ロシア代表の新ユニフォームに異変?異様に目立つ胸番号に専門メディアも注目「かなり大きな番号が付けられている」

2024.03.22 13:00 Fri
【写真】異様に胸番号が大きいロシア代表の新ユニフォーム

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セルビアサッカー協会(SRB)は19日、UEFAネーションズリーグ2024-25に臨むセルビア代表候補メンバー29名を発表した。 ユーロ2024でグループステージ敗退となったセルビア。引き続きドラガン・ストイコビッチ体制を継続するなか、今回のUNLの戦いに向けては指揮官との衝突で代表引退を決断したMFドゥシャン・ 2024.08.20 08:00 Tue
フェネルバフチェ所属のFWドゥシャン・タディッチ(35)がセルビア代表から引退へ。 左足の名手、タディッチ。 サウサンプトン時代はプレミアリーグでさほど目立つ存在ではなかったが、アヤックス移籍後は能力を存分に発揮。18-19シーズンは公式戦56試合38得点23アシストという“メッシ並”の数字を残し、CL4強 2024.07.17 14:10 Wed
セルビア代表GKヴァンヤ・ミリンコビッチ=サビッチが、ユーロ2024の最中にバーでひと騒動起こしていたという。 ユーロ2024でグループステージ敗退のセルビア代表において、控えGKながらも兄セルゲイとともに大会メンバーだったセリエA・トリノ所属のミリンコビッチ=サビッチ。 セルビア『テレグラフ』によると、グ 2024.06.28 18:54 Fri

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ロシアサッカー連合(RFU)は23日、前日にモスクワ近郊で発生した銃乱射事件を受け、25日にモスクワで開催予定だったパラグアイ代表との国際親善試合の中止を決定した。 RFUは「クラスノゴルスクで発生したテロ攻撃に関連し、ロシアサッカー連合とパラグアイサッカー協会はロシア代表チームとパラグアイ代表チームとの親善試合 2024.03.23 22:29 Sat
ロシアサッカー連合(RFU)執行委員会は20日、アジアサッカー連盟(AFC)への加盟を全会一致で否決し、欧州サッカー連盟(UEFA)残留を決定した。 RFU執行委員会副会長のアクメド・アイダミロフ氏はこの決定について「我々は今後も欧州で戦っていく。ロシアは欧州であり、我々は勝つことができる。アジアには行かない」と 2023.12.20 22:40 Wed
元ロシア代表MFアラン・ジャゴエフ(33)が現役引退を決断した。 今年9月にギリシャのPASラミアへ加入したジャゴエフは新天地で2試合に出場。しかし、キャリアを通じて苦しんだ負傷により、21日に双方合意の下で契約を解除。さらに、このタイミングでの現役引退を発表した。 「プロフットボーラーとしてのキャリアに終 2023.11.22 06:45 Wed
欧州サッカー連盟(UEFA)は10日、2024年のU-17欧州選手権にロシア代表を復帰させる計画を発表していたが、これを断念したことを発表した。 2022年2月、ロシアがウクライナに対して軍事侵攻を開始。これを受け、UEFAと国際サッカー連盟(FIFA)は、ロシア代表チームとロシアのクラブの国際大会への参加停止の 2023.10.10 23:45 Tue
ウクライナサッカー連盟(UAF)は、ロシアのユース大会参加を拒否する姿勢を示した。 ロシアは、2022年2月にウクライナへの軍事侵攻を開始。未だに両者の和解は叶わず、今なお争いは続いている。 この軍事侵攻を受けてFIFA(国際サッカー連盟)とヨーロッパサッカー連盟(UEFA)は様々なカテゴリーにおいて、ロシ 2023.09.29 13:20 Fri

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UNL最終戦に臨むセルビア代表候補が発表! ヴラホビッチらが復帰【UNL】

