
ロシア
RUSSIA国名 |
![]() |
ホームタウン | モスクワ |
愛称 | スボルナヤ |
【FIFAワールドカップ】※ソ連時代も含む
出場回数:10回
・2014年:グループステージ敗退
・2002年:グループステージ敗退
・1994年:グループステージ敗退
・1990年:グループステージ敗退
・1986年:ベスト16
・1982年:2次リーグ敗退
・1970年:ベスト8
・1966年:4位
・1962年:ベスト8
・1958年:ベスト8
出場回数:10回
・2014年:グループステージ敗退
・2002年:グループステージ敗退
・1994年:グループステージ敗退
・1990年:グループステージ敗退
・1986年:ベスト16
・1982年:2次リーグ敗退
・1970年:ベスト8
・1966年:4位
・1962年:ベスト8
・1958年:ベスト8
ニュース | 人気記事 | 選手一覧 |
ロシアのニュース一覧
ロシアの人気記事ランキング
1
UEFA、来季以降もロシアの大会締め出しを継続! 2028年と2032年のユーロ招致レース参加も除外
欧州サッカー連盟(UEFA)は2日、ロシアの隣国ウクライナへの軍事侵攻による、同国への処分に関する今後の大会への対応を発表した。 ロシアは2月24日、隣国ウクライナに軍事侵攻を開始。幾度か停戦交渉を行ってきたものの、未だに合意に至らず。現在ではウクライナ全土に戦禍が広がっている。 これを受け、国際サッカー連盟(FIFA)とUEFAは2月28日、ロシア代表チームおよび同国クラブの一時的な国際大会参加禁止を発表。この処分によってカタール・ワールドカップ(W杯)のプレーオフに進んでいたロシアは大会締め出しとなり、今シーズンのヨーロッパリーグ(EL)で決勝トーナメントに進出していたスパルタク・モスクワも同じく大会から締め出されていた。 サッカー界のカレンダーでは2021-22シーズンがもうまもなく終了を迎える中、今回UEFAは来シーズン以降の大会に向けたロシアに対する協議を実施。 この結果、UEFA執行委員会は男女のサッカー代表チームおよびフットサル代表チーム、ユースチーム、同国所属クラブに対する大会締め出しの処分を継続することを決定した。 具体的には、男子のUEFAネーションズリーグ2022/23、女子のユーロ2022、FIFA女子ワールドカップ(W杯)2023への欧州予選への参加が不可能となる。 さらに、クラブチームでは2022-23シーズンに行われるチャンピオンズリーグ(CL)、EL、ヨーロッパ・カンファレンスリーグ(ECL)の出場資格が与えられない。 また、ロシアは2028年と2032年に開催予定のユーロの開催地に立候補していたが、これに関しても資格なしとの判断から除外することを決定している。 2022.05.03 07:10 Tue2
カルピンがロシア代表監督に就任、現役時代にラ・リーガで活躍
ロシアサッカー連合(RFU)は23日、ロストフを率いるヴァレリー・カルピン監督(52)をロシア代表監督に任命したことを発表した。契約期間は2021年末までとのことだ。 ロシア代表では8日、スタニスラフ・チェルチェソフ前監督(57)が、ユーロ2020でのグループステージ最下位での敗退を受けて双方合意の下、契約解除に至っていた。 カルピン監督は現役時代にラ・リーガで活躍。レアル・ソシエダやセルタで中心選手として活躍した。 現役引退後はスパルタク・モスクワやマジョルカ、アルマヴィルと歴任し、2017年12月からロストフの監督に就任していた。 2021.07.24 07:00 Sat3
エスコートキッズならぬエスコートドッグ、ゼニトの選手が保護犬を抱えてピッチ入場
3日に行われたロシア・プレミアリーグ、ゼニトvsFCロストフの一戦ではゼニトの選手たちが犬を抱いてピッチへと入場した。 エスコートキッズならぬエスコートドッグ。これは飼い主のいない保護犬たちの里親を見つけるためのプロジェクトとして行われた。犬種は様々だが、どの子も行儀よく選手の腕の中にとどまっている。 それぞれの子には名前も付けられており、スタジアムやTVなどで見たファンが引き取りやすいような仕組みとなっている。ゼニトの公式ツイッターは選手紹介に併せて“パートナー”の紹介も行うという、粋な演出を見せた。 この試みは以前ルーマニアで行われており、9月12日に行われたリーガ1第8節のFCSBvsディナモ・ブカレストの一戦では、ディナモ・ブカレストの選手たちが犬を抱いて入場する姿がSNS上で大きな話題を呼んでいた。 今回も多くの反響が寄せられており、活動に賛同する声が多数寄せられている。 <span class="paragraph-title">【動画】選手が犬を抱いての入場&選手と各犬のスタメン紹介動画</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJEZWdmaGtyZiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ru" dir="ltr">Сине-бело-голубые выйдут на матч <a href="https://twitter.com/hashtag/%D0%97%D0%B5%D0%BD%D0%B8%D1%82%D0%A0%D0%BE%D1%81%D1%82%D0%BE%D0%B2?