
中国スーパーリーグ
新着ニュース
人気記事ランキング
1
かつての広州恒大まで…2004年以降に消滅した中国のプロサッカークラブは「127」
中国では、2004年からのおよそ20年間で「127」ものプロサッカークラブが消滅した。中国『新浪』が伝える。 中国サッカー界では6日、“広州恒大”時代にアジア最強クラブと言われた広州FC(甲級)、給与未払いが常態化していた滄州雄獅(超級)など、プロクラブ3つのライセンス不認可を発表。当地でこれは、問答無用のクラブ解散を意味する。 2023年に経営難で解散した広州富力なども含め、中国からプロサッカークラブが消えていく様子は、ハッキリ言って珍しくもない光景。 中国のトップディビションが1部超級・2部甲級・3部乙級で構成される「中国スーパーリーグ」となった2004シーズン以降、20年間で合計124ものプロクラブが消滅し、今回そこに広州FCなど3つが追加されることに。実に「127」ものクラブが消え去ったのだ。 中には、例えば2004年創設で2006年消滅…といったクラブもあるが、1955年創設で2019年に解散した延辺富徳など、それなりに長い歴史を有しながらもメインスポンサーの歯車が狂って解散を余儀なくされたクラブも存在。 それにしても、およそ20年で127ものプロクラブが消滅…尋常ではない数字である。 2025.01.16 20:25 Thu2
中国2部で日本人監督誕生! 元甲府の篠田善之氏が2部降格の南通支雲の監督就任「アジアで自分も仕事をしてみたい思いがあった」
中国甲級リーグ(中国2部)の南通支雲足球俱樂部は1日、日本人指導者の篠田善之氏(53)が新監督に就任することを発表した。 篠田氏は、現役時代は甲府クラブ(現:ヴァンフォーレ甲府)やアビスパ福岡でプレー。引退後は福岡の下部組織やトップチームでコーチを歴任。2008年7月に監督に就任した。 2012年からはFC東京のトップチームのコーチになると、2016年7月に監督に就任。2018年からは清水エスパルスでコーチを務め、2019年5月に監督に就任した。 2023年から甲府の指揮を執ると、クラブ史上初となるAFCチャンピオンズリーグ(ACL)でも指揮しベスト16に進出する偉業を成し遂げていた。しかし、2024シーズンの明治安田J2リーグでは22試合を戦い、7勝5分け10敗の14位と低迷。J1昇格を目指すクラブにとっては厳しい位置にいた中、7月に契約解除となっていた。 クラブは「先進的なサッカーの概念を持ち、チームの技術的・戦術的なポゼッションや選手のマネジメントについて独自の見識とアイデアを持っている」と篠田氏を紹介している。 篠田新監督はクラブのインタビューに応じ、今回中国でのキャリアをスタートさせる思いを語った。 「FC東京時代にACLに参加したときに、アジアで自分も仕事をしてみたいという思いがありました。昨年甲府の監督としてACLに出た際に、またその思いが強くなったというのが1つあります。その上で、オファーが来たので、チャレンジしてみようという思いになりました」 「なかなか難しいミッションだと思いますが、目標に向かって全体がまとまっていければ、必ず達成できると信じて、日々のトレーニングから選手たちにも自信を持たせてあげること、スタッフの協力を得て、目標を達成できると思います」 南通支雲足球俱樂部は、2016年3月に設立された若いチーム。狼をモチーフとしたクラブで、クラブカラーは青。2023シーズンからは中国スーパーリーグを戦っていたが、2024シーズンは16位と最下位で終わり2部降格となっていた。 クラブの印象について篠田監督は「スタジアムや施設を見させてもらいましたが、非常に色々と整っており、できて間もないチーム、歴史をこれから作るチームということで、そこに自分も参加できることを嬉しく感じています」とコメント。チーム作りについても言及している。 「まず1つはサポーターの皆さん、見ているお客さんがチームがアグレッシブでハードワークできる、見ていてワクワクするチームを作りたいです」 「チームのまとまり、意欲というものを日頃のトレーニングから全面に出せるようにしていきたいと思っています」 2025.01.02 23:40 Thu3
【足球日記】悔しかった日本でのサッカー人生、紆余曲折を経て掴んだプロへの道
