アジア制覇に王手の森保一監督「臨機応変にやってくれた」…MF遠藤航の負傷時にかけた言葉は?《AFCアジアカップ2019》2019.01.29 10:45 Tue

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日本代表は28日、AFCアジアカップUAE 2019準決勝でイラン代表と対戦し、3-0で勝利した。

2大会ぶりの決勝進出を決めた日本代表の森保一監督は試合後、公式記者会見に出席し、試合を振り返った。また、MF遠藤航(シント=トロイデン/ベルギー)の負傷交代時にかけた声について明かした。

◆森保一監督(日本代表)
「イランは今大会もそうですし、これまでの結果や成績はアジアの中でも優れているので厳しい戦いを覚悟して臨もうと(考えていた)。選手たちがいい準備をもって、戦う姿勢をもってチャレンジすることと、我々が(ここまで)勝ってきた自信を持って試合を戦い抜いて決勝に進むことができてよかったと思います」

「スタジアムの雰囲気としてもアウェイの雰囲気の中でしたけど、たくさんの日本人の方や日本を応援してくださる方がいらっしゃって、メディアの皆さんを通して日本代表を多くの方々が応援してくださったと思います。我々、日本代表を応援してくださった方々に選手たちがファイトする姿勢を見て頂くことができ、非常に嬉しく思います」

──これまでの試合と比べての変化や一番のポイントは
「逆に何が変わったかを教えて頂きたいです(笑) 私が言うと答えが決まってしまうので、後で教えてください。まず、変わったことや変わらなかったことがあると思いますけど、基本的にはあまり変わっていないかなと思います」

「それは何かと言いますと、選手たちが今日のイラン戦に対して相手に敬意を払い、相手を知った上で我々の持てる力を最大限発揮していこうということ。それが個であり、チームとして持てる力を発揮していこうと選手たちが今日の試合を通して、勝利にこだわって戦い抜いてくれたことは変わらなかったのかなと思います」

「試合の入りに関して変わったことと言えば、相手が身体能力やフィジカルの強さを生かして攻め込んでくるというところで、選手たちが戦う姿勢を持って試合の入りからアグレッシブにプレーしてくれました。そこは、これまでの試合と変わったかなと思います」

「何よりも選手が今日考えて意識を持って臨んでくれたという部分は、先ほどの(球際の)バトルのところでしっかりと戦うこと、そしてセカンドボールを粘り強く拾っていくということ。攻撃に関してはプレッシャーがある中、選手たちが後ろから繋いで前線に配球してくれたことで、良い攻撃の形がたくさん生まれたと思います。今日のような痺れる試合の中でボールを握ることはなかなか難しいことだと思います。選手たちが勇気を持ってチャレンジしてくれました」

──試合前日の会見でユーロ2004のギリシャ代表のようなサッカーだというコメントがあったが、今日はとても攻撃的で強いプレーを試合の中で見せてくれた。これは決勝に向けての好材料となるか

「我々がどう例えられとしても、サッカーやチームの見方は千差万別だと思います。皆さんがどういう見方をされてもそれは自由だと思います。ギリシャのような戦い方がネガティブだとは全く思っていませんし、今日の戦いの中でも我々は攻撃でも守備でもアグレッシブにプレーすることができました」

「守備の部分では粘り強く相手にやらせない、相手の攻撃を防ぐということもできたと思います。どちらかだけではなく、いろいろな戦いを試合の中で選手たちが対応力をもって臨機応変にやってくれたことが今日の勝利につながったと思います。決勝の舞台でも我々がやるべきベースの部分をしっかりと持って、理想を持って現実と向き合い、プレーしてくれればと思います」

──MF遠藤航(シント=トロイデン/ベルギー)の状態について。また、負傷交代時に自身が駆け寄り声をかけていたように見えたが
「遠藤は左のもも裏に痛みがあるということで報告を受けています。そこで交代ということになりました。彼には、これまでよく戦ってくれていたので、『よく戦ってくれた。この試合は勝つから』と声をかけました。本人に届いたかどうかはわかりませんが…」
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成22年/2010年 日本中が沸いた南アW杯

