吉田達磨

Tatsuma YOSHIDA
ポジション 監督
国籍 日本
生年月日 1974年06月09日(50歳)
利き足
身長
体重
ニュース 人気記事 クラブ 監督データ

吉田達磨のニュース一覧

徳島ヴォルティスは18日、ヘッドコーチにドイツ人指導者のゲルト・エンゲルス氏(67)が就任することを発表した。 今シーズンの徳島は吉田達磨監督の解任や選手の突然の退団などでシーズン序盤に大きく揺れ、一時は最下位に沈んでいた。 しかし、4月に就任した増田功作監督はチームを立て直すと、プレーオフ圏まで近づく復活 2024.12.18 13:55 Wed
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徳島ヴォルティスは11日、2024シーズンを終えてメッセージを掲載した。 2022年から再びJ2を戦っている徳島。2023シーズンは15位と低迷した中、今シーズンはJ1昇格を目指してスタートした。 吉田達磨監督が率いてスタートしたチームだったが、チーム内に不協和音が。1勝1分け5敗とスタートダッシュに失敗し 2024.11.11 12:50 Mon
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徳島ヴォルティスは8日、増田功作監督(48)の契約更新を発表した。 現役時代はヴェルディ川崎や横浜FCのほか、キャリア序盤にブラジルやボリビアでもプレーした増田監督。引退後は横浜FCのコーチなどを務め、2024年に徳島のヘッドコーチに就任した。 明治安田J2リーグ開幕から1勝1分け5敗のなか、解任された吉田 2024.11.08 10:43 Fri
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4月1日に電撃的に現役引退を発表したMF島川俊郎(34)が現役復帰を果たした。 徳島ヴォルティスでプレーしていた島川は、2024シーズンから完全移籍。明治安田J2リーグで7試合に出場していた。 しかし、低迷したクラブは4月1日に吉田達磨監督を解任。すると、島川も同日に電撃的に引退を発表。「どうしても許せない 2024.07.22 12:25 Mon
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Kリーグ1(韓国1部)の大田ハナシチズンは11日、コーチングスタッフに吉田達磨氏(50)が加入することを発表した。 ファン・ソンホン監督が率いる大田ハナシチズンは、今夏ジュビロ磐田からFW石田雅俊(29)を獲得。22試合を終えて、勝ち点19で最下位に位置している。 チームの立て直しを図る中、吉田氏に白羽の矢 2024.07.11 17:57 Thu
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徳島ヴォルティスのニュース一覧

30日、明治安田J2リーグ第7節の9試合が各地で行われた。 ◆磐田 1-0 千葉 開幕6連勝で首位に立つジェフユナイテッド千葉はジュビロ磐田(4位)とのアウェイゲーム。開始6分で磐田のルーキー角昂志郎に先制点を許すと、そのまま逃げ切られて今季初黒星となった。2位との勝ち点「3」差は変わらず。 ◆徳島 2025.03.30 18:10 Sun
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徳島ヴォルティスは27日、観戦ルールに違反を報告した。 問題が発生したのは、23日に開催された明治安田J2リーグ第6節のモンテディオ山形戦。アウェイゲームにおいて、ビジター自由席内において、電子タバコの使用が確認され、山形の観戦ルールで禁止されているものだった。 当該者1名に対し、ホームゲームのリーグ戦2試 2025.03.27 15:10 Thu
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26日、2025Jリーグ YBCルヴァンカップの1回戦が開催された。 すでに20日にも13試合が行われていた中で、13試合が開催。J1勢では清水エスパルスがJ3のSC相模原に勝利した他、J2で首位に立つジェフユナイテッド千葉は、カターレ富山に4-2で敗れる事態に。また、J2に降格した北海道コンサドーレ札幌は福島ユ 2025.03.26 23:30 Wed
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Jリーグは26日、林野火災によって中止となったJリーグYBCルヴァンカップ 1stラウンド1回戦のFC今治vs徳島ヴォルティスの代替日程を発表した。 同試合は3月26日(水)に今治のホームスタジアムであるアシックス里山スタジアムで開催予定だったが、愛媛県今治市で発生した林野火災の影響によって開催中止が決定していた 2025.03.26 17:25 Wed
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Jリーグは25日、3月26日(水)に開催予定だった、JリーグYBCルヴァンカップ 1stラウンド1回戦のFC今治vs徳島ヴォルティスの中止を発表した。 今回の一戦は今治のホームスタジアムであるアシックス里山スタジアムで開催予定だったが、愛媛県今治市で発生した林野火災の影響によって開催中止を決定した。 代替日 2025.03.26 00:03 Wed
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「次に試合があるというこの幸せをしっかりと噛み締めて」甲府の吉田達磨監督、柏時代の教え子・工藤壮人を想い感極まる「遠くの空に届けたいこともあって」

