ローマ、ユベントスから18歳CBハイセンのレンタル加入を発表! 「一緒に目標を達成できることを願っている」
2024.01.07 07:00 Sun
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スカマッカ、疎遠な父親の暴挙に動揺隠せず…「どう説明していいのかわからない」
ジェノアのU-21イタリア代表FWジャンルカ・スカマッカ(22)は、古巣ローマのトレーニング施設での実の父親の逮捕劇にひどく動揺している。 スカマッカの父親であるエミリアーノ(45)は、17日夜にローマのトレーニング施設があるトリゴリアに自身が運転する自動車で向かった。そこで門に車をぶつけて強行突破して駐車場に侵入すると、タイヤレバー(タイヤ着脱用の金属のバー)で武装し、ゼネラルマネージャーのチアゴ・ピント氏やディレクターを務めるモルガン・デ・サンクティス氏が所有すると思われる4、5台の車両の窓ガラス、大理石でできたクラブのシンボルであるオオカミの像を破壊。 さらに、ユースチームが練習していたグラウンドに向かい、選手やコーチングスタッフに対して威圧的な言葉を叫んでいたとのことだ。 その後、ローマの通報によって駆け付けた地元警察に現行犯逮捕となったエミリアーノは、逮捕時にサッスオーロのスウェットを着用していたことも確認されていた。 今回の犯行の動機に関しては不明となっていたが、『La Repubblica』の最新情報によると、エミリアーノは同クラブのレジェンドであり、1982年のスペイン・ワールドカップのイタリア代表の優勝メンバーであるブルーノ・コンティ氏に金銭を要求する目的でクラブハウスを訪れていたようだ。 現時点で両者の間に面識があったのか、過去に金銭のやり取りがあったのかを含めて不明な部分が多く、警察はエミリアーノに対する精神鑑定を行うために病院に搬送したとのことだ。 これを受けて、スカマッカはイタリア『ガゼッタ・デッロ・スポルト』の取材を受けるも、「どう説明していいのかわからない」と、疎遠だった実の父親の信じがたい行動に動揺を見せている。 「起こったこと、読んだことにひどく動揺している。どう説明していいのかわからないよ」 「この話をするのはつらいけど、必要なことなのかもしれない。僕の父は、とても長い間、母と一緒に暮らしていなかった。二人は結婚しておらず、離婚はしていない。僕自身は母と姉に育てられたんだ。だから、彼女たちが僕の家族なんだ」 「僕と父はたまにしか関係を持たない。それに、ごくまれにしか会うことはない。ただ、これは家族の問題であり、自分の中に留めておきたいことだから、僕のプライバシーを尊重してほしいと思っている」 「父は僕のキャリアに何の関わりもなく、特に近年はそうだった。今回の出来事にはとても失望しているし、心が揺れているけど、父とはほとんど連絡を取っていないので、本当に何と言っていいのかわからないよ」 スカマッカは、2012年にラツィオのアカデミーからローマの下部組織に加入。2015年にPSVのユースに移籍するまで3年間在籍。その後、2017年にサッスオーロに完全移籍すると、今シーズンはジェノアにレンタル移籍している。 今シーズンのセリエAで26試合8ゴールを挙げる195cmの大型ストライカーは、ユベントスやミランといった国内強豪クラブの関心を集める逸材であり、ローマも呼び戻しの可能性を探っているとの報道もあった。 2021.05.19 23:39 Wed2
ローマが先日セレソンデビューの左SBに関心か?
