天皇杯決勝で九州勢が56年ぶりの快挙/六川亨の日本サッカーの歩み

2021.12.22 20:30 Wed
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Jリーグは現在、J1からJ3まで九州の8クラブがしのぎを削っている。Jクラブがなかった宮崎県も今季からJ3にテゲバジャーロ宮崎が参入した。そして九州の8クラブでタイトルを獲得したことがあるのは08年にナビスコ杯(現ルヴァン杯)で優勝した大分だけだった。その大分が、天皇杯優勝まであと1歩と迫って迎えたのが浦和との決勝戦だった。

九州勢が天皇杯の決勝戦に進出したのはJリーグ史上初の快挙でもある。記録を遡っても、JSL(日本サッカーリーグ)がスタートした1965年度大会で八幡製鐵(後の新日鐵)が東洋工業(現広島)に2-3で敗れて準優勝して以来、実に56年ぶりの偉業だった。

当時の八幡製鐵は、日本代表でも司令塔としてチームを牽引し、68年のメキシコ五輪では銅メダル獲得の原動力となった宮本輝紀や、元日本代表監督の渡辺正を擁し、前年に古河(現ジェフ千葉)と天皇杯の同時優勝を果たしていた。それ以前にも準優勝3回の歴史を持つ古豪でもあった。

しかし新日本製鐵となってからはベスト4が最高成績で、JSLでも82年に日産自動車(現横浜M)に入替戦で敗れて2部に降格すると、91年にはJSLでも最下位となり地域リーグである九州リーグに降格。Jリーグも業績不振で参加を見送り、99年シーズンを最後にサッカー部は廃部となった。

その後は一部の選手が三菱化成黒崎サッカー部に移ってプレーを続け、同チームを母体に北九州FCが誕生し、08年にJFLに昇格すると10年にはギラヴァンツ北九州と名称を改めJ2リーグ昇格を果たした。

昇格当時、年配の方々が練習を見学に訪れ、「早朝に練習をしてくれれば見学も楽になる」と訴えられたことを当時のコーチから教えられた。おそらく八幡製鐵時代からのファンなのだろう。Jリーグ入りは福岡の後塵を拝したものの、土壌的には長い歴史を誇っているのが北九州でもある。

ちなみに優勝した浦和は、前身の三菱重工時代を含めて8回の天皇杯獲得となり、これまで最多だった慶應BRB(全慶應)と並んだ。慶應BRBは第二次世界大戦前の参加チームが3~8の時代も含んでいるため、実質的には浦和が最多優勝記録の保持者と言っていいだろう。慶應BRBが最後に優勝したのは56年度の第36回大会のため、浦和は65年ぶりに最多優勝記録に並んだことになる。

そして2位は関学クラブと横浜Mの7回で、これに5回の東京V、G大阪、鹿島が続いている。100回を越え、ようやくJのクラブが天皇杯の主役になりつつあると言っていいだろう。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた



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アジア杯は1年延期を!/六川亨の日本サッカーの歩み

来年の6月16日から7月16日にかけて、中国の10〜12都市で開催される予定だった2023アジアカップは、新型コロナウイルスの感染拡大で上海市をロックダウン(都市封鎖)するなど緊急事態が続いているため中国サッカー協会(CFA)は開催を断念。AFC(アジアサッカー連盟)も例外的な状況であるとして中国での開催中止を認め、新たな都市での開催が可能かどうか模索しているようだ。 本来なら東アジアでの開催のため、代替地としては日本か韓国しか候補地はない。しかし大会は前回UAE大会から24チームに増え、1ヶ月に及ぶ長丁場の大会となった。このため6〜7月に1ヶ月間もJリーグを中断することはかなりハードルが高い。チーム数が増えたことで開催地も限られてくるだろう。2015年に同大会を開催したオーストラリアは来年7〜8月に女子のW杯開催を控えているため2大会を引き受ける余裕はない。 となるとスタジアムや輸送、ホテルなどのインフラが整っている候補としては今年の11月にW杯を開催するカタールくらいしかない。ただし、中東での開催となると酷暑の夏を避け、前回のように1月開催となる。さすがにカタールもW杯とアジアカップを連続して開催するのは不可能に近いと思わざるを得ない。 そこで提案がある。アジアカップの開催を1年先送りにして2024年開催とするのだ。本来アジアカップはW杯の中間年、五輪やEURO(欧州選手権)の年に開催されてきた。日本はこれまでW杯が終了するたびに監督も代ってきた。契約は4年間だが、監督就任2年目のアジアカップは監督の力量をチェックする最適の大会だった。 例えばフィリップ・トルシエ監督は99年のコパ・アメリカで惨敗して解任の危機にあった。しかし2000年のレバノン大会で優勝し、名波浩と中村俊輔を擁した日本は“アジアカップ史上最強のチーム"と評された。2004年3月のW杯予選のシンガポール戦に苦戦したジーコ・ジャパンも、同年7月に中国で開催されたアジアカップではGK川口能活の奇跡的なPKストップなどで連覇を達成した。 ところが2008年に東南アジア4カ国で開催予定だったアジアカップは、同年に北京五輪が控えているため1年前倒しして2007年開催となった。イヴィチャ・オシム監督は1年間の準備で大会に臨み、3位決定戦では韓国をスピードとスタミナで圧倒しながらも0-0からのPK戦で敗れてしまった。 アジアカップはこの大会から4年ごとに開催されるようになったが、2011年はカタールのため酷暑を避けた1月開催ということで、前年の南アW杯から半年後の大会となった(アルベルト・ザッケローニ監督はそれでも優勝)。続く15年はオーストラリアだったが、こちらは南半球初の大会ということで、冬の6〜7月を避け、夏となる1月に開催。そして前回UAE大会も1月の開催だった。 たった半年での大会に加え、日本の主力は海外組のため代表チームとして練習できる期間はほとんどない。このためW杯に出場した選手を中心に、ぶっつけ本番での大会となる。せめて2年あれば、監督がやりたいサッカーの骨格が見えてくるような気がする。 中国は高齢者のワクチン摂取率が低いそうだが、2年後の6〜7月なら新型コロナウイルスの脅威も現在よりは改善されているかもしれない。アジアカップを本来の姿に戻すためにも以前のような偶数年に開催することを提案したい。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.05.18 14:00 Wed
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ELとCL決勝の日本人対決? 不安はDF陣のベテラン/六川亨の日本サッカーの歩み

5月9日は森保一監督が4月28日以来となるズームでの会見に応じ、なかなか興味深いコメントを発した。フランクフルトをEL決勝へ導いた鎌田大地については、今シーズンから監督に就任したオリバー・グラスナー監督のもと、「求められるもの、役割が変わり、選手として成長していると思う」と高く評価。 W杯予選でも2次予選は攻撃の中心選手だったが、最終予選に入ると他チームの「一気にギアが上がった」ことで、2次予選とは「違う戦いをした方がよかった」との判断から出場機会が激減した。 それまでの森保ジャパンはほとんどの試合で4-2-3-1を採用していた。しかし左FWの南野拓実、トップ下の鎌田、ダブルボランチの柴崎岳は言うまでもなく攻撃を得意とする選手で、インテンシティの高い守備は苦手としている。このためミドルサードでは、格下相手にボールを保持して攻めているときはいいが、最終予選のように拮抗した相手との試合で守備に回ると劣勢を強いられるのは否めなかった。 そこで森保監督は4-3-3にして遠藤航、守田英正、田中碧の攻守にハードワークできるユニットにモデルチェンジした。 この傾向は今シーズンのJリーグにも当てはまり、4-3-3の布陣から前線の3人が高い位置からプレスをかけるチームが増えていて、タテに速く仕掛けるインテンシティの高いチームが多い。とりわけヨーロッパ出身の監督が率いるチームはその傾向が強いと言っていいだろう(J1リーグでブラジル人監督は柏のネルシーニョ監督1人だけになった)。 話を鎌田に戻すと、4-3-3(あるいは3-4-3)で使うとしたら、やはりフランクフルトと同様に左FWということになり、南野とポジションが重なる。片やチームをEL決勝に導いた立役者、片やCL決勝に勝ち進んだチームを序盤戦で支えた功労者。甲乙つけがたい“共演"と言ってもいいだろう。 そんな2人をもしも森保監督が招集しなかったり、招集しても試合に使わなかったりしたら、ファン・サポーターからはブーイングの嵐かもしれない。これまでの代表チームではあまりなかったことなので、それはそれで日本のサッカー界にとって刺激になるし、一般の人にもW杯の話題を提供するいい機会かもしれない。 それよりも不安なのは、ベテラン選手の現状だ。ACLはグループリーグを突破したものの、J1リーグではついに最下位に沈んだ神戸の大迫勇也は、ケガなどもあり「コンディションが上がっていないなかで、100パーセントでないなかでプレーしている」(森保監督)状態だ。 さらに浦和の酒井宏樹は第5中足骨の手術を受けたため6月の4試合には出場できないし、FC東京の長友佑都は5月8日の鳥栖戦ではベンチにも入っていなかった。アルベル監督によると5月3日の福岡戦で「違和感を覚えたのでスタメンから外した。次の際に間に合うことを期待したい」と述べるに止めている。 彼ら3人に加え、サンプドリアの吉田麻也も直近の10試合でフル出場は1回、スタメンも2回と出場機会が激減し、今夏で契約も切れるため移籍は避けられない状況だ。前述した3人と同様、Jリーグへ復帰するのか。それともヨーロッパで移籍先を探すのか。移籍先がすんなり決まればいいが、長引くようだと6月の招集は難しくなるかもしれない。 これまでも指摘されてきたように、DF陣の高齢化とそれに伴うバックアッパーの不在が暗雲のように森保ジャパンを覆い始めている。ただし、これを好機ととらえ、思い切った起用による若返りが功を奏することもある。過去の日本代表も、そうして世代交代をしてきたからだ。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.05.10 12:30 Tue
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記憶に残るオシム監督とA3選手権/六川亨の日本サッカーの歩み

