「ペレ、永遠に」メッシやネイマールらPSG選手が特別なTシャツでペレ氏を追悼
2023.01.12 12:15 Thu
パリ・サンジェルマン(PSG)の選手たちが、2022年12月29日に逝去したペレ氏(享年82)を追悼した。ワールドカップ(W杯)を3度制した唯一の選手であり、ブラジルサッカー界にとって神のような存在でもあるレジェンドであるペレ氏。“サッカーの王様”と称された。
11日にリーグ・アン第18節でアンジェと対戦したPSGの選手たちは、ウォーミングアップ時にウェアの上にペレ氏を描いた特別なTシャツを着用。「永遠に」のメッセージも記され、レジェンドに敬意を表した。
なお、ワールドカップ休暇明けのアルゼンチン代表リオネル・メッシの復帰戦となったアンジェ戦は、メッシのゴールもあり2-0でPSGが勝利。前節RCランス戦の敗戦からのバウンスバックに成功している。
11日にリーグ・アン第18節でアンジェと対戦したPSGの選手たちは、ウォーミングアップ時にウェアの上にペレ氏を描いた特別なTシャツを着用。「永遠に」のメッセージも記され、レジェンドに敬意を表した。
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3度のW杯制覇にルール変更、誰もが知る「サッカーの王様」ペレの偉業
一流と呼ばれる選手たちはこれまでのサッカー史の中で数知れず。その中において、記憶にも記録にも残り、誰もが知る超一流の選手はほんの一握りだ。 現役選手では、パリ・サンジェルマンのアルゼンチン代表FWリオネル・メッシやマンチェスター・ユナイテッドのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドがその位置にいると思われるが、誰もが知る「サッカーの王様」と呼ばれるペレは、異質な存在だった。 <span class="paragraph-title">◆3度のW杯制覇の偉業</span> 今年11月にカタールで開催されるワールドカップ(W杯)。前述のメッシ、C・ロナウドは出場すれば共に5度目のW杯となる。 ペレは記録によれば1954年に14歳でデビュー。1977年まで23年間現役でプレーした。 ブラジル代表としても16歳9カ月でデビューを果たしており、これは当時の最年少記録。ペレは1958年のスウェーデンW杯に背番号10で初めて出場。そこから4大会連続でW杯に出場した。 W杯の出場回数では4回ともちろん多いが、4回中3回優勝をしているのだから驚きだ。 現在とはレギュレーションも違った中ではあるが、初めてでたスウェーデン大会では6ゴールを奪い、ブラジルに初めてのW杯優勝をもたらせる。この活躍により、ペレの背番号「10」がエースと見なされるようになったという話があるが、「10」は偶然背負ったもの。エースは違う番号だった可能性も十分にあった。 1962年のチリ大会にも出場したペレだったが、大会序盤で負傷。しかし、チームはペレ抜きでもしっかりと勝ち上がり、連覇を達成。ブラジル代表の存在価値が高まった大会と言われた。 1966年のイングランド大会にも出場したペレだったが、ケガを抱えていたことでこの大会も途中でプレーできないことに。チームも3連覇を逃し、大きな話題となっていた。 イングランド大会を最後にW杯には出場しないと決めていたペレだったが、1970年のメキシコ大会にも出場。3度目の優勝を目指してプレーすると、決勝でもゴールとアシストで貢献し、見事に3度目の優勝を果たすこととなった。 <span class="paragraph-title">◆ルールを変えていった男</span> まだまだテレビやインターネットなどが普及せず、現代とは比べ物にならないくらい情報伝達が遅かった時代に活躍したペレ。それでも、世界中で称賛されるということがどれだけ凄かったかということだ。 今ならプレーシーンは試合中にインターネット上に出回り、一瞬にして世界に広まるが、そんなことは不可能な時代にだ。ブラジルと対戦する全ての相手がペレを警戒し、今であれば考えられないようなラフプレーで平然と止めていた。 というのも、当時はイエローカードやレッドカードというルールはなく、試合中にケガをしても交代できないという、現代では考えられないルールだった。 しかし、このラフプレーでペレにケガが絶えなかったこと、さらにはW杯でのプレーを拒否するような事があり、ラフプレー対策としてイエローカードとレッドカードが導入されることとなったのだ。 また選手交代ができない時代にケガを押してプレーしていたことも多く、試合中の選手交代もペレによって生まれたルールといって良い。現代サッカーの根本となるルールを生み出すあたり、レベルの違う偉人と言えるだろう。 <span class="paragraph-title">◆偉大なるゴール記録も</span> そのペレはキャリアを通じて1375試合に出場し1284ゴールを記録したとされている。オフィシャルの記録では世界で最もゴールを決めているとされている偉大なスコアラーだ。 ただ、このゴールには親善試合も含まれており、クラブや代表チームでの公式戦でのゴールは831試合で767ゴール。