エクアドル代表監督にジョルディ・クライフ氏が就任
2020.01.14 13:55 Tue
エクアドルサッカー協会(FEF)は13日、同国代表監督にジョルディ・クライフ氏(45)が就任したことを発表した。契約は2022年までとなる。
伝説的選手のヨハン・クライフの息子で知られるジョルディ・クライフ氏は、父の活躍したバルセロナでプロキャリアをスタート。1996年にはマンチェスター・ユナイテッドに移籍し、プレミアリーグ優勝を経験する。その後はスペインに戻り、キャリア晩年をウクライナのメタルルフ・ドネツクやマルタのバレッタで過ごした後、2010年に現役を引退した。
バレッタ所属時代には選手兼アシスタントマネージャーを務めたこともあり、引退後にスポーツ・ディレクターをしていたマッカビ・テルアビブで2017-18シーズンに監督としてデビューを果たす。2018年夏からは中国の重慶斯威に就任。1年半で公式戦46試合を指揮し、14勝14分け18敗という成績を収めた。
一方、コパ・アメリカ2019終了後にエルナン・ダリオ・ゴメス前監督が退任して以降、指揮官不在の状況が続くエクアドル代表では、昨年10月の時点ではドイツ代表やアメリカ代表を率いた元ドイツ代表FWのユルゲン・クリンスマン氏の就任が確実視されていたが、結局合意には至らず、同氏は11月末にヘルタ・ベルリンの監督に就任している。
さらに、昨年末には元スペイン代表監督のロベルト・モレノ氏(現モナコ監督)や同じく元スペイン代表監督のフェルナンド・イエロ氏の招へいに動いていたようだが、最終的にオランダの英雄の息子が初めて代表の指揮を任せられることになった模様だ。
伝説的選手のヨハン・クライフの息子で知られるジョルディ・クライフ氏は、父の活躍したバルセロナでプロキャリアをスタート。1996年にはマンチェスター・ユナイテッドに移籍し、プレミアリーグ優勝を経験する。その後はスペインに戻り、キャリア晩年をウクライナのメタルルフ・ドネツクやマルタのバレッタで過ごした後、2010年に現役を引退した。
バレッタ所属時代には選手兼アシスタントマネージャーを務めたこともあり、引退後にスポーツ・ディレクターをしていたマッカビ・テルアビブで2017-18シーズンに監督としてデビューを果たす。2018年夏からは中国の重慶斯威に就任。1年半で公式戦46試合を指揮し、14勝14分け18敗という成績を収めた。
さらに、昨年末には元スペイン代表監督のロベルト・モレノ氏(現モナコ監督)や同じく元スペイン代表監督のフェルナンド・イエロ氏の招へいに動いていたようだが、最終的にオランダの英雄の息子が初めて代表の指揮を任せられることになった模様だ。
なお、エクアドル代表は3月から2022年のカタール・ワールドカップに向けた南米予選が開幕し、26日の初戦はアルゼンチン代表と対戦する。
ジョルディ・クライフの関連記事
エクアドル代表の関連記事
|
|
エクアドル代表の人気記事ランキング
1
元ユナイテッドのキャプテン、バレンシアが35歳で現役引退「僕の体がこの決断を下すように…」
かつてマンチェスター・ユナイテッドでプレーしたエクアドル代表MFアントニオ・バレンシア(35)が現役引退を発表した。 バレンシアは母国のナシオナルでキャリアをスタート。2005年7月にビジャレアルへと移籍すると、レクレアティボ・ウエルバ、ウィガンへのレンタル移籍を経験。2008年1月にウィガンへと完全移籍する。 ウィガンではサイドアタッカーとして評価を高めると、2009年7月にユナイテッドへと完全移籍。10シーズン在籍し、ユナイテッドの右サイドを守り続けた。 2019年7月に母国のLDUキトへと移籍すると、今年1月にはメキシコのケレタロへ加入していた。 ユナイテッドでは、公式戦339試合に出場し25ゴール62アシストを記録するなどし、プレミアリーグで2度、リーグカップで2度、FAカップで1度、ヨーロッパリーグで1度優勝を経験した。 また、エクアドル代表としても98試合に出場し11ゴールを記録。2006年のドイツ・ワールドカップ、2014年のブラジル・ワールドカップと2大会に出場していた。 バレンシアは自身のツイッターで引退を表明。感謝のメッセージを綴った。 「僕は14歳、まだ子供の頃、家族、街、そして最初のクラブであるカリベ・フニオールを離れ、キトへ行った。懐かしさを感じながら旅をしたけど、夢と希望に満ちていた」 「2つめのクラブであるエル・ナシオナルには感謝したい。僕に門戸を開いてくれ、アントニオ・バレンシアに素晴らしいチャンスを与えてくれた」 「初めてエクアドル代表に呼ばれたことを今でも覚えている。国を代表することの大切さを感じた」 「夢にも思わなかったヨーロッパへの挑戦もできた」 「ビジャレアルとレクレアティボ・ウエルバでプレーし、後に第二の故郷であるイングランドに到着した」 「ウィガンではユニークな経験をした。そして、神は僕にマンチェスター・ユナイテッドに来て、キャプテンになるチャンスを与えてくれた」 「その後、エクアドルに戻り、LDUキトでプレーし、メキシコのケレタロでキャリアを終えた」 「僕はこれらの国々、そしてコパ・リベルタドーレス、チャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグ、その他、多くの重要な大会でプレーすることができた」 「カップを掲げたことも、敗戦で叫んだこともあった」 「また、2度のW杯でも国を代表することの意味に喜びを感じることができた。この瞬間がすぐに来るとは思っていなかったけど、僕の体がこの決断を下すように訴えてきた」 「キャリアと人生の一部であった全ての人々に感謝したいと思う。そして、神様、いつも僕を支えてくれてありがとう」 「僕を支えてくれたゾイラ、そして娘のドメニクにも感謝します。たくさんのことを与えてくれた両親にもだ」 「僕がプレーした国、そしてエクアドルのサッカーファンのみんな。愛してくれてありがとう。そして、数々の失敗を謝罪します」 「僕はいつも最善を尽くしていました。国とチームのために。全てに感謝します」 2021.05.13 12:55 Thu2