日本代表の元監督であるイビチャ・オシム氏が5月1日、80歳の生涯に幕を閉じた。92年のハンス・オフト氏から始まった日本代表の外国人監督のなかで、病に倒れて短命に終わったが、これほど強烈なインパクトと名言の数々を残した監督はオシム氏が最初で最後だろう。 もしも彼が南アW杯を率いていたらどんな戦い方をして、どんな成績を残したのか。きっと胸躍るサッカーを披露したのではないかと思うと残念でならない。 オシム氏が注目を集めたのはジェフユナイテッド市原・千葉の監督に就任し、「ライオンに追われたウサギが逃げ出すときに、肉離れしますか? 準備が足らないのです」とのコメントだろう。 2006年に日本代表の監督に就任した際にも、「日本代表の“日本化"」を宣言した。 具体的には「近い将来、身長の高い選手を見つけることは難しいと思うが、日本はほかのチームにはないものを持っている」として、敏捷性を指摘した。その上で「走るスピード、展開のスピード」を求めた。 またある時は「日本人は間違いなく身体の大きさが欠けている。闘いに耐えられるだけの重さが欠けているのだ。60キロの選手が90キロの選手とぶつかったら、1対1で負けるのは当然である。それを補っていくにはどうしたらよいのか。まずできることは走ることである」と、走ることの重要性と1対1のボディコンタクトを避ける利点を説明した。 それが端的に表われたのが、06年のA3チャンピオンズカップだった。これは日本、韓国、中国のリーグ優勝チームとカップ優勝チームかリーグの準優勝チームの4チームによるカップ戦で、03年から07年まで開催された。 06年は日本で開催され、リーグ優勝のG大阪とナビスコ杯(現ルヴァン杯)優勝のジェフユナイテッド千葉が出場した。すでにオシム氏は代表監督に就任していてチームを離れていたが、千葉は蔚山現代戦で3-2の勝利を収めただけでなく、走力でも蔚山を圧倒。後半の千葉のカウンターに、蔚山の選手は疲労困憊で追いつけないシーンを見た衝撃は今でも忘れられない(優勝は蔚山)。 「フィジカルの韓国、テクニックの日本」というイメージが強かったが、スタミナとスピードでも千葉は蔚山を圧倒したのだった。後にも先にも韓国のチームがスタミナ負けしたシーンはこのときの千葉しか印象にない。まさに「試合中に走り過ぎて死ぬことはありません」を実践した千葉の選手たちだった。 そしてこのA3チャンピオンズカップには後日談もある。オシム監督は初陣となるトリニダード・トバゴ戦の招集メンバーを13人しか発表しなかった。というのも、代表の試合とA3チャンピオンズカップ、さらに鹿島とFC東京の海外遠征が重なったため呼びたい選手を呼べなかったからだ。 「(チームは)全体で20人くらいになるが、13人でも試合はできる。もう少し早く監督になっていれば、この試合は断っていた。(代表の)強化にもクラブ(の海外遠征)にも口出しできない。A3も同じで3つの日程が重なっている。該当チームほど代表候補が多く、代表とクラブの試合がバッティングしたから今回のメンバーになった。今後はこのようなことのないよう、お願いしたい」 いまでは考えられないが、クラブの日程と代表の日程のすりあわせが当時は行われていなかった。そのことに対し、オシム監督は、はっきりと“ダメ出し"をしたのだった。 ほかにも在任期間は1年間とちょっとだったものの、数々のコメントとエピソードには事欠かない。日本代表の監督として、いつまでも“記憶に残る"名監督だったことは間違いないだろう。改めて、心よりご冥福をお祈りします。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.05.02 16:30 Mon
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パラグアイ戦は強化になるのか疑問/六川亨の日本サッカーの歩み