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#ЗенитРостов</a> с щенками из приютов <br><br>Социальная акция «Собакам лучше дома!» призвана обратить внимание на проблемы ответственности и ухода за домашними животными.<br><br>Ключевым партнером акции выступает Российская кинологическая федерация. <a href="https://t.co/jy5bDRbEjj">pic.twitter.com/jy5bDRbEjj</a></p>— ФК «Зенит» (@zenit_spb) <a href="https://twitter.com/zenit_spb/status/1466786744502792200?ref_src=twsrc%5Etfw">December 3, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2021.12.07 21:05 Tue4
ロシアがAFCへ? イスラエル転籍の歴史/六川亨の日本サッカーの歩み
去る2月1日、バーレーンのマナマで第33回AFC(アジアサッカー連盟)コングレス2023が開催され、JFA(日本サッカー協会)の田嶋幸三会長がアジア選出のFIFAカウンシル(理事会)メンバーに再選された。 任期は2027年までの4年間で、3選は元JFA会長の小倉純二氏の2選を抜いて最多。2016年にJFA会長に就任した田嶋氏は、来年で4期8年の任期を終え、その後は名誉会長に就任予定だが、FIFAカウンシルのメンバーとしての公式活動は今後4年間続くことになる。 アジア選出のFIFA理事選には定員5名に対し7名が立候補した。満票は45票で、過半数を取らないと理事として認められない。田嶋会長は39票を獲得して7人中2番目で当選した。他にはカタール、サウジアラビア、フィリピン、マレーシアの4人が理事に選出され、中国と韓国の2人は過半数に届かず落選した。 このAFCコングレスには、UEFA(欧州サッカー連盟)からAFCへの転籍が噂されるロシアサッカー協会の会長も出席したことを田嶋会長は明らかにした。その上で「まだ最終的な議論をするまでには至っていません。かつてイスラエルの例もあったが、同じにしていいとは思わない。スポーツと政治は分けて考えるべきだと思う」と私見を述べた。 そのイスラエル、現在はUEFAに所属しているが、かつてはAFCに属していた。 アジアのチームがW杯に出場したのは54年スイス大会の韓国が初めてだった(38年フランス大会のオランダ領東インド=現在のインドネシアは除く)。次が66年イングランド大会の北朝鮮で、グループリーグでイタリアを倒してベスト8に進出したのは長らくアジアの最高成績だった。 そして3番目にW杯に出場したのがイスラエルで、70年メキシコ大会ではイタリアと0-0、スウェーデンと1-1で引き分ける健闘を見せたがグループリーグで敗退した。 そのイスラエルと日本は73年の西ドイツW杯予選で初めて対戦。ソウルでの集中開催だったが、組分け予選で1-2と負けたものの南ベトナムに4-0で勝って準決勝に進出。しかしイスラエルとの再戦となった準決勝では延長戦の末0-1で敗れた。アジア予選を勝ち抜いたのは韓国だったが、オセアニアとの最終予選でオーストラリアに敗れてW杯出場はならなかった。 このイスラエル、本来なら中東のグループに所属するはずだった。しかし67年の第三次中東戦争でイスラエル軍がパレスチナ自治区を占領したことで起こったパレスチナ問題やその後の中東戦争などにより周辺のアラブ諸国との関係が悪化。アラブ諸国はもちろん北朝鮮や中国、イスラム教徒の多いインドネシアなどもイスラエルとの対戦を拒否したため、消去法から予選は東アジアと対戦することになった。 彼らは64年に自国開催のアジアカップで初優勝を飾ったが、72年のタイ大会から出場辞退を余儀なくされ、74年にはクウェートの主導による投票の結果、賛成17、反対13、棄権6によりAFCから除名され、地域連盟に未加盟の状態が続いた。 それでも76年3月のモントリオール五輪予選、77年3月のアルゼンチンW杯予選で日本はイスラエルと対戦。いずれも韓国との3か国によるホーム・アンド・アウェーの対戦だったが、日本はイスラエルの来日に際して安全を保証できないとの理由から、モントリオール五輪予選のホーム・ゲームはソウル(0-3、1-4)で、W杯アルゼンチン予選は2試合ともテルアビブ(0-2、0-2)で開催され、完敗を喫したのだった(通算対戦成績は7戦7敗)。 