ローマが、フラメンゴのブラジル代表DFアイルトン・ルーカス(26)に興味を示しているようだ。ブラジル『Bolavip』が報じている。 ローマは新シーズンに向けて、元オランダ代表DFリック・カルスドルプ、イタリア代表DFレオナルド・スピナッツォーラの去就が不透明なこともあり、ウイングバックのポジションが補強ポイントのひとつに挙げられている。 そういった中、左の獲得候補の一人が先日にセレソンデビューを飾ったブラジル国内屈指の左サイドバックだという。 母国の名門フルミネンセでプロキャリアをスタートしたアイルトン・ルーカスは、2019年にスパルタク・モスクワへ完全移籍。ただ、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の影響もあって、昨年3月にフラメンゴへレンタル移籍。同年12月に完全移籍へ切り替わった。 パワフル且つ正確な左足のキックと攻撃センスを最大の特長としながらも、守備面での貢献度も申し分ない総合力の高い26歳DFは、昨シーズンのフラメンゴのコパ・リベルタドーレス、コパ・ド・ブラジルの2冠達成に大きく貢献。また、今シーズンも公式戦34試合に出場し、6ゴール5アシストの数字を残している。 報道によると、同選手の才能を高く評価するゼネラルマネージャーのチアゴ・ピント氏は、1200万ユーロ(約18億5000万円)程度のオファーを考慮しているという。 2023.06.21 08:00 Wed3
ディバラがローマとの新契約にサインへ…年俸引き上げ見返りに契約解除条項を削除か
アルゼンチン代表FWパウロ・ディバラ(29)がローマとの新契約にサインする見込みだ。 昨夏にユベントスを契約満了で退団し、フリーでローマへ加入したディバラ。加入1年目は負傷による離脱はありながらも公式戦38試合に出場し、チーム最多の18ゴールに加えて8アシストを記録。シーズンを通して攻撃面で圧倒的なクオリティを披露した。 昨年にはアルゼンチン代表でカタール・ワールドカップ優勝も経験し、永遠の都で充実のシーズンを過ごした29歳FW。だが、2025年までの現行契約にはイタリア国外のクラブにのみ有効となる1200万ユーロ(約18億8000万円)の契約解除条項が盛り込まれている。 ディバラの能力を考えれば、破格とも言えるこの契約解除条項を受け、同胞マウリシオ・ポチェッティーノ監督が率いるチェルシーや、今夏ビッグネームを乱獲するサウジアラビアから代理人サイドへの接触が報じられている。 しかし、移籍市場に精通するジャーナリストのニコロ・スキラ氏によると、ディバラの希望はローマ残留だという。 代理人を務めるホルヘ・アントゥン氏は、現在イタリアに滞在しており、ゼネラルマネージャーのチアゴ・ピント氏とディバラの契約延長に向けた会談を設定。 この会談では年俸600万ユーロ(約9億3000万円)+ボーナスと言われる給与の引き上げを念頭においた、2026年までの新契約が話し合われるという。 また、前述のイタリア国外に有効な前述の1200万ユーロ、国内限定の2000万ユーロ(約31億2000万円)の契約解除条項の削除についても話し合われる。 なお、アルゼンチン時代にディバラを発掘したことで知られるスカウトマンのサントス・トゥルサ氏は、『スポルトイタリア』のインタビューで「ローマでは、パウロが改めて自分の重要性を感じ、十分に評価されていると感じたと思う。彼がユーベでそうではなかったというわけではないが、現時点で彼が最も必要としていたのはローマの環境だった」と、同選手にとってローマがプレーする上で最適の場所であると主張している。 2023.07.08 17:38 Sat4
ミラン退団のリッキー・マッサーラが古巣ローマに復帰か?
