高原直泰
Naohiro TAKAHARAポジション | FW |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1979年06月04日(45歳) |
利き足 | 右 |
身長 | 181cm |
体重 | 78kg |
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J1昇格を目指す清水の新キャプテンはFW北川航也、副キャプテンは4人に…北川「自分なりにやっていきたい」
清水エルパルスは8日、2024シーズンのキャプテンと副キャプテンを発表した。 2023シーズンは1年でのJ1復帰を目指した中、J2の最終節で敗れ4位に転落。昇格プレーオフでは決勝で東京ヴェルディと引き分けて、J2残留が決定した。 改めてJ1昇格を目指す中で、新たなキャプテンにはFW北川航也、副キャプテンにはFWカルリーニョス・ジュニオ、MF原輝綺、DF山原怜音、GK沖悠哉が就任した。 4選手はクラブを通じてコメントしている。 ◆FW北川航也 「キャプテンに任命されたことは光栄なことですし、それと同時に責任が付いてくると思っています。同い年の選手や先輩、頼りになる選手もいるので、スタッフやクラブの人達みんなの力を借りながら、チームの目標が達成できるように、自分なりにやっていきたいと思います」 ◆FWカルリーニョス・ジュニオ 「副キャプテンに選んでもらったことは嬉しいですし、誇りに思います。残念ながら昨シーズン勝ち取れなかったJ1への昇格は、今シーズンみんなが必死になってやってくれると思いますし、その力になるために私も一生懸命やります。まずはチームの結束力で戦っていきたいと思います」 ◆MF原輝綺 「監督から声を掛けられていたので心の準備はしていましたが、僕一人では何もできないと思っています。副キャプテンは4人いますので、みんなで助け合いながら、北川選手が背負い込み過ぎないようにサポートしていきたいと思います」 ◆DF山原怜音 「個人的にも3年目、特別指定からは4年目となり、チームの先頭に立っていかなくてはいけないという気持ちでもいましたし、実際にこの役割を与えていただいたことにより覚悟を持ってやりたいと思います。副キャプテンの形になってというよりも、今、自分がやっていることがチームに良い影響として還元できればいいと思っていますので、自分を見失わずにチームを引っ張っていきたいと思います」 ◆GK沖悠哉 「まずはしっかりキャプテンを支えながら、チーム全体を見ていきたいと思っています。エスパルスには経験のある選手もいるので、意見を聞きながら、チームにとってこの1年がこれからの土台になるように、自分ができることをやっていきたいと思います」 ◆清水エスパルス 歴代キャプテンおよび副キャプテン [1992年]三浦泰年 [1993年]三浦泰年 [1994年]三浦泰年 [1995年]長谷川健太 [1996年]澤登正朗 [1997年]澤登正朗 [1998年]澤登正朗 [1999年]澤登正朗 [2000年]澤登正朗 [2001年]伊東輝悦 [2002年]伊東輝悦(副キャプテン=森岡隆三) [2003年]三都主アレサンドロ(副キャプテン=森岡隆三・市川大祐) [2004年]森岡隆三 [2005年]森岡隆三 [2006年]山西尊裕(副キャプテン=高木和道) [2007年]山西尊裕(副キャプテン=高木和道・兵働昭弘) [2008年]高木和道(副キャプテン=西部洋平・兵働昭弘) [2009年]兵働昭弘(副キャプテン=児玉新・岡崎慎司) [2010年]兵働昭弘(副キャプテン=児玉新・岩下敬輔) [2011年]小野伸二(副キャプテン=高原直泰・ボスナー) [2012年]小野伸二 [2013年]杉山浩太 [2014年]杉山浩太(10月〜副キャプテン=本田拓也) [2015年]本田拓也(副キャプテン=長沢駿・大前元紀) [2016年]大前元紀(副キャプテン=西部洋平・犬飼智也) [2017年]鄭大世(副キャプテン=西部洋平・河井陽介・犬飼智也) [2018年]竹内涼(副キャプテン=鄭大世・六反勇治・河井陽介) [2019年]竹内涼(副キャプテン=河井陽介・立田悠悟) [2020年]竹内涼・金子翔太・立田悠悟 [2021年]権田修一・竹内涼・鈴木義宜 [2022年]権田修一 [2023年]鈴木義宜 [2024年]北川航也(副キャプテン=カルリーニョス ジュニオ・原輝綺・山原怜音・沖悠哉) 2024.02.08 17:55 Thu2
沖縄SVがJFL残留! 1年での九州リーグ降格回避、今季最下位も入替戦で関東1部王者のVONDS市原を撃破
