リバプールOBがケガに泣いたキャリアを振り返る「乗り越えてきたケガを考えれば素晴らしい功績」
2020.06.10 22:08 Wed
リバプールなどで活躍したブラジル人DFファビオ・アウレリオが自身のキャリアを振り返った。リバプール公式サイトが伝えている。
10代から名門サンパウロで頭角を現したアウレリオは、U-17、U-20カテゴリーとブラジル代表でプレーし、2000年のシドニーオリンピックにの出場した。
その後、21歳でバレンシアに移籍するとすぐさま主力に定着。リーグ屈指の攻撃的な左SBとして2001-2002シーズンにはラファエル・ベニテス監督の下、クラブとして31年ぶりのラ・リーガ制覇に貢献した。
2006年には恩師であるベニテス監督を追って、フリーでリバプールへ移籍。ここでも主力として活躍するも、度重なるケガに苦しみ始め、復帰してレギュラーの座を掴んでは負傷離脱を繰り返した。
しかし、出場した試合では結果を残しており、特に2009年、ライバルであるマンチェスター・ユナイテッド相手に決めた美しいFKはサポーターの記憶に今でも残っている。その後2012年に母国のグレミオへ移籍。その後もじん帯のケガによりほとんどの時間をリハビリに費やし、2014年に現役を引退した。
リバプールのクラブ公式インタビューの中で、自らのキャリアを振り返ったアウレリオは、ケガがなければもっと多くのことを成し遂げられたとしつつも、自身のキャリアには満足していると述べた。
「ブラジル代表チームにも2度召集されたが、1度目はケガで辞退しなければならなかった。2010年のW杯もケガで出場を逃した。あの時、最終候補メンバーに選ばれていたんだ。私の他にSBがおらず、出場する大きなチャンスがあった」
「選手として自信をつけ、チーム内で良いパフォーマンスを見せることができると、もっと自分の能力を見せたいと思うようになる」
「しかし、そこでケガに邪魔されてしまう。そうなれば復帰のために戦い、最初からやり直しだ」
「こういったことに対応するのは精神的にとても難しかった」
「でも、ケガに苦しんだキャリアを終えて思うことは、こんなに多くの問題に悩まされたとしても、これだけのキャリアを築くことができたということだ」
「バレンシアでの6年間とリバプールでの6年間。サンパウロのアカデミーでの2年やトップチームでの2年。3つのクラブで16年を過ごしたことは、キャリアを通して乗り越えてきたケガを考えれば素晴らしい功績だと思うし、幸せだ」
「当然ケガがなければ何を成し遂げられたかと常に考える。私はより多くのことを成し遂げられただろう。しかし、実際にどうなったかは誰も知ることができない」
「だから自分が実際に成し遂げられたことについては幸せだと感じているよ」
10代から名門サンパウロで頭角を現したアウレリオは、U-17、U-20カテゴリーとブラジル代表でプレーし、2000年のシドニーオリンピックにの出場した。
その後、21歳でバレンシアに移籍するとすぐさま主力に定着。リーグ屈指の攻撃的な左SBとして2001-2002シーズンにはラファエル・ベニテス監督の下、クラブとして31年ぶりのラ・リーガ制覇に貢献した。
2006年には恩師であるベニテス監督を追って、フリーでリバプールへ移籍。ここでも主力として活躍するも、度重なるケガに苦しみ始め、復帰してレギュラーの座を掴んでは負傷離脱を繰り返した。
リバプールのクラブ公式インタビューの中で、自らのキャリアを振り返ったアウレリオは、ケガがなければもっと多くのことを成し遂げられたとしつつも、自身のキャリアには満足していると述べた。
「バレンシアにいたときでさえケガに苦しんだよ」
「ブラジル代表チームにも2度召集されたが、1度目はケガで辞退しなければならなかった。2010年のW杯もケガで出場を逃した。あの時、最終候補メンバーに選ばれていたんだ。私の他にSBがおらず、出場する大きなチャンスがあった」
「選手として自信をつけ、チーム内で良いパフォーマンスを見せることができると、もっと自分の能力を見せたいと思うようになる」
「しかし、そこでケガに邪魔されてしまう。そうなれば復帰のために戦い、最初からやり直しだ」
「こういったことに対応するのは精神的にとても難しかった」
「でも、ケガに苦しんだキャリアを終えて思うことは、こんなに多くの問題に悩まされたとしても、これだけのキャリアを築くことができたということだ」
「バレンシアでの6年間とリバプールでの6年間。サンパウロのアカデミーでの2年やトップチームでの2年。3つのクラブで16年を過ごしたことは、キャリアを通して乗り越えてきたケガを考えれば素晴らしい功績だと思うし、幸せだ」
「当然ケガがなければ何を成し遂げられたかと常に考える。私はより多くのことを成し遂げられただろう。しかし、実際にどうなったかは誰も知ることができない」