ミランを退団したリッキー・マッサーラ氏(54)が、古巣ローマに復帰する可能性が浮上している。 2019年7月にスポーツディレクター(SD)としてミランに招へいされたマッサーラ氏は、テクニカルディレクター(TD)のパオロ・マルディーニ氏との二人三脚で名門復活の礎を築き、2021-22シーズンのセリエA優勝の立役者となった。 しかし、昨夏の移籍市場における新戦力補強の失敗によって立場が危ぶまれると、予てより補強方針の違いなどを巡って確執が伝えられていたオーナーのジェリー・カルディナーレ氏に解任を言い渡され、6月にマルディーニ氏と共にクラブを離れていた。 以降はフリーの状況が続いているが、ここにきて古巣ローマへの復帰の可能性が浮上しているようだ。 イタリア『コリエレ・デッロ・スポルト』によると、ローマのゼネラルマネージャーを務めるチアゴ・ピント氏は、17日のエンポリ戦を前にマッサーラ氏を会談の場を設けていたという。 この会談では復帰に向けた詳細に関して話し合われたわけではないが、敏腕リクルーターはフリードキン・ファミリーが率いる経営陣にとって今後のオプションとなる可能性があるようだ。 マッサーラ氏は2011年にローマへ加入し、以降はワルテル・サバティーニ氏やモンチ氏の右腕としてリクルート部門で活躍。イタリア代表MFニコロ・ザニオーロ(現アストン・ビラ)の獲得を主導するなど、リクルーターとしての確かな眼と国内での交渉力に定評がある。 2023.09.20 07:30 Wed5
ローマ、ユベントスから18歳CBハイセンのレンタル加入を発表! 「一緒に目標を達成できることを願っている」
ローマは6日、ユベントスからU-19オランダ代表DFディーン・ハイセン(18)を今シーズン終了までのレンタル移籍で獲得したことを発表した。背番号は「3」に決定した。なお、今回の移籍は買い取りオプションが含まれないドライローンとなる。 移籍濃厚と報じられたフロジノーネ行きを蹴ってローマ行きを選択した18歳の大器は新天地での意気込みを語った。 「ここで受けた歓迎にすぐに感動したんだ」 「ローマを選ぶのは僕にとって難しいことではなかったよ。素晴らしい監督と多くのチャンピオンのいる素晴らしいクラブに加わり、ドレッシングルームを共有する特権を得ることができる。一緒に目標を達成できることを願っているよ」 一方、ファイナンシャル・フェアプレー(FFP)の厳しい制限のなかで懸念のセンターバック補強にこぎ着けたゼネラルマネージャーのチアゴ・ピント氏は、逸材の早期フィットを確信している。 「若い年齢にもかかわらず、ハイセンはシーズン後半にすぐに貢献できると我々は信じている。我々のプレーヤーたちのキャラクターのおかげで、ドレッシングルームでより早く馴染み、ディーンが新しい環境にすぐに慣れることができると確信している」 ハイセンは元アヤックスのドン・ハイセン氏を父に持つ195cmのセンターバック。両利きと称されるほど両足を遜色なく扱え、フィジカルとスピードも申し分なし。クラブ関係者が口を揃えて「我々の未来」と絶賛する逸材。 今季はセリエCに所属するユベントスNextGen(U-23チーム)が主戦場だが、昨年10月に行われたセリエA第9節のミラン戦でファーストチームデビューを飾っていた。 なお、イタリアメディアによると、ローマはハイセンのレンタル料として65万ユーロ(約1億円)を支払うことになるが、公式戦10試合以上出場した場合には25万ユーロ(約4000万円)が値引きされる契約になるという。 <span class="paragraph-title">【動画】ジャッロロッシのハイセンがお披露目</span> <span data-other-div="movie"></span> <div id="cws_ad"><blockquote class="twitter-tweet" data-media-max-width="560"><p lang="nl" dir="ltr"> Benvenuto in giallorosso, Dean Huijsen<a href="https://twitter.com/hashtag/ASRoma?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#ASRoma</a> <a href="https://t.co/hJPGhjppqT">pic.twitter.com/hJPGhjppqT</a></p>— AS Roma (@OfficialASRoma) <a href="https://twitter.com/OfficialASRoma/status/1743680235332067350?ref_src=twsrc%5Etfw">January 6, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script></div> 2024.01.07 07:00 Sunローマの人気記事ランキング
