中国スーパーリーグ
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欧州トップディビジョンにとうとう中国人選手ゼロ「中国スーパーリーグの待遇が良すぎ…長期的には“害”が大きい」
欧州53カ国リーグのトップディビジョンから中国人サッカー選手が消えた。 2002年日韓大会以来のW杯出場へアジア最終予選を戦う中国代表。そのメンバー構成は“帰化組”も含めて常に中国超級(1部)でプレーする選手が固め、いわゆる欧州組は存在しない。 いつの時代もそうだったわけではない。 それこそ日韓W杯世代はイングランドを中心に活躍。今や塀の向こうに消えたリー・ティエ(李鉄)はエバートンでプレーし、スン・チーハイ(孫継海)はマンチェスター・シティの低迷期に奮闘した功労者として、今も知名度が高い。 しかし、習近平政権発足に前後した中国国内のサッカーバブル到来で、超級を中心とした国内リーグの各クラブが潤うことに。コロナ禍で沈静化し、サラリーキャップも導入されたが、依然としてその待遇は「かなり良い」とされる。 それは、欧州クラブへ移籍する自国選手の減少に直結。A代表が繰り返しW杯出場を逃すなか、“最後の1人”ウー・シャオコンが年明けにバジャクシェヒル(トルコ1部)から北京国安へ完全移籍し、とうとう欧州トップディビジョンでプレーする中国人選手がゼロとなった。 中国『新浪』は、中国系の元世代別ノルウェー代表MFホウ・ヨンヨンを例に、中国スーパーリーグの高待遇を解説。 3月の中国代表入りが濃厚とされるホウ・ヨンヨンは、先月18日にノルウェー2部・ランハイムから中国超級・雲南玉昆へ完全移籍。新天地での年俸は500万人民元(約1億円)だといい、これはノルウェー国内に残れば1部リーグのトップクラブでも貰えなかった金額だという。 「ホウ・ヨンヨン自身にとってこの移籍は良い選択となっただろう。これはノルウェーリーグだと間違いなくあり得ない待遇だ。しかし、中国サッカー界の長期的な発展を考えれば、明らかに利益より害が大きいと言える」 また、昨年まで中国超級の5クラブを指揮した経験を持つヤーセン・ペトロフ氏も、母国ブルガリアのメディアで、中国スーパーリーグの高待遇に言及。中国人フットボーラーの大半は欧州移籍を考えていないと証言した。 「近年ではただひとり、ウー・レイが高い志を持ってスペインで一定期間プレーし、帰国後は1部リーグ(超級)の得点王となった。しかし、自国で十分すぎる給料をもらえるなら、他国の文化や生活に惹かれることなんてない…当然だろうね。中国人選手に欧州移籍の意向はない」 2025.02.05 16:08 Wed2
李鉄の逮捕から2年、中国サッカーで再び...「現役選手と連絡が取れなくなっている」「連れ去られた」
中国サッカーで汚職撲滅の動きが続いているようだ。中国『新浪』などが伝える。 11日、中国のサッカー記者、李平康氏が自身のSNSに「李鉄(リー・ティエ/※)が逮捕されてちょうど2年…再び始まった。今季終了後に連行される有名なコーチが1人、すでに連絡が取れなくなった中国2部の現役選手が1人いることがわかった」と発進。国内で波紋を広げた。 (※)元中国代表選手、元中国代表監督。22年11月に八百長・贈収賄で逮捕され、以来収監中 「この現役選手は、『連れ去られた』。ここで名前を出すのはやめておくが、この1年、この選手の名前を頻繁に聞いていたから、おそらくあらゆる面で“クロ”とみなされている。彼が戻ってくるかはわからない」 習近平体制で官民の汚職撲滅を続ける中国。かつてのスター選手だった李鉄以外にも、今年9月には違法賭博と八百長でサッカー関係者「43名」が一斉に永久追放となった事例も。 2022年以降、中国サッカー関係者の汚職がらみによる逮捕は「128名」。うち選手が「61名」を占めたと公表されており、すでに「34名」が懲役刑を科されている。 今回、李平康氏の発信により、汚職撲滅の動きが続いていること、“芽”を摘みきれていないことが明確に。 氏は「今回逮捕されるのは誰ですか?」とリプライしてきたユーザーに対し、やはり選手名を伏せつつも「湖南省での問題」と返信したそう。国内サッカーファンの間では、疑わしき人物の絞り込みが始まっているという。 2024.11.12 22:00 Tue3