かつては“爆買い"というワードがサッカー界を大いに沸かせ、ヨーロッパの第一線でプレーしている代表クラスの選手を多く集めていた中国スーパーリーグ。しかし、その後は給与の未払い問題やサッカーレベルの問題、生活環境の問題などが明るみに出て、多くのスターたちが短期間で中国を後に。一世を風靡した“爆買い"も横行することはなくなった。 さらに、2020年はリーグ戦開幕を控えていた1月に武漢を中心に、後に世界中で大流行する新型コロナウイルス(COVID-19)の感染者が多数見つかり、ほどなくして蔓延。サッカーどころではない状況となっていた。 そんな中国でプレーする1人の選手がいる。その名は、夏達龍(なつたつりゅう)。日本人の血を引く中国国籍の選手だ。難しい環境下での中国でのサクセスストーリーを現地から届けてもらう連載企画が今回からスタートする。第1回目はプロフットボーラーになるまでの紆余曲折、様々な人との出会いをお届けする。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 初めまして。夏です。 現在中国プロサッカーリーグでプレーしています。現役選手として中国サッカーの情報を少しでも多くのサッカーファンの皆様に共有できる場を設けていただき感謝していると同時に非常に嬉しく感じています。 今回は、僕自身の事と中国でプロサッカー選手になるまでの経緯を書いていきたいと思います。 ◆プロフィール 名前:夏達龍(なつ・たつりゅう) 生年月日:1993年6月27日 出身地:愛知県名古屋市 職業:プロサッカー選手 所属チーム:四川九牛足球俱乐部(中国プロサッカー2部) 父は中国人、母は日本と中国のハーフで、僕は4分の3が中国人で4分の1が日本人のクウォーターです。国籍は中国で在日中国人として日本でずっと生活していました。 5歳の時地域のサッカーチーム(Nagoya S.S)に入り、中学卒業までそのチームに所属しました。「将来プロサッカー選手になる」という夢を意識し始めたのは小学6年生の時でした。 小学4年の時にキャプテンを任されましたが、中学3年生最後の年でレギュラーに定着できずキャプテンとして上手くチームもまとめられずキャプテンを降ろされました。これは僕にとって大きな挫折、というより大きなショックだったことを今でも覚えています。 それでも「プロサッカー選手になる」という夢は全くブレませんでした。 高校は愛知県のサッカー強豪校でもある東海学園高校に入学してサッカーを続けましたが、3年間を通して特に大きな目標を達成したり、全国大会に出たりすることなく、入学前に描いていた理想とは真逆の高校サッカー生活となってしまいました。 しかし、高校時代決まったメンバーで毎日のように居残り練習をしていたおかげで、今でも自分に足りない部分を少しでも成長させるための自主トレが習慣になっていて、プロになった今でも積み重ねの大切さを日々実感しています。 そして高校サッカー引退が決まったあと僕には2つの進路がありました。 1つ目はそのまま付属の大学に上がって日本でサッカーを続けてプロを目指す。 2つ目はプロになるのを諦め、母国でもある中国で中国語を0から学ぶ留学という選択肢がありました。 中国留学を意識し始めたのは高校2年の時の進路相談からでした。実際に留学経験のあった姉から「中国の大学に行ったら?」という勧められ、正直それを聞いたときは「留学ありかも」とただ留学というワードに惹かれていました。 そして、進路の決断をするのに僕にとって大きな出来事がありました。 それは高校3年の最後の選手権予選、相手チームに敗れ引退が決まった瞬間、僕はベンチに座っていました。 負けたことよりも、引退が決まったことよりも、何より最後ピッチに立てなかったことが悔しくて泣いていました。むしろ監督が交代枠を使い切った時点で涙が勝手に出ていました。 夢に対してもっと強い信念を持っている選手であれば「大学サッカーで結果を出してプロになってやる」となっていると思いますが、僕はそのとき完全に「諦めよう」という決断をして、中国留学を決意しました。 <span class="paragraph-title">◆決意の中国留学</span> 2012年3月高校を卒業してすぐに北京の語学学校に通い始めました。ネットで見つけた北京在住の日本人サッカーチームがあり、すぐに連絡をして毎週末そこでサッカーをしました。 ここで自分にとってサッカーの楽しさを改めて感じることができました。監督やコーチのプレッシャーが全くない自由にできるサッカーがこんなにも面白いのかと驚きました。 プロになる夢は諦めたけどやっぱりサッカーが好きだと実感しました。 2014年9月上海の大学に中国人本科生として入学することになり、勉強とサッカーを中心に生活をしていました。バイトもサッカーコーチをして、まさにサッカー漬けの毎日でした。 