セルビアサッカー協会(SRB)は29日、UEFAネーションズリーグ(UNL)2024-25に臨むセルビア代表候補メンバー29名を発表した。 ここまでUNLで1勝1分け2敗で3位に位置するセルビア。ドラガン・ストイコビッチ監督は、今回の最終戦に向けてアレクサンダル・ミトロビッチ、二コラ・ミレンコビッチ、ルカ・ヨビッチらを引き続き招集。 また、ドゥシャン・ヴラホビッチとネマニャ・グデリが復帰し、国内リーグで台頭する17歳のFWミハイロ・ツヴェツコビッチ(チュカリチュキ)を初招集した。 UNLでリーグA・グループ4に属するセルビアは11月15日にスイス代表とのアウェイゲーム、同18日にデンマーク代表とのホームゲームに臨む。今回発表されたセルビア代表候補メンバーは以下のとおり。 ◆セルビア代表メンバー29名 GK プレドラグ・ライコビッチ(アル・イテハド/サウジアラビア) アレクサンダル・ヨバノビッチ(パルチザン) ジョルジェ・ペトロビッチ(ストラスブール/フランス) ヴェリコ・イリッチ(TSC) DF ネマニャ・ストイッチ(マッカビ・テルアビブ/イスラエル) ストラヒニャ・エラコビッチ(ゼニト/ロシア) スルジャン・バビッチ(スパルタ・モスクワ/ロシア) ジャン=カルロ・シミッチ(アンデルレヒト/ベルギー) アレクサ・テルジッチ(レッドブル・ザルツブルク/オーストリア) ストラヒニャ・パヴロビッチ(ミラン/イタリア) ミロシュ・ヴェリコビッチ(ブレーメン/ドイツ) コスタ・ネデリコビッチ(アストン・ビラ/イングランド) 二コラ・ミレンコビッチ(ノッティンガム・フォレスト/イングランド) MF アンドリヤ・マクシモビッチ(ツルヴェナ・ズヴェズダ) サシャ・ズジェラル(CSKAモスクワ/ロシア) ミルコ・トピッチ(ファマリカン/ポルトガル) アンドリヤ・ジヴコビッチ(PAOK/ギリシャ) ヴェリコ・ビルマンチェビッチ(スパルタ・プラハ/チェコ) マルコ・グルイッチ(ポルト/ポルトガル) ネマニャ・グデリ(セビージャ/スペイン) フィリプ・ムラデノビッチ(パナシナイコス/ギリシャ) ネマニャ・マクシモビッチ(パナシナイコス/ギリシャ) イバン・イリッチ(トリノ/イタリア) ラザール・サマルジッチ(アタランタ/イタリア) FW ドゥシャン・ヴラホビッチ(ユベントス/イタリア) ルカ・ヨビッチ(ミラン/イタリア) アレクサンダル・ミトロビッチ(アル・ヒラル/サウジアラビア) ミハイロ・イバノビッチ(ミルウォール/イングランド) ミハイロ・ツヴェツコビッチ(チュカリチュキ) 2024.10.30 08:00 Wed
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引退タディッチ除く主力招集…ストイコビッチ率いるセルビア代表候補発表【UEFAネーションズリーグ】

セルビアサッカー協会(SRB)は19日、UEFAネーションズリーグ2024-25に臨むセルビア代表候補メンバー29名を発表した。 ユーロ2024でグループステージ敗退となったセルビア。引き続きドラガン・ストイコビッチ体制を継続するなか、今回のUNLの戦いに向けては指揮官との衝突で代表引退を決断したMFドゥシャン・タディッチ(フェネルバフチェ)が不在も、ドゥシャン・ヴラホビッチ、ルカ・ヨビッチ、アレクサンダル・ミトロビッチら主力を順当に選出した。 UNLでリーグA・グループ4に属するセルビアは9月5日にスペイン代表とのホームゲーム、同8日にデンマーク代表とのアウェイゲームに臨む。今回発表されたセルビア代表候補メンバーは以下のとおり。 ◆セルビア代表メンバー29名 GK プレドラグ・ライコビッチ(アル・イテハド/サウジアラビア) アレクサンダル・ヨバノビッチ(パルチザン) ジョルジェ・ペトロビッチ(チェルシー/イングランド) マルコ・イリッチ(ツルヴェナ・ズヴェズダ) DF ネマニャ・ストイッチ(ツルヴェナ・ズヴェズダ) ストラヒニャ・エラコビッチ(ゼニト/ロシア) スルジャン・バビッチ(スパルタ・モスクワ/ロシア) ジャン=カルロ・シミッチ(アンデルレヒト/ベルギー) アレクサ・テルジッチ(ザルツブルク/オーストリア) ストラヒニャ・パヴロビッチ(ミラン/イタリア) ミロシュ・ヴェリコビッチ(ブレーメン/ドイツ) コスタ・ネデリコビッチ(アストン・ビラ/イングランド) 二コラ・ミレンコビッチ(ノッティンガム・フォレスト/イングランド) MF ミラン・アレクシッチ(ラドニチュキ) セルゲイ・ミリンコビッチ=サビッチ(アル・ヒラル/サウジアラビア) クリスティヤン・ベリッチ(AZ/オランダ) アンドリヤ・ジヴコビッチ(PAOK/ギリシャ) ヴェリコ・ビルマンチェビッチ(スパルタ・プラハ/チェコ) マルコ・グルイッチ(ポルト/ポルトガル) ネマニャ・グデリ(セビージャ/スペイン) ネマニャ・マクシモビッチ(パナシナイコス/ギリシャ) サシャ・ルキッチ(フルアム/イングランド) イバン・イリッチ(トリノ/イタリア) ラザール・サマルジッチ(アタランタ/イタリア) ステファン・ミトロビッチ(エラス・ヴェローナ/イタリア) FW ドゥシャン・ヴラホビッチ(ユベントス/イタリア) ルカ・ヨビッチ(ミラン/イタリア) ペタル・ラトコフ(ザルツブルク/オーストリア) アレクサンダル・ミトロビッチ(アル・ヒラル/サウジアラビア) ミハイロ・イバノビッチ(ヴォイヴォディナ) 2024.08.20 08:00 Tue
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主要大会でGS敗退を繰り返すセルビア代表…ユーゴスラビア時代以来のタレント集団でユーロ初出場も最下位終戦