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ローマが新スタジアム計画を発表…目玉は欧州最大のクルヴァ・スッド
ローマが新スタジアムの計画を発表した。 ローマは1953年の開場以来、ラツィオと共にスタディオ・オリンピコを本拠地として使用してきた。しかし、幾度か修繕や改修は行っているものの、老朽化が否めないこともあり、クラブは以前から新スタジアム建設への動きを進めていた。 ただ、“地面を掘れば遺跡にあたる”とも言われる「永遠の都」特有の事情もあり、その計画はなかなか進まずにいたが、ライアン・フリードキン副会長とリナ・スルークCEOとローマ市長のロベルト・グアルティエリ氏ら市議会の代表者との会談を経て、新スタジアムの計画を発表した。 『YouTube』での新スタジアムのイメージ動画と共にクラブは今回の計画を以下のように説明している。 「ライアン・フリードキン副会長とリナ・スルークCEOを代表とするASローマのトップマネジメントは、本日、ローマ市長ロベルト・グアルティエリ氏と会談し、クラブの新スタジアムのエキサイティングな計画について話し合いました」 「会議では、プロジェクトの革新性と、フットボールファンと地域社会の両方に約束される数多くのメリットに対する共通の熱意が示されました」 「プロジェクトのビデオプレゼンテーションのリリースは、新しいスタジアムのユニークなビジョンとモダンなデザインを紹介し、熱狂的な反響を呼びました。このビジョンの鍵となるのは、ヨーロッパ最大となる予定の新しいクルヴァ・スッドです。このクルヴァ・スッドは、ASローマのサポーターの揺るぎない情熱の証となるでしょう」 また、フリードキン副会長は、このプロジェクトがクラブだけでなくローマという都市、地域社会においても新たな価値を創造するものになると確信している。 「本日、ローマ市長のロベルト・グアルティエリ氏とお会いし、新しいスタジアムのビジョンを発表できたことを光栄に思います。この素晴らしいスタジアムは、ASローマとそのファンの新しいホームであるだけでなく、ローマ市民全員にとってのランドマークでもあります。ヨーロッパ最大のクルヴァとなる予定の新しいクルヴァ・スッドは、サポーターの情熱とエネルギーを体現する強力な焦点となるでしょう。古典的なローマ建築にインスピレーションを得た象徴的なデザインと最先端の設備を備えたこのスタジアムは、フットボールファンから地元のコミュニティまで、すべての人に世界クラスの体験を提供します」 「ASローマの誇りある管理者として、私たちは、クラブの精神と伝統を体現する空間を創り出すとともに、革新と卓越性の世界的なシンボル、そして環境責任のモデルとなることに尽力しています」 「新スタジアムを環境責任のモデルにするという取り組みは、ローマ市長が指摘したように、クラブの価値観やローマ市のより広範な目標と一致しています」 「両者は、開発のさまざまな側面に焦点を当てる作業グループの設立を含む、プロジェクトを進めるためのロードマップについて話し合い、合意しました。これらのグループは、環境基準とコミュニティの関与に細心の注意を払いながら、プロジェクトがスムーズに進むようにします」 「ASローマとそのリーダーシップは、ファンの体験を向上させるだけでなく、コミュニティと環境にプラスの影響を与えるランドマークを作成することに専念しています。新しいスタジアムプロジェクトは、クラブ、ファン、そしてローマ市の誇りのシンボルとなるでしょう」 <span class="paragraph-title">【動画】ローマの新スタジアム構想が発表!</span> <span data-other-div="movie"></span> <iframe width="640" height="360" src="https://www.youtube.com/embed/RE0m08zRgBo" title=" Towards our new stadium " frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe> 2024.07.25 06:30 Thu2
