギロンは、2018-19シーズンにトップチームデビューを果たすと、当時指揮官だったサンティアゴ・ソラーリに重用され、ブラジル代表DFマルセロからポジションを奪うほどの活躍を見せた。
しかし、ジネディーヌ・ジダン監督がマドリーの指揮官に再任すると出場機会は激減。今夏に出場機会を求め、トッテナムへ移籍した。ノースロンドンのクラブではここまで公式戦7試合に出場しており、主軸の座を担っている。
「僕は監督(ジダン)と話をせず、クラブと話し合いをした。彼らが僕の仕事についてどう思ってくれているかは分かっていたけど、決断の必要があったんだ。監督に説明を求めた方が都合は良かったかもしれないけど、そうしなかった。人にはそれぞれ好みがあるしね。年齢を考えると、プレーし続ける必要があったんだ」
「イングランドの時間にはまだ適応していないんだ。5時になるとすべてが暗く見えるしね。プレミアリーグの環境にはうまく適応していると思う。チームメイトのみんなと一緒にいるのは最高だよ。特にソン(・フンミン)と(ピエール=エメリク・)ホイビュルクは良い奴らだ。ここには良いグループがあるよ」
「モウリーニョは本当に素晴らしいよ。彼が僕に走れと言ってきたら、真っ先に走るんだ。僕はこういう激しい監督が好きだ。彼は勝てないと他の監督と同じように怒るけど、同時にとても親密な人だよ」
インタビューの中でレギロンは、自身と同じタイミングでマドリーからトッテナムに1年間のレンタルで移籍したFWガレス・ベイルについて、マドリーでとは違った姿を見せていると話した。
「ベイルは変わったように見えるね。彼にとって言語がすべてだった。彼のスペイン語は僕の英語と同程度だったから。イングランドの習慣が、彼をより快適にしていると思う。一番驚いたのは、クラブが彼のためにゴルフ場を用意しているってことだった。彼はマドリーでも悪くなかったし、僕なら彼と契約するだろうけど、彼が(マドリーに)戻ってくるかは分からないね」
また、レギロンの契約にはマドリーの買い戻しオプションが付随しているが、本人もインタビューのなかで「マドリードは僕の故郷で、すべてを与えてくれた場所だ。将来的なことは分からないけど、戻ってくる可能性はあると思う」と語っている。
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あの日を最後に18年…マテラッツィ氏が改めて「ジダンと会いたい」
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貴重?メッシからのユニフォーム交換の申し出に相手GKも驚き
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終焉を迎えたレアル・マドリーのサイクル⑤~第一次ジダン体制プレイバック~
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トッテナムで活躍するイングランド人DFジェド・スペンスは、これまで正当な扱いを受けていなかったと不満を漏らした。イギリス『イブニング・スタンダード』が伝えている。 2022年夏に、ミドルズブラからトッテナム加入を果たしたスペンス。しかし当時の指揮官だったアントニオ・コンテ監督からは冷遇され、チームで居場所を得られず。その後、2023年夏からクラブにはアンジェ・ポステコグルー監督が就任したが、ここでも信頼を掴めなかったことでレンタル移籍が続いていた。 昨夏トッテナムへ復帰するも、ポステコグルー監督からの評価は上がらぬまま、序盤はベンチが定位置に。それでも、負傷者続出の影響もあってシーズン中盤から出場機会を掴むとついに真価を発揮し、ここまで公式戦24試合2ゴール2アシストを記録している ファンからの評価も鰻登りのスペンスだが、やはりこれまで受けていた扱いには不満だった様子。元イングランド代表DFであるリオ・ファーディナンド氏との対談の中でスペンスは、トッテナムでのこれまでのキャリアを振り返り不満を口にしつつ、ようやく掴んだ現在の充実をキープしたいと意気込んでいる。 「(コンテ監督からの扱いに)良い気分ではなかった。特にあの時、クラブにやって来た時は自信に満ち、興奮していたんだ。前所属先で昇格を勝ち取ったばかりだったしね」 「そこから、レンガの壁にぶつかったような気分になった。自信も少し打ち砕かれてしまったよ。僕は若い選手だったし、(望む補強ではなかったと)監督から聞いて良い気分にはなれないさ」 「その時は、くだらないと思っていた。良い気分でもなかった。練習に行く時だって『自分は何をやっているんだろう』と思っていたよ。僕が何をしたって、あの男(コンテ)は何も喜んでいなかったと思う」 「だから、たとえ正しいことをしたとしても、『自分は正しいことをしたのか?』という感じだった。彼はあまり褒めてくれる男ではないからね」 「監督からの評価なんて必要ないって思うようになるんだ。何があっても『あぁ』となるだけだ。