十分凄い記録であるが、これはC・ロナウドが2021年3月14日に更新していた。 記録こそ抜かれたが、C・ロナウドも「プロキャリアで770ゴールに到達した。最初の言葉はペレに捧げたい」とコメントするなど、偉大さが失われるわけではない。 時代も進化し、テクノロジーやトレーニング法など、様々な面が大きく変化している中でも、永遠に語り継がれるであろうペレ。「サッカーの王様」は彼しか存在し得ないと言って良いだろう。 <div id="cws_ad"><hr>ブラジル代表で活躍し、「サッカーの王様」として知られているペレが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せた卓越したプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。<a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/79aae7be" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2022/sega20220413.jpg" style="max-width:100%;"></div></a></div> <span class="paragraph-title">【動画】見たことある!?「サッカーの王様」ペレのスーパーゴール!</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJmT2lSczhmNCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> <div id="cws_ad"><hr>ブラジル代表で活躍し、「サッカーの王様」として知られているペレが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せた卓越したプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。<a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/79aae7be" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2022/sega20220413.jpg" style="max-width:100%;"></div></a></div> 2022.04.15 10:00 Fri2
表彰見送りの「バロンドール」がドリームチームを発表!現役からはメッシ&C・ロナウドが選出
世界の年間最優秀選手に贈られる賞である「バロンドール」。今年は新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大の影響により表彰が中止となっていた。 しかし、主催する『フランス・フットボール』はバロンドールの審査員選定の「バロンドール・ドリームチーム」を発表した。 <div id="cws_ad">◆C・ロナウド、100試合出場のユベントスで決めたゴール集!<div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJ2NXR1dUdmeiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> 選定された11名はバロンドール受賞者に限らず、改めて『フランス・フットボール』の審査員が各ポジションから選出。[3-4-3]のシステムで選ばれている。 <span class="paragraph-title">GK:レフ・ヤシン(ソビエト連邦)</span> GKは唯一のバロンドール受賞者で“黒蜘蛛”の異名を誇った元ソビエト連邦代表GKレフ・ヤシンが選ばれた。1963年のバロンドールを受賞したヤシンは、GKとして唯一の受賞者。また、2019年からGK版のバロンドールと言われる「ヤシン・トロフィー」が創設され、唯一の受賞者として賞に命名されていた。 <span class="paragraph-title">CB:カフー(ブラジル)</span> 右のセンターバックはブラジル代表で活躍したカフー。バロンドールとは縁がないが、ローマやミランでプレーしセリエAで10年間プレー。1994年のアメリカ・ワールドカップ(W杯)、2002年の日韓W杯と2度のW杯制覇を成し遂げていた。 <span class="paragraph-title">CB:フランツ・ベッケンバウアー(ドイツ)</span> 中央のセンターバックはドイツのレジェンドであり“皇帝”と呼ばれたフランツ・ベッケンバウアーだ。1972年と1976年に2度バロンドールを受賞。DFとして3人しかいない受賞者のうちの1人であり、DFとして2度受賞した唯一の選手。最終候補にはさらに2度入ったこともある。 <span class="paragraph-title">CB:パオロ・マルディーニ(イタリア)</span> 左のセンターバックはイタリア代表として活躍し、ミラン一筋でキャリアを終えたパオロ・マルディーニ。