過去に脳の手術も…ローマなどでプレーした元ブラジル代表DFレアンドロ・カスタンが35歳で現役引退
かつてローマなどでプレーした元ブラジル代表DFレアンドロ・カスタン(35)が現役引退を発表した。 カスタンはイタリアにもルーツを持つブラジル人。アトレチコ・ミネイロからスウェーデンのヘルシンボリへ移籍して初めてヨーロッパでプレー。その後、ブラジルのバルエリへと移籍すると、2010年1月にはコリンチャンスへと完全移籍する。 そのコリンチャンスで結果を残すと、2012年7月にローマへと完全移籍する。ローマでは公式戦81試合に出場し1ゴール1アシストを記録。しかし、2014年9月に海綿状血管腫が発覚し、同年12月に手術。そこから半年以上離脱するなど、苦しむこととなった。 その後、サンプドリアやトリノ、カリアリへのレンタル移籍を経て、2018年8月にヴァスコ・ダ・ガマへ移籍して母国復帰。2022年3月からはグアラニでプレーしていた。 グアラニではカンピオナート・ブラジレイロ・セリエB(ブラジル2部)で7試合に出場していた。 通算ではブラジル・セリエAで147試合に出場し5ゴール3アシスト、イタリア・セリエAで100試合1ゴール2アシストを記録していた。 また、ブラジル代表としても2試合プレー。2012年の日本代表戦でデビューし、続くコロンビア代表戦でもプレーしたのが最後だった。 カスタンは自身のSNSで引退を発表。キャリアを振り返り、脳の病気も大きかったと振り返った。 「16歳の時にサッカー選手になるという夢を胸に家を出た。神様は、僕が夢見る以上のものを与えてくれた。まさか、自分があのようなチームでプレーし、あのような勝利を収められるとは思っていなかった」 「頭痛がして、何度か検査をした後、自分のキャリアで最高の瞬間に、もうサッカーはできないと医者に言われるとは想像もしていなかった。どうしたら良いかわからなかった」 「今日、8年が経って『もう終わった』と言える。高いレベルの達することはできなくなったけど、厳しい相手に勝つことができ、キャリアを続けられたのは皆さんのおかげだ」 「手術をしてくれたドクター、父のように接してくれたワルテル・サバティーニをはじめとするローマの人々に感謝している」 「ルディ・ガルシア監督、素晴らしい応援をしてくれたファンの皆さん、この道をサポートしてくれたイタリアの友人たちにも感謝する」 <span class="paragraph-title">【動画】レアンドロ・カスタンがキャリアを振り返り引退発表</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="it" dir="ltr">Grazie a tutti quanti avete diviso questo sogno con me, un abbraccio !!! <a href="https://t.co/3qYEPS4IjG">pic.twitter.com/3qYEPS4IjG</a></p>— Leandro Castan (@l_castan) <a href="https://twitter.com/l_castan/status/1546611035129380864?ref_src=twsrc%5Etfw">July 11, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2022.07.12 21:10 Tue3
34歳パストーレ現役引退へ「痛みに耐えられない」「楽しかったサッカーが罰に」