セルビア代表は主要大会における勝負強さがない。スペイン『Relevo』が論じる。 旧ユーゴスラビア連邦の系譜を最も受け継ぐ国家・セルビア。今も昔も首都はベオグラード、ただし、かつてバルカン半島の半分を占めた連邦は崩壊し、現在の「セルビア」に至る。 1990年代初頭のサッカー・ユーゴスラビア代表(※1)は、欧州随一のスター選手たちが彩り、故イビチャ・オシム氏が監督として、決して相容れない多民族を寛大なハートで掌握。その成果が、90年イタリアW杯のベスト8だ。 (※1)1991〜92年にクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スロベニアなどが分離独立 時は流れて2024年。 ユーゴスラビア代表時代を知るドラガン・ストイコビッチ監督が率いるセルビア代表は、ユーロ2024でグループステージ最下位敗退。イングランド代表との初戦を落とし、スロベニア代表、デンマーク代表とはドローに終わった。 「セルビア代表」として、またしても主要大会のグループステージを突破できず。 「セルビア・モンテネグロ代表」が2006年ドイツW杯を最後に幕を閉じたなか、続くユーロ2008予選からセルビア代表として国際舞台へ。主要大会として2010年W杯、2018年W杯、2022年W杯と出場してきたが、いずれもグループステージ敗退だ。 そして今回、セルビア代表として初出場となったユーロもグループステージ敗退。 アレクサンダル・ミトロビッチ、ドゥシャン・ヴラホビッチ、セルゲイ・ミリンコビッチ=サビッチらタレントを揃えるが、またしても歴史が繰り返された格好だ。 また、セルビア代表は「予選での強さ」を本大会で維持できていない傾向も。 今回のユーロ2024こそハンガリー代表に次ぐ予選2位通過(自動通過)だが、過去3回のW杯出場はいずれも欧州予選1位。10年大会はフランス代表、22年大会はポルトガル代表を抑えて本大会へ…そしてグループステージ敗退だ。 国内ではユーゴスラビア時代以来のタレント集団とみなされる現セルビア代表。しかし、どうしても主要大会のグループステージを突破できずにいる。 2024.06.26 15:25 Wed
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セルビア代表GKがユーロ2024参戦中にバーで同胞ファンと殴り合い寸前…ストイコビッチ監督が帰国会見で示唆し発覚

セルビア代表GKヴァンヤ・ミリンコビッチ=サビッチが、ユーロ2024の最中にバーでひと騒動起こしていたという。 ユーロ2024でグループステージ敗退のセルビア代表において、控えGKながらも兄セルゲイとともに大会メンバーだったセリエA・トリノ所属のミリンコビッチ=サビッチ。 セルビア『テレグラフ』によると、グループC最終節・デンマーク代表戦の数日前、ドイツ・ミュンヘンのセルビア系移民、セルビア人観光客に人気だというバーへ出かけた際、同胞に気づかれて「大会期間中にこんなところで何をしているんだ?」と詰め寄られたという。 すでに“呑んでいた”とされるミリンコビッチ=サビッチは、これに対して悪態をつき、殴りかかるような素振りもあったことから、相手もヒートアップ。殴り合いになる寸前で、バーの警備員とオーナーが気づいて制止…両者とも収まったそうだ。 オーナーは『テレグラフ』の取材に対し、「ミリンコビッチ=サビッチは代表チームのショーツを履いていたが、来店時に警備員が認識しなかったため、この時点で怒っていた。あらゆることが店内で起きたが、とにかく事態が収まってよかった」とコメントした。 今回、ミリンコビッチ=サビッチは外出の許可こそ得ていたようだが、飲酒にはドラガン・ストイコビッチ監督も激怒か。指揮官が敗退後の帰国会見で選手名を伏せつつ、本件を示唆した事で、『テレグラフ』が調査した格好だ。 2024.06.28 18:54 Fri
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華麗な技と熱きハートでJを席巻した“妖精”ドラガン・ストイコビッチ