ヴァンフォーレ甲府の吉田達磨監督が、試合後のインタビューで思わず込み上げてくるものがあった。 甲府は19日、明治安田生命J2リーグ第41節のFC町田ゼルビア戦を迎えた。 16日に天皇杯決勝でサンフレッチェ広島をPK戦の末に下し、J1勢を5連破しての戴冠。クラブ史上初のメジャータイトル獲得となった。 そこから中2日で迎えた延期戦。甲府は先行しながらも追いつかれ、勝利が難しかと思われたが、土壇場でウィリアン・リラがネットを揺らし、勝利を収めた。 試合前には町田からガード・オブ・オナーで迎えられ、天皇杯制覇を祝福された中、試合後に12試合ぶりの勝利を収めた甲府。試合後のインタビューに臨んだ吉田監督は、今季での退任が決まっている中、インタビュー中に感極まる姿が話題となった。 「本当に全員でこの前日本一になったばかりですけど、天皇杯で勝ったのは全員の力ですし、それを今日は示そうとピッチに立って、全員で示せて、本当に嬉しく思います」 「僕自身も遠くの空に届けたいこともあって、本当にこの試合で勝ちで終われて良かったです」 吉田監督が感極まった理由は、自身の教え子であり現在はテゲバジャーロ宮崎でプレーする元日本代表FW工藤壮人。工藤は2日の練習時間外に体調不良を訴え、翌3日に医療機関の検査で水頭症の診断を受けて入院。11日に手術を受けて療養中だったが、容態が悪化。17日からICUにて治療に専念していることが発表されていた。 吉田監督は柏レイソルの下部組織、そしてトップチームで監督を務めており、工藤は同時期に所属する教え子。その教え子の回復を願っての涙となった。 その吉田監督は天皇杯を優勝しながらも1年での退任が決定。次節がラストマッチとなる。ファンにしっかりとしたサッカーを見せるとともに、常に全力で戦う必要があるとした。 「僕たちは勝っても負けても、サッカー選手として次に試合があるというこの幸せをしっかりと噛み締めて、いつそれが無くなるか分からない。いつもこの試合が最後だと、この日が最後だと思って、全員で戦いたいと思います」 2022.10.20 12:10 Thu
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19位と低迷の徳島がラバイン監督を解任…後任は吉田達磨氏に決定