元アルゼンチン代表MFハビエル・パストーレ(34)がやはり現役引退へ。 淡いピンクのユニフォームを纏ったパレルモ時代に脚光を浴び、以後パリ・サンジェルマン(PSG)、ローマでもプレーしたパストーレ。端正な顔立ちも人気を博した正真正銘のクラックだ。 しかし、そんな彼の現在地は「無所属」。昨夏カタール・スターズリーグのカタールSCを半年で退団後、どのクラブにも属しておらず、以前から問題を抱える股関節の状態が極めて良くないことを明かしている。 今回、アルゼンチン『La Nacion』の取材では、耐え難い股関節の痛み、そしてそれに伴う苦しみに苛まれてきたことを告白。どうやら心は現役引退で固まってるようだ。 「痛みに耐えられなかった…目覚めの瞬間に気分が悪くなり、自然と脳が僕に『もうサッカーを辞める時だ』と語りかけていた。けど、僕自身が受け入れられず、苦しむことを決めたんだ」 「サッカーを続けるためにできることは全て試してみた。けど、望む結果は何もない。練習とプレーは再開できたが、日々の生活は悪いまま。一度紅白戦をやってみたら、その後2日間ベッドで寝て過ごすことになったんだ…痛みでね」 「消耗しきった股関節に再び負荷をかける…有害みたいだ。痛みは以前にも増して大きくなり、サッカーが楽しみではなく、ただの罰になってしまったよ。子どもたちとボールを蹴ることさえままならない」 「今は左足の股関節に人工股関節を入れてある。すべてセラミックでね。毎朝リハビリに励み、なんとか生活は元通りだ。『普通の生活』がこんなにハッピーだなんてね」 「この数年間、常に現役引退の準備をしてきた。股関節が元気だったころ、僕はフットボーラーとしてなんだってできると信じていた…今日の僕はピッチに立つことを一切考えていない」 「ここからさらに回復して、もしランニングして良い気分を維持できたら…その時はもっともっと走りたくなるだろうね。それだけで満足だ」 “El Flaco(エル・フラコ=やせぽっち)”ハビエル・パストーレ。美しい出立ちとプレーの数々でファンを楽しませた男は、スパイクを脱ぐ。 2024.03.22 18:10 Fri4
中田英寿氏が波乱万丈のサッカーキャリア回想…『The Atletic』のロングインタビューに答える
元日本代表MFの中田英寿氏が、『The Atletic』のロングインタビューで自身のサッカーキャリアを振り返った。 中田氏はベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でプロキャリアをスタートし、以降は2006年の現役引退までペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナのイタリア5クラブ、イングランドのボルトンでプレー。 また、日本代表としては1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会と3度のワールドカップに出場し、通算77キャップを刻んだ。 そのアジアを代表するレジェンドは『The Atletic』で29歳での現役引退を始め、キャリアにおけるトピックについて語った。 2006年ドイツW杯のグループステージ最終節のブラジル代表戦での1-4の敗戦後、スパイクを脱ぐ決断を下したMFは、その突然の引退から19年を経たなかで改めて決断の理由に言及。 「プロのサッカー選手になる夢は一度もなかったが、どういうわけかそれが実現し、ワールドカップでプレーし、イタリアとイングランドに行った。情熱のためにいつもプレーしていた。私はサッカーのファンではなく、サッカーをプレーするのが好きだった。それが私が引退した理由だ。情熱を失っていたし、情熱がなければ、自分に嘘をついているようなものだった」 「私が好きなのはプレーすることであり、コーチやコメントをすることではない。それが引退後に『別の情熱を見つけなければならない』と言った理由だった」 インタビュー冒頭で、サッカーキャリアの終わりについて語った元日本代表はここからキャリアの最初期に立ち戻り、「当時は、プロサッカー選手になることを夢見る人は誰もいなかった。日本で一番人気のスポーツは野球だった。だけど、結局、私は漫画『キャプテン翼』が大好きだったから、サッカーをやろうと決めた」と、サッカーを始めた理由を明かした。 続けて日本代表が初めてW杯に出場した1998年フランスW杯での奇抜な髪色については「(W杯前でさえ)毎日髪の色を変えていたが、海外でプレーしたかったので世界に知られることが重要だった。だから注目されたいと思っていた」と、振り返る。 その目論見通り、W杯直後にはセリエAのペルージャへ完全移籍。