豊富なテクニックや創造性を持ち合わせた選手を多く輩出し、“東欧のブラジル”と称されたユーゴスラビア代表。しかし、その栄光は長くは続かなかった。 強豪国として、ヨーロッパで名を馳せていたものの、国家の解体に合わせて代表チームも1992年を最後に国際舞台から排除。制裁が解けた1998年のフランス大会がユーゴスラビアとして最後のワールドカップとなった。(後にセルビア・モンテネグロ代表やセルビア代表は出場) そのユーゴスラビア代表の最後のメンバーであり、日本サッカー界にも多大なる影響を与えた男がいる。それが、ドラガン・ストイコビッチだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆世界の舞台で活躍したキャプテン</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191017_13_tw3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 観客を魅了するプレーでJリーグの黎明期を支え、妖精を意味する“ピクシー”の愛称でも親しまれたストイコビッチ。ユーゴスラビア代表ではキャプテンを務め、同国の英雄でもあるストイコビッチは、キャプテンとして臨んだ母国最後のワールドカップで底力を見せつけた。 ドイツと同組になったユーゴスラビアは、初戦でイラン代表を下すと、2戦目のドイツ代表戦はストイコビッチを中心とした華麗なサッカーで試合を支配。自らもゴールを決め、一時は2-0とリードしたものの、結果は2-2のドローに終わった。 その後の3戦目のアメリカ代表戦にも勝利。グループリーグを2位で通過すると、決勝トーナメント1回戦ではオランダ代表と対戦。ストイコビッチが華麗にFKから同点弾をアシストしたが、後半アディショナルタイムに失点し、最後のワールドカップはベスト16に終わった。 ユーゴスラビアとして最後のワールドカップに出場したストイコビッチ。その舞台に立った時、すでにストイコビッチは名古屋グランパスでプレーしていた。 <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=http://redirect.sega-net.com/rtw/191017_73658.html&c=sega_20191017_1">今ならストイコビッチが手に入る!<br />≪『サカつくRTW』はこちら≫</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆日本に衝撃を与えた“妖精”</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191017_13_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 遡ること4年、1994年6月にストイコビッチは日本へとやってくる。その当時所属していたのは、フランスの名門・マルセイユ。現在は日本代表DF酒井宏樹が所属しているクラブだ。 ストイコビッチは、自身が生まれたセルビアのニシュでプロキャリアをスタート。ラドニツキ・ニシュの下部組織に14歳で入団すると、16歳でトップチームへ昇格。18歳でユーゴスラビア代表デビューを果たしている。 また、1984年のユーロでは、当時の大会最年少ゴールを記録。同年のロサンゼルス・オリンピックでは銅メダル獲得に貢献するなど順調にキャリアを積んだ。 持ち前の華麗なテクニックは多くの者を魅了し、ストイコビッチの存在はヨーロッパでも知れ渡る。加えて、その後多くのJリーグファンも体感することになる“闘志”を持ち合わせており、そのメンタリティがJリーグ、特に名古屋グランパスを大きく変貌させた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆名将と妖精の共演、名古屋の栄光</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191017_13_tw4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> ストイコビッチは、最終的に2001年まで名古屋に所属し、そのまま現役引退となったが、長年Jリーグでプレーを続けた要因の1つが名将の登場だ。 マルセイユで1992-93シーズンにチャンピオンズリーグを制した一員であり、リーグ5連覇を達成していたストイコビッチだったが、マルセイユの八百長が発覚。この影響でマルセイユはリーグ降格の処分も下された結果、ストイコビッチは半年間限定でヨーロッパを離れると決断し、名古屋へと加入した。 加入当初は、Jリーグのジャッジに馴染めずレッドカードやイエローカードを多く提示されていたストイコビッチだったが、チームの低迷に伴い新指揮官にアーセン・ヴェンゲル監督が就任することが決定。これにより、ストイコビッチもチームに残る決断を下した。 1995年シーズンも開幕当初は退場を繰り返したストイコビッチだったが、徐々に本領を発揮。かつての輝きを取り戻すと、リーグ戦で15ゴールを記録。また、天皇杯ではサンフレッチェ広島との決勝で勝利し、チームにタイトルをもたらした。ヴェンゲル監督の戦術とストイコビッチにけん引されたチームはついに花開き、ストイコビッチはこのシーズンのJリーグMVPを受賞している。 後にアーセナルの指揮官になるため、1996年9月に名古屋を離れたヴェンゲル監督だったが、その際にストイコビッチを連れて行くつもりだったと後に明かしている。しかし、ストイコビッチは名古屋との契約を延長。「家族」への想いもあり、名古屋へ留まることを決意する。 <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=http://redirect.sega-net.com/rtw/191017_73658.html&c=sega_20191017_2">今ならストイコビッチが手に入る!<br />≪『サカつくRTW』はこちら≫</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆“イナット”でチームを鼓舞</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191017_13_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> ユーゴスラビア代表でもキャプテンを務め、名古屋グランパスでもキャプテンを務めていたストイコビッチ。彼の人生は予想だにしない苦境の連続だった。 前述のマルセイユの八百長問題の前には、ユーゴスラビアが内戦の制裁を受けて1992年のユーロ出場権を剥奪。また、クロアチアがユーゴスラビアからの分離独立を宣言したことにより、ズボニミール・ボバンやダボル・シュケル、ロベルト・ヤルニらユーゴスラビアの主力選手がクロアチア国籍を選択し、チームを去っていった。 さらに、1999年にはNATO(北大西洋条約機構)によるユーゴスラビアへの空爆が開始。母国の政治問題にも翻弄されたサッカー人生だったが、ストイコビッチには“イナット”があった。 “イナット”とは、セルビア語で「意地」を意味するもの。追い込まれた状態を、一気にプラスに転換させるものであり、日本で言うところの「火事場の馬鹿力」だろうか。ストイコビッチは、この“イナット”でキャリアを積んできたと言ってもいい。 そのメンタリティは、名古屋でも影響を及ぼしている。Jリーグオリジナル10でありながら、優勝争いにすら加われていなかった名古屋だが、その闘志と“イナット”でストイコビッチはチームを牽引。ヴェンゲル監督の影響もあったが、チームは上位を争うチームに変貌を遂げた。 名古屋は、シーズン中に浮き沈みが激しいチームだったが、ここぞの場面でのストイコビッチのゴールがチームを救った。そして、諦めないメンタリティがチームメイトにも根付いていった。 ストイコビッチは、イエローカード、レッドカードを受ける回数が多かったのも、何もラフプレーが多かったわけではない。殆どが曖昧な判定への不服であり、抗議でカードを貰うことが少なくなかった。 プレー期間が長くない外国人選手だが、ストイコビッチは通算イエローカード数も外国人選手最多の72枚。レッドカードに至っては、Jリーグ最多の13枚だ。しかし、これは“イナット”の裏返しとも言える。 まだまだヨーロッパに比べてレベル差があった当時のJリーグでは、審判の能力も当然のことながら低かった。ストイコビッチは、自分が異を唱えることで、Jリーグのレベルと同時に、審判のレベルをも向上させていたのだ。 もちろん、自身が出場停止になることでチームの成績が落ちることもあったが、それすらもチームメイトを成長させた。華麗なテクニック、ゲームをコントロールする能力がありながら、メンタル面からもチームを鍛え直す、真の意味での“闘将”でもあったのだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆妖精の魔法は続く</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191017_13_tw5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">©︎J.LEAGUE<hr></div> 名古屋で現役を退いたストイコビッチは、その後母国のサッカー協会会長や古巣であるツルヴェナ・ズヴェズダの会長を歴任した。 そして2008年、再び名古屋へと復帰。監督としてチームに戻ると、再び名古屋躍進の原動力となる。 就任1年目から、チームを優勝争いに押し上げると、2010年には名古屋にとって初となるJ1優勝を達成。間の2009年には、横浜F・マリノスのGK榎本哲也が蹴り出したボールを、革靴ながらダイレクトで蹴り返すと、ボールは見事にワンバウンドでゴールに吸い込まれた。(すぐに退席処分となったが、このシーンは世界中で話題となった) 引退してもなおチームに活力を与えたストイコビッチ。選手として、監督として名古屋に栄光をもたらせた“レジェンド”だ。常勝軍団である鹿島アントラーズにおけるジーコのような存在と言ってもよいかもしれない。 名古屋ファン、サポーターだけでなく、Jリーグのファン・サポーターにも愛されるストイコビッチ。華麗なテクニックと熱いハートを持つ“妖精”は今なお魅了し続けているのかもしれない。 《超ワールドサッカー編集部・菅野剛史》<hr><div style="text-align:left;" id="cws_ad">多くのJリーグファンを虜にしたドラガン・ストイコビッチが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br /><br />天皇杯を制した1999年の名古屋グランパス時代のストイコビッチがゲームで復活する。あの興奮が『サカつくRTW』で蘇ること間違いなし。この機会に是非一度チェックしてみよう。</div><div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=http://redirect.sega-net.com/rtw/191017_73658.html&c=sega_20191017_3">今ならストイコビッチが手に入る!<br />≪『サカつくRTW』はこちら≫</a><hr></div> 2019.10.25 08:00 Fri