かつての広州恒大まで…2004年以降に消滅した中国のプロサッカークラブは「127」
中国では、2004年からのおよそ20年間で「127」ものプロサッカークラブが消滅した。中国『新浪』が伝える。 中国サッカー界では6日、“広州恒大”時代にアジア最強クラブと言われた広州FC(甲級)、給与未払いが常態化していた滄州雄獅(超級)など、プロクラブ3つのライセンス不認可を発表。当地でこれは、問答無用のクラブ解散を意味する。 2023年に経営難で解散した広州富力なども含め、中国からプロサッカークラブが消えていく様子は、ハッキリ言って珍しくもない光景。 中国のトップディビションが1部超級・2部甲級・3部乙級で構成される「中国スーパーリーグ」となった2004シーズン以降、20年間で合計124ものプロクラブが消滅し、今回そこに広州FCなど3つが追加されることに。実に「127」ものクラブが消え去ったのだ。 中には、例えば2004年創設で2006年消滅…といったクラブもあるが、1955年創設で2019年に解散した延辺富徳など、それなりに長い歴史を有しながらもメインスポンサーの歯車が狂って解散を余儀なくされたクラブも存在。 それにしても、およそ20年で127ものプロクラブが消滅…尋常ではない数字である。 2025.01.16 20:25 Thu4
かつての“広州恒大”がアカデミー育ちで選手を賄う平均年齢「20.9歳」集団に…中国2部降格も猛烈な勢いで1部復帰へ前進中
かつてアジアで猛威を振るった広州FCが、中国スーパーリーグ(中国超級/1部)復帰へ好位置に付けている。中国『新浪』が伝える。 かつて広州恒大として、2013年と2015年にACLを制覇。国内でも中国スーパーリーグを2011〜17年にかけて7連覇などと、アジアで猛威を振るった広州。あの頃間違いなく、中国サッカーは歴史の転換点を迎えており、それをけん引する存在こそ、この広州だった。 しかし、コロナ禍、恒大集団の実質的な崩壊、サッカー界への投資終息。 広州はブラジルを中心にかき集めたスター選手が、2021年秋から2022年春にかけて次々と去り、ファビオ・カンナバーロ監督との契約も打ち切りに。2022シーズンの17位で2部降格となり、同時に中国サッカー全体が再び傾き始め、先日の“0-7大惨敗”まで至った。 名称から「恒大」が消えた広州は現在、中国甲級(2部)で所属28選手の平均年齢「20.9歳」というスーパーヤング集団。著名な外国籍選手(※)はおらず、28人のほぼ全てをU-18やリザーブチーム、恒大足球学校から引き上げたという、中国では異色のプロクラブとなった。 (※)コロンビア人選手2名、リトアニア人選手1名が所属 そんなチームでも、今季の甲級で第24節を終えて「3位」。「2位」が1部復帰ラインというなか、直近7試合で5勝2分け0敗と一気に調子を上げ、とうとう2位と同勝ち点というところまで急浮上した。広州はいま、3季ぶりとなる1部復帰に向け、好位置に付けている状況だ。 注目すべきは、やはりその選手構成か。 前述の通り、広州はかつてと真逆で、有力な選手を買い漁ることなど到底できず、平均年齢「20.9歳」の集団となり、そして大半が下部組織出身。もちろん世代別中国代表に名を連ねる選手もおり、そんなチームがいま、トップディビジョンへの復帰に近づいている。 1部リーグの主要クラブ、また中国代表の関係者たちは現広州に注目してもよさそうだが、彼らはいま、広州を見て何を思うのだろうか。 2024.09.26 14:05 Thu5
【足球日記】悔しかった日本でのサッカー人生、紆余曲折を経て掴んだプロへの道