彼と会話したのは、おそらく1回だけだった」 「そこから新しい監督が来れば、『よし、全員に公平なチャンスが与えられるはずだ。彼(ポステコグルー)は全員に目を向けてくれる』と思うものだろう。でも、僕の扱いを見れば本当にそうだったとは思わない。それもフットボールというゲームの一部だけどね。公平ではないんだ」 「ポステコグルー監督は基本的に、クラブから出て違うところでプレーする必要があると言っただけだった。そしてそれが、僕がリーズに行くことになったきっかけでもある」 「自分に相応しいと思うチャンスが得られないこともあるさ。でも、僕は常に自分が十分に優れていると理解していた。人々は『彼が2度目のチャンスを得て、うまくやっているのは良いことだ』と言う。でも、僕に最初のチャンスが本当にあったとは思わない」 「これこそ僕の最初のチャンスであり、それを掴んだんだ。一生懸命努力し、一貫性を保ち、準備ができていたことを嬉しく思う」 「(トッテナム加入時は)謙虚になりすぎたせいで、自分を犠牲にしていたとも思う。何もせず、何も言わなければ、物事は自然に起こると思っていたんだ。でも、時には自分を表現しなくてはならない」 「トッテナムでの最初の年、ここはトッテナムだからと考え、選手や周囲に少し敬意を払いすぎたと思う。(ミドルズブラからレンタル移籍していた)ノッティンガム・フォレストを出て、来たのはプレミアリーグのトップ6だ。『ふー、これはすごい』と思っていた」 「でも、彼らに敬意を払いすぎたせいで、自分らしくいられなかった。僕がそこに行ったとき、ハリー・ケインやソニー(ソン・フンミン)のような大物たちを見て、誰の足も踏みたくなかったんだ」 「でも、そうやって自分の本来あるべき姿を表現しなかったのが、おそらく僕の最大の失敗だった。今シーズンはそれが変わったと言えるね。もう無駄にする時間はない。取りに行かなければならない。今がその時だ」 2025.03.25 18:45 Tue2
10年前、当時21歳のベイルがCLで覚醒…!インテル相手に記録した衝撃のハットトリック【CL名場面プレイバック】
20日、遂に新シーズンの幕が上がったチャンピオンズリーグ(CL)。今まで数多くの名場面が生まれてきたが、その中でも選りすぐりの名場面を振り返る。今回は、トッテナム時代のウェールズ代表FWガレス・ベイルが今から10年前に見せた驚愕のハットトリックだ。 育成の名門サウサンプトンで育ったベイルは2007年夏にトッテナムに加入。当初は左サイドバックとしてプレーしていたが、2010-11シーズンに一列前で起用されるようになると、その攻撃力が爆発した。 <div id="cws_ad">◆10年前、伝説となったベイルのサン・シーロでの夜<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJiUGM1dHM4WSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ベイルがその才能を覚醒させるきっかけの1つとなった試合が、2010年10月20日にサン・シーロで行われたCLグループリーグのインテル戦だった。 試合は開始2分でインテルが先制すると、その後8分にはトッテナムのGKエウレリョ・ゴメスが一発退場。10人になったトッテナムは前半だけで4失点と数的不利を背負うという絶望的な状況に置かれた。 しかし後半、ベイルが覚醒する。52分に自陣でボールを持ったベイルがドリブルを開始。相手を寄せ付けない高速ドリブルでぐんぐん加速し、あっという間にボックス左に侵入すると、そのまま左足を振りぬいてシュートを放つ。ゴール右下の完璧なコースに鋭いシュートを突き刺して1点を返した。 その後は膠着状態が続いたものの90分、左サイドのスペースで味方からのボールを得たベイルが、またも高速ドリブルでボックス左に侵入。1点目とほぼ同じ位置からシュートを放つと、再びゴール右下のコースにシュートを突き刺して2点目を奪った。 直後の92分、中央突破に成功したMFアーロン・レノンがペナルティアーク内までボールを運ぶと、ボックス内のベイルにパスを送る。このパスを受けたベイルが再びゴール右下にシュートを突き刺し、1点差に迫る3点目を記録した。 トッテナムの反撃もここまでとなり、試合は4-3でインテルが制したが、当時世界最高のサイドバックの一人であった元ブラジル代表DFマイコンの守るインテルの右サイドを完全に圧倒してのハットトリックは世界に衝撃を与えた。 その後、天職とも言えるポジションを手にしたベイルは、トッテナムの攻撃を牽引し、ワールドクラスのアタッカーへと成長を遂げる。2013年夏にレアル・マドリーへ巨額の移籍金で加入し、数々のタイトルを勝ち取ったベイルは、今シーズンからブレイクを果たしたトッテナムに復帰した。ベイル擁するトッテナムは今季、CL出場を逃しているものの、チームを再びCLの舞台に導く活躍に期待だ。 2020.10.21 20:15 Wed3
アジア人2人目のプスカシュ賞に選ばれたソン・フンミン、ドリブルで独走した試合中は何を考えていた?
