ミロスラフ・クローゼ
Miroslav KLOSE
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ポジション | 監督 |
国籍 |
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生年月日 | 1978年06月09日(46歳) |
利き足 | 右 |
身長 | |
体重 |
ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
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「再び9番が現れるには…」 ケディラがドイツサッカーの現状を憂う 「A代表は若手をテストする場じゃない」
元ドイツ代表MFサミ・ケディラ氏がドイツサッカー界の現状を憂いている。 現役時代にレアル・マドリーやユベントスなどで活躍し、2014年にはドイツ代表として臨んだブラジル・ワールドカップ(W杯)で優勝メンバーとなったケディラ氏。輝かしい時代のドイツを彩った大型ボランチは昨年9月に古巣シュツットガルトのアドバイザーに就任するも、今年6月に退任している。 ここ最近はドイツサッカー連盟(DFB)が新たなスポーツ・ディレクター(SD)としてケディラ氏の招へいを画策しているとの報道が。ケディラ氏はドイツ『キッカー』のインタビューに応じ、話し合いをしていることは認めつつ、「何も合意はないし、候補者は私だけではないよ」と謙遜した。 一方で、ドイツサッカー界の現状について危機感を抱いていると口に。ドイツ代表は男子が昨年のカタールW杯、女子が現在開催中のオーストラリア&ニュージーランド女子W杯でグループステージ敗退の憂き目に遭っているが、ケディラ氏は育成年代に異変が起きたと考えているようだ。 「ドイツサッカー界の危機は、主に青少年期の活動における長年の失策の結果だと思う。指導者から適切なトレーニングを受け、課題解決の優先順位を間違わなければ、最終的に大きな成果を得られるはずだ。最近のドイツ人選手は全員が均質で、同じタイプの選手しか出てきていないように思える」 また、ドイツにとって積年の課題であるストライカー不足にも言及。ミロスラフ・クローゼ氏の引退以降、ドイツ代表にはトップクラスの点取り屋がおらず、ケディラ氏も「再び9番が現れるには数年かかるだろう」と語っている。 ドイツ代表を率いるハンジ・フリック監督に対しては優れた選手ならベテランであっても招集すべきと訴え、A代表は実力でのし上がっていく舞台だと語気を強めた。 「4~5年前、ドイツは若手に代表チームの経験を与えるという理念を掲げた。その結果は皆が知るところだが、それによってマッツ・フンメルス、トーマス・ミュラー、ジェローム・ボアテングといった選手たちが離れて行った」 「若手が成長するためのスペースを作ったと言えば聞こえが良いが、私は致命的な兆候を感じていた。A代表はドイツの旗艦であり、最も優れた選手が呼ばれるべき舞台だ。若手をテストするのはA代表ではなくU-21だ」 「これから親善試合で日本、フランス、アメリカ、メキシコと戦うね。幅広い個性と優れた人格を備えたチームを見つけることが重要となる。これらの試合を通じて光が差せば、再びドイツサッカー界に高揚感を取り戻せると確信しているよ。だが、繰り返すが、最も優れた選手が呼ばれないようなら、もはや絶望的だ」 2023.08.07 15:11 Mon2
「クオリティは落ちてないが疑問も」クローゼ氏がドイツ代表に喝、ムシアラ&ヴィルツは絶賛「2人はすぐ…」
ドイツ代表の栄光を支えたミロスラフ・クローゼ氏。低迷期に突入する現チームに喝を入れた。 ワールドカップ(W杯)の歴代最多得点者(16得点)クローゼ氏。36歳にして臨んだ自身最後の2014年ブラジル大会でドイツ代表を世界王者に導いたが、同氏が去った後のドイツはW杯2大会連続でグループステージ敗退の憂き目に遭っている。 ドイツ代表の低迷にはクローゼ氏の後継となるストライカーが長らく育っていないことも挙げられるが、ドイツ『キッカー』のインタビューに応じた偉大な点取り屋は、ユリアン・ナーゲルスマン監督率いる現チームに喝を入れている。 「(ドイツ代表の)選手たちには、これまでほとんどのビッグトーナメントで好成績を収めてきたドイツを再現してほしいと願っているよ。来夏のユーロ2024に向け、まだ多くの仕事が残っているはずだ。本大会のラウンド16や準々決勝から努力を始めるようではいけない」 「ドイツチームはファンのために何か埋め合わせをする必要がある。以前と比べてクオリティが落ちたなんて私は思わない…ただ、各選手がピッチでチームメイトのためにどれだけ献身性を発揮しているか…どのくらいエゴを抑えているか…疑問もある」 一方で、今後10年のドイツ代表を背負うであろう2人の20歳、MFジャマル・ムシアラ(バイエルン)、MFフロリアン・ヴィルツ(レバークーゼン)を称賛。ムシアラについては自身がバイエルンU-17を率いていた時代から期待をかけていたようだ。 「素晴らしい成長曲線を描いているようだね。彼はあらゆることを柔軟に受け入れ、それを実行する意志も持っている。本当に勤勉な青年だよ。右足でも左足でもトップスピードでボールを正確に扱う。プレーを見るのが楽しいよ」 ヴィルツについても「なんとかバイエルンに連れてきたかったんだがね(笑) 私がバイエルンのU-17にいたとき、彼1人の力で我々は破壊されてしまったことがある…ヴィルツとムシアラの2人はすぐに大舞台に立つだろうとあの頃から感じていたよ」と、自身の手痛い経験から賛辞を送った。 2023.11.20 16:45 Mon3