「だから自分が実際に成し遂げられたことについては幸せだと感じているよ」
ファビオ・アウレリオの関連記事
リバプールの関連記事
プレミアリーグの関連記事
|
リバプールの人気記事ランキング
1
リバプール、16歳エリオットが処分…ケイン軽蔑の悪質動画
リバプールに所属するU-17イングランド代表FWハーヴェイ・エリオット(16)が処分を受けた。イギリス『BBC』が報じた。 処分の理由は、エリオットが昨シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)決勝のリバプールvsトッテナムを観戦中に撮影した動画で、FWハリー・ケインに軽蔑的な言葉を発したためだという。 イングランドサッカー協会(FA)は、10月24日までの14日間にわたるプレー禁止処分を決定。さらに、教育プロブラムの修了と350ポンド(約4万8000円)の罰金も決めている。 エリオットはフルアム在籍時の昨シーズン、16歳60日の史上最年少でプレミアリーグデビュー。今夏にリバプール移籍を果たすと、EFLカップ(カラバオカップ)3回戦のMKドンズ戦で初スタメンを飾った。 なお、リバプールのスポークスマンは「彼はリバプールの選手にふさわしい価値観と振る舞いを学んでいる。それを実践しようとする姿勢を示してくれている」と述べている。 2019.10.12 08:30 Sat2
リバプール新加入の16歳新星がイングランド代表主将に侮辱発言! ピッチ内よりも先に話題に
先月28日にフルアムからリバプールに加入したU-17イングランド代表MFハーヴェイ・エリオット(16)が、ピッチ外で早くも話題を集めているようだ。イギリス『テレグラフ』など複数メディアが伝えた。 昨シーズン、プレミアリーグ最年少出場記録を16歳30日に更新したことで話題となったエリオットは、今夏多くのビッグクラブの関心を集めた中でリバプール加入を選択した。 その注目の16歳はピッチ内で話題を集める前にピッチ外で話題を集めることになった。 事の発端は、同選手がスマートフォン向けのアプリ『Snapchat』で友人に向けて送った短い動画だった。 当時、チャンピオンズリーグ(CL)決勝のリバプールvsトッテナムを観戦していたと思われるエリオットは、トッテナムのエースでありイングランド代表でキャプテンを務めるFWハリー・ケインが画面に映った際に、「F***ing m**g」という侮辱的な言葉を叫んでいた。 そして、最近になってこの動画がSNS上に拡散し、多くの批判に晒されることになった。 この炎上状態を受けてエリオットは自身の公式SNSで謝罪を行うはめになった。 「インターネット上に拡散している僕の動画に関して不快感を与えたすべての方々に心より謝罪します」 「今回の動画に関してはプライベートの環境の中で友人と遊んでいる際に撮られたもので、特定の個人に向けて発したものではありません。しかし、僕の行動はあまりに未熟で無意味なものであったことを深く認識しています」 「動画の内容は僕という人間、どのような育ち方をしたのかというものを表したものではないことを強調したいと思います。ただ、今回の一件を本当に申し訳なく思っています」 今回の一件はあくまで若気の至りという感じだが、イングランド代表でキャプテンを務めるケインへの侮辱は今後の代表キャリアに少なからず影響を及ぼす可能性もある。また、今夏フルアムから世界的なクラブであるリバプールにステップアップしたことで、選手としての品格も養っていく必要があるのかもしれない。 2019.08.02 16:04 Fri3
リバプールのレジェンドGKローレンス氏が77歳で死去
▽リバプールのレジェンドGKであるトミー・ローレンス氏が10日、77歳で死去した。 ▽1957年10月に17歳でリバプールとプロ契約を結んだローレンス氏は、トップリーグで2度の優勝、FAカップで1度の優勝に貢献。名将ビル・シャンクリー体制となって低迷期からの脱却を図っていた時代のリバプールを支えた守護神だった。 ▽リバプールでは1971年に退団するまで公式戦390試合に出場した。 2018.01.11 01:00 Thu4
リバプールが若手の逸材、17歳MFスティーブンソンとプロ契約
リバプールは22日、U-18チームに所属するイングランド人MFルカ・スティーブンソン(17)とのプロ契約締結を発表した。 サンダーランド出身のスティーブンソンは、2018年9月にサンダーランドユースからリバプールユースに入団。今年7月にU-18へと昇格していた。 今月17日に17歳になったばかりのスティーブンソンは、デュエルの強さとクリエイティビティを兼ね備えた中盤の選手。様々なポジションでプレーできる多様性があり、両サイドでもプレーが可能だ。 2020.09.23 09:16 Wed5