2016年に現地の社会人サッカーチームに入ると、そこであるコーチに出会いました。そのコーチにかなり気に入ってもらい「君の実力なら中国でプロサッカー選手になれる」と言われ、本気で考えてみることにしました。 当時大学2年生(23歳)。卒業までまだ2年もあるし、何より日本生まれで中国に戸籍がなかった僕はまずコーチの助言で戸籍申請の準備をしました。(戸籍登録をして身分証を発行しないと国内選手として登記できないため) 翌年2017年そのコーチから連絡が来ると3部のプロチームに来ないかとオファーを受けました。しかし、その時点でまだ僕の戸籍申請は通っておらず、大学を辞める覚悟もできなかったので断りました。 2018年大学4年生になった僕はいよいよ進路のことも考えないといけない時期で、プロになりたいという気持ちはあったけど、戸籍が取得できない限り中国人国内選手として登録できないのでかなり悩ましい状況でした。 そのコーチは深センという街の4部のアマチュアチーム(日本でいうJFL)の監督として活動していて、僕に連絡をくれました。僕は現在の状況を説明すると、コーチは色々な人脈を使ってくれてなんとか戸籍登録を済ませることができました。 そして、2018年はそのコーチが監督を務めるアマチュアチームで3部昇格を目指し、給料が出る契約を結ぶことができたので、僕は就活はせずに「今度こそプロになってやる」と強い気持ちとともに中国サッカーの世界へ飛び込むことを決意しました。 当時25歳。この世界では遅すぎる挑戦だけど自信はあったし、もしうまくいかなくても悔いはない挑戦だと冷静に前向きに捉えることができました。 そして、地方予選を勝ち抜いた僕たちは全国大会のトーナメント進出を決めました。このまま勝ち進んでいけば3部のプロリーグに昇格できる。しかし、まさかの1回戦負け。昇格機会を逃し、オーナーもチームを手放してしまいました。 2018年10月にフリーになり、2019年に向けチーム探しをするため、紹介していただいた代理人の方と契約をして、冬のトライアウトまで日本で過ごすことになりました。 そして、冬になると代理人の指示で青島黄海(当時ヤヤ・トゥーレが所属し、元ヴィッセル神戸のフアン・マヌエル・リージョが後に監督を務めていた)という2部のチーム(今年から中国スーパーリーグ)にトライアウトを受けに行きました。 もちろんプロとして全く経歴がないので、僕自身が短いトライアウト期間中でどれだけアピールできるかが勝負なのでかなり難しかったです。 結果は不合格。 すぐに次のチームを探してもらう事になり、他の2部のチームに参加する予定でしたが、話だけでなんの進展もなく3部のチームに練習参加する事になりました。 瀋陽(しんよう)と宁夏(ねいか)のチームに参加しましたがすでに同ポジションの枠がなく結果は不合格。このあたりからかなり焦り始めて「ん?このままだと3部も契約できないんじゃないか?」と毎日不安に襲われ始めました。 そしてここで一旦春節休みに入り日本へ一時帰国。この期間が振り返ってみれば中々地獄でした。(笑) 次どこのチームのトライアウトにいけるかも確定していなく、チームもどの選手を取るかだいたい決まり始めている状況。そんな中ついに代理人から保定(ほてい)のチームが見つかったと連絡が来て、すぐに中国へ戻って練習参加しました。 1週間ほどのトレーニングを通して、しっかりとアピールもできてついに合格!! 保定容大足球俱乐部と2年契約することができました。とりあえず一安心。 2019年、子供の頃には予想もつかなかった中国プロサッカーリーグにて、念願だったプロサッカー選手になるという夢を叶えることができました。 <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/20200706natsu_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div> 2020.07.06 22:30 Mon4
中国スーパーリーグが年俸上限を設定、外国人の年俸は3億8000万円