フリック監督解任でドイツ凋落の原因は?/六川亨の日本サッカーの歩み
日本がドイツ戦に4-1と快勝した翌日、飯田橋のJFAハウスでは第19回日本サッカー殿堂掲額式典が、名誉総裁である高円宮妃殿下をお招きして開催された。今年の掲額者は現国士舘大学理事長の大澤英雄氏、元JFA会長の大仁邦彌氏、長年少年サッカーの指導者として育成に貢献し、現在はコメンテーターとして活躍中のセルジオ越後氏、漫画「キャプテン翼」の作者である高橋陽一氏、そして2011年の女子W杯で優勝したなでしこジャパン(日本女子代表チーム)だった。 辛口コラムで知られるセルジオ越後氏だが、前夜の日本の快勝には「何も言うことはありません」と答えて会場の笑いを誘った。そして選手として来日し、その後は1979年に日本で開催された第2回ワールドユース(現U-20W杯)にコカ・コーラ社が大会スポンサーになったことで、「普及をしようと思って」スタートした「さわやかサッカー教室」で全国を巡回。25年間で50万人以上の少年少女を指導した。 指導を始めた当時の日本は「高校生からサッカーを始める子も多かった」時代だった。今回の受賞に関しても、「普及を評価されたのはうれしい。国籍はブラジルですが、日本に来て51年、両親の国でもらえたのもうれしい」と素直に喜びを口にした。 そして今日である。やはりというか、ドイツ代表のハンジ・フリック監督がDFB(ドイツサッカー連盟)から解任された。英BBCによると、1926年に役職が設置されて以来、任期中の解任は初のことだそうだ。 これまでもドイツ(西ドイツ時代を含め)は、代表監督の任期は最低でも8年、2回のW杯というのが暗黙の了解だった。アシスタントコーチ時代を含めれば、代表チームに関わる時間はさらに長い。そうした継続性と合理性・計画性が、彼らのストロングポイントと思われてきた。 実際、28年に監督に就任したオットー・ネルツ(34年の第2回イタリアW杯で3位)からハンジ・フリックまで歴代監督は11人しかいない。日本が、大日本蹴球協会を設立した1921年以降、現在の森保一監督まで延べ30人という人数と比べてもその少なさがわかるだろう(岡田武史氏や長沼健氏の再任は人数にカウントしていない)。 80年代まで、日本の場合は五輪やW杯予選で敗退すると監督交代が基本で、98年に初めてW杯に出場してからは、4年サイクルで監督が代わるのが通例となっていた。それに対しドイツは長期的な視野に立っての強化から、最長ではヨアヒム・レーヴが15年間でW杯は10年南アで3位、14年ブラジルでは優勝、08年のEUROでも準優勝を果たしている。 かつて72年にEUROで初優勝後、74年の自国開催のW杯でも優勝したあとは(ヘルムート・シェーン監督)、96年にEUROで3度目の優勝を飾るまで、ドイツはW杯でも優勝か準優勝が当たり前の時代があった。そんなライバルをゲリー・リネカーは「サッカーは11人でやるスポーツだが、最後に勝つのはドイツだ」という名言を残した。 しかしそれも、W杯で2大会連続してグループリーグ敗退では「過去の名言」と言わざるを得ない。 では、なぜドイツはここまで凋落してしまったのだろうか。シュバインシュタイガーは2013年にバイエルンの監督に就任したベップ・グアルディオラが3年連続してブンデスリーガを制したことで、「ドイツサッカーのバルセロナ化」をもたらしたことが凋落の一因と、日刊ゲンダイIGITALで鈴木良平氏(日本人初のドイツS級ライセンスを初めて取得)が紹介していた。「シンプルにゴールを目指し、劣勢でも諦めない姿勢」、いわゆる「ゲルマン魂」の喪失である。これはこれで、面白い指摘だと思う。 そしてもう1点は、やはり育成が上手くいっていないのか、代表選手のスケールダウンを感じずにはいられない。日本との試合でも、脅威になっていたのはサイドアタッカーのサネとニャブリくらい。そんな彼らも後半、日本が5BKにして人数を増やすと前半の輝きは失われていった。 超大国だったころのドイツ(西ドイツ)には、ローター・マテウスやマティアス・ザマー、ミヒャエル・バラックのような「中盤の将軍」がいた。前線には速さ、強さ、高さを兼ね備えたルディ・フェラー、ユルゲン・クリンスマン、ミロスラフ・クローゼといったストライカーがいた。しかし一昨シーズンまで得点王はロベルト・レヴァンドフスキが5シーズン連続して獲得しているように、ドイツ人選手の影はかなり薄まっている印象が強い。 いまドイツサッカーに何が起こっているのか。それを日本も調べることで、今後の強化に役立てることができるのではないだろうか。ドイツをロールモデルに強化を進めてきた日本サッカーだけに、同じ失敗を繰り返さないためにも彼らの問題点を共有すべきである。 2023.09.12 10:15 Tue4
元西ドイツ代表エースでハンブルガーSVのレジェンドであるゼーラー氏が85歳で他界
かつて西ドイツ代表として活躍し、ハンブルガーSVでキャリアの大半を過ごしたウーヴェ・ゼーラー氏が他界した。85歳だった。 ハンブルク出身のゼーラー氏は、地元クラブのハンブルガーSVのユース育ち。そのままファーストチームに昇格した。 1953年から1972年まで、20シーズンにわたってハンブルガーSVでプレー。580試合で490ゴールを記録し、偉大なストライカーとして名を残している。 西ドイツ代表としても72試合で43ゴールを記録。4度のワールドカップに出場し、1966年のイングランド大会では決勝でイングランドと対戦し敗れていた。W杯4大会では全て複数得点を記録しており、これは史上2人しか達成していない記録。もう1人は、同じドイツ人のFWミロスラフ・クローゼとなっている。 西ドイツ代表としてはキャプテンを務めた時期もあり、フランツ・ベッケンバウアー氏らともプレー。