日本代表とJリーグのディープな関係って実際他のところではどうなの?! の巻/倉井史也のJリーグ

2025.03.28 16:00 Fri
日本代表vsバーレーン代表の試合後に掲げられたバナー
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読者の人から質問が来たんです。ヨーロッパのほうって代表の試合があるときにリーグやカップの試合を入れるんですかって。それって3月20日のバーレーン戦の日にルヴァンカップの試合が入っていたことを言ってるんだと思うんですよ。

あの日、ルヴァンカップの試合会場から埼玉スタジアムに「後半だけでも」ということで駆けつけた人もいるとか。そりゃそうですよね。ワールドカップ出場が決まるかもしれなかったんですから。しかもそれって去年の11月には決まってたことだったのに、Jリーグと日本サッカー協会は本当にそれでよかったの?

ということで、ヨーロッパつってもめちゃくちゃ範囲が広いんで、とりあえずイングランド、ドイツ、スペイン、フランス、イタリアの5大リーグとポルトガル、オランダ、ベルギーを調べてみました。ちなみに今回のインターナショナルマッチウイークは3月17日〜25日です。この間のカップ戦まで含めた日程はこちら。

【イングランド】
プレミアリーグ|ラウンド29:〜3月16日
プレミアリーグ|ラウンド30:4月02日〜

【ドイツ】
ブンデスリーガ|ラウンド26:〜3月16日
ブンデスリーガ|ラウンド26:3月28日〜
【スペイン】
ラ・リーガ|ラウンド28:〜3月16日
ラ・リーガ|ラウンド27(未消化1試合):3月27日

【フランス】
リーグ・アン|ラウンド26:〜3月16日
リーグ・アン|ラウンド26:3月28日〜

【イタリア】
セリエA|ラウンド29:〜3月16日
セリエA|ラウンド30:3月28日〜

【ポルトガル】
リーガ・ポルトガル|ラウンド26:〜3月16日
リーガ・ポルトガル|ラウンド24(1試合未消化):3月28日

【オランダ】
エールディビジ|ラウンド26:〜3月16日
エールディビジ|ラウンド27:3月29日

【ベルギー】
ジュピラー・プロリーグ|ラウンド30:〜3月16日
ジュピラー・プロリーグ|カンファレンスリーグ・グループ:3月28日〜

ちなみにこれってトップリーグのチームを含んだ日程のみ。下位リーグまで行くと、たとえばベルギーのナショナル・ディヴィジョン1まで行くと試合は入ってます。でも今回のルヴァンカップはJ1のチームも入ってますからね。

これってやっぱりトップリーグのチームには代表選手がいて、その選手たちが抜けたらカップ戦の価値が落ちるという判断もあるんじゃないかと思うんです。日本はこれまでリーグカップ戦入れてきましたけど。

シーズン移行すれば、これもヨーロッパのいろんなリーグ並みにカップ戦もインターナショナルマッチウイークを外して出来るようになるんでしょうか。それも今後のJリーグのいろんな発表で注目しなければいけないところですね。日程が発表された時点ではなかなか気付かないんですけどね。

ちなみに昔はもっとすごいことがあって、2002年3月21日、大阪長居スタジアムで18時からウクライナ戦が行われた日、C大阪vs川崎が13時から長居第2陸上競技場で開催されてるという、Jと代表ダブルヘッダー的なものまで開催してたんですけどね。当時、C大阪と川崎はJ2でしたけど。

ということで、珍しくJリーグの抱える課題について調べてみました。う〜ん、今回はかなりディープな部分に触れてしまったかしら。

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中村敬斗がスキンケアブランドのイベントに出席 「びっくり。こんなにもたくさんのファンが来てくれるとは」…クラブ&代表での1年総括

スタッド・ランスの日本代表FW中村敬斗が16日に都内でメンズスキンケアブランド『KINGU』のブランドアンバサダー就任イベントに出席した。 駆けつけたファンの多くが女性を占めてのイベントではトークショーも行われ、オフ中のプライベートや選手内の美容ケア事情などが話題に。愛用する『KINGU』の商品にも「洗い終わった後は肌がつるつるになっている感じがあって気持ちが良い」と使い心地の良さをアピールした。 そのトークイベント後、取材に応じた中村は「実際にここに来てびっくりした。こんなにもたくさんのファンが来てくれるとは思っていなかったので。心の底から嬉しい」と振り返った。 今季の中村はスタッド・ランスでリーグ・アン初挑戦の1年で、ケガもあったが、最終的に公式戦26試合に出場。得点関与の部分では4ゴールに1つのアシストをマークした。 かたや代表ではデビューから10試合で8ゴールの活躍ぶり。この6月の活動でも2ゴールを決め、3バックにトライするチームのなかで左ウイングバックとして存在感を大きくした。 「ケガもあったけど、フランスリーグに初めて行って、すごく学んだものが多かった。代表でもアジアカップがあって、負けてしまった悔しさもあったりとか、個人的には成長した1年だったかなと思う」 代表での1年を振り返ると、期待感を抱かせる選手の1人だったが、「正直、チームメイトが良いパスをくれて決めるだけのシーンがほとんど。ラッキーだなという思いだけ」と謙遜した。 左ウイングバックでのプレーにも「ウイングよりも守備を求められるポジション。より突破とクロスも求められる。そこはまだまだ足りないし、もっと成長できたらと思う」と話す。 代表での活躍で環境も変わり、「今日のようなイベントは今までなかった」と語ると、代表選手としての自覚を強くする言葉も。2年後のワールドカップ(W杯)出場にも「まずは個人的に自チームで活躍して、それからやっと代表」と述べた。 2024.06.16 17:15 Sun
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菅原由勢はアピールに“失敗”したのか?右のスペシャリストが45分で表現したもの

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中田英寿氏が波乱万丈のサッカーキャリア回想…『The Atletic』のロングインタビューに答える

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