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エスコートキッズならぬエスコートドッグ、ゼニトの選手が保護犬を抱えてピッチ入場

3日に行われたロシア・プレミアリーグ、ゼニトvsFCロストフの一戦ではゼニトの選手たちが犬を抱いてピッチへと入場した。 エスコートキッズならぬエスコートドッグ。これは飼い主のいない保護犬たちの里親を見つけるためのプロジェクトとして行われた。犬種は様々だが、どの子も行儀よく選手の腕の中にとどまっている。 それぞれの子には名前も付けられており、スタジアムやTVなどで見たファンが引き取りやすいような仕組みとなっている。ゼニトの公式ツイッターは選手紹介に併せて“パートナー”の紹介も行うという、粋な演出を見せた。 この試みは以前ルーマニアで行われており、9月12日に行われたリーガ1第8節のFCSBvsディナモ・ブカレストの一戦では、ディナモ・ブカレストの選手たちが犬を抱いて入場する姿がSNS上で大きな話題を呼んでいた。 今回も多くの反響が寄せられており、活動に賛同する声が多数寄せられている。 <span class="paragraph-title">【動画】選手が犬を抱いての入場&選手と各犬のスタメン紹介動画</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJEZWdmaGtyZiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ru" dir="ltr">Сине-бело-голубые выйдут на матч <a href="https://twitter.com/hashtag/%D0%97%D0%B5%D0%BD%D0%B8%D1%82%D0%A0%D0%BE%D1%81%D1%82%D0%BE%D0%B2?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#ЗенитРостов</a> с щенками из приютов <br><br>Социальная акция «Собакам лучше дома!» призвана обратить внимание на проблемы ответственности и ухода за домашними животными.<br><br>Ключевым партнером акции выступает Российская кинологическая федерация. <a href="https://t.co/jy5bDRbEjj">pic.twitter.com/jy5bDRbEjj</a></p>&mdash; ФК «Зенит» (@zenit_spb) <a href="https://twitter.com/zenit_spb/status/1466786744502792200?ref_src=twsrc%5Etfw">December 3, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2021.12.07 21:05 Tue
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ロシアがAFCへ? イスラエル転籍の歴史/六川亨の日本サッカーの歩み