バロンドールの受賞経験はないものの、ミランんで900試合以上プレーしたレジェンド。キャプテンとして長らくチームを牽引した。 <span class="paragraph-title">MF:ローター・マテウス(ドイツ)</span> ボランチの一角は“闘将”として知られる元ドイツ代表のローター・マテウス。1990年にバロンドールを受賞。ボランチ、そしてリベロとして活躍。ドイツ代表でも150試合に出場しているレジェンドだ。 <span class="paragraph-title">MF:チャビ・エルナンデス(スペイン)</span> もう1人のボランチはバルセロナで活躍した元スペイン代表のチャビ・エルナンデスだ。卓越したパスセンスを武器にバルセロナを長年支えるも、バロンドールの受章はなし。3位に3度選ばれた経験がある。 <span class="paragraph-title">MF:ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)</span> 攻撃的なミッドフィルダーの1人は、先日他界し世界中が悲しみにくれたアルゼンチンのレジェンド、ディエゴ・マラドーナだ。言わずもがな、サッカー界のレジェンドだが、現役当時はバロンドールの受賞資格がなかったために受賞はなし。しかし、バロンドール60周年を迎えた2016年に再評価。1986年と1990年の2度受賞したことになっている。 <span class="paragraph-title">MF:ペレ(ブラジル)</span> 攻撃的なミッドフィルダーの1人は、同じくサッカー界のレジェンドである元ブラジル代表FWペレだ。サッカー界No.1のレジェンドでもあるペレだが、マラドーナ同様にバロンドールの受賞資格はなし。しかし、再評価により7度の受賞が認められ、史上最多になっていたこととなる。 <span class="paragraph-title">FW:リオネル・メッシ(アルゼンチン)</span> 右ウイングはバルセロナのエースであり、史上最多6度のバロンドール受賞を誇るアルゼンチン代表FWリオネル・メッシだ。昨年のバロンドール受賞者であるメッシは、過去に4年連続受賞を誇るなど世界最高峰の1人。2位も5回経験がある。 <span class="paragraph-title">FW:クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル)</span> 左ウイングはメッシとともに現代サッカー界のトップに君臨するユベントスのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド。メッシに次いで5度のバロンドール受賞歴があ理、2011年から9年連続最終候補3名に入っている。 <span class="paragraph-title">FW:ロナウド(ブラジル)</span> センターフォワードはバルセロナ、レアル・マドリー、インテル、ミランなどで活躍した元ブラジル代表FWロナウドだ。バロンドールは1997年と2002年の2度受賞。ケガに悩まされるキャリアだったが、“フェノーメノ”の愛称の通り、全盛期は誰も止められないプレーを披露し数多くのゴールを奪った。 ◆バロンドール・ドリームチーム GK:レフ・ヤシン DF:カフー、フランツ・ベッケンバウアー、パオロ・マルディーニ MF:ローター・マテウス、チャビ・エルナンデス MF:ペレ、ディエゴ・マラドーナ FW:リオネル・メッシ、ロナウド、クリスティアーノ・ロナウド 2020.12.15 10:40 Tue3
C・ロナウドは「トップ5に入らない」、カッサーノ氏が最高のサッカー選手5名を挙げる
いつの時代も議論が止まらないのが最高のサッカー選手。これまで数々のスター選手が活躍し、各々の主張がある。 現代サッカー界では長年にわたってトップを走り続けている、パリ・サンジェルマンのアルゼンチン代表FWリオネル・メッシ、そしてマンチェスター・ユナイテッドでプレーするFWクリスティアーノ・ロナウドの名前が挙げられるだろう。 そんな中、元イタリア代表FWアントニオ・カッサーノ氏が、元同僚のクリスティアン・ヴィエリ氏のTwitchチャンネル『BOBO TV』で言及したとスペイン『アス』が伝えた。C・ロナウドに対して辛辣な言葉を残した。 「彼はトップ5に入っていない。私にとって、メッシ、ペレ、マラドーナ、クライフ、“フェノメノ”ロナウドは別のレベルにある」 C・ロナウドは、ポルトガル代表でも182試合に出場し115ゴールと世界記録を保持。クラブレベルでも通算679ゴールを記録し、屈指のゴールスコアラーとして活躍。バロンドールも5度獲得し、チャンピオンズリーグで5度の優勝など多くのタイトルを獲得している。 しかし、カッサーノ氏にとってはC・ロナウドは眼中にない様子。サッカー史に名を残すペレ氏、ディエゴ・マラドーナ氏、ヨハン・クライフ氏に加え、ライバルのメッシ、そして元ブラジル代表FWロナウドと、数字以外の部分を大きく重視しているようだ。 