独代表にも返り咲きのヴァイグル、代理人がミランに売り込みか
2022.04.09 13:55 Sat
ミランはベンフィカでプレーするドイツ代表MFユリアン・ヴァイグル(26)の代理人から売り込みがあるようだ。イタリア『カルチョメルカート』が報じている。
パオロ・マルディーニ氏とフレデリック・マッサーラ氏の両幹部がチームの強化を司るミラン。今夏に向け、2人はここ数日、代理人や仲介業者と接触するなか、ドイツの有名な代理人であるフォルカー・シュトゥルート氏とも会談したという。
そのシュトゥルート氏はヴァイグルの代理人でもあり、選手自身が新たな経験を積みたい思いから、イタリア行きを最上位に希望している旨をミラン側に知らせた模様。ミラン側もその状況に注目し、ヴァイグルの才能を高く評価しているようだ。
だが、今季限りで契約切れとなり、バルセロナ行きが有力視されるコートジボワール代表MFフランク・ケシエ(25)に代わる選手としてはリールに所属するポルトガル代表MFレナト・サンチェス(24)のような選手を志向しているといわれる。
また、ベンフィカが見込む4000万ユーロ(約54億円)という移籍金額もネックに。マルディーニ氏は高すぎると感じているとのことだ。
パオロ・マルディーニ氏とフレデリック・マッサーラ氏の両幹部がチームの強化を司るミラン。今夏に向け、2人はここ数日、代理人や仲介業者と接触するなか、ドイツの有名な代理人であるフォルカー・シュトゥルート氏とも会談したという。
そのシュトゥルート氏はヴァイグルの代理人でもあり、選手自身が新たな経験を積みたい思いから、イタリア行きを最上位に希望している旨をミラン側に知らせた模様。ミラン側もその状況に注目し、ヴァイグルの才能を高く評価しているようだ。
また、ベンフィカが見込む4000万ユーロ(約54億円)という移籍金額もネックに。マルディーニ氏は高すぎると感じているとのことだ。
2020年冬に出番を求め、ドルトムントからベンフィカに移籍したヴァイグル。ポルトガル行きに関してはキャリアの後退と見る向きもあったが、再び輝きを取り戻し、先の代表ウィークで約5年ぶりのドイツ代表返り咲きも遂げている。
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