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0422.jpg" alt="" width="100%"></div> 2010年、カナダのバンクーバーで冬季オリンピックが行われた。特に浅田真央の演技には日本中が注目した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■国内外で揺れる情勢</span> 平成22年(2010年)にも多くの記憶に残る出来事が起きました。まずは2月にカナダで、バンクーバー・オリンピックが開幕します。日本選手団は思うような活躍が出来ず、金メダルの獲得は0となりました。女子フィギュアスケートでは、金メダルの期待がかかっていた浅田真央選手は素晴らしい演技を見せたものの、韓国のキム・ヨナ選手に及ばず、銀メダル。全力を出しても金メダルに届かなかった悔しさからか、表彰式の後に涙を流した浅田選手の姿に日本中が胸を打たれました。 政界では、鳩山内閣の下、公立高校の無償化などの改革が実施されます。しかし、その他の政策に関しては財源の確保が難航し、多くの公約を実行することが出来ずに信頼を大きく失う結果となりました。その結果、6月には鳩山内閣退陣し、菅直人内閣が発足しました。また、尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突するという事件が起きたのもこの年。領土問題が連日報道され、日中関係がもつれました。 世界では、オバマ大統領が進めていた、アメリカ軍のイラクからの撤退が8月に完了。中東情勢は依然として多くの課題を抱えていましたが、この撤退により2003年から続いていたイラク戦争が一旦終息した形となりました。 この他にも、日本航空の経営破綻やミャンマーでのアウンサンスーチーさんの解放等、多くの出来事が起こりました。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042201.jpg" alt="" width="100%"></div> 2010年の南アフリカW杯。日本の躍進に国民が熱狂した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■世界中を驚かせた日本代表</span> 2010年、岡田JAPANは、初のアフリカでの開催となった南アフリカ・ワールドカップに挑みました。W杯前に行われた国内での親善試合では、セルビア相手に0-3の完敗。そしてライバル国韓国にも0-2で敗れる不安な展開に。さらに、直前ではイングランドとコートジボワールに連敗し、多くの不安を残したまま本戦に挑みました。 日本代表の初戦の相手はサミュエル・エトーらを擁する強豪カメルーン。アフリカ開催のW杯ということもあり、アフリカの雄との対戦に苦戦することが予想されました。しかし、前半39分、右サイドの松井からのクロスをゴール前で受けた本田圭佑が、落ち着いてゴールを決め先制。この本田のゴールが流れを一気に日本に引き寄せます。 アフリカの期待を一手に背負うカメルーンの猛攻にも耐え続け、前半の1点を守り抜いた日本が勝利します。大会前の低調なパフォーマンスから、国民の期待も低かった岡田JAPANでしたが、この1勝により大きな勇気と自信を得ました。また、この勝利は自国開催となった日韓W杯以来の勝ち星であり、ホーム以外でのW杯初勝利となっています。 勢いに乗った日本代表ですが、次の相手はヨーロッパの強豪国オランダ。優勝候補相手に善戦した日本でしたが、後半の53分にこの大会絶好調だったスナイデルの強烈な無回転ミドルをGK川島が弾ききれず、先制を許します。後半には闘莉王のフリックから岡崎がゴール前でチャンスを得ますが、シュートは枠外に。試合はそのまま0-1で終了し、日本の2戦目は敗北に終わりました。 一瞬の隙を逃さずチャンスを確実に決めてくる強豪国との差を感じつつも、オランダ相手に互角の勝負をしたことで日本代表はさらに自信を付けます。そして決勝トーナメント進出をかけた第3戦、デンマーク戦を迎えました。 実力が拮抗した試合になるかと思われたデンマーク戦でしたが、意外な展開となります。前半17分に、本田の豪快な無回転FKで日本が先制。このゴールはもはや日本サッカー史に残る伝説的なゴールとなっています。前半31分には名手遠藤も芸術的なFKを決め、前半を2-0で折り返します。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042202.jpg" alt="" width="100%"></div> 逃げ切りたい日本でしたが、81分にPKから1点差に詰め寄られますが、87分にエリア付近でボールを受けた本田が個人技でゴール前に抜け出すと、岡崎にラストパス。これを岡崎が落ち着いて流し込み、3-1と日本の勝利を決定づけます。このまま試合が終了し、スコアだけでなく内容でも素晴らしいパフォーマンスを見せた日本がデンマークを撃破し、2大会ぶりの決勝トーナメント進出を決めました。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■決勝トーナメント初勝利への挑戦</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042203.jpg" alt="" width="100%"></div> ベスト8をかけたパラグアイとの試合はPK戦までもつれる接戦となった。 下馬評では予選敗退濃厚と言われていた日本がグループステージを突破したことは、世界を驚かせると共に、日本を熱狂させました。そんな中、日本はベスト8をかけて南米の強豪パラグアイと対戦します。両者の実力は拮抗し、お互いに幾度となくチャンスを作ります。日本はミドルシュートを積極的に放ち、松井のシュートがクロスバーを叩く等、パラグアイゴールを脅かしますが、結局ゴールを決めることが出来ず。パラグアイも無得点に終わり、延長戦を含めた120分で決着が付かず、勝負はPK戦までもつれました。 両者全員成功で迎えた3巡目、日本の3人目だったDFの駒野がPKを外してしまい、そのまま日本はパラグアイに敗れました。初のベスト8が後一歩の所まで来ていただけに悔やまれる敗戦でしたが、世界の強豪たちを相手に堂々たる戦いを見せた日本代表に国民は大きな感動を覚えました。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042204.jpg" alt="" width="100%"></div> PKを外した駒野友一選手を励ます松井大輔選手と阿部勇樹選手。 また、歴代の日本代表の中でも特に仲が良く、団結したチームであり、W杯からの帰国会見での和やかなムードは日本代表の好感度をさらに押し上げました。ちなみに、この会見では、チームの“いじられ役”だったDFの今野がチームの他のメンバーからの要望で、先輩DF闘莉王のモノマネを披露。このモノマネはチームの雰囲気の良さを表していました。 この2010年という年は、W杯南アフリカ大会の日本代表の活躍により、多くの日本人選手がヨーロッパの舞台に飛び立った年でもあります。この年に海外挑戦した代表的な選手を挙げると、イタリアのチェゼーナへ移籍した長友(後にインテルへ移籍)、ドイツの名門・シャルケに移籍した内田、そして同じくドイツのドルトムントへ移籍した(後にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍)香川など、現在も日本サッカー界を引っ張っているスター選手たちが名を連ねます。 2010年では届かなかったベスト8、そしてさらにその上を目指す挑戦に向け、選手1人1人が日本から世界へと活躍の場を移していったのでした。 2019.04.22 21:30 Mon
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成21年/2009年 課題を抱えつつも4度目の世界へ