3日、JFLと地域リーグの入替戦である沖縄SV vs VONDS市原FCがタピック県総ひやごんスタジアム(沖縄市)で行われ、2-1で勝利した沖縄のJFL残留が決まった。 2023シーズンのJFLで最下位となった沖縄、関東サッカーリーグ1部を制して全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(地域CL)では2位となったV市原。沖縄は勝てばJFL残留、敗れれば九州サッカーリーグ降格…V市原は勝てばJFL昇格、敗れれば関東1部残留となる。 まさに両チームともクラブの命運を懸けた、今季最終戦にして今季最大の大一番。沖縄は現役ラストゲームとなるFW高原直泰(44/選手兼任監督/代表取締役)とDF岡根直哉(35)が先発。岡根が最終ラインでコンビを組むは元V市原のDF安藝正俊(33)だ。 対する堅守軍団・V市原はセンターバックのDF渡辺広大(35)とDF篠原弘次郎(32)がチームを締め上げる[4-4-2]の布陣。攻撃において頼みの綱となるは2トップの一角に入るFW谷尾昂也(31)で、ベンチでは“ジョーカー”MF清原翔平(36)がスタンバイする。 この入替戦は一発勝負で行われ、「引き分けなら沖縄がJFL残留」というようなルールはなし。90分間で決着がつかなければ延長戦、PK戦へと進むことになる。そのためか、前半は両チームともさほど攻撃に人数を割いてこない。 非常に拮抗し、緊張感溢れた前半45分間をゴールレスで終えると、後半に入って次第に両チームともゴールへの意識を強化。そして70分、“ホーム”沖縄がとうとう均衡を破る。 70分、沖縄は右サイドからクロスを上げると、ゴール前へ走り込んだFW山田雄太(31)には合わず、V市原にボールが渡る。ただ、ボックス内でボールを収めたV市原のMF久富賢(33)に対し、沖縄はDF安在和樹(29)が猛プレス。ボールを奪取し、勢いそのままに右足を振り抜き、ネットへ突き刺した。 JFL残留にグッと近づく沖縄の先制点...それでも77分、V市原は右サイドバックのDF中澤大翔(23)が内側へと駆け上がり、ボックス左へ走るMF土佐陸翼(23)に浮き球のダイレクトパス。走り込んだ土佐がGKとの一対一を冷静に制して同点弾を流し込んだ。 後半45分間で両チームとも1点ずつ取り合った一戦は延長戦へ。沖縄は延長前半10分で高原が退いたなか、同15分、敵陣でのボール奪取からMF荒井秀賀(24)がボックス右へとスプリントするFW伊集院雷(26)へスルーパス。伊集院がワントラップから右足シュートを流し込んで勝ち越しに成功する。 延長前半のほぼラストプレーで勝ち越した沖縄。結局、伊集院のゴールを守り抜いて2-1の勝利となった。 この結果、沖縄SVはJFL残留が決定。終わりよければ全てよし...JFL昇格1年目は屈辱の最下位フィニッシュとなったが、高原と岡根の現役最終戦を勝利で飾り、来たる2024年はJFL2年目のシーズンに。長く苦しい1年を戦った経験は、必ずや、来季のチカラとなることだろう。 JFL初昇格まであと一歩だったV市原にも賛辞を。布啓一郎監督率いるライトグリーンの雄は、今季1年を通じてブレることのない一貫したサッカーを披露し、群雄割拠の地域リーグから狭き門をくぐってこの入替戦まで辿り着いた。悔しさは明日への活力。来季の関東1部が楽しみだ。 沖縄SV 2-1 VONDS市原FC 【沖縄】 安在和樹(後25) 伊集院雷(延前15) 【V市原】 土佐陸翼(後32) 2023.12.03 15:26 Sun3
42歳でアキレス腱断裂からの復帰…来季もプレーしようと考えた南雄太が引退を決めた出来事「ショックでもあり、大きな出来事」「初めて辞めようかなと」
今シーズン限りで現役を引退したGK南雄太が、27日に現役引退会見を行った。 東京ヴェルディの下部組織育ちで、静岡学園高校から柏レイソルでプロ入り。18歳でJリーグデビューを果たすと、その後はロアッソ熊本、横浜FCでプレー。2021年夏に大宮アルディージャへと期限付き移籍し、2022年からは完全移籍に切り替え。今シーズンをもって現役を引退した。 チームはJ3へと降格したが、南は最終節の東京V戦で久々に出場。J1で266試合、J2で400試合に出場し、GKとして歴代最多の666試合出場を果たし、スパイクを脱ぐこととなった。 「ゴールデンエイジ」と呼ばれる世代で、小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)や高原直泰(沖縄SV)、遠藤保仁(ジュビロ磐田)らと同世代。