徳島ヴォルティスは22日、ベニャート・ラバイン監督(35)との契約解除を発表した。後任として、吉田達磨氏(49)が新指揮官に就任する。 スペイン出身のラバイン監督は、これまでアトレティコ・マドリーU-19のアシスタントマネージャー、U-17スペイン代表の分析担当コーチ、レアル・マドリーユースのビデオアナリストやアシスタントマネージャー、レアル・マドリーU-18のアシスタントマネージャー、レアル・マドリー・カスティージャの分析担当コーチなどを歴任。今シーズンから徳島の指揮官に就任し、監督キャリアをスタートさせた。 しかし、J1昇格を目指して臨んだ今シーズンは、明治安田生命J2リーグで31試合を消化して6勝15分け10敗の19位に低迷。J1昇格どころかJ3降格の危機に陥る現状を受けて、クラブは決断を下した。 約半年で徳島を去ることになったラバイン監督は、クラブを通じてコメントしている。 「徳島で新たなステージへの挑戦を始めると決めた9カ月前には、私たちがこのような経験をするとは本当に想像していませんでした。私は自分が何者であるかを考えここに来ました。そして、自分が何者であるかを知ってここを去ります。監督として」 「新たなチャレンジの中で、私は唯一の価値観を持った「徳島ヴォルティス」という理想的なクラブを見つけました。ヴォルティスという特別なクラブを、他のクラブとは違う唯一のクラブにするために、クラブのスタッフは日々懸命に働いてくれました」 「そして何よりも素晴らしいと感じたのは選手達です。彼らは言い訳せずに真っ直ぐ前を向いて、状況をありのままに受け入れていました。その苦しさから目を背けることなく、チームや自分たちの改善、成長を成し遂げるために、あらゆる逆境を乗り越えようとしてくれました」 「『徳島ヴォルティス』は素晴らしく誠実で、日々ハードワークできるグループでした。あなたたちが私の誇りです。この感情は私の心に永遠にあるものです。あなたたちより優れた選手は他にいませんでした」 「最後に、徳島の人々、多くのファミリー、街の中でさえも私たち家族に対して優しく接してくれた子どもたち、そしてホームゲームでもアウェイゲームでも、スタジアムで最高の応援で私たちを後押ししてくれたファン・サポーターの皆さんに大きな感謝をします」 「徳島での日々の中で、私の家族は全くの異なる文化と出会うことができました。素晴らしい国での素晴らしい経験のすべてに感謝しています。みなさんがくれたものはいつまでも私たちの心に残ります。ありがとうございました」 後任の吉田監督は、これまで柏レイソルやアルビレックス新潟、ヴァンフォーレ甲府、シンガポール代表の指揮官を歴任。2022シーズンには甲府でクラブ史上初となる天皇杯優勝を成し遂げたが、目標としていたJ1昇格は果たせず1年で契約解除となった。 難しいタイミングで徳島を率いることが決まった吉田新監督は、クラブを通じて意気込みを述べている。 「徳島の皆様、また徳島ヴォルティスを応援してくださっている皆様、監督に就任いたしました吉田達磨です。残り11試合、まずは全力で残留を勝ち取りに向かいます。皆様と団結をし最後まで闘い抜きましょう。どうぞよろしくお願いいたします」 また、クラブの代表取締役社長である岸田一宏氏も、今回の指揮官交代について声明を発表。立て直しを図るため必要な決断だったとし、新指揮官の下での挽回を期待している。 「この度、トップチーム監督であるベニャート・ラバイン監督を契約解除することとなりました。J1昇格を目指して今シーズン戦ってまいりましたが、31試合を終えて6勝15分10敗の勝点33の19位。現在の成績を踏まえて、クラブとしてこの現状を変え、進んでいくために今回の決断をしました」 「後任には吉田 達磨監督にお願いをしました。吉田監督の志向するサッカースタイルが徳島のスタイルに近いこと、2022シーズンの天皇杯で甲府を優勝に導いたことなどから総合的に判断しました」 「シーズン途中での監督交代になり、ご心配をおかけして申し訳ありません。リーグ戦残り11試合、この状況を乗り越えるためにも、引き続き皆様のアツい応援よろしくお願い申し上げます」 2023.08.22 17:33 Tue
