惜しまながらユナイテッド去りしファン・ニステルローイ氏、沈黙破るメッセージ 「シェアした思い出をずっと大切にする」
2024.11.16 11:05 Sat
ユナイテッドに別れのファン・ニステルローイ氏
今後のマンチェスター・ユナイテッドにエールだ。今季開幕からエリク・テン・ハグ体制での結果が振るわず、先月末に解任を決断したユナイテッド。早々にスポルティングCPからルベン・アモリム新監督の招へいを決めたが、区切りよきタイミングということで、この代表ウィークまでアシスタントコーチのルート・ファン・ニステルローイ氏に暫定的な指揮を託した。
ファン・ニステルローイ氏からすれば、ほとんど時間がないなかの指揮だったが、公式戦4試合で3勝1分け無敗。ユナイテッド史に名を刻む名ストライカーでもあり、アモリム新体制下でもと願うサポーターも多かっただろうが、レネ・ハケ氏、イェレ・テン・ラウウェラール氏、ピーター・モレル氏とともに退団した。
アモリム体制下での共闘願望が叶わず、古巣でのコーチ業が半年足らずで終わってしまってから、沈黙が続いたファン・ニステルローイ氏だが、自身の公式Xでユナイテッドに向けてメッセージ。感謝の言葉とともに、クラブのこれからを祈った。
「マンチェスター・ユナイテッドのみなさん、特に裏方スタッフ、選手、そしてファン。みんなの素晴らしい頑張りとサポートに心から感謝したい。選手、コーチ、監督としてこのクラブを代表できたのは名誉なことで、栄誉なことだったし、シェアした思い出をずっと大切にする」
ファン・ニステルローイ氏からすれば、ほとんど時間がないなかの指揮だったが、公式戦4試合で3勝1分け無敗。ユナイテッド史に名を刻む名ストライカーでもあり、アモリム新体制下でもと願うサポーターも多かっただろうが、レネ・ハケ氏、イェレ・テン・ラウウェラール氏、ピーター・モレル氏とともに退団した。
「マンチェスター・ユナイテッドのみなさん、特に裏方スタッフ、選手、そしてファン。みんなの素晴らしい頑張りとサポートに心から感謝したい。選手、コーチ、監督としてこのクラブを代表できたのは名誉なことで、栄誉なことだったし、シェアした思い出をずっと大切にする」
「マンチェスター・ユナイテッドは私の心のなかで常に特別な場所であり、近いうちにオールド・トラッフォードに栄光の日々がもっと早く訪れるのを願っている。ただクラブの成功を望んでいるわけじゃなく、みんなもそれにふさわしいからだ! 幸運を祈る。お元気で。ルート」
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現役キャリアを振り返ったファン・ニステルローイ「マドリーを離れるべきではなかった」
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“コーチから監督へ昇格”は「単純すぎる人事」 中村俊輔の恩師が古巣マンUに圧「もしその案を温めているなら腹立たしい」
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チャンピオンズリーグ(CL)ラウンド16の組み合わせ抽選会が14日に行われた。 バルセロナvsパリ・サンジェルマンというビッグマッチに注目が集まっているが、ポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド擁するユベントスは、日本代表FW中島翔哉も所属するポルトとの対戦が決定。 <div id="cws_ad">◆【ベストゴール集】ユベントス100試合出場のC・ロナウドが決めたここまでのベストゴール(ポルト戦のスーパーゴールは記事下部)<div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJ2NXR1dUdmeiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> このカードが決まったことを受け、CLの公式ツイッター(@ChampionsLeague)はC・ロナウドがマンチェスター・ユナイテッドに在籍していた時にポルトと対戦した試合で決めたゴールの動画を公開。懐かしのスーパーゴールに多くの反響が集まった。 C・ロナウドがスーパーゴールを決めた試合は、2009年の4月15日に行われたポルトvsユナイテッドのCL準々決勝2ndレグ。ホームで行われた1stレグを2-2で終え、ポルトにアウェイゴールを2点奪われた不利な状態でこの一戦を迎えたユナイテッドだったが、C・ロナウドが試合開始早々にやってみせる。 6分、ゴールから約37メートルの位置でアンデルソンからパスを受けたC・ロナウドは、相手のマークが甘いとみるや、シュート体勢に入る。そして、そのまま迷いなく右足を振り抜くと、ボールは一直線にゴールへ。弾丸ライナー、レーザービームのように真っ直ぐにゴールネットへと向かったボールは、ゴール左隅へ突き刺さる。卓越したキック力、見事なシュート精度、常人離れした思い切りの良さが、見るもの全てを唖然とさせるゴールを生んだ。 この試合では、C・ロナウドはゴール以外でも大活躍。後方からのロングボールをダイレクトヒールで正確にチームメイトにパスしたり、得意のドリブルで相手DFのファウルを誘発したり…。結局、最後までスコアは変わらなかったものの、ユナイテッドは2戦合計3-2として、準決勝進出を果たしていた。 さらに、この得点はただスーパーゴールと評価されるにとどまらず。