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0421.jpg" alt="" width="100%"></div> 2009年、日本で政権交代が実現。鳩山由紀夫内閣が発足した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■政権交代に揺れた1年</span> 平成21年(2009年)、日本では大きな変革が起こりました。衆院選で野党第一党の民主党が圧勝し、自由民主党からの政権交代が起こります。「友愛政治」を掲げた鳩山由紀夫内閣は、様々な改革を行おうと公言しましたが、その代表的なものが、国家予算の見直しとして実施された事業仕分けです。担当大臣となった蓮舫議員の「2位じゃダメなんですか」発言が話題になるなど、後に多くの批判を呼びましたが、急速に進む改革に当時の国民は大いに期待しました。 スポーツ界では、野球の世界一を決めるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の第二回大会が行われ、日本が第一回大会に続き、連覇を達成しました。決勝でのライバル・韓国戦ではイチローが決勝打を放つなど、多くの名場面を生みました。また、アメリカのメジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキースに所属する松井秀喜選手が、ワールドシリーズで大活躍しチームのシーズン優勝に貢献。日本人初のワールドシリーズMVPに輝いたのもこの年の出来事です。 また、NHK大河ドラマ「天地人」で主人公・直江兼続の幼少期を演じた事がきっかけで子役の加藤清史郎くんがブレイク。同時期に、トヨタ自動車のCMにも「こども店長」として出演し、大ブームになりました。 その他には、「キング・オブ・ポップ」と呼ばれたマイケル・ジャクソンさんが急死したことは、世界中で驚きと悲しみを持って報じられました。また、彼の死を受けて、同年に行われる予定だったワールドツアーのリハーサル映像を基に作成されたドキュメンタリー映画『THIS IS IT』が公開。世界中で大ヒットを記録しました。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042101.jpg" alt="" width="100%"></div> 2009年、日本代表は4大会連続4回目のW杯本大会出場を決めた。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■再び世界へ</span> 2009年、翌年に控えた南アフリカ・ワールドカップのアジア最終予選が行われます。日本は、2005年からアジアサッカー連盟(AFC)に加盟していたオーストラリアと同じ予選グループ入りました。 ドイツ・ワールドカップでの雪辱に期待がかかりましたが、2度の対戦では1分1敗と雪辱を果たせず。それでもオーストラリアに続くグループ2位を死守し、4大会連続4度目のワールドカップ出場を決めました。また、岡田JAPANはアジア予選からカタールやウズベキスタンといった“格下”と言われるチーム相手に勝ちきれずに勝ち点をこぼす事も多く、長年の課題である決定力不足を解決することができていませんでした。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■Jリーグではマイルストーンを達成</span> この年、Jリーグでは、ある記録が誕生します。それは、リーグの公式戦の通算入場者数1億人突破です。開幕から16年目のシーズンとなったJリーグは2009年に、この記録を迎えました。「オリジナル10」の中から消滅するクラブが出る等、決して全クラブが順風満帆なクラブ運営を出来ていた訳ではありませんでしたが、地域に根差した、地元に愛されるクラブという理念が着実に培われてきたからこそ達成された大きなマイルストーンとなりました。 また、この年には鹿島アントラーズがJ1リーグを優勝。これにより、鹿島アントラーズはJリーグ発足以来、史上初のリーグ3連覇を達成します。この前人未踏の記録は鹿島の常勝軍団としての地位をより強固なものにしました。 この他、1999年から発足した、J2の参加チームが18チームまで増え、J1の参加チーム数と並びました。このことを受けて、2004年に開始されていたJ1・J2入れ替え戦が廃止され、自動入れ替えのシステムをとっていました。ちなみにこのJ1・J2入れ替え戦ですが、2018年シーズンより10年ぶりに復活し、多くの注目を集めました。また、Jリーグの控えメンバーによって構成されていたJサテライトリーグもこの年に廃止されています。 2019.04.21 19:00 Sun
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