また、この配信の中では新世代のゴールマシーンでもあるドルトムントのノルウェー代表FWアーリング・ハーランドについても言及。どこに移籍するのかについてカッサーノ氏はバイエルンを挙げた。 「気をつけろ。『バイエルンはハーランドとの契約を望んでいる』と言われたことがある。そしてまた、マドリーがレヴァンドフスキをここ2、3年欲しがっていることもある。それは私にとっては理に適っている」 一方で、ヴィエリ氏はレアル・マドリーに行くと聞いていると主張。何れにしても、この先のキャリアは注目を集めることになるだろう。 「とは言え、ハーランドはマドリーに100%行くと言われている。そう言われているけど、本当かどうかは分からないね」 <span class="paragraph-title">【動画】C・ロナウドがポルトガル代表で決めた数々のゴール</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJxSW11Y3FrWCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2021.10.19 12:25 Tue4
“サッカーの神様”と呼ばれたジーコ、W杯での輝きと苦しみ
サッカー界に数多く存在してきたスター選手。その中でも、異名を持つ選手はそこまで多くない。 際たるものは"サッカーの王様"と呼ばれたキング・ペレ。ブラジルの英雄であり、ワールドカップ(W杯)で3度も優勝を経験しているレジェンド中のレジェンドだ。そして、そのペレにも例えられ"白いペレ"と呼ばれ、"サッカーの神様"として知られているのが、ジーコだ。 日本でも住友金属、鹿島アントラーズとプレーし、その後に日本代表監督を務めたことからも、知らない人はいないほどの知名度だろう。サッカー界でも指折りの偉大なレジェンドだ。 <span class="paragraph-subtitle">◆実力も世界でトップの1人</span> ジーコは愛称であり、本名は「アルトゥール・アントゥネス・コインブラ」、172cmと大きくない身体でありながら、ゴールやパスでチームに貢献した。 18歳でブラジルの名門・フラメンゴでファーストチームに昇格した。元々は体が小さく、線も細かったために、あまり期待はされていなかったが、その才能を高く評価され、体を鍛えることでチャンスを手にした。 フラメンゴでは12年プレーし4度のリーグ優勝を経験。その後ウディネーゼに移籍しセリエAでプレー。フラメンゴに戻ると、38歳で来日。Jリーグ2年目の1994年に41歳で現役を引退した。 クラブチームでも偉大な成績を残し、Jリーグでは初年度の開幕戦で圧巻のハットトリックを記録。これはJリーグ史上初のハットトリックであり、相手の名古屋グランパスには元イングランド代表FWのギャリー・リネカーがいた。リネカーも大きな注目の的となったが、神様の前ではただの脇役になってしまったのだ。 <span class="paragraph-subtitle">◆ワールドカップでの輝きと挫折</span> そのジーコは、当然ブラジル代表でも輝いた。W杯には1978年、1982年、1986年と3大会連続で出場。残念ながら、ブラジル代表にジュール・リメ杯(W杯のトロフィー)をもたらすことはできなかったが、運のなさもあった。 初めてのW杯となった1978年のアルゼンチン大会。初戦のスウェーデン代表戦では、試合終了間際にCKからゴールを決めたが、取り消しに。シュートを打つ前に笛が吹かれたという、今では考えられない状況で試合が終わることとなった。 ただ、ジーコはあまり出場機会を得られず、さらに大会中に負傷。チームも決勝にたどり着けずに終わっていた。 その4年後の1982年、スペイン大会ではソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾとの「黄金のカルテット」と呼ばれる中盤を形成。巧みなパスワーク、そして圧倒的な攻撃力で優勝候補となっていた。 ジーコも4年前の悔しさを晴らそうと、1次リーグで3ゴールを挙げる活躍。2次リーグもアルゼンチン戦で1ゴール2アシスト、イタリア戦でもアシストを記録したが、チームは敗退。結果は伴わなかったが、この時のブラジル代表のパフォーマンスは世界で称賛され、「ブラジルサッカー史上最も魅了したチーム」とも称えられている。 そして3度目となる1986年のメキシコ大会だったが、今度は大会前にケガ。ヒザを負傷した状態で臨み、チームに貢献できず。"サッカーの神様"に本当の神様は微笑むことはなかった。 <span class="paragraph-subtitle">◆監督としてもW杯では悔しい思い</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/zico20221124_tw1.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Image<hr></div> サッカー王国ブラジルにおいても、数多のスター選手の中でトップクラスの評価を受けるジーコ。