日本代表は6月のIMD(インターナショナル・マッチデー)4試合のうち、6月2日に札幌で開催されるキリンカップ・チャレンジでパラグアイと対戦することが決まっている。残る6日のキリンチャレンジカップと、10日と14日のキリンカップサッカーは対戦相手が未定だが、ブラジルの来日が噂されている。 そしてパラグアイである。FIFAランク50位で、W杯南米予選は8位で終えて出場権を逃している。そんなチームが果たして日本の強化に役立つのか疑問である。 もちろん皆さんもご存じのように、ネーションズリーグが誕生したおかげで日本はIMDでヨーロッパのチームを呼べなくなった。同じようにW杯プレーオフに進出するコスタリカが所属する北中米カリブ海は、ヨーロッパと同様にネーションズリーグが開幕するためメキシコやアメリカ、カナダを呼ぶことはできない。 さらに、20年のヨーロッパ遠征で対戦したコートジボワールやカメルーンといったアフリカ勢も5月31日から23年のアフリカ選手権の予選が始まるため招聘することはできない。この結果、呼べるのは南米勢かアジア勢に限られてしまうのが現状だ。 パラグアイとは過去4勝4分け2敗と勝ち越しているものの、勝ったのはいずれも日本国内の試合だった。これはパラグアイに限ったことではなく、他の南米勢やヨーロッパ勢にも当てはまるが、オフシーズンに来日するチームは「本気」で試合をすることはまずない(ドイツやイングランドは来日していないので不明)。 逆に南米勢はブラジルを除くほとんどのチームが“遊び半分”の外貨稼ぎに来ることが多い。 トルシエ・ジャパン時代の99年のことだ。日本は6月6日のキリンカップでペルーと対戦して0-0で引き分けた。しかし6月29日、パラグアイで開催されたコパ・アメリカに初めて招待され、アスンシオンで再戦したときのペルーはまったく別のチームだった。 ホームである南米で、それもタイトルのかかった大会である。彼らからすれば負けるわけにはいかなかったのだろう。試合は点の取り合いからペルーが3-2で逃げ切った(ちなみに主審は日韓W杯で物議を醸すことになるエクアドルのバイロン・モレノ氏だった)。 続く第2戦は地元パラグアイ。トルシエ監督得意の「フラット3」がラインを下げて守っていると見るや、パラグアイは積極的にミドルシュートやロングシュートで次々に日本ゴールへ襲いかかり、ロケ・サンタクルスの2ゴールなどで日本を4-0と粉砕した。これほど強いパラグアイを見たのはこのときが最初で最後だった。 試合中、アフター気味のタックを仕掛けて相手を倒した日本人選手に対し、別の選手が主審の見ていないところで意図的にエルボーを顔面に見舞った。こうした激しさやずる賢さは、日本国内でのテストマッチではお目にかかれない。 強化を考えれば、やはりアウェーでのマッチメイクがベターだ。しかし南米まで遠征に行くのは、選手のコンディションを考えると難しい。さらにJFA(日本サッカー協会)も新型コロナウイルスの影響で財政難が続いている。国内の4試合による入場料収入や放映権、スポンサー料、グッズ販売などは貴重な財源である(新しいユニホームは販売されるのだろうか?)。 かくして話は堂々巡りになり、“強化試合”が強化にどれだけ結びついているか。日本だけでなく、アジア勢全体がジレンマに陥っている。7月には日本でEAFF E-1選手権が開催されるが、こちらは国内組での試合になるためベテラン選手の見極めがテーマになる可能性が高い。となると9月のIMDしか強化試合は期待できないのが現状でもある。果たしてそれで万全の準備ができるのだろうか……。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.04.25 22:00 Mon
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声を出せるエリアと出せないエリアの棲み分けが必要になるか/六川亨の日本サッカーの歩み

