なでしこジャパンがセルビアに5発圧勝、池田監督采配的中《国際親善試合》
2022.06.25 04:43 Sat
なでしこジャパン(日本女子代表)は24日、国際親善試合でセルビア女子代表と対戦し、5-0で圧勝した。
アグレッシブな入りを見せたなでしこが良い立ち上がりとすると、10分に田中がボックス内から際どいシュートを浴びせれば、続く15分には右サイドの林がカットインからシュートを放ってセルビアを牽制した。
そして28分、勢いそのままなでしこが先制した。右サイドからの清水のアーリークロスをボックス左の植木がヘディングシュートで流し込んだ。
迎えた後半もなでしこが押し込む展開とすると、62分に加点する。直前に投入されていた宮澤の右クロスから猶本がヘッドで決めた。
さらに76分、長野のスルーパスに抜け出した宮澤がボックス右に侵入してシュートを決めきり、3-0としたなでしこは、81分に代表デビュー戦の千葉が4点目。
これで終わらないなでしこは88分、長谷川の右クロスのルーズボールを途中出場の成宮が押し込んで5-0と圧勝。
途中出場4選手にゴールが生まれ、最高の内容、結果でセルビアを下した中、3日後にフィンランド戦に臨むこととなった。
セルビア女子代表 0-5 なでしこジャパン
【日本】
植木理子(28分)
猶本光(62分)
宮澤ひなた(76分)
千葉玲海菜(81分)
成宮唯(88分)
◆なでしこジャパン
GK:山下杏也加(INAC)
DF:清水梨紗(東京NB)、熊谷紗希(バイエルン)、南萌華(浦和)、宮川麻都(東京NB)[→千葉玲海菜(千葉)]
MF:長谷川唯(ウェストハム)、長野風花(仙台)[→高橋はな(浦和)] 、林穂之香(AIKフットボール ダーム)[→猶本光(浦和)] 、杉田妃和(ポートランド)[→成宮唯(INAC)]
FW:田中美南[→宝田沙織(リンシェーピングFC)] 、植木理子[→宮澤ひなた(仙台)]
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FIFA女子ワールドカップ、オーストラリア&ニュージーランド2023の開幕が1年後に迫る中、来月には日本開催のEAFF 女子E-1サッカー選手権も控えるなでしこジャパン。今回の欧州予選ではセルビア、フィンランド相手に自分たちの現在地を窺う。ワールドカップ予選でドイツに勝利したセルビアに対し、なでしこはフラットな[4-4-2]を採用。2トップは植木と田中が組んだ。そして28分、勢いそのままなでしこが先制した。右サイドからの清水のアーリークロスをボックス左の植木がヘディングシュートで流し込んだ。
先制したなでしこがハーフタイムにかけても主導権を握り、1点をリードしたまま前半を終えた。
迎えた後半もなでしこが押し込む展開とすると、62分に加点する。直前に投入されていた宮澤の右クロスから猶本がヘッドで決めた。
さらに76分、長野のスルーパスに抜け出した宮澤がボックス右に侵入してシュートを決めきり、3-0としたなでしこは、81分に代表デビュー戦の千葉が4点目。
これで終わらないなでしこは88分、長谷川の右クロスのルーズボールを途中出場の成宮が押し込んで5-0と圧勝。
途中出場4選手にゴールが生まれ、最高の内容、結果でセルビアを下した中、3日後にフィンランド戦に臨むこととなった。
セルビア女子代表 0-5 なでしこジャパン
【日本】
植木理子(28分)
猶本光(62分)
宮澤ひなた(76分)
千葉玲海菜(81分)
成宮唯(88分)
◆なでしこジャパン
GK:山下杏也加(INAC)
DF:清水梨紗(東京NB)、熊谷紗希(バイエルン)、南萌華(浦和)、宮川麻都(東京NB)[→千葉玲海菜(千葉)]
MF:長谷川唯(ウェストハム)、長野風花(仙台)[→高橋はな(浦和)] 、林穂之香(AIKフットボール ダーム)[→猶本光(浦和)] 、杉田妃和(ポートランド)[→成宮唯(INAC)]
FW:田中美南[→宝田沙織(リンシェーピングFC)] 、植木理子[→宮澤ひなた(仙台)]
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▽日本名では「虞美人草(ぐびじんそう)」や「雛芥子(ひなげし)」と呼ばれる可憐な花。ヨーロッパ原産のケシ科の植物は「ポピー」の名で知られている。 ▽プレミアリーグを観る方やこの時期にイギリスへ行ったことがある方は、ユニフォームや監督の胸元に「ポピー」の花が飾られるのを目にしたことがあるだろう。 <div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20181106matic_tw3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽11月11日は、イギリスでは“Remembrance Day(リメンブランス・デイ)”という記念日である。