元日本代表監督のハリルホジッチ氏が母国の最高勲章を授与
2018.05.14 12:20 Mon
▽元日本代表監督のヴァイッド・ハリルホジッチ氏が、ボスニア・ヘルツェゴビナにおける最高の賞である「欧州運動勲章」を受賞した。ボスニア・ヘルツェゴビナ『avaz』が報じた。
▽2015年から日本代表で指揮を執っていたハリルホジッチ氏は、4月7日付けで契約解除を言い渡されていた。今回ハリルホジッチ氏に贈られたのは、『オルデン・エヴロプスコグ』勲章。11日にサラエボで授与式が行われ、ボスニアを管理する国際機関OHRのヴァレンティン・インツコ上級代表が出席していた。
▽受賞したハリルホジッチ氏は「私は何年も海外にいたが、人々が忘れていなかったことを誇りに思います。私はこれまでも重要な表彰を受けてきたが、母国の賞を貰えることは素晴らしい」とコメントしている。
▽また、インツコ氏も今回の表彰についてコメント。「ボスニア・ヘルツェゴビナは、世界に多くのものを与えてきた。ハリルホジッチ氏とイビチャ・オシム氏は最高の例だ。ボスニア・ヘルツェゴビナは日本に2人の監督を派遣している。これは、ボスニア・ヘルツェゴビナ国民が成功し、世界で認められているという楽観的なメッセージだ」とコメント。ハリルホジッチ氏だけでなく、かつて日本代表を率い、ジェフユナイテッド千葉でタイトルも獲得しているオシム氏の名前も出し、日本でのボスニア・ヘルツェゴビナ人の成功を喜んだ。
▽ハリルホジッチ氏は、ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)のヤブラニツァで1952年に誕生。現役時代には旧ユーゴスラビア代表としても活躍。ボスニア・ヘルツェゴビナのFKヴェレジュ・モスタルやフランスのナントやパリ・サンジェルマンで活躍した。
▽2015年から日本代表で指揮を執っていたハリルホジッチ氏は、4月7日付けで契約解除を言い渡されていた。今回ハリルホジッチ氏に贈られたのは、『オルデン・エヴロプスコグ』勲章。11日にサラエボで授与式が行われ、ボスニアを管理する国際機関OHRのヴァレンティン・インツコ上級代表が出席していた。
▽受賞したハリルホジッチ氏は「私は何年も海外にいたが、人々が忘れていなかったことを誇りに思います。私はこれまでも重要な表彰を受けてきたが、母国の賞を貰えることは素晴らしい」とコメントしている。
▽ハリルホジッチ氏は、ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)のヤブラニツァで1952年に誕生。現役時代には旧ユーゴスラビア代表としても活躍。ボスニア・ヘルツェゴビナのFKヴェレジュ・モスタルやフランスのナントやパリ・サンジェルマンで活躍した。
▽引退後は、古巣のFKヴェレジュ・モスタルで監督としてのキャリアをスタート。フランスではリールやレンヌ、パリ・サンジェルマンで指揮。その他、トラブゾンシュポルやアル・イテハド、ディナモ・ザグレブなどのクラブを指揮したほか、コートジボワール代表、アルジェリア代表、そして日本代表を指揮していた。
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昨季10ゴールの元日本代表MF久保裕也が無断欠席…シンシナティの指揮官も苦言「姿を見せる義務がある」
メジャーリーグ・サッカー(MLS)のFCシンシナティに所属する元日本代表MF久保裕也がチーム活動を無断欠席していることが判明した。 京都サンガF.C.の下部組織出身の久保は、トップチームに昇格後、スイスのヤング・ボーイズに移籍し海外挑戦。その後、ヘント、ニュルンベルクと渡り歩き、2020年1月からアメリカでプレーを続けている。 ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の下では日本代表としても13試合に出場し2ゴールを記録していた久保。かつてはストライカーとしての働きがメインだったが、シンシナティではボランチやトップ下など中盤でプレー。ユーティリティな選手として、公式戦158試合で18ゴール9アシストを記録している。 2024シーズンもMLSで32試合に出場し10ゴール3アシストと大きく飛躍。しかし、新シーズンに向けたシンシナティの活動には参加していないとクラブが発表した。 シンシナティは21日からプレシーズンのキャンプをスタート。しかし、メディカルチェックを含め、久保は無断欠席。チームメイトである、ルチアーノ・アコスタ、ルカ・オレジャーノと共に、報告もなく欠席しているという。 なお、オレジャーノはメディカルチェックに現れたものの、久保とアコスタは依然として現れず。パット・ヌーナン監督は、受け入れられないと苦言を呈している。 「我々が期待していたこと、そして良いスタートを切ることができたことを考えると、確かに期待外れだ」 「話し合いはあったが、我々はもっと内部で対処し、前進するつもりだ。ただ、ここに彼らがいないことは残念だ」 「違う契約や違う状況を望んでいる選手はたくさんいるが、彼らは姿を見せた。好む、好まざるに関わらず、姿を見せる義務があり、その時間の枠内で意見が合わないかもしれないことに対する解決策を見つけたい」 「私にも仕事がある。物事がうまくいっているかどうかに関わらず、仕事場に現れ、チームメイト、コーチ、クラブを尊重し、満足していなくとも、良いプロになるつもりであることを示す必要がある」 なお、プレシーズンを過ごすキャンプのメンバーには久保とアコスタの名前も入っているが、「アコスタと久保はチーム活動への参加が遅れており、フロリダで合流する予定」と注意書きがされている。 アメリカに来て5年が経過。31歳とまだまだ活躍できる年齢である久保は、この冬にどこかへと移籍を果たすのか注目だ。 <span class="paragraph-title">【動画】久保裕也が後半途中出場から圧巻のハットトリックで逆転勝利に貢献</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="ZWg12opPi2I";var video_start = 284;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2025.01.22 12:15 Wed5