選手としてW杯では良い思い出はないが、監督としても苦い思いをした。 現役時代の「黄金のカルテット」は、日本代表でも実現。中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一が大きな注目を集めた。 しかし、W杯では稲本や小野はベンチに座ることに。日本代表として個々の能力や特徴が突出した選手が多く集まっていたが、逆に一体感をチームに作り上げることができず、1分け2敗で敗退。監督としても、W杯で結果を残せず、クラブチームはその他の代表戦とは異なり、ジーコにとっては苦い思い出となってしまった。 それでも、ジーコが現役時代に見せた華やかなプレー、そしてクラブチームで残した功績は数知れず。日本でもギリギリでJリーグ入りを果たし、オリジナル10となった鹿島に対し、常勝軍団となるべく改革したのはジーコ本人。それは、今でも"ジーコ・スピリット"として、鹿島の中で生き続けている。"サッカーの神様"と呼ばれる選手は、この先に生まれることはないのかも知れない。 <span class="paragraph-title">【動画】現役時代の“神様”ジーコの輝き、圧巻プレー集</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJMSTU2Vm9ZNSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> ブラジル代表で活躍し、Jリーグでも活躍した"サッカーの神様"ジーコが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場! 現役時代に魅せたプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。 <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/5uev4c53" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/sega20221124.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> 2022.11.24 21:00 Thu5
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ヴィッセル神戸の元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタが、悲願のワールドカップ(W杯)制覇を成し遂げた元同僚について言及した。『ESPN』が伝えている。 アルゼンチン代表FWリオネル・メッシは、通算5度目の挑戦となったカタールW杯で悲願の初優勝を達成。これまでバルセロナとパリ・サンジェルマンで獲得可能な多くのトロフィーを獲得してきたタイトルコレクターは、コパ・アメリカ、フィナリッシマに続きアルビセレステでの重要なタイトルを手にした。 歴代最多7度のバロンドール受賞を誇る35歳FWは、以前からペレ、ディエゴ・マラドーナ、ヨハン・クライフ、クリスティアーノ・ロナウドらと共にフットボール史上最高のプレーヤーの座を争ってきたが、これまで唯一欠けていたW杯を制覇したことで、その論争に終止符が打たれたとの見方が強まる。 しかし、バルセロナでメッシと長らくプレーしてきたイニエスタは、今回のW杯制覇の偉業に関係なく元同僚が世界最高の選手であると主張している。 「僕にとって、メッシはワールドカップの有無にかかわらずベストだ」 「彼がワールドカップで優勝したという事実は、他の人々が考えている以上に、彼自身にとって大きな幸せの源だと思う。彼だけでなく、アルゼンチンという国にとってもね」 「彼らは常に優勝候補であり、彼らがああいった形で優勝したという事実は、完全に値するものだった」 「メッシを最高のプレーヤーと見なしていない人は、ワールドカップで優勝したかどうかに関係なく、これからも何らかの口実を探し続けると思うよ」 さらに、そのメッシとFWキリアン・ムバッペのパリ・サンジェルマンの両エースの活躍によってW杯史上最高の決勝との呼び声高い、今大会のアルゼンチンvsフランスに関しては、スペインのレジェンドも感銘を覚えたという。 「ゴール、感情、試合で起こったすべてのこと、紆余曲折の展開を含めて、個人的には史上最高の決勝だったと思うよ」 「ファンにとって明らかに素晴らしい試合だったし、ワールドカップの決勝にふさわしいものだったね」 一方、2010年南アフリカW杯の優勝者はモロッコ代表に敗れてベスト16敗退となったラ・ロハについても言及。ポゼッションスタイルへの過度な批判に対して、否定的な態度を示しながらもチームが勝つために必要なものを欠いていたことを認めている。 「個人的にモデルは同じままでなければならないと思う」 「結局のところ、100%の力を出せるのであれば、そのプレーモデルは良いものだ。モロッコ戦で負けたのはモデルのせいではなく、試合に勝つために他のものが欠けていたからだ」 「アイデアは残らなければならないと思う。唯一のことは、すべてのゲームが異なり、ゲームごとに解決策を見つけようとする必要があるということだね」 「ゲームを変え得る非常に多くの小さなディテールがあり、そこから議論は常に存在するものだ」 「仮に(パブロ・)サラビアが(延長後半の)最後の瞬間にポストに当たったシュートが決まっていれば、現状のこういった議論はなかったと思う。敗退に関して全員が失望していたけど、これらの経験は学び、改善するのに役立つはずさ」 2022.12.21 22:43 Wedパリ・サンジェルマンの人気記事ランキング