去る2月1日、バーレーンのマナマで第33回AFC(アジアサッカー連盟)コングレス2023が開催され、JFA(日本サッカー協会)の田嶋幸三会長がアジア選出のFIFAカウンシル(理事会)メンバーに再選された。 任期は2027年までの4年間で、3選は元JFA会長の小倉純二氏の2選を抜いて最多。2016年にJFA会長に就任した田嶋氏は、来年で4期8年の任期を終え、その後は名誉会長に就任予定だが、FIFAカウンシルのメンバーとしての公式活動は今後4年間続くことになる。 アジア選出のFIFA理事選には定員5名に対し7名が立候補した。満票は45票で、過半数を取らないと理事として認められない。田嶋会長は39票を獲得して7人中2番目で当選した。他にはカタール、サウジアラビア、フィリピン、マレーシアの4人が理事に選出され、中国と韓国の2人は過半数に届かず落選した。 このAFCコングレスには、UEFA(欧州サッカー連盟)からAFCへの転籍が噂されるロシアサッカー協会の会長も出席したことを田嶋会長は明らかにした。その上で「まだ最終的な議論をするまでには至っていません。かつてイスラエルの例もあったが、同じにしていいとは思わない。スポーツと政治は分けて考えるべきだと思う」と私見を述べた。 そのイスラエル、現在はUEFAに所属しているが、かつてはAFCに属していた。 アジアのチームがW杯に出場したのは54年スイス大会の韓国が初めてだった(38年フランス大会のオランダ領東インド=現在のインドネシアは除く)。次が66年イングランド大会の北朝鮮で、グループリーグでイタリアを倒してベスト8に進出したのは長らくアジアの最高成績だった。 そして3番目にW杯に出場したのがイスラエルで、70年メキシコ大会ではイタリアと0-0、スウェーデンと1-1で引き分ける健闘を見せたがグループリーグで敗退した。 そのイスラエルと日本は73年の西ドイツW杯予選で初めて対戦。ソウルでの集中開催だったが、組分け予選で1-2と負けたものの南ベトナムに4-0で勝って準決勝に進出。しかしイスラエルとの再戦となった準決勝では延長戦の末0-1で敗れた。アジア予選を勝ち抜いたのは韓国だったが、オセアニアとの最終予選でオーストラリアに敗れてW杯出場はならなかった。 このイスラエル、本来なら中東のグループに所属するはずだった。しかし67年の第三次中東戦争でイスラエル軍がパレスチナ自治区を占領したことで起こったパレスチナ問題やその後の中東戦争などにより周辺のアラブ諸国との関係が悪化。アラブ諸国はもちろん北朝鮮や中国、イスラム教徒の多いインドネシアなどもイスラエルとの対戦を拒否したため、消去法から予選は東アジアと対戦することになった。 彼らは64年に自国開催のアジアカップで初優勝を飾ったが、72年のタイ大会から出場辞退を余儀なくされ、74年にはクウェートの主導による投票の結果、賛成17、反対13、棄権6によりAFCから除名され、地域連盟に未加盟の状態が続いた。 それでも76年3月のモントリオール五輪予選、77年3月のアルゼンチンW杯予選で日本はイスラエルと対戦。いずれも韓国との3か国によるホーム・アンド・アウェーの対戦だったが、日本はイスラエルの来日に際して安全を保証できないとの理由から、モントリオール五輪予選のホーム・ゲームはソウル(0-3、1-4)で、W杯アルゼンチン予選は2試合ともテルアビブ(0-2、0-2)で開催され、完敗を喫したのだった(通算対戦成績は7戦7敗)。 その後、“さまよえる"イスラエルは一時期UEFA(82年スペインW杯予選)やOFC(オセアニアサッカー連盟)の暫定メンバーとなり、86年メキシコW杯と90年イタリアW杯の予選はオセアニアで戦った。90年大会ではオセアニア代表としてコロンビアとのプレーオフに臨んだものの2試合合計0-1で敗れてオセアニア代表としてのW杯出場はかなわなかった。 そんなイスラエルが長年望んでいたのが、距離的にも近いUEFAに加盟することだった。ようやく92年にUEFAに受け入れられると、94年からは正式なメンバーとして昨年のカタールW杯まで8度の欧州予選に参加。EUROにも96年イングランド大会から参加しているものの、いずれも予選で敗退している。 果たしてウクライナ侵攻によりヨーロッパで孤立しているロシアのサッカーがアジアに転籍してくるのか。パリ五輪の参加資格も含めて注視したい。そして3月24日に国立競技場で開催されるキリンチャレンジカップ2023の対戦相手はウルグアイに決まったが、日本代表のレベルアップのためには日本がUEFAに転籍することも一考ではないだろうか。 2023.02.13 23:00 Mon
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サッカー界追放状態のロシアサッカー連盟、UEFAからAFCへの移籍を検討か

ロシアサッカー協会(RFU)が、アジアサッカー連盟(AFC)に加盟する可能性があるようだ。 ウラジミール・プーチン大統領によるウクライナ侵攻を機に、世界から猛反発を受けるロシア。サッカー界ではロシアのクラブがFIFAやUEFA管轄の国際大会から除外されたほか、ロシア代表もカタール・ワールドカップに出場する資格が剥奪され、今月24日に予定されていたポーランド代表との欧州予選プレーオフは不戦敗扱いとなった。 無期限制裁を受ける中、ロシアメディアによると、RFUはUEFAからAFCへの移籍を検討している模様。ただ、両連盟が認めれば可能ではあるが、ロシアに対する非難が世界的に強まっている中で、AFCが批准する可能性は低いと見られている。 なお、イギリス『デイリー・メール』によれば、かつて各サッカー協会が連盟を移籍したケースはいくつかある。イスラエルサッカー協会は1954年から1974年までAFCに所属し、アジアカップ優勝経験もあるものの、パレスチナ問題や中東戦争など影響から、アジア諸国が対戦拒否や大会参加拒否を主張したため、1974年に開催されたAFC総会で除名された。その後、無所属期間を経て1991年からUEFAに加盟している。 また、カザフスタンもソ連崩壊後、1994年に他の中央アジア4か国と共にAFCに加入したが、当時から選手やファンからはUEFA加盟の希望が強く、ワールドカップ出場などの結果を残せなかったことから、2001年にAFCを脱退。2002年にUEFAに加盟した。 そのほか、オーストラリアも2005年にオセアニアサッカー連盟(OFC)からAFCに移籍している。 2022.03.29 19:22 Tue
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レーティング:チリ 0-1 ドイツ《コンフェデレーションズカップ2017》