2009年末には、この年からFIFAが創設した、年間を通じて最も優れたゴールに贈られる賞「プスカシュ賞」が贈られるなど、CL史上最高のゴールとも言われるほど、素晴らしい評価を得ている。C・ロナウド本人も「どうやって決めたかわからない」と語るほどのゴール。奇跡としか言えない見事なゴールだった。 ラウンド16の日程は、1stレグは2月16日・17日および23日・24日、2ndレグは3月9日・10日および16日・17日とかなり先の予定だが、決勝トーナメントでもスーパーゴールが生まれるのか。今から楽しみで仕方がない。 <div id="cws_ad">◆C・ロナウドのスーパーミドル<blockquote class="twitter-tweet"><p lang="es" dir="ltr">Ronaldo against Porto = <a href="https://twitter.com/hashtag/UCLdraw?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#UCLdraw</a> | <a href="https://twitter.com/juventusfcen?ref_src=twsrc%5Etfw">@juventusfcen</a> <a href="https://t.co/HJ4PysyDuK">pic.twitter.com/HJ4PysyDuK</a></p>— UEFA Champions League (@ChampionsLeague) <a href="https://twitter.com/ChampionsLeague/status/1338450358822195200?ref_src=twsrc%5Etfw">December 14, 2020</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script></div> 2020.12.15 21:12 Tue4
「絶対に謝らない」ハーランド父に復讐したロイ・キーンが“報復”タックルを否定
マンチェスター・ユナイテッドのOBであるロイ・キーン氏が現役時代にアルフ=インゲ・ハーランド氏を負傷させたタックルについて語った。イギリス『スカイ・スポーツ』が伝えている。 キーン氏は、ハーランド氏がリーズ・ユナイテッドに在籍していた1997年にタックルを受けて前十字じん帯損傷の大ケガを負っていた。 しかし4年後、2001年4月21日に行われたマンチェスター・シティとの試合で、ハーランド氏の右ヒザに悪質なタックルを敢行。レッドカードが提示された後にファウルが意図的だったとコメントしたため、5試合の出場停止処分を受けていた。 なお、ハーランド氏はドルトムントに所属するノルウェー代表FWアーリング・ハーランドの実の父親だが、このタックルの影響もあり2年後の2003年に31歳で現役を引退している。 『スカイ・スポーツ』の番組内で、シティにも在籍した元イングランド代表DFマイカ・リチャーズ氏が、キーン氏に現役時代の後悔について質問。話の流れの中で、この件に言及した。 「言わせてもらっていいかな? サッカーのピッチでやったことで後悔したことは一度もない。一度もだ」 「聞いてほしい。私は退場になりチームを失望させた。私は人々と戦っていた。私はピッチの真ん中にいたんだ」 リチャーズ氏が「ハーランド氏を傷づけようとしたわけではないでしょう」と尋ねるとキーン氏はさらに続けた。 「違う。当然だ。だが選手を傷つけようとしたかと言われればそうだ」 「それについては絶対に謝らない。そして人々は私を痛めつけてきた。私は人生で選手をケガさせようとしたことはないが、選手を傷つけようとしたことはある」 「ピッチの真ん中でボールを取りに行けば、誰かが傷つくこと可能性は大いにある」 そう話したキーン氏は、最後に「(君は)私の精神科医みたいだ。胸のつかえが降りたよ」と語っている。 キーン氏は、ハーランド氏個人ではなく対戦相手の“選手”を狙ってのタックルであり、それについての後悔はないと考えているようだ。 <span class="paragraph-title">【動画】ロイ・キーンがハーランド父に繰り出した“悪質”タックル</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr"> <a href="https://twitter.com/hashtag/OnThisDay?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#OnThisDay</a> in 2001: Roy Keane committed a horror challenge when he studded Alf-Inge Haaland's knee.<a href="https://t.co/eX85rW9hhV">pic.twitter.com/eX85rW9hhV</a></p>— The Sportsman (@TheSportsman) <a href="https://twitter.com/TheSportsman/status/1252565333577269248?ref_src=twsrc%5Etfw">April 21, 2020</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2021.06.11 07:05 Fri5

