鳥栖、38歳の愛媛GK岡本昌弘を完全移籍で獲得!
2022.01.08 09:10 Sat
サガン鳥栖は8日、愛媛FCからGK岡本昌弘(38)の完全移籍加入を発表した。
岡本はジェフユナイテッド千葉、ジェフユナイテッド千葉リザーブズを経て、2018年から愛媛にレンタル。そこで正守護神の座を掴むと、2020年から完全移籍に切り替わり、昨季は明治安田生命J2リーグ22試合に出場した。
千葉時代の2009年以来となるJ1リーグ挑戦を果たす岡本は両クラブを通じてそれぞれコメントしている。
◆ジェフユナイテッド千葉
「はじめまして。愛媛FCより移籍して参りました岡本昌弘です。サガン鳥栖のために自分の持てる力と経験を全て出し尽力するつもりですのでよろしくお願いします。ファン、サポーター、スポンサーの皆様とチーム一丸となって頑張りましょう!」
◆愛媛FC
「この度愛媛FCを離れ、サガン鳥栖に移籍することになりました。長く在籍した千葉を離れる事になり、愛媛FCに声をかけていただけて大変嬉しかったです。その気持ちに応えるべく毎年目標に向かい邁進して参りましたが力及ばずチームを降格させてしまい、ファン、サポーター、スポンサーや行政の方たちには本当に申し訳なく思っています」
「愛媛での生活を支えてくれた愛媛FCの選手、チーム関係者の皆様、飲食店の皆様、地元の皆様、愛媛で仲良くしてくれた皆様、すべての方たちに良くしていただき、ありがとうございました。本当に感謝してもしきれません。情熱的で刺激的でとても充実していました。4年間大変お世話になりました!」
岡本はジェフユナイテッド千葉、ジェフユナイテッド千葉リザーブズを経て、2018年から愛媛にレンタル。そこで正守護神の座を掴むと、2020年から完全移籍に切り替わり、昨季は明治安田生命J2リーグ22試合に出場した。
千葉時代の2009年以来となるJ1リーグ挑戦を果たす岡本は両クラブを通じてそれぞれコメントしている。
「はじめまして。愛媛FCより移籍して参りました岡本昌弘です。サガン鳥栖のために自分の持てる力と経験を全て出し尽力するつもりですのでよろしくお願いします。ファン、サポーター、スポンサーの皆様とチーム一丸となって頑張りましょう!」
◆愛媛FC
「この度愛媛FCを離れ、サガン鳥栖に移籍することになりました。長く在籍した千葉を離れる事になり、愛媛FCに声をかけていただけて大変嬉しかったです。その気持ちに応えるべく毎年目標に向かい邁進して参りましたが力及ばずチームを降格させてしまい、ファン、サポーター、スポンサーや行政の方たちには本当に申し訳なく思っています」
「それでも愛媛FCは進んでいきます。僕は関われなくなりましたが、昨年前野キャプテンが言ったように変わらなければいけない部分と愛媛FCとしての強みの部分を伸ばして、是非1年で復帰出来るように願っております」
「愛媛での生活を支えてくれた愛媛FCの選手、チーム関係者の皆様、飲食店の皆様、地元の皆様、愛媛で仲良くしてくれた皆様、すべての方たちに良くしていただき、ありがとうございました。本当に感謝してもしきれません。情熱的で刺激的でとても充実していました。4年間大変お世話になりました!」
岡本昌弘の関連記事
サガン鳥栖の関連記事
J1の関連記事
|
岡本昌弘の人気記事ランキング
1
引退発表の中村俊輔も参加決定! オシム元監督の追悼試合メンバーが発表、豪華な顔ぶれ