U-20日本代表としては、2度のワールドユース(現:U-20ワールドカップ)に出場し、1999年大会は彼らとともに準優勝も経験した。 南は引退を決めた経緯についてコメント。来シーズンもプレーする気があったものの、今シーズン途中の出来事がキッカケとなり、その中で引退に気持ちが向いていったとした。 「去年アキレス腱を切って、今年1月に全体練習合流してキャンプからやらせてもらいました。アキレス腱を切った選手とか、色々な選手が連絡してくれる中で、復帰してから1年は自分のイメージと一致するまで時間がかかると言われていました」 「その中で最初の半年間はサッカーをやっていることがストレスで、イメージと身体が一致して来ないとか、切った右足のジャンプは7、8割しか自分の中で戻っている感覚がないです。その中で最初の半年は、リハビリ以上にサッカーやっている時の方がストレスというか、上手くいかないことにイライラしたりが凄く続いていました」 「夏以降にちょっと良くなってきたというか、色々な感覚が戻ってきている、ケガする前に少しずつだけど近づいているというのがありました。夏にクラブで面談した時に、『一応来季やらせていただけるならやりたいです』と原さん(原博実フットボール本部長)には話させてもらいました」 「35歳ぐらい、横浜FCに移籍したぐらいの時に、引退というのは年齢的にも常に隣り合わせで、自分の中でゲームに絡めないとか、自分でもピッチに立ってレベル、試合の水準に自分があるかとか、チームを勝たせられるプレーができるかどうかとかに凄くこだわっていました。できなくなった時は潔く辞めようとルールを決めていました」 「9月24日の徳島戦の前に、自分がベンチで笠原(昂史)選手が出ていたんですが、彼がインフルエンザになって今週は出られないということが週明けに決まっている中で、自分自身チャンスが来たかなと思っていたんですが、週中に監督に呼ばれて、『今回は志村(滉)で行きたい』と言われまして、それは結構ショックでもありましたし、大きな出来事でした」 「監督やコーチに不満があるとかその時は沸かなくて、そこにチョイスされない自分自身は何かが足りていない証拠ですし、それはショッキングな出来事でした。夏以降、自分の中で少しずつ良くなっているという実感があることと、周りの評価のギャップを凄く感じまして、自分自身が良いと思っていたものが周りに評価されていないということが大きかったです」 「自己評価は時に自分に甘くなってしまうこともありますし、自分自身が定めている水準、レベルが下がってきている証拠だなと凄く感じて、26年サッカー選手をやってきて、初めてサッカー選手を辞めようかなとふと思ったのがその時です」 「ただ、一時的な感情なのかなとか自分の中で思いましたし、10月2日か3日にずっと柏と熊本でやってきた北嶋秀朗と、去年まで大宮のGKコーチをやっていた松本拓也、彼は同級生なんですが、自分が一番やってきた中で一番信頼しているGKコーチでプライベートでも仲が良いということで、2人にお願いして食事の場を設けてもらって、そこで今自分が思っていることを話しました」 「自分自身でも、自分がその時どう思うかなとか、話したことでもう一回サッカーをやろうと思えるならと思いも少しありながら彼らと食事をして、『引退しようかなと思っているんだけど…』という話をしました。もちろん2人は引き止めてくれたし、絶対やった方が良いと言われましたが、それを話してスッキリしてしまったというか、辞めようかな。もう1回やろうという感情が止めてくれたのに生まれて来なくて、これはもう潮時かなと思って10月5日に奥さんに辞めるという話をして決断をしました」 奥さんや子供たちの反応は驚くほどなかったと明かした南。「家族はある程度の覚悟があったのでは」とコメントしていた。 その南がキャリアを通じて最も影響を受けたのは、柏時代の同僚であり今も現役でプレーしている北海道コンサドーレ札幌のGK菅野孝憲だという。 「影響を与えたのは自分では良く分からないですが、18歳からずっと試合に出させてもらっていて、自分自身大きく勘違いしていた時期もありましたし、自分に対してよく分かっていない時期もありましたけど、柏の時はそういう時期がずっと続いていました」 「今札幌の菅野(孝憲)がちょうど入ってきて、満了になるまでの2年間彼とやって、ポジションを取られて結局自分が出ていく形になったんですけど、最初はやっぱりなかなか受け入れられなくて、自分と菅野のプレースタイルが違うとか、監督の好みもあるだろうと思っていたんですが、やる監督やる監督みんな菅野を使うし、そこで初めて自分自身に矢印が向いたというか、俺が何か足りないんだなと思えて、そこから自分は凄く人の話を聞くようになりましたし、もっと上手くなりたいと純粋に思えた時はとの時でした」 「彼との出会いというのは、自分のサッカー人生を引き伸ばしてくれたと思いますし、多大なる影響を与えてくれたのは菅野なので。