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アーセナルのボスニア・ヘルツェゴビナ代表DFセアド・コラシナツが危険なタックルを受けてピッチを退いた。 12日、カタール・ワールドカップ(W杯)欧州予選グループD第9節、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表(勝ち点7)vsフィンランド代表(勝ち点8)の一戦が行われた。 FWマーカス・フォルスのゴールでリードを奪ったフィンランド。このままゲームを進めたかったが、36分にカウンターを浴びて窮地に。速攻から裏を取ったコラシナツが左サイドで持ち上がると、DFユッカ・ライタラがスライディングで対応。これがコラシナツの足首を捉えてしまった。 ピッチにうずくまるコラシナツ。ライタラには危険なプレーとしてレッドカードが提示され、フィンランドは残り時間を10人で戦うことに。コラシナツもFWエルメディン・デミロビッチとの交代を余儀なくされてしまった。 退場者を出したフィンランドだが、その後追加点も奪い1-3で勝利。ウクライナ代表をかわして2位に浮上している。 一方のボスニア・ヘルツェゴビナはW杯への道が閉ざされることに。さらには負傷交代したコラシナツの容態も心配だ。 <span class="paragraph-title">【動画】足首への危険タックルを受けたコラシナツ</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="fi" dir="ltr">Jukka Raitala pihalle suoralla punaisella kortilla.<a href="https://twitter.com/hashtag/huuhkajat?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#huuhkajat</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/mmkarsinnat?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#mmkarsinnat</a> <a href="https://t.co/LjTZiAJaJL">pic.twitter.com/LjTZiAJaJL</a></p>— Vsportsuomi (@VSportSuomi) <a href="https://twitter.com/VSportSuomi/status/1459531999576834049?ref_src=twsrc%5Etfw">November 13, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2021.11.14 21:55 Sun4
記憶に残るオシム監督とA3選手権/六川亨の日本サッカーの歩み
日本代表の元監督であるイビチャ・オシム氏が5月1日、80歳の生涯に幕を閉じた。92年のハンス・オフト氏から始まった日本代表の外国人監督のなかで、病に倒れて短命に終わったが、これほど強烈なインパクトと名言の数々を残した監督はオシム氏が最初で最後だろう。 もしも彼が南アW杯を率いていたらどんな戦い方をして、どんな成績を残したのか。きっと胸躍るサッカーを披露したのではないかと思うと残念でならない。 オシム氏が注目を集めたのはジェフユナイテッド市原・千葉の監督に就任し、「ライオンに追われたウサギが逃げ出すときに、肉離れしますか? 準備が足らないのです」とのコメントだろう。 2006年に日本代表の監督に就任した際にも、「日本代表の“日本化"」を宣言した。 具体的には「近い将来、身長の高い選手を見つけることは難しいと思うが、日本はほかのチームにはないものを持っている」として、敏捷性を指摘した。その上で「走るスピード、展開のスピード」を求めた。 またある時は「日本人は間違いなく身体の大きさが欠けている。闘いに耐えられるだけの重さが欠けているのだ。60キロの選手が90キロの選手とぶつかったら、1対1で負けるのは当然である。それを補っていくにはどうしたらよいのか。まずできることは走ることである」と、走ることの重要性と1対1のボディコンタクトを避ける利点を説明した。 それが端的に表われたのが、06年のA3チャンピオンズカップだった。これは日本、韓国、中国のリーグ優勝チームとカップ優勝チームかリーグの準優勝チームの4チームによるカップ戦で、03年から07年まで開催された。 06年は日本で開催され、リーグ優勝のG大阪とナビスコ杯(現ルヴァン杯)優勝のジェフユナイテッド千葉が出場した。すでにオシム氏は代表監督に就任していてチームを離れていたが、千葉は蔚山現代戦で3-2の勝利を収めただけでなく、走力でも蔚山を圧倒。後半の千葉のカウンターに、蔚山の選手は疲労困憊で追いつけないシーンを見た衝撃は今でも忘れられない(優勝は蔚山)。 「フィジカルの韓国、テクニックの日本」というイメージが強かったが、スタミナとスピードでも千葉は蔚山を圧倒したのだった。後にも先にも韓国のチームがスタミナ負けしたシーンはこのときの千葉しか印象にない。まさに「試合中に走り過ぎて死ぬことはありません」を実践した千葉の選手たちだった。 そしてこのA3チャンピオンズカップには後日談もある。オシム監督は初陣となるトリニダード・トバゴ戦の招集メンバーを13人しか発表しなかった。というのも、代表の試合とA3チャンピオンズカップ、さらに鹿島とFC東京の海外遠征が重なったため呼びたい選手を呼べなかったからだ。 「(チームは)全体で20人くらいになるが、13人でも試合はできる。もう少し早く監督になっていれば、この試合は断っていた。(代表の)強化にもクラブ(の海外遠征)にも口出しできない。A3も同じで3つの日程が重なっている。該当チームほど代表候補が多く、代表とクラブの試合がバッティングしたから今回のメンバーになった。今後はこのようなことのないよう、お願いしたい」 いまでは考えられないが、クラブの日程と代表の日程のすりあわせが当時は行われていなかった。そのことに対し、オシム監督は、はっきりと“ダメ出し"をしたのだった。 ほかにも在任期間は1年間とちょっとだったものの、数々のコメントとエピソードには事欠かない。日本代表の監督として、いつまでも“記憶に残る"名監督だったことは間違いないだろう。改めて、心よりご冥福をお祈りします。 2022.05.02 16:30 Mon5