かつては“爆買い"というワードがサッカー界を大いに沸かせ、ヨーロッパの第一線でプレーしている代表クラスの選手を多く集めていた中国スーパーリーグ。しかし、その後は給与の未払い問題やサッカーレベルの問題、生活環境の問題などが明るみに出て、多くのスターたちが短期間で中国を後に。一世を風靡した“爆買い"も横行することはなくなった。 さらに、2020年はリーグ戦開幕を控えていた1月に武漢を中心に、後に世界中で大流行する新型コロナウイルス(COVID-19)の感染者が多数見つかり、ほどなくして蔓延。サッカーどころではない状況となっていた。 そんな中国でプレーする1人の選手がいる。その名は、夏達龍(なつたつりゅう)。日本人の血を引く中国国籍の選手だ。難しい環境下での中国でのサクセスストーリーを現地から届けてもらう連載企画が今回からスタートする。第1回目はプロフットボーラーになるまでの紆余曲折、様々な人との出会いをお届けする。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 初めまして。夏です。 現在中国プロサッカーリーグでプレーしています。現役選手として中国サッカーの情報を少しでも多くのサッカーファンの皆様に共有できる場を設けていただき感謝していると同時に非常に嬉しく感じています。 今回は、僕自身の事と中国でプロサッカー選手になるまでの経緯を書いていきたいと思います。 ◆プロフィール 名前:夏達龍(なつ・たつりゅう) 生年月日:1993年6月27日 出身地:愛知県名古屋市 職業:プロサッカー選手 所属チーム:四川九牛足球俱乐部(中国プロサッカー2部) 父は中国人、母は日本と中国のハーフで、僕は4分の3が中国人で4分の1が日本人のクウォーターです。国籍は中国で在日中国人として日本でずっと生活していました。 5歳の時地域のサッカーチーム(Nagoya S.S)に入り、中学卒業までそのチームに所属しました。「将来プロサッカー選手になる」という夢を意識し始めたのは小学6年生の時でした。 小学4年の時にキャプテンを任されましたが、中学3年生最後の年でレギュラーに定着できずキャプテンとして上手くチームもまとめられずキャプテンを降ろされました。これは僕にとって大きな挫折、というより大きなショックだったことを今でも覚えています。 それでも「プロサッカー選手になる」という夢は全くブレませんでした。 高校は愛知県のサッカー強豪校でもある東海学園高校に入学してサッカーを続けましたが、3年間を通して特に大きな目標を達成したり、全国大会に出たりすることなく、入学前に描いていた理想とは真逆の高校サッカー生活となってしまいました。 しかし、高校時代決まったメンバーで毎日のように居残り練習をしていたおかげで、今でも自分に足りない部分を少しでも成長させるための自主トレが習慣になっていて、プロになった今でも積み重ねの大切さを日々実感しています。 そして高校サッカー引退が決まったあと僕には2つの進路がありました。 1つ目はそのまま付属の大学に上がって日本でサッカーを続けてプロを目指す。 2つ目はプロになるのを諦め、母国でもある中国で中国語を0から学ぶ留学という選択肢がありました。 中国留学を意識し始めたのは高校2年の時の進路相談からでした。実際に留学経験のあった姉から「中国の大学に行ったら?」という勧められ、正直それを聞いたときは「留学ありかも」とただ留学というワードに惹かれていました。 そして、進路の決断をするのに僕にとって大きな出来事がありました。 それは高校3年の最後の選手権予選、相手チームに敗れ引退が決まった瞬間、僕はベンチに座っていました。 負けたことよりも、引退が決まったことよりも、何より最後ピッチに立てなかったことが悔しくて泣いていました。むしろ監督が交代枠を使い切った時点で涙が勝手に出ていました。 夢に対してもっと強い信念を持っている選手であれば「大学サッカーで結果を出してプロになってやる」となっていると思いますが、僕はそのとき完全に「諦めよう」という決断をして、中国留学を決意しました。 <span class="paragraph-title">◆決意の中国留学</span> 2012年3月高校を卒業してすぐに北京の語学学校に通い始めました。ネットで見つけた北京在住の日本人サッカーチームがあり、すぐに連絡をして毎週末そこでサッカーをしました。 ここで自分にとってサッカーの楽しさを改めて感じることができました。監督やコーチのプレッシャーが全くない自由にできるサッカーがこんなにも面白いのかと驚きました。 プロになる夢は諦めたけどやっぱりサッカーが好きだと実感しました。 2014年9月上海の大学に中国人本科生として入学することになり、勉強とサッカーを中心に生活をしていました。