先週末にJリーグの試合が各地で行われ、まず16日の土曜日はJ2リーグでホームに千葉を迎えた大宮が河田篤秀の2ゴールで2-1と逃げ切りに成功。10試合目にして今シーズン初勝利を奪った。 翌17日の日曜にはJ1リーグの湘南が、終了間際の後半45分に山本脩斗の決勝点でG大阪を下して初白星。開幕9試合目にして勝点3を獲得した。 この結果、今シーズン未勝利なのはJ1リーグで最下位の神戸と、J3リーグ最下位のY.S.C.C横浜(1分け5敗)の2チームだけとなった。神戸はケガ人が続出したうえに、現在はACL(アジアチャンピオンズリーグ)を戦うためタイに遠征中だ。 そんな神戸にとって救いと言えるのが、上海海港がロックダウンの影響により出場を辞退したことだろう。この結果、グループJは神戸、傑志SC、チェンライ・ユナイテッドという今大会唯一の3チーム構成に変更された。 試合数が2試合減り、日程も多少は緩和された。ロティーナ監督にとってもチーム状況を把握する余裕が少しはでたのではないだろうか。 さて18日の月曜は定例の新型コロナウイルス対策連絡会議が開催された。一時期に比べて知見も高まったため記者からの質問も激減し、1時間ほどで会議は終了している。今回の会議で興味深かったテーマが「いつになったらマスクをしながら声を出して応援できるのか」ということだった。 座長の賀来満夫ドクター(東北医科薬科大学)は「応援のあり方をどうするかは大きな課題。世界では国によって状況が違う。少しずつ産総研(産業技術総合研究所)で実証実験を始めている」と報告しつつ、スタジアムには「神経質な人もいる。そうした人のためのゾーンも必要かもしれない」と社会情勢の変化についても触れた。 なるほどと思ったものだ。現状、マスクをしないで外出することはまずありえないだろう。マスクを忘れて自宅に戻った経験も複数回あるし、そのため靴箱の横にフックを貼ってマスクを掛けておくようにした。こうすれば、外出時に嫌でもマスクが目にはいるためつけ忘れることはない。 今冬、マイカーで灯油を買いに最寄りのガソリンスタンドへ行った時のこと。車中ではマスクを外していて、そのまま気付かず灯油をポリタンクに給油していたら、あとから買いに来た女性にあからさまに眉をしかめられた。最初は理由がわからなかったが、たぶんマスクをしていなかったからだろうと気付かされた。 かつて飛行機には喫煙席と禁煙席の2種類があった。新幹線にもあったし、飲み屋や喫茶店は基本的に喫煙オーケーだった。しかし時代は変わり、分煙スペースを設けているお店の方が少ないくらい禁煙は一般的になった。飛行機は全面禁煙になり、新幹線も喫煙車両は限られ、愛煙家は肩身の狭い思いをしていることだろう。 それと似たようなことが、賀来ドクターが指摘したようにスタジアム内でマスクをしつつ、声を出してもいいエリアと、出してはいけないエリアに分けられるかもしれない。マスクをしていても飛沫感染を恐れる人はいるだろう。そうしたファン・サポーターのためのエリアを確保する必要に迫られるかもしれない。 そしてそれは、飛行機や新幹線を始め、在来線でも時間帯によって「女性専用車両」があるように、マスクをしているなら声を出していいエリアと、出してはいけないエリアに分けられる可能性もある。お互いに不快な思いをしたり、諍いが起こらないようにしたりするには必要な処置といえるだろう。 マスクをせずに、普通に声を出せる日常が戻ることはあるのだろうか。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.04.18 19:30 Mon
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