記録と記憶に残るストライカーのミュラー氏の訃報/六川亨の日本サッカーの歩み

2021.08.17 20:10 Tue
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Getty Images
元西ドイツ代表で、ストライカーとして数々の得点記録を樹立したゲルト・ミュラーが昨日15日に永遠の眠りについた。享年75歳、ちょっと早すぎる訃報だった。

彼のことを若い読者は知らなくて当然だろう。74年の西ドイツW杯で母国を2度目の世界1に導くと、28歳の若さで代表チームからの引退を表明したからだ。キャリアのほとんどをバイエルン・ミュンヘンで過ごし、ありとあらゆる栄光を手にしたものの、当時は彼のプレーを見ることはなかなかできなかった。

唯一、日本ファンの前でプレーしたのは75年1月、バイエルンの一員として来日し、国立競技場で2試合を行った(いずれも1-0でバイエルンの勝利)。

身長は175センチとけして高くない。しかし独特の嗅覚をペナルティエリア内で発揮し、ミートの巧さ、強シュートではないもののゴール枠に飛ばす正確なシュートでゴールを量産した。利き足は右足だったが、左足でも頭でも、それこそ体のどこかに当ててゴールをモノにした。

バイエルン時代は15年間で4度のリーグ優勝を果たし(1969年、72年、73年、74年)、7度の得点王に輝いた(1967年、69年、70年、72年、73年、74年、78年)。通算427試合に出場して365ゴールはいまなおリーグとクラブの両方で歴代最多得点記録である。

その他にもチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)優勝3回(1974年、75、76年)、カップウィナーズカップ(現ヨーロッパリーグ)優勝1回(1967年)、ドイツカップ優勝4回(1966年、67、69、71年)という輝かしい実績がある。

それは西ドイツ代表でも同様で、デビューとなった70年メキシコ大会は準決勝でイタリアと壮絶な点の取り合いから3-4で敗れたものの(準々決勝でもイングランドと延長戦の末に3-2で勝って前回大会の雪辱を果たす)、3位決定戦でウルグアイを1-0で下して3位の成績を収めた。

この大会でミュラーは10ゴールを決めて大会得点王となると同時にバロンドールも獲得。そして4年後の74年西ドイツ大会でも7試合に出場し(2次リーグを採用したため試合数が増加)、オランダとの決勝戦での決勝ゴールを含め4ゴールをマーク。W杯通算14ゴールは、06年ドイツW杯でロナウドに破られるまで32年間にわたり最多記録だった(ロナウドは98年フランス大会で4ゴール、02年日韓大会は8ゴールで得点王、06年ドイツ大会で3ゴール。通算15ゴールで記録を更新)。

ちなみにミュラー以前のW杯最多得点記録は58年スウェーデン大会でフランスのジュスト・フォンテーヌがマークした13ゴールで、1大会での最多得点記録としていまなお破られていない。ミュラーの10ゴールは50年スイス大会の得点王シャーンドル・コチシュ(ハンガリー)に次いで3位である。

W杯の通算最多得点記録は同じドイツ代表のミロスラフ・クローゼが、14年ブラジル大会で16に更新したが(02年日韓大会は5ゴール、06年ドイツ大会は5ゴールで得点王、10年南ア大会は4ゴール、14年ブラジル大会は2ゴール)、ミュラーは2大会13試合で14ゴールに対し、クローゼは4大会24試合で16ゴールである。

同じことはドイツ代表の通算得点記録にも当てはまり、ミュラーは62試合出場で68ゴールを記録。これは14年にクローゼに破られたとはいえ(71ゴール)、クローゼは136試合、36歳での記録更新である。このことからも、ミュラーの得点率がいかに高かったかわかるだろう。

現役引退後はビジネス界に転身したものの事業に失敗し、一時はアルコール依存症に苦しんだこともあった。しかし、かつてのチームメイトである“皇帝"フランツ・ベッケンバウアー(現バイエルン名誉会長)やウリ・ヘーネス(現バイエルン会長)らのサポートによりアルコール依存症を克服。バイエルンのアマチュアや育成部門のコーチとして穏やかな日々を過ごしていた。

現役引退後はずいぶんとスリムな体型になったものの、トレードマークの口ひげは白髪ながら健在だった。あらためて哀悼の意を表したい。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた


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ホームタウン制を再考する/六川亨の日本サッカーの歩み

「ホームタウン制撤廃」――日曜日のスポーツ紙の一面を飾った記事に驚いたサッカーファンも多かっただろう。インターネットへの書き込みも相当数だった。そのほとんどは、報道に批判的な書き込みだった。 折しも日本代表はW杯予選で苦戦している。チームを率いる森保一監督や、田嶋幸三JFA(日本サッカー協会)会長の責任を問う声も多い。 2つは別問題であるが、ファン・サポーターに「一石を投じた」という意味で意義があるのではないだろうか。 スポーツ紙の報道に関して、問題となったのは次の2点だ。まずは「ホームタウン制の廃止」である。そして「クラブ名にネーミングライツを認めることを検討する」ということだ。 すぐにJリーグは村井満チェアマン名で『JリーグではJクラブの本拠地を「ホームタウン」と呼び、Jクラブはホームタウンと定めた地域で、その地域社会と一体となったクラブづくりを行いながらサッカーの普及、振興に努めなければならないと定めています。このホームタウン制度について撤廃・変更の事実は一切なく、今後、Jクラブの営業、プロモーション、イベント等のマーケティング活動における活動エリアに関する考え方の方向性について議論しているものです。Jリーグが創設当初から掲げている地域密着の思想が揺らぐものでは全くありません』との声明を出した。 「ホームタウン制」はJリーグの根幹であるだけに、撤廃という表現はあまりにも“過激”だった。この言葉は、Jリーグの掲げる「地域密着」と同義語でもある。これがなければ三菱や日立といった親会社を持たない地方のクラブは存続できなかっただろう。 その一方で、数々のタイトルを獲得した鹿島は新日鐵住金からフリマアプリのメルカリにスポンサーが変わり、FC東京も来シーズンから親会社の東京ガスからミクシイに経営権が変わるなど、“変革”を余儀なくされているのが現状でもある。 ホームタウン制は揺るぎがないだろう。これがなければJリーグの存続意義も問われるからだ。その一方で、かつて存在した横浜フリューゲルスが鹿児島などを「準ホーム」にしたケースは今後もないにしても、Jリーグ誕生時に川淵チェアマンが「東京をホームにするチームはない」としながら、その後にFC東京や東京Vがホームにしたように、“東京都”では変革が起こりえる可能性は十分にある。 以前にもコラムで書いたが、FC東京と東京V、さらには町田も23区内にホームタウンを拡大したい動きがある。こうした動きは葛飾区や江戸川区、北区、新宿区などでも将来のJリーグ入りを目指して活動しているクラブがあるのが現状だ。 いずれも大企業に支えられたクラブではない。そのためには試合会場の確保のため地元自治体の支援が不可欠になる。そこで「地域密着」は絶対条件だ。その上で、クラブの存続のためには将来的にスタジアムだけでなくチームにも「ネーミングライツ」を認めざるをえなくなるかもしれない。 そうした事柄を考え、意見を出し合い、議論する。緊急事態宣言が解かれたので、酒場で意見を交わしてもいい。それこそがサッカーとJリーグが持つ「地域密着」による「コミュニティ」ではないだろうか。その一石を投じたという意味で、スポーツ紙の報道は価値があったと思うが、みなさんはいかがだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.10.19 21:52 Tue
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新型コロナ対策に光明、制限解除でJリーグは観客増に挑戦/六川亨の日本サッカーの歩み