トッテナムの韓国代表FWソン・フンミンが、国際サッカー連盟(FIFA)の年間最優秀ゴールに当たるFIFAプスカシュ賞を受賞した。 ソン・フンミンは2019年12月7日に行われたプレミアリーグ第16節のバーンリー戦で、およそ86メートルの距離をドリブルで運ぶ圧巻のソロゴールを決めていた。 <div id="cws_ad">◆プスカシュ賞に選ばれたソン・フンミンのゴール<br><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJncDZTdHNFciIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> 晴れて一般投票で最優秀ゴールに選ばれたソン・フンミンだが、過去にクラブのインタビューでこのゴールについて回想。ドリブルをする中で、最初はMFデレ・アリにパスをしようとしていたことも明かしている。 「まだ試合前のことを覚えているよ。僕たちは力強くポジティブに試合をスタートさせなければならないと言っていた(前節のマンチェスター・ユナイテッド戦は2-1で敗戦)。それが、ハリー(・ケイン)がこの試合で信じられないゴールを決めた理由だと思う」 「そして2-0になって、僕だけでなく選手たちは自信を持っていた。僕がゴールを決めたとき、幸せに感じた。ホームだったしね」 「最初はデレ(・アリ)が空いていたからパスしようとした。でも、相手選手がデレを追いかけ、彼にパスするのはほとんど無理になってしまったんだ。だから自分で行って、加速するべきだと思った」 「そのタイミングをうかがい、加速したら2、3秒後にゴール前にいたんだ。本当に驚いて、走った後にまた試練があった」 「まだフィニッシュの部分に集中していた。このアクションをうまく仕上げたかったんだ。ゴールの前までとても上手くやっていたにも関わらず、ゴールを逃すことを想像してほしい。もしそうなったら、自分にとても腹を立てていたはずだ」 「僕は集中して上手く終わらせることができた。このようなゴールを決められて本当に幸せだよ」 韓国人選手がプスカシュ賞を受賞したのはソン・フンミンが初めて。アジア人選手としては2016年のマレーシア人MFモード・ファイズ・スブリ以来2人目の快挙となる。 2020.12.18 12:22 Fri4
小ブームとなっている“デレ・チャレンジ” あのポーズには先駆者がいた!
▽現在トッテナムの間で小さなブームとなっている“デレ・チャレンジ”。ブームの先駆けである同クラブのイングランド代表MFデレ・アリが、そのゴールパフォーマンスはある人をマネたポーズであることを明かした。イギリス『デイリー・メール』が伝えている。 ▽デレ・アリがロシア・ワールドカップから見せているゴールパフォーマンス…手でOKサインを作り、それを内側に反転させ穴を覗き込むというハンドジェスチャーは、トッテナム界隈で軽くブームになっている。 ▽実はそのパフォーマンスは、デレ・アリのオリジナルではなかったようだ。同選手のコメントによると、代表の同僚のジェイミー・ヴァーディの子供からインスピレーションを受けていたという。 「ワールドカップの時、何日かそれぞれの家族が一緒にホテルで過ごす時間があったんだ。その時に、ヴァーディの息子が周りのみんなにあのポーズができるかどうか訪ねて回っていてね。僕は出来たんだけど、他の子どもたちは出来なくて。それがちょっとおもしろかったんだ」 「その後、ジェシー・リンガードの弟がこのポーズのやり方を紹介していることを知ったよ。実際にどこから来て、誰がやり始めたのかわからないんだ。でも休みの時は友達とみんなでずっとやってたよ。でもここまで広がるとは思っていなかった。少し愉快だったね」 2018.09.06 15:13 Thu5