▽コンフェデレーションズカップ2017決勝、チリ代表vsドイツ代表が2日にサンクト・ペテルブルク・スタジアムで行われ、0-1でドイツが勝利し、初優勝を飾っている。超WSの選手採点結果と寸評は以下の通り。 ▽チリ採点<div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20170703_4_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brains,LTD.<hr></div>GK 1 ブラーボ 5.5 特別好守はなかった DF 4 イスラ 5.5 攻撃面で違いを生めず 17 メデル 5.5 安定したプレーぶり 18 ハラ 5.0 あわや失点につながりかねないミスパスを犯し、退場になっても文句の言えないヒジ打ちを見舞う 15 ボセジュール 5.5 守備に追われた MF 20 アランギス 6.0 前線への絡みでアクセントを付ける (→サガル -) 8 ビダル 6.0 球際でよく戦った 21 ディアス 4.5 自陣でのボールロストから失点 (→バレンシア 5.5) トップ下の位置でプレー 10 パブロ・エルナンデス 5.5 後方の位置からゲームを組み立てる FW 11 E・バルガス 5.5 前後半に枠内シュート1本ずつ (→プッチ -) 7 サンチェス 5.0 ほとんど良い形でボールに触れず。20分のチャンスを決めたかった 監督 ピッツィ 5.5 堅守速攻のドイツの前に苦戦 ▽ドイツ採点<div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20170703_7_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brains,LTD.<hr></div>GK 22 テア・シュテーゲン 6.0 終始、安定したゴールキーピング DF 4 ギンター 6.0 安定感あるプレーを続けた 2 ムスタフィ 6.0 守備を統率 16 リュディガー 6.0 集中を切らさずプレー MF 18 キミッヒ 5.5 さほど上がらず自陣のエリアをケア 8 ゴレツカ 6.0 いつも通り、タイミング良く攻撃に絡んだ (→ジューレ -) 21 ルディ 6.0 中盤のバランスを取る 3 ヘクター 6.0 守備のバランスを気にかけたプレーぶり FW 13 シュティンドル 6.0 今大会3ゴール目をゲット。フィニッシャーの役割を果たす 11 ヴェルナー 6.0 ディフェンスライン背後を突いてけん制。決勝点をアシスト (→カン -) 7 ドラクスラー 6.0 カウンターの起点に 監督 レーブ 6.5 Bチームで臨んで見事初優勝 ★超WS選定マン・オブ・ザ・マッチ! ヴェルナー(ドイツ) ▽カウンターの起点となり、何度も相手ゴールに迫った。 チリ 0-1 ドイツ 【ドイツ】 シュティンドル(前20) ※ドイツが初優勝 2017.07.03 05:03 Mon
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チェリシェフにドーピング違反疑惑! 処分なら4年間の出場停止も

▽ビジャレアルからバレンシアにレンタル移籍中のロシア代表MFデニス・チェリシェフ(27)がドーピング違反疑惑をかけられているようだ。イギリス『テレグラフ』が伝えている。 ▽『テレグラフ』が伝えるところによれば、チェリチェフの父親は先日にロシアメディアに対して、「ワールドカップに向けて成長ホルモン入りの注射を渡された」と、自身の息子がケガの早期回復に向けてドーピング違反の観点で禁止されている成長ホルモン入りの注射を受けていたことを明かした。 ▽そして、一連の報道を受けて、スペインアンチドーピング機構(AEPSAD)は同選手に対する調査を開始したようだ。なお、『テレグラフ』は今回の調査で違反が確認された場合、最大4年間の出場停止処分が科される可能性を伝えている。 ▽一方、ロシアサッカー連合(RFU)は『テレグラフ』の成長ホルモン入り注射が間違ったものであり、実際は使用が認められている多血小板血しょう(PRP)による治療だったと主張。PRP療法はヨーロッパやアメリカでは頻繁に行われている治療法で、自分の血液から血小板が多く含まれる部分のみを抽出し患部に注射することで自己治癒力を高める効果がある。 ▽レアル・マドリーの下部組織出身のチェリシェフは2016年夏にビジャレアルに移籍。加入1年目はケガでリーグ戦出場は11試合にとどまったものの、2年目となった昨季はリーグ戦24試合に出場し2ゴール2アシストを記録。その活躍からロシア代表として出場したロシア・ワールドカップ(W杯)では、初戦の2ゴールを含む5試合4ゴールでロシアの攻撃を牽引。大会前の下馬評を覆し、スペイン代表を破るなどベスト8進出に貢献した。 2018.09.09 14:20 Sun