元日本代表MF稲本潤一、関東1部の南葛SCに加入 「非常に光栄に思ってます」
2022.01.18 12:45 Tue
関東サッカーリーグ1部の南葛SCは18日、元日本代表MF稲本潤一(42)の加入決定を発表した。
稲本は下部組織から過ごすガンバ大阪でプロデビュー後、アーセナルやガラタサライ、フランクフルト、スタッド・レンヌなどで欧州挑戦。2010年の川崎フロンターレ入りを機に帰国すると、コンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)を経て、2019年からSC相模原に活躍の場を移したが、昨季限りで契約満了となり、退団した。
人気サッカーマンガ『キャプテン翼』の作者である高橋陽一氏が代表を務めることでも知られ、先日に昨季限りでベガルタ仙台を退団した元日本代表MFMF関口訓充(36)も獲得した南葛SC。稲本はクラブを通じて意気込みを語っている。
「このたび、南葛SCでプレーすることになりました! 子どもの頃に夢中で読んでいた『キャプテン翼』から誕生したチームでサッカーができることを非常に光栄に思ってます!!」
「チームの今シーズンの目標であるJFL昇格に少しでも貢献できるよう、自分のすべてを出し、チームのためにプレーしたいと思います! 南葛SCの稲本潤一をよろしくお願いします!!」
稲本は下部組織から過ごすガンバ大阪でプロデビュー後、アーセナルやガラタサライ、フランクフルト、スタッド・レンヌなどで欧州挑戦。2010年の川崎フロンターレ入りを機に帰国すると、コンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)を経て、2019年からSC相模原に活躍の場を移したが、昨季限りで契約満了となり、退団した。
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