1918年11月11日の11時に第一次世界大戦の戦闘が集結し、イギリス国王のジョージ5世が定めた記念日。「戦没者追悼の日」とも言われ、今年で100年を迎えることになる。 ▽この日が近づくと、プレミアリーグのピッチには多くのポピーの花が咲く。日本で言うところの、「赤い羽根」に近いだろうか。選手たちだけでなく、一般の方も地下鉄の駅などでは募金をするとポピーの花がもらえるのだ。 ▽そんな中、週末に行われたプレミアリーグでは1人の選手の胸にポピーの花がなかった。それは、マンチェスター・ユナイテッドに所属するセルビア代表MFネマニャ・マティッチだ。 ▽かつてはチェルシーでプレーしたマティッチは、2017-18シーズンからかつての師であるジョゼ・モウリーニョ監督の下でプレーしている。そのマティッチは、3日に行われたボーンマス戦に先発出場。90分間プレーした。 ▽ユナイテッドの中盤を支えるマティッチだが、イギリスで通例となっているポピーの花をユニフォームにつけない理由がある。それは、自身が少年期に経験した戦争を思い出してしまうからだという。自身のインスタグラム(nemanjamatic)で明かした。 「僕にとっては、1999年にセルビアの爆撃によって母国が荒廃していた。個人的には、恐怖を抱いた12歳の少年のように、ヴレロに住んでいるような個人的な感情を思い出してしまうんだ」 ▽マティッチの故郷は、旧ユーゴスラビアのシャバツ。現在のセルビア西部に位置する都市だ。旧ユーゴスラビアでは、1998年からコソボ紛争が勃発。そして、翌1999年にNATO軍によって空爆が行なわれた。 ▽第一次世界大戦の終結を記念して定められた“リメンブランス・デイ”。そして、戦没者の象徴とされる「ポピー」を身につけることは、空爆を体験をしているマティッチには難しいことのようだ。 <div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20181106matic_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽チェルシー同様に、ユナイテッドでもフィルター役を務めるマティッチ。鋭いタックルで相手を封じ、バイタルエリアで壁となるマティッチは、気の利いたプレーでチームを支える。そして、そのプレースタイル同様に、自身の考えを押し付けることはなかった。 「人々がなぜポピーを身につけているのかは十分に理解している。僕はみなさんの権利を完全に尊重するし、紛争のために愛する人を失った人には同情する」 ▽マティッチは、自身が「ポピー」を身につけていない理由を明かす前に、しっかりと戦没者へと敬意を払った。それもまた、空爆を経験しているからだろう。戦争で愛する人を失った人々の悲しみを理解しているからだ。そして続けた。 「これまで僕が行ってきたことを考えると、ユニフォームにポピーを着けることが正しいとは思わない」 「イギリスの誇りの象徴であるポピーを傷つけたり、誰かを怒らせたりはしたくない。ただ、僕たちはそれぞれの育ち方をしているし、示した通り、僕個人の選択だ」 <div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20181106matic_tw4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽誠実に、そして自身の考えをしっかりと説明したマティッチ。その投稿には、多くの反応があり、誠実な対応をしたマティッチへの称賛のコメントも残されている。 ▽マティッチといえば、決して裕福ではない故郷のヴレロでも英雄的な存在。地元の小学校に修繕費を支援したり、苦しんでいる人々の借金を肩代わりしたり、「いたわり」「思いやり」の心をもって活動を行なっている。 ▽苦しいシーズンスタートとなったユナイテッドだが、モウリーニョ監督の腹心であるマティッチの誠実さ、思いやりのあるプレーは、チームに安定感をもたらせ、必ずやチームを浮上させるカギとなるだろう。そして、マティッチもそれを望んでいるようだ。 「僕が説明した理由をみんなが理解してくれることを願っている。そして、僕はこの先に待つ試合でチームをサポートすることに集中できる」 ▽「ポピー」の花言葉は「いたわり」「思いやり」。さながら、中盤でチームのバランスを取りながらプレーし、相手のことを考えて行動し、多くの支持を受けるマティッチを表しているようだ。「ポピー」を着けられなくとも、その心にはポピーの花が咲いているのかもしれない。 《超ワールドサッカー編集部・菅野剛史》 2018.11.06 21:30 Tue2
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