ジェフユナイテッド千葉は26日、イビチャ・オシム元監督追悼試合の出場メンバーを発表した。 今年5月1日に逝去されたオシム氏の追悼試合を11月20日(日)に開催。ジェフOBのオシムジェフレジェンドと日本代表OBのオシムジャパンレジェンドが対戦する。 千葉は、10月25日時点での出場メンバーを発表。ジェフOBでは、阿部勇樹氏や佐藤勇人氏、羽生直剛氏、巻誠一郎氏、水野晃樹氏など千葉と日本代表でオシム監督の指導を受けたメンバーなどが出場する。 一方、日本代表OBでは、今シーズン限りでの現役引退を発表した中村俊輔(横浜FC)や、中村憲剛氏、栗原勇蔵氏、鈴木啓太氏、田中マルクス闘莉王氏などが出場する。なお、参加選手は追加や変更が行われる可能性があるとのことだ。 ◆オシムジェフレジェンド(ジェフOB) 阿部勇樹 イリアン・ストヤノフ 岡本昌弘 櫛野亮 斎藤大輔 坂本將貴 佐藤勇人 竹田忠嗣 立石智紀 茶野隆行 中島浩司 中西永輔 羽生直剛 巻誠一郎 水野晃樹 村井慎二 山岸智 結城耕造 要田勇一 ◆オシムジャパンレジェンド(代表OB) 加地亮 我那覇和樹 栗原勇藏 小林大悟 坂田大輔 鈴木啓太 高松大樹 田中達也 田中マルクス闘莉王 坪井慶介 中村憲剛 中村俊輔 橋本英郎 矢野貴章 山瀬功治 山岸範宏 2022.10.26 17:50 Wed2
J2降格の鳥栖が鹿児島の正守護神・泉森涼太を完全移籍で獲得「J2優勝、J1復帰に貢献できるように全身全霊で頑張ります!」
サガン鳥栖は20日、鹿児島ユナイテッドFCのGK泉森涼太(25)を完全移籍で獲得することを発表した。 泉森は大阪府出身で、鹿児島城西高校から大阪体育大学へと進学。2022年に鹿児島に加入した。 プロ3年間を鹿児島で過ごし、公式戦49試合に出場。今シーズンは明治安田J2リーグで35試合、YBCルヴァンカップで1試合に出場していた。 J2へと降格した鳥栖は、正守護神のGK朴一圭が横浜F・マリノスへ完全移籍。GK岡本昌弘が現役引退とGK2人がチームを去っていた。 鳥栖へ移籍する泉森は両クラブを通じてコメントしている。 <h3>◆サガン鳥栖</h3> 「サガン鳥栖ファミリーの皆さま、初めまして。鹿児島ユナイテッドFCから加入しました、泉森涼太です。サガン鳥栖の一員になれること、とても嬉しく誇りに思います」 「自分の持ち味を存分に発揮し、サガン鳥栖のJ2優勝、J1復帰に貢献できるように全身全霊で頑張ります!よろしくお願いいたします!」 <h3>◆鹿児島ユナイテッドFC</h3> 「この度、サガン鳥栖へ移籍することを決断しました。まず初めに、プロサッカー選手としての第一歩を鹿児島ユナイテッドFCで踏み出せたことを、心から誇りに思います」 「今シーズン、チームを降格させてしまったことについては、自分の力不足を痛感し、本当に申し訳なく感じています。大学卒業後の3年間は、試合に出られず苦しい日々もありました。しかし、Jリーグデビューを果たした試合、昇格を決めた試合、人生で初めてサッカーを辞めたいと思った試合、そして降格が決まった試合など、数え切れないほど多くの貴重な経験をさせていただきました」 「そのすべての瞬間に、ファンやサポーターの皆さんの支えがありました。降格が決まった後も変わらず、むしろそれ以上の声援を送っていただけたことは、僕に大きな勇気と力を与えてくれました。良い時も悪い時も変わらず背中を押していただいたことは、一生忘れることはありません。この支えがなければ、今の自分はなかったと思います。本当に感謝しています」 「そして、共に戦ったチームメイトのみんなにも、心から感謝しています。苦しい時も嬉しい時も共に乗り越えた仲間がいてくれたからこそ、どんな状況でも前を向いて努力し続けることができました。一緒に過ごした日々は、僕の財産であり、一生忘れることはありません。これからもみんながそれぞれの場所で輝き続けることを願っています」 「最後になりますが、「鹿児島の宝」と称される鹿児島ユナイテッドFCでプレーできたことを、心から誇りに思っていますし、幸せな時間でした。これからも泉森涼太を応援していただけたら嬉しいです。3年間、本当にありがとうございました。この感謝と誇りを胸に、責任と覚悟を持って新天地で頑張ってまいります!」 2024.12.20 18:15 Friサガン鳥栖の人気記事ランキング