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1日に電撃的に引退を発表したMF島川俊郎(33)が、決断した理由を告白した。 1日、徳島ヴォルティスは島川の引退を発表。前日の3月31日には吉田達磨監督の解任も発表されており、成績不振も去ることながら、クラブ内での騒動が注目を集めていた。 島川は柏レイソルの下部組織出身で、当時吉田監督の指導を受けていた。その後、柏U-18からベガルタ仙台でプロ入りすると、東京ヴェルディ、ブラウブリッツ秋田、レノファ山口FC、ヴァンフォーレ甲府、大分トリニータ、サガン鳥栖でプレー。今シーズンから徳島に完全移籍で加入すると、途中出場を含めて明治安田J2リーグで全7試合に出場していた中、突然の引退となった。 島川は自身のYouTubeチャンネル「としおVideo /島川俊郎」で2日「サッカー選手を引退しました。」と題して動画を投稿。今回の引退決断の理由とともに、感謝の言葉を語った。 「こんにちは。島川俊郎です。昨日4月1日、リリースがあった通りプロサッカー選手を引退することに決めました。まずはシーズンが始まったばかりの、そしてチームがとても苦しい状況の中、チームを離れること、サッカーを辞めること、チームに迷惑をかけてしまったこと、本当に申し訳なく思っています」 「引退の理由は、どうしても許せないことがあったからです。僕の思いというのは、社長に全てぶつけましたし、昨日の朝、チームメイト、コーチングスタッフ、トレーナー、マネージャーの方々には、自分の思いを伝えました」 「僕はベガルタ仙台でプロのキャリアをスタートして、東京ヴェルディ、ブラウブリッツ秋田、レノファ山口FC、栃木SC、ヴァンフォーレ甲府、大分トリニータ、サガン鳥栖、徳島ヴォルティスとプロの選手としては9チームでプレーさせてもらいました。そして中高、小6の終わりから、柏レイソルのアカデミーに入りましたので、それを含めるとJリーグの10のチームにお世話になりました。それは凄く多い数だと思います。なので、たくさん一緒にプレーした選手たちもいますし、監督、コーチングスタッフ、サッカー関係者の方、チーム関係者の方、あとはその土地に住む素敵な方々にたくさん出会ってきました」 「引退を決めたのが一昨日だったこともあり、バタバタでなかなか直接連絡できず、このような形で報告になってしまったことを大変申し訳なく思っています」 「僕にとってサッカーというのは、とても苦しくて、キツくて、楽しいサッカーというのは小学生の時で終わりました。レイソルのアカデミーに入ってからは、ついていくのが必死で、キツくてキツくて、何度も逃げ出しそうになって、毎日課題と向き合って、僕のプレーを知っている方は分かっていると思いますが、能力的には決して高くないし、サッカーのセンスも普通だし、ここまでやってくるのは凄く大変でした。苦労しました」 「JFL、J3、J2、J1とカテゴリーを経験させてもらいましたけど、どのチーム、どのカテゴリーにいても悩みはありましたし、毎日毎日自分と向き合って、上手くなりたいと、チームの力になりたいと思ってここまでやってきました」 「ただ、3日前の朝、僕は練習前に1人でグラウンドを走るんですけど、それを日課にしていて。ただ、ビックリするぐらいパワーが湧いてこなくて、走ることが苦しくて、キツくて、これはもうチームの力になれないと。サッカーを続けることは難しいなと思い、社長に引退させてくださいと言いました」 「プロ生活としては16年目、サッカーを始めてからは25年。僕に関わってくれた全ての方々に、心から感謝しています。このような形でサッカーを辞めることになりましたけど、皆さんに出会えたことが僕の1番の財産です。ありがとうございました」 島川はJ1通算104試合2得点、J2通算23試合2得点、J3通算78試合4得点を記録。JFLでも27試合に出場していた。 <span class="paragraph-title">【動画】電撃引退の島川俊郎が決断の理由を語る</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="kLu6-B8K3WU";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.04.03 09:48 Wed

吉田達磨の移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
2003年1月1日 Jurong FC 引退 -
2002年1月1日 山形 Jurong FC 完全移籍
1999年1月1日 京都 山形 完全移籍
1997年1月1日 京都 完全移籍
1993年1月1日 完全移籍

吉田達磨の監督履歴

就任日 退任日 チーム 種類
2023年8月22日 2024年3月31日 徳島 監督
2022年2月1日 2023年1月31日 甲府 監督
2019年5月30日 2021年12月28日 シンガポール 監督
2017年2月1日 2018年4月30日 甲府 監督
2016年2月1日 2016年9月27日 新潟 監督
2015年2月1日 2016年1月31日 監督
2012年10月1日 2015年1月31日 スポーツ・ディレクター
2011年2月1日 2012年1月31日 監督
2010年2月1日 2011年1月31日 監督
2006年2月1日 2008年1月31日 柏U-18 コーチ
2003年2月1日 2006年1月31日 監督