イタリアでのキャリアをスタート。その新天地では加入1年目から鮮烈な輝きを放ったが、プレーすること以外でサッカーに関心がなかったことが良い意味でプラスに働いたという。 「私はサッカーの大ファンではなかったし、サッカーを見たり新聞で読んだりもしなかった。そういう人間ではないんだ。ただサッカーをするのが好きで、毎日もっといい選手になりたいと思っていた」 「イタリアに来たときは、セリエAが世界最高のリーグで、ジネディーヌ・ジダンやアレッサンドロ・デル・ピエロのような選手がいたが、私は選手をあまり知らなかった。リーグのチームの半分も知らなかった」 「でも、そのおかげで自分のプレーに集中できたし、それが私の強みだった。とにかく恐れがなかった」 そのペルージャでの活躍によって2000年にはローマへステップアップ。当時、頭角を現わしていたフランチェスコ・トッティとのポジション争いで苦戦を強いられた一方、2005年1月のユベントス戦ではクラブ史に刻まれた圧巻のロングシュートを突き刺し、ジャッロロッシのスクデット獲得に大きく貢献した。 中田氏はそのローマ時代について「ローマに戻るたびに、ファンのみんなが私のところに来て『ありがとう、ナカタ』と言ってくれる」と、自身の重要な働きに満足感を示した。 その後、1年でイタリアの首都を離れてパルマに活躍の場を移すと、コッパ・イタリア優勝に貢献。2年連続のタイトル獲得を経験。そして、日韓W杯では大会の目玉選手の一人として日本代表史上初の決勝トーナメント進出に貢献した。 「もっといい結果を出せたはず」トルコ代表に敗れてのベスト16に不満を示しながらも、「雰囲気は素晴らしかった」と、自国開催のW杯をポジティブに振り返った。 「日本では誰もが、私たちがグループリーグを突破して決勝トーナメントに進出するだろうと期待していたが、それはとても大変だった」 「私たちはとても若いチームで、ほとんどのメンバーがワールドカップでプレーしたことがなかった。当時、海外でプレーしていたのは数人だけで、プレッシャーは大きかった。しかし同時に、国全体が私たちを応援してくれたので、雰囲気は素晴らしかった」 その後、チェーザレ・プランデッリ監督との衝突を機に、ボローニャ、フィオレンティーナとイタリア国内での移籍を繰り返した後、2005年に7年間過ごしたイタリアを離れ、プレミアリーグのボルトンへレンタル移籍。 自身最後のクラブとなったマンチェスターのクラブではキック&ラッシュでお馴染みのサム・アラダイス監督が率いたチームということもあり、イタリアと大きく異なる環境面を含めて難しい日々を過ごした。 「イタリアから来たので、サッカーはまったく違っていた。多くのチームがロングボールをプレーしていた。それは少しショックだった。そしてイタリアからマンチェスターに来て、食べ物の面でも違ったし、雨も多かった。そういった意味で少し大変だった」 その後、前述のドイツW杯での現役引退で中田氏の波乱万丈のサッカーキャリアは締めくくられた。 そして、自身のサッカーキャリアを通じて「どのように記憶されたいか?」との問いに対して、中田氏は「私は美しいプレー、優雅さが好きだ。ジネディーヌ・ジダンのようなプレーが美しい。スピードやパワーではなく、美しいパス、美しいプレー。ゴールである必要はない。私は優雅さが好きで、サッカーだけでなく人生でもそうだ。優雅で美しいものが好きだ。つまり美しい服、美しい建築物、デザイン、景色…」と返答している。 現役引退後は3年間に渡っておよそ100カ国以上を巡る放浪の旅に出て、以降は魅了された日本酒造りや日本茶のブランド立ち上げなど、日本の文化や食文化の発信者として活躍する48歳。 今回のロングインタビューの最後には改めて自身の生き方について語り、これからも自身の情熱の赴くがままに様々なことにチャレンジしたいと結んだ。 「29歳で引退したとき、たくさんの人から『まだプレーできるよ』とか『サッカー業界で働いてコーチでもしたらどうだ』と言われた」 「でも、できるからやることを選んでいるわけではない。やりたいからやっている」 「私は好きなことをやっている。だからファッションが好きならファッションをやるし、他の文化が好きなら他の文化。日本酒が好きなら日本酒をやる」 「他の人は時々その理由が理解できないことがある。それは私が情熱を持ってやっているからだ」 2025.03.19 00:14 Wed5