1
鳥栖の逸材FW新川志音が来季トップチーム昇格内定! すでに今季J2で13試合に出場
サガン鳥栖は10日、サガン鳥栖U-18に所属するFW新川志音(17)の2026シーズンのトップチームへ昇格内定を発表した。 大阪府出身の新川はサガン鳥栖U-18から鳥栖の下部組織に在籍。今年2月に行われた「NEXT GENERATION MATCH」に臨むU-18Jリーグ選抜にも選出されたアタッカーは、2025シーズンはトップチーム2種登録でプレー。 明治安田J2リーグ第2節のジュビロ磐田戦でトップチームデビューを飾ると、ここまでリーグ戦13試合に出場。YBCルヴァンカップ1試合にも出場している。 鳥栖の公式サイトでは「豊富な運動量と左右どちらからも打てる正確なシュートが武器」。「勝負にこだわる強いメンタリティとハードワークを体現出来るサガン鳥栖らしさを持ったアカデミーの雄」とそのプレースタイルを紹介されている。 すでにJ2の舞台で存在感を示す17歳FWはトップチームへ昇格内定を受けて以下のコメントを残している。 「サガン鳥栖U18からトップチームに昇格することが内定しました新川志音です。まずは目標であったプロ契約を掴むことができて大変嬉しく思います。ここに来るまでに支えてくださったクラブの方々や、友達、そして家族にはとても感謝をしています」 「少しでも多くの試合に出て、得点に関わり、チームの勝利に貢献できるように頑張ります!そして日々の練習を大切に成長していきたいと思います!」 「ファン・サポーターの皆様へ これからも熱い応援をよろしくお願いします!」 2025.05.10 18:20 Sat2
関西学生選抜と対戦するU-22 Jリーグ選抜メンバーが発表! G大阪のMF名和田我空や清水MF嶋本悠大など
日本サッカー協会(JFA)とJリーグは1日、「JFA/J リーグポストユースマッチ」の第2回活動に臨む、U-22 Jリーグ選抜のメンバーを発表した。 「JFA/J リーグポストユースマッチ」は、23歳以下の世代を中心としたポストユース世代の発掘・強化を目的としたものとなり、12日、13日に活動が行われ、13日には関西学生選抜と対戦する。 U-20日本代表コーチの菅原大介氏が監督を務め、コーチには日本代表コーチの前田遼一氏、ガンバ大阪のコーチを務める遠藤保仁氏、サンフレッチェ広島でコーチを務める青山敏弘氏が就任している。 今回のメンバーには、J1での出場経験のある選手たちも顔を揃え、ガンバ大阪のMF名和田我空や清水エスパルスのMF嶋本悠大、サンフレッチェ広島のFW井上愛簾などが顔を揃えている。 <h3>◆U-22 Jリーグ選抜メンバー</h3> GK 張奥林(ガンバ大阪) 内山翔太(アルビレックス新潟) DF 北島郁哉(サガン鳥栖) 野田裕人(川崎フロンターレ) 田所莉旺(V・ファーレン⾧崎) 土屋櫂大(川崎フロンターレ) 松本遥翔(鹿島アントラーズ) 森壮一朗(名古屋グランパスU-18) MF 平賀大空(京都サンガF.C.) 由井航太(福島ユナイテッドFC) 揚石琉生(栃木SC) 名和田我空(ガンバ大阪) 嶋本悠大(清水エスパルス) 西原源樹(清水エスパルス) 濱﨑健斗(ヴィッセル神戸U-18) FW 杉浦駿吾(名古屋グランパス) ワッド・モハメッド・サディキ(FC琉球) 井上愛簾(サンフレッチェ広島) 2025.05.11 21:15 Sun3
鳥栖DF宮大樹に第一子となる長男が誕生 「家族のためにもより責任を持ち、精進していきたい」