引退後には名誉キャプテンにも就任した。さらに1995年には古巣であるハンブルガーSVの会長に就任したが、1998年にスキャンダルの影響で関与はしていなかったものの辞任していた。 クラブ幹部のヨナス・ボルド氏は、公式サイトを通じて追悼のメッセージを送っている。 「ウーヴェ・ゼーラーは、善良な人間を特徴付ける全ての要素を兼ね備えていました」 「実直さ、忠誠心、生きる喜び、そしていつも親しみやすい人でした。彼はハンブルーがSVの典型的な例です」 「個人的には、彼の最後の誕生日を一緒に過ごしたことが特別な思い出になっています。彼は店で話をし、彼にとってのハンブルガーSVについて聞けば、私にヒントといくつかの格言をくれました」 「我々は彼のことを決して忘れることなく、ずっと大切にしていきます。今、我々は彼の家族に思いを寄せ、心から哀悼の意を表します」 2022.07.22 10:45 Fri5
「3回も説明したが」奥抜侃志にクローゼ監督が厳しい言葉、途中出場ながら途中交代に「サッカーでの究極の罰」と現地紙
ニュルンベルクのMF奥抜侃志が、ミロスラフ・クローゼ監督から叱責を受けることとなった。ドイツ『ビルト』が伝えた。 昨シーズンからニュルンベルクでプレーしている奥抜。2.ブンデスリーガ(ドイツ2部)の開幕戦から3試合連続で出場。開幕戦のカールスルーエ戦では1ゴール1アシストの活躍を見せていた。 その奥抜は25日に行われた第3節のダルムシュタット戦ではベンチスタート。1-0で迎えたハーフタイムに途中出場。しかし、見せ場なく88分に途中交代させられていた。 試合後、クローゼ監督は奥抜の途中交代について質問され、パフォーマンスに問題があったとした。 「深くまで走るべきではない。彼のクオリティはボールを持った時にある。私は3回も説明した。もう一度冷静に説明する必要があるかもしれない」 『ビルト』も「途中出場ながら交代させられること、それはサッカーにおける究極の罰」とも伝えており、流れを変えるために入れられながらケガなどではなく下げられたことを指摘した。 クローゼ監督の再三の指示があった中、その戦い方ができていなかったと指摘されてしまった奥抜。言葉が通じなかった可能性も考えられるが、トレーニングでのクローゼ監督からの細かい指導で、修正して期待に応えることはできるだろうか。 2024.08.27 21:40 Tueミロスラフ・クローゼの移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2016年7月1日 |
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- |
2011年7月1日 |
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完全移籍 |
2007年7月1日 |
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完全移籍 |
2004年7月1日 |
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完全移籍 |
2000年7月1日 |
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完全移籍 |
1999年7月1日 |
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完全移籍 |
1999年1月1日 |
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完全移籍 |
1998年7月1日 |
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完全移籍 |
1997年7月1日 |
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完全移籍 |
1995年7月1日 |
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完全移籍 |
1993年7月1日 |
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完全移籍 |
ミロスラフ・クローゼの監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2024年7月1日 |
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監督 |
2022年7月1日 | 2023年3月20日 |
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監督 |
2020年7月1日 | 2021年6月30日 |
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アシスタントコーチ |
2018年7月1日 | 2020年6月30日 |
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監督 |
2017年7月16日 | 2017年7月28日 |
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監督 |
2016年11月1日 | 2018年7月31日 |
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アシスタントコーチ |