彼はまだ現役で600試合達成したというのを見ました。彼がいたから今の自分があると思いますし、凄く感謝していますし、僕の666試合はぜひ菅野に抜いてもらいたいと思います」 後輩に自身の記録を抜いて欲しいと語った南。キャリアで最も印象に残っている試合は、横浜FC時代にJ1昇格を決めた試合だと明かした。 「40歳の時にJ1に昇格した試合というのは自分の中で凄く印象に残っています」 「柏を満了になったのが30歳で、そこから10年かかって、J1でもう1回やるというのは自分の中でモチベーションになっていましたし、それは時間が経つことになかなか難しいかなとも思い始めていました」 「さらに前年度プレーオフでロスタイムに失点してヴェルディに負けてというのがあって、その時にもうこんなチャンスないなと感じていたので、1年後にそういう状況に巡り会えて、長くサッカーを続けて来て良かったなと思いました」 26年という長いキャリアを送った南。様々な試練を乗り越えてきた中で積み上げた666試合の記録は願い通り菅野が抜くのか。今後のキャリアは「色んなことに興味がある」と今は決めていないという。 2023.11.27 22:05 Mon4
「柏の子供は雄太の背中を見て育つ」名フレーズも生んだ古巣・柏のサポーターを南雄太が語る「特殊なサポーターだけど大好き」
今シーズン限りで現役を引退したGK南雄太が、27日に現役引退会見を行った。 東京ヴェルディの下部組織育ちで、静岡学園高校から柏レイソルでプロ入り。18歳でJリーグデビューを果たすと、その後はロアッソ熊本、横浜FCでプレー。2021年夏に大宮アルディージャへと期限付き移籍し、2022年からは完全移籍に切り替え。今シーズンをもって現役を引退した。 チームはJ3へと降格したが、南は最終節の東京V戦で久々に出場。J1で266試合、J2で400試合に出場し、GKとして歴代最多の666試合出場を果たし、スパイクを脱ぐこととなった。 「ゴールデンエイジ」と呼ばれる世代で、小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)や高原直泰(沖縄SV)、遠藤保仁(ジュビロ磐田)らと同世代。U-20日本代表としては、2度のワールドユース(現:U-20ワールドカップ)に出場し、1999年大会は彼らとともに準優勝も経験した。 その南は柏でプロデビュー。12年間にわたってプレーし、加入当初はGK土肥洋一が正守護神としてプレー。そのポジションを奪うと、最後はGK菅野孝憲(現:北海道コンサドーレ札幌)にポジションを奪われ、熊本へと移籍していた。 プロ入りの18歳から30歳まで過ごした柏。南にとっては柏のサポーターの存在は特別であり、サポーターからは「柏の子供は雄太の背中を見て育つ」という名フレーズも作られ、Tシャツまで完成していた。 南はそのフレーズについて「あのフレーズに関しては、今でも言ってくれる人が結構いまして、素直に凄く嬉しいです」とコメント。また、サポーターの存在についても語り、苦いエピソードもありながら、感謝を口にした。 「柏のサポーターには自分を育ててもらったというか、若い時から出て、忘れもしないんですが、18歳の時に自分の調子があまり良くない時に西野さん(西野朗監督)が使い続けてくれて、その前には土肥さんが試合に出ていて、サポーターから“土肥コール”をされたときは物凄く堪えました」 「そういう厳しさもありながら、降格した時は凄く残って欲しいと言ってくださって、実際に残って1年で昇格した時は凄くサポーターと一緒に戦って乗り越えた気持ちもあります」 「12年いたということもありますし、今でもレイソルのサポーターは凄くメッセージくれたり、応援してくれたり、最終戦もレイソルのユニフォームを着て座ってくれた人も何人もいたり、サッカー選手としての基本となる、一番大事となる土台を作ってくれたのは、レイソルでの12年なので、レイソルのサポーターは凄く変わったというか特殊なサポーターで、あれはあれで大好きだったので、凄く誇れるサポーターです」 プロデビュー、リーグカップ優勝、そしてJ2降格、J1昇格と、多くのことを共に経験してきた南と柏のサポーターの絆は、この先の人生でも繋がったままになるだろう。 2023.11.28 07:45 Tue5