バイトもサッカーコーチをして、まさにサッカー漬けの毎日でした。 2016年に現地の社会人サッカーチームに入ると、そこであるコーチに出会いました。そのコーチにかなり気に入ってもらい「君の実力なら中国でプロサッカー選手になれる」と言われ、本気で考えてみることにしました。 当時大学2年生(23歳)。卒業までまだ2年もあるし、何より日本生まれで中国に戸籍がなかった僕はまずコーチの助言で戸籍申請の準備をしました。(戸籍登録をして身分証を発行しないと国内選手として登記できないため) 翌年2017年そのコーチから連絡が来ると3部のプロチームに来ないかとオファーを受けました。しかし、その時点でまだ僕の戸籍申請は通っておらず、大学を辞める覚悟もできなかったので断りました。 2018年大学4年生になった僕はいよいよ進路のことも考えないといけない時期で、プロになりたいという気持ちはあったけど、戸籍が取得できない限り中国人国内選手として登録できないのでかなり悩ましい状況でした。 そのコーチは深センという街の4部のアマチュアチーム(日本でいうJFL)の監督として活動していて、僕に連絡をくれました。僕は現在の状況を説明すると、コーチは色々な人脈を使ってくれてなんとか戸籍登録を済ませることができました。 そして、2018年はそのコーチが監督を務めるアマチュアチームで3部昇格を目指し、給料が出る契約を結ぶことができたので、僕は就活はせずに「今度こそプロになってやる」と強い気持ちとともに中国サッカーの世界へ飛び込むことを決意しました。 当時25歳。この世界では遅すぎる挑戦だけど自信はあったし、もしうまくいかなくても悔いはない挑戦だと冷静に前向きに捉えることができました。 そして、地方予選を勝ち抜いた僕たちは全国大会のトーナメント進出を決めました。このまま勝ち進んでいけば3部のプロリーグに昇格できる。しかし、まさかの1回戦負け。昇格機会を逃し、オーナーもチームを手放してしまいました。 2018年10月にフリーになり、2019年に向けチーム探しをするため、紹介していただいた代理人の方と契約をして、冬のトライアウトまで日本で過ごすことになりました。 そして、冬になると代理人の指示で青島黄海(当時ヤヤ・トゥーレが所属し、元ヴィッセル神戸のフアン・マヌエル・リージョが後に監督を務めていた)という2部のチーム(今年から中国スーパーリーグ)にトライアウトを受けに行きました。 もちろんプロとして全く経歴がないので、僕自身が短いトライアウト期間中でどれだけアピールできるかが勝負なのでかなり難しかったです。 結果は不合格。 すぐに次のチームを探してもらう事になり、他の2部のチームに参加する予定でしたが、話だけでなんの進展もなく3部のチームに練習参加する事になりました。 瀋陽(しんよう)と宁夏(ねいか)のチームに参加しましたがすでに同ポジションの枠がなく結果は不合格。このあたりからかなり焦り始めて「ん?このままだと3部も契約できないんじゃないか?」と毎日不安に襲われ始めました。 そしてここで一旦春節休みに入り日本へ一時帰国。この期間が振り返ってみれば中々地獄でした。(笑) 次どこのチームのトライアウトにいけるかも確定していなく、チームもどの選手を取るかだいたい決まり始めている状況。そんな中ついに代理人から保定(ほてい)のチームが見つかったと連絡が来て、すぐに中国へ戻って練習参加しました。 1週間ほどのトレーニングを通して、しっかりとアピールもできてついに合格!! 保定容大足球俱乐部と2年契約することができました。とりあえず一安心。 2019年、子供の頃には予想もつかなかった中国プロサッカーリーグにて、念願だったプロサッカー選手になるという夢を叶えることができました。 <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/20200706natsu_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div> 2020.07.06 22:30 Monリーグ一覧
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