その後、“さまよえる"イスラエルは一時期UEFA(82年スペインW杯予選)やOFC(オセアニアサッカー連盟)の暫定メンバーとなり、86年メキシコW杯と90年イタリアW杯の予選はオセアニアで戦った。90年大会ではオセアニア代表としてコロンビアとのプレーオフに臨んだものの2試合合計0-1で敗れてオセアニア代表としてのW杯出場はかなわなかった。 そんなイスラエルが長年望んでいたのが、距離的にも近いUEFAに加盟することだった。ようやく92年にUEFAに受け入れられると、94年からは正式なメンバーとして昨年のカタールW杯まで8度の欧州予選に参加。EUROにも96年イングランド大会から参加しているものの、いずれも予選で敗退している。 果たしてウクライナ侵攻によりヨーロッパで孤立しているロシアのサッカーがアジアに転籍してくるのか。パリ五輪の参加資格も含めて注視したい。そして3月24日に国立競技場で開催されるキリンチャレンジカップ2023の対戦相手はウルグアイに決まったが、日本代表のレベルアップのためには日本がUEFAに転籍することも一考ではないだろうか。 2023.02.13 23:00 Mon5
ブラジルW杯に出場していたロシア代表23名にドーピング疑惑
▽国際サッカー連盟(FIFA)は、2014年のブラジル・ワールドカップ(W杯)に出場したロシア代表23選手に対し、ドービング疑惑の調査を行っていることを認めた。イギリス『デイリー・メール』が報じた。 ▽ロシアでは、過去10年間にわたる国家ぐるみのドーピング疑惑が持ちかけられており、オリンピックに出場していた選手らが告発を行っていることでも知られている。 ▽『デイリー・メール』によると、世界反ドーピング期間(WADA)がオリンピックやパラリンピックの競技に関わる1000人以上のスポーツ選手が、組織的なドーピング隠微に関わっていたと認定。その対象に、ブラジルW杯に出場した23名に加え11名のサッカー選手が含まれているとのことで、FIFAもその事実を認めたようだ。 ▽現在はロシアでコンフェデレーションズカップが行われており、来年にはW杯の開催が控えている。FIFAとしてはW杯開催の前に明らかにしたい意向があるようだ。 ▽なお、対象選手には、長年ロシア代表の守護神を務めているGKイゴール・アキンフェエフやDFセルゲイ・イクナシェビッチ、MFユーリ・ジルコフ、FWアレクサンドル・ココリンなどが含まれている。 ▽なお、ロシアはブラジルW杯でグループHに属し、ベルギー代表、アルジェリア代表、韓国代表と対戦。2分け1敗の結果で3位となり、グループステージで敗退していた。 2017.06.26 12:23 Monロシアの選手一覧
1 | GK |
![]() ![]() |
イゴール・アキンフェエフ | |||||||
![]() |
1986年04月08日(39歳) | 185cm | 78kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
12 | GK |
![]() ![]() |
アンドレイ・ルニョフ | |||||||
![]() |
1991年11月13日(33歳) | 189cm |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
20 | GK |
![]() ![]() |
ウラジミール・ガブロフ | |||||||
![]() |
1983年10月19日(42歳) | 186cm | 74kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
2 | DF |
![]() ![]() |
マリオ・フィゲイラ・フェルナンデス | |||||||
![]() |
1990年09月19日(35歳) | 187cm | 79kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
3 | DF |
![]() ![]() |
イルヤ・クテポフ | |||||||
![]() |
1993年07月29日(32歳) | 188cm | 77kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
4 | DF |
![]() ![]() |
セルゲイ・イグナシェビッチ | |||||||
![]() |
1979年07月14日(46歳) | 186cm | 82kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
5 | DF |
![]() ![]() |
アンドレイ・セメノフ | |||||||
![]() |
1989年03月24日(36歳) | 190cm | 86kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
13 | DF |
![]() ![]() |
ヒョードル・クドリャショフ | |||||||
![]() |