サガン鳥栖は27日、DF宮大樹(24)の第一子となる長男誕生を報告した。 宮はヴィッセル神戸から鳥栖に今季加入。今季はここまで明治安田生命J1リーグ6試合に出場している。第一子誕生を受け、クラブ公式サイトを通じて次のようにコメントした。 「この度、私事ではございますが第一子となる長男が誕生したことをご報告いたします。難しい状況の中、元気に生まれてくれた息子、頑張ってくれた妻に本当に感謝しています。家族のためにもより責任を持ち、精進していきたいと思います」 2020.09.27 17:45 Sun4
J昇格請負人だったウーゴ・マラドーナの訃報/六川亨の日本サッカー見聞録
昨年末のこと、残念なニュースが飛び込んできた。一昨年末に亡くなったディエゴ・マラドーナの末弟であるウーゴ・マラドーナ(52歳)が急逝したとの報道だ。死因はナポリにある自宅で心臓発作を起こしたらしい。 ディエゴ自身もこれまで放映された映画やアマゾンTVが放送しているドラマなどで、ナポリ時代に薬物に手を出したことを告白している。もしかしたらウーゴも同じ道を辿ったとしたら、兄ディエゴは“英雄"だったかもしれないが、ファミリーにとってナポリ時代は悔やまれてならない。 ウーゴの存在を身近に知ったのは、92年に浜松市をホームにするPJMフューチャーズに加入した時だった。 PJMは、アメリカ人のポール・J・マイヤーが開発した人材育成のための能力開発システムで、当時、本田技研の研修を担当していた桑原勝義氏が興味を持ったことから“おとぎ話"はスタートした。桑原は藤枝東高時代に高校選手権で優勝し、その後は日本代表にも選ばれた好選手で、本田サッカー部の監督も歴任した(現JFL理事長)。 桑原氏の夢は、一貫した育成システムで育てた選手を2002年のW杯で日本代表に送り込むことだった。そのために本田を辞め、87年にクワバラスポーツクラブと、本田サッカー部の選手を中心にしたPJMフューチャーズを立ち上げた。 当初の予定は7年後の94年にJSL(日本サッカーリーグ)1部入りを果たすことだったが、時代はJリーグ創設へと動き出した。 Jリーグ入りへ、静岡からはJSL1部のヤマハと本田に加え、県リーグ所属の清水クラブ(後の清水エスパルス)の4チームが名乗りを上げた(その後は中央防犯、現アビスパ福岡もJリーグ入りを表明)。後発であり劣勢が否めないPJMにとって、Jリーグ入りへ起死回生の策だったのが当時29歳のディエゴ・マラドーナの獲得だった。 90年7月、PJMフューチャーズのオーナーでありPJMジャパンの社長の有田平は「移籍金は20億円以上、年俸も希望次第」と発表した。しかしナポリとの契約が93年5月まで残っていたため、マラドーナの獲得は夢のまま終わった。 そんなPJMフューチャーズに転機が訪れたのは東海リーグに昇格した91年、マラドーナ3兄弟の末弟であるウーゴを獲得したことだった。兄に似てずんぐりむっくりの体型のウーゴは、「背番号10は兄ディエゴのためにとっておく」と話していた。ディエゴの夢である「兄弟3人(ラウルとウーゴ)でプレーする」ための布石ではないかと報道されることもあった。 残念ながら兄ディエゴは90年イタリアW杯後の91年にコカイン服用の疑いでイタリア警察から告発され、FIFAからは15ヶ月の出場停止処分を受け、兄弟が揃って日本でプレーする夢はかなわなかった。 それでもウーゴはPJM(後の鳥栖フューチャーズ)でプレーした92年から94年の3年間(東海リーグとJFL)で49試合出場31ゴール、95年は福岡ブルックスに移籍し、JFLでは27試合出場で27ゴールを奪ってJリーグ昇格に貢献、97年には札幌でもチームをJリーグ昇格へと導いた。 偉大すぎる兄と比較されながらも、そのひたむきなプレーは鳥栖や福岡、札幌のファン・サポーターの脳裏に焼き付いているのではないだろうか。遅ればせながら、哀悼の意を表します。 2022.01.10 12:30 Mon5