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2人の神の邂逅と言えるだろうか。パリ・サンジェルマン(PSG)のアルゼンチン代表リオネル・メッシとミランのスウェーデン代表FWズラタン・イブラヒモビッチが再会した。 "Goat"(Greatest of All Time=史上最高の意だが、直訳するとヤギ)やフットボールの神とも呼ばれるメッシ。はたまた自身を神とも称することもあるイブラヒモビッチ。どちらもフットボール界に名を残す現役のレジェンドだ。 1年間だけだったがバルセロナで一緒にプレーしたこともある2人。今回はPSGのイタリア代表MFマルコ・ヴェッラッティの誕生日パーティーで再会した。 PSGのチームメイトを含む多くの著名人が参加したパーティーだったが、イブラヒモビッチとメッシが肩を組んで集合写真を撮る場面もあった。 豪華な2人の共演には、「今はどんな関係性なんだろ」、「神と神」、「レジェンド」、「いい画」とファンも興味津々の様子だ。 バルセロナ時代にはメッシのサポート役に回ることも少なくはなかったイブラヒモビッチだが、過去にはメッシの能力について「プレイステーションのようだ」と絶賛しており、その類まれな実力を認めている。 <span class="paragraph-title">【写真】メッシとイブラが笑顔で肩組み!</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="fr" dir="ltr"> | Zlatan Ibrahimovic & Leo Messi à l’anniversaire de Marco Verratti <br><br> <a href="https://t.co/ywit76VMDH">pic.twitter.com/ywit76VMDH</a></p>— Canal Supporters (@CanalSupporters) <a href="https://twitter.com/CanalSupporters/status/1589553709897646081?ref_src=twsrc%5Etfw">November 7, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2022.11.11 16:55 Fri2
ベストイレブンに9名、PSGがリーグ・アン席巻! デンベレがMVPを初受賞、最優秀監督&最優秀新人賞も受賞
リーグ・アンで無敗優勝を果たし、チャンピオンズリーグ(CL)ではファイナリストになったパリ・サンジェルマン(PSG)がフランスプロサッカー選手組合(UNFP)の授賞式で賞を総なめにした。 UNFPアワードが11日に行われ、リーグ・アンの最優秀選手にフランス代表FWウスマーヌ・デンベレが選出されることとなった。 デンベレは今シーズンのリーグ・アンで28試合21ゴール6アシストを記録し優勝に大きく貢献。最終説を残して得点ランキングでもトップに立っており、キャリア初のMVP受賞となることに。これまで5年連続受賞していたフランス代表FWキリアン・ムバッペ(レアル・マドリー)を継ぐ形となった。 また、最優秀監督賞はルイス・エンリケ監督が受賞。チームを成功に導く手腕を見せ、2018年のウナイ・エメリ監督(アストン・ビラ)以来となるPSGからの受賞となった。 その他、最優秀新人賞はフランス代表MFデジレ・ドゥエが受賞。今季加入した19歳は、リーグ・アンで30試合に出場し6ゴール8アシストを記録。3月にはフランス代表デビューを果たすなど、将来が期待されるウインガーだ。 さらに驚きはベストイレブン。11名中9名がPSGの選手となり、アクラフ・ハキミ、マルキーニョス、ヌーノ・メンデス、ウィリアン・パチョ、ジョアン・ネヴェス、ヴィティーニャ、ブラッドリー・バルコラ、そしてデンベレとドゥエとなった。 これはPSGにとって史上最多記録であり、2016年の8人を超えることに。また、UNFPトロフィー史上最多の記録となった。 <h3>◆リーグ・アン ベストイレブン</h3> GK リュカ・シュヴァリエ(リール) DF アクラフ・ハキミ(パリ・サンジェルマン) マルキーニョス(パリ・サンジェルマン) ヌーノ・メンデス(パリ・サンジェルマン) ウィリアン・パチョ(パリ・サンジェルマン) MF デジレ・ドゥエ(パリ・サンジェルマン) ジョアン・ネヴェス(パリ・サンジェルマン) ヴィティーニャ(パリ・サンジェルマン) FW ブラッドリー・バルコラ(パリ・サンジェルマン) ウスマーヌ・デンベレ(パリ・サンジェルマン) ラヤン・シェルキ(リヨン) 2025.05.12 13:55 Mon3