1987年04月05日(38歳) | 181cm | 77kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
14 | DF |
![]() ![]() |
ウラジミール・グラナト | |||||||
![]() |
1987年05月22日(38歳) | 184cm | 75kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
23 | DF |
![]() ![]() |
イーゴル・スモルニコフ | |||||||
![]() |
1988年08月08日(37歳) | 178cm |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
6 | MF |
![]() ![]() |
デニス・チェリシェフ | |||||||
![]() |
1990年12月26日(34歳) | 180cm |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
7 | MF |
![]() ![]() |
ダレル・クジャイェフ | |||||||
![]() |
1993年01月15日(32歳) | 177cm |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
8 | MF |
![]() ![]() |
ユーリ・ガジンスキー | |||||||
![]() |
1989年07月20日(36歳) | 184cm |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
9 | MF |
![]() ![]() |
アラン・ジャゴエフ | |||||||
![]() |
1990年06月17日(35歳) | 179cm | 70kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
11 | MF |
![]() ![]() |
ロマン・ゾブニン | |||||||
![]() |
1994年07月09日(31歳) | 182cm |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
15 | MF |
![]() ![]() |
アレクセイ・ミランチュク | |||||||
![]() |
1995年10月17日(30歳) | 185cm | 77kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
16 | MF |
![]() ![]() |
アントン・ミランチュク | |||||||
![]() |
1995年10月17日(30歳) | 182cm | 67kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
17 | MF |
![]() ![]() |
アレクサンドル・ゴロビン | |||||||
![]() |
1996年05月30日(29歳) | 180cm |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
18 | MF |
![]() ![]() |
ユーリ・ジルコフ | |||||||
![]() |
1983年07月20日(42歳) | 178cm | 76kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
21 | MF |
![]() ![]() |
アレクサンドル・エロヒン | |||||||
![]() |
1989年10月13日(36歳) | 195cm |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
10 | FW |
![]() ![]() |
ヒョードル・スモロフ | |||||||
![]() |
1990年02月09日(35歳) | 185cm | 73kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
19 | FW |
![]() ![]() |
アレクサンドル・サメドフ | |||||||
![]() |
1984年07月19日(41歳) | 178cm | 74kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
22 | FW |
![]() ![]() |
アルチョム・ジューバ | |||||||
![]() |
1988年08月22日(37歳) | 191cm | 78kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
監督 |
![]() ![]() |
スタニスラフ・チェルチェソフ | ||||||||
![]() |
1963年09月02日(62歳) |
![]() |
0 |
![]() |
0 |