中国スーパーリーグが、2021シーズンからのサラリーキャップ制度導入を発表した。 かつては“爆買い”が大きな話題となり、ヨーロッパで活躍するトッププレーヤーを資金力に任せて大量に獲得していた中国スーパーリーグのクラブたち。しかし、近年は中国サッカー協会(CFA)の方針転換などもあり、給与面などが改善されている。 また、クラブの給与未払い問題や、クラブの消滅などを繰り返した中、今シーズンは新型コロナウイルス(COVID-19)の影響を受けて変則的なシーズンを過ごしていた。 その中国スーパーリーグは、2021シーズンからサラリーキャップを導入することを発表。外国人選手の年俸は300万ユーロ(約3億8000万円)を上限、国内選手は500万元(約8000万円)を上限とすることになった。 なお、この制限を超えたチームに関しては、最大で勝ち点24が剥奪されることとなる。また、選手はCFA主催の試合への出場停止措置を受ける可能性もあるとのことだ。 中国スーパーリーグではチェルシーなどでプレーした元ブラジル代表MFオスカルが6000万ユーロ(約75億5000万円)で上海上港で加入。年俸は2300万ユーロ(約29億円)であり、今回も受けられる上限のおよそ8倍をもらっていた。 CFAがサラリーキャップ制度を導入する理由は「マネーフットボール」の抑制と中国代表への「投資バブル」をもたらしたいとのことだ。 CFAの陳戌源会長は、「中国スーパーリーグのクラブの支出は、韓国のKリーグの約10倍、日本のJリーグの3倍となっている。しかし、我々の代表チームははるかに遅れをとっている」とコメントしている。 FIFAランキングで見れば、中国は75位に対し、韓国は38位、日本は27位となっており、会長の言葉通りコストに対して代表強化が進んでいないのが現状だ。 なお、1月1日から有効となり、2部と3部でもサラリーキャップ制度が導入されるとのことだ。 2020.12.16 13:05 Wed5
欧州トップディビジョンにとうとう中国人選手ゼロ「中国スーパーリーグの待遇が良すぎ…長期的には“害”が大きい」
欧州53カ国リーグのトップディビジョンから中国人サッカー選手が消えた。 2002年日韓大会以来のW杯出場へアジア最終予選を戦う中国代表。そのメンバー構成は“帰化組”も含めて常に中国超級(1部)でプレーする選手が固め、いわゆる欧州組は存在しない。 いつの時代もそうだったわけではない。 それこそ日韓W杯世代はイングランドを中心に活躍。今や塀の向こうに消えたリー・ティエ(李鉄)はエバートンでプレーし、スン・チーハイ(孫継海)はマンチェスター・シティの低迷期に奮闘した功労者として、今も知名度が高い。 しかし、習近平政権発足に前後した中国国内のサッカーバブル到来で、超級を中心とした国内リーグの各クラブが潤うことに。コロナ禍で沈静化し、サラリーキャップも導入されたが、依然としてその待遇は「かなり良い」とされる。 それは、欧州クラブへ移籍する自国選手の減少に直結。A代表が繰り返しW杯出場を逃すなか、“最後の1人”ウー・シャオコンが年明けにバジャクシェヒル(トルコ1部)から北京国安へ完全移籍し、とうとう欧州トップディビジョンでプレーする中国人選手がゼロとなった。 中国『新浪』は、中国系の元世代別ノルウェー代表MFホウ・ヨンヨンを例に、中国スーパーリーグの高待遇を解説。 3月の中国代表入りが濃厚とされるホウ・ヨンヨンは、先月18日にノルウェー2部・ランハイムから中国超級・雲南玉昆へ完全移籍。新天地での年俸は500万人民元(約1億円)だといい、これはノルウェー国内に残れば1部リーグのトップクラブでも貰えなかった金額だという。 「ホウ・ヨンヨン自身にとってこの移籍は良い選択となっただろう。これはノルウェーリーグだと間違いなくあり得ない待遇だ。しかし、中国サッカー界の長期的な発展を考えれば、明らかに利益より害が大きいと言える」 また、昨年まで中国超級の5クラブを指揮した経験を持つヤーセン・ペトロフ氏も、母国ブルガリアのメディアで、中国スーパーリーグの高待遇に言及。中国人フットボーラーの大半は欧州移籍を考えていないと証言した。 「近年ではただひとり、ウー・レイが高い志を持ってスペインで一定期間プレーし、帰国後は1部リーグ(超級)の得点王となった。しかし、自国で十分すぎる給料をもらえるなら、他国の文化や生活に惹かれることなんてない…当然だろうね。中国人選手に欧州移籍の意向はない」 2025.02.05 16:08 Wedリーグ一覧
![]() |
プレミアリーグ |
![]() |
ラ・リーガ |
![]() |
セリエA |
![]() |
ブンデスリーガ |
![]() |
リーグ・アン |
![]() |
エールディビジ |
![]() |
プリメイラ・リーガ |
![]() |
ジュピラー・プロ・リーグ |
![]() |
J1 |
![]() |
UEFAチャンピオンズリーグ |
![]() |
UEFAヨーロッパリーグ |
![]() |
UEFAカンファレンスリーグ |