ディ・マリア、ロックダウン中に睡眠障害やうつ病の兆候…妻は“ゾンビ”と形容
パリ・サンジェルマン(PSG)のアルゼンチン代表MFアンヘル・ディ・マリアが、コロナ禍でのロックダウンを通じて睡眠障害や軽度のうつ病の兆候を示していたようだ。フランス『Le Parisien』が報じている。 2019-20シーズンのリーグ・アンが打ち切りとなるなど、新型コロナウイルス(COVID-19)の猛威に晒されたフランス。政府の要請により、3月17日から5月11日まで国内全土で外出制限を設け、多くの人たちが自宅での窮屈な生活を強いられていた。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJoRXJURHk4byIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> そういった中、ブラジル代表のFWネイマールとDFチアゴ・シウバ、ウルグアイ代表FWエディンソン・カバーニ、コスタリカ代表GKケイロル・ナバスといった中南米出身選手はクラブの許可を取り、それぞれの母国に一時帰国していた。 その一方、ディ・マリアと同胞MFレアンドロ・パレデス、ブラジル代表DFマルキーニョスらは家族と共にパリに残る決断をしていた。 ロックダウン初期の3月にはパレデスと“エア”マテ茶会を楽しそうに行うなど、コロナ禍においても落ち着いた様子を見せていたディ・マリアだが、長期に渡る自粛生活によって少しずつメンタルヘルスに問題が生じていたという。 そして、ディ・マリアの妻であるホルヘリーナさんは、夫が“ゾンビ”のような振る舞い(無気力や夢遊病のような症状?)を見せることがあったことを近親者や友人に伝えていたという。 さらに、ディ・マリア自身もPSGのチームドクターに対して、不眠症や極度の不安感などを訴えていたという。この報告を受けてチームドクターはクラブ首脳に対して、同選手のメンタルヘルスに関する懸念を伝えたようだ。 なお、PSGはクープ・ドゥ・フランス、クープ・ドゥ・ラ・リーグの国内カップ決勝、ベスト8進出を果たしているチャンピオンズリーグ(CL)と3つのコンペティションを戦う可能性を残している。 そのため、公式戦再開に向けてディ・マリアの心身のコンディションが懸念されるところだ。 2020.06.02 14:30 Tue4
メッシがパリで交通事故死!? 明らかなフェイクニュースにショックを受ける人も…メディアに見せかけたSNSの投稿が多発
明らかなフェイクニュースであっても、信じてしまう人はいるものということが分かった。 現在、『エアトリ presents PSG JAPAN TOUR 2022』で来日中のパリ・サンジェルマン(PSG)の選手たち。23日には浦和レッズとの第2戦を戦い、3-0で勝利していた。 20日の川崎フロンターレ戦に続いての連勝。浦和戦は、主軸選手を前半と後半で使い分けるなどし、コンディションも考慮した采配となっていた。 川崎F戦ではリオネル・メッシが、浦和戦ではキリアン・ムバッペがゴールを決めるなどし、日本のファンは大いに盛り上がっている。 そんな中、怪情報とも言えるフェイクニュースがSNSで話題に。なんと、メッシが交通事故に遭って死亡したというのだ。 イギリス『HITC』によると、ソーシャルメディア上ではメッシはパリで事故に遭い、病院に搬送されたが、そのまま息を引き取ったというものだった。 これはツイッターに投稿されたフェイクニュース。『ESPN』や『スカイ・スポーツ』の投稿に見えるようにした悪質なフェイクニュースだった。 来日中のメッシがパリで事故に遭う訳はないのだが、事情を知らない人も多く、悲しみに暮れショックを受けた人が多数いるという。 もちろん、日本で試合に出るほど元気な訳だが、著名人がフェイクニュースで殺される事件は多発。その情報が本人にも届くということもあるようだ。 「エイプリルフール」などウソをつくタイミングはあるものの、笑えるウソならまだしも、人の死や不幸にするものはいかがなものだろうか。 <span class="paragraph-title">【写真】生きているメッシは、新幹線で大阪へ移動</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="fr" dir="ltr"> <a href="https://t.co/kbi8M8Jpft">pic.twitter.com/kbi8M8Jpft</a></p>— Paris Saint-Germain (@PSG_inside) <a href="https://twitter.com/PSG_inside/status/1551026547947077634?ref_src=twsrc%5Etfw">July 24, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2022.07.24 11:22 Sun5