先週土曜のJ1リーグは等々力陸上競技場での川崎F対FC東京を取材した。試合は川崎FがワンチャンスをモノにしてFC東京を退け、今シーズン初の6連勝を飾って連覇へ大きく前進した。勝点は6試合を残して大台の81に到達。神戸ら3位以下のチームに逆転優勝の可能性が消滅すると同時に、昨シーズンの年間勝点83も、今シーズンは試合数が4試合増加したため更新は間違いないだろう。 とはいえFC東京も、川崎が中2日の連戦による蓄積疲労があったとしても、前年王者を苦しめた戦いは素晴らしかった。FC東京は、第30節の浦和戦の前半もそうだったが、高萩洋次郎がいると攻撃のクオリティーが格段にアップする。川崎F戦では左SB長友佑都、FWアダイウトン、ボランチの安部柊斗らにより左サイドからの攻撃を格段とブラッシュアップした。 この試合でもう1つ注目したのは、観客が9789人に増えたことと、アウェーのゴール裏1階席にFC東京のサポーター席が設けられたことだった。ご存じの方もいるだろうが、政府は緊急事態宣言とまん延防止措置を9月30日で解除した。そこでJリーグも10月2日の等々力と吹田でのG大阪対札幌戦の2試合は、スタジアムの収容率50%か1万人の少ない方で開催し、チケットは完売だったという。 これは身内話で恐縮だが、等々力ではたぶん2019年以来となる某新聞社のFC東京担当記者と再会した。昨年6月にJリーグは再開したが、新型コロナ対策のため取材記者・カメラマンとも1社1名に限定され、それは今年の9月まで続いていた。 これは日本代表の試合も例外ではない。それまでスポーツ紙は代表戦の取材になると記者4名、カメラマンは最低2名だったのが、どちらも各1名に制限された。そうした規制があるなかでの紙面作りは大変だったと思う。 そして前述の記者は、FC東京の担当のためホームゲームは取材できるので、味の素スタジアムでは頻繁に会っていた。このため等々力で会ってもそれほど久しぶりという感覚はなかったが、愛煙家である彼はハーフタイムに喫煙所の場所を聞いてきた。 等々力のメディアと関係者の喫煙所はスタジアム内5階にあり、密閉された狭い空間でもある。このため昨シーズンのリーグ戦再開以来、“三密"を避けるため喫煙所は閉鎖されたままだった。彼から質問され、それを知らないということは、それだけ長い期間、等々力に来ていないことの裏返しであると感じたものだ。 これは確認していないが、10月に入り政府や自治体の規制が解除されたため、取材も1社1名という“縛り"が緩和され、FC東京担当の彼もアウェーの川崎F戦を取材できたのかもしれない。 そして10月4日には40回目となるJリーグとNPB(日本野球機構)の対策連絡会議と、それを受けてJリーグの実行委員会が開催された。対策連絡会議の詳細は当サイトでも紹介されているので割愛するが、専門家のドクター3氏の「個人的な見解」によると、ワクチン接種が進み、軽症の患者には抗体療法(点滴)や今年中にも厚労省に認可されそうな経口薬(飲み薬)の販売が始まれば、「満員に近い状態で実証実験をしていくべきだろう」(三鴨廣繁ドクター)という前向きな提言を聞いた。 一瞬だが、「元旦の国立での天皇杯決勝は、もしかして満員?」と期待したものの、すぐに今年の天皇杯決勝は12月19日に前倒しして開催されることを思い出した。それでも現時点での朗報に間違いはない。 ようやくここに来て、新型コロナ対策にも光明が差してきたようだ。そして第6波を招かないためにも、サッカー観戦でアルコール類が認められたからといって、自制心を失わないなど、サッカーファン・サポーターは節度ある行動を取ることが大切ではないだろうか。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.10.05 15:00 Tue
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サウジと豪州戦のメンバー発表で感じた疑問/六川亨の日本サッカーの歩み

カタールW杯アジア最終予選グループBの第3戦、10月7日のサウジアラビア戦(ジェッダ・時間未定)と、10月12日の第4戦、オーストラリア戦(埼玉スタジアム・19時10分)に臨む日本代表25名が9月28日に発表された。 通常のインターナショナルマッチの登録人数は23名だが、9月のシリーズではコロナ禍でケガ人が出た際に選手をすぐに入れ替えることができなかったため、今回は「通常の23名にプラスして2名を呼んで入れ替えたいということでこのメンバーになった」と森保監督は説明した。 そして予想通り負傷のMF久保(マジョルカ)とFW古橋(セルティック)は召集外。代わりに負傷の癒えたMF南野(リバプール)とDF酒井(浦和)が復帰し、DF橋岡(シント=トロイデン)、MF三好(アントワープ)、MF浅野拓磨(ボーフム)の3選手が新たに招集された。 DFの3選手、佐々木(広島)、昌子(G大阪)、山根(川崎F)が外れたのはサウジとの時差から(ヨーロッパとは1時間差だが日本とは6時間差)、コンディションを考慮しての選考結果だろう。 森保監督がどのようなスタメンを送り出すかは10月4日に全員が集合し、コンディションを確認してからのことになる。ただ、これまでの采配を見る限り、冒険(ギャンブル)に出るようなことはないだろう。裏を返せば、よほどのことがない限りスタメンに変化はないと思ってよさそうだ。 GKは権田で、DF陣は右から酒井、吉田、冨安、長友。ダブルボランチは遠藤航に柴崎で、2列目は右から堂安(か浅野)、鎌田、南野、そして1トップに大迫というイレブンだ。これが現時点でのベストメンバーという考え方は理解できないでもない。しかし、相手との力関係や置かれている状況から、もう少し柔軟なチョイスはできないものだろうか。 W杯アジア最終予選グループBは6チーム中の上位2チームが本大会に進出できる。日本とオーストラリアが実績的に2強で、これにサウジが絡む3チームによる争いだ。そして近年力をつけてきているオマーンがダークホースといったところだろう。中国とベトナムはアウトサイダーのため、ホームはもちろんアウェーでも勝点3(できれば大量点で)がノルマになる。 そして日本はホームの初戦でオマーンに負けた。しかし前回予選のUAE同様、アウェーで雪辱すればいいし、それしか対戦成績を五分に戻す方法はない。あとは残る2チーム、サウジとオーストラリアからは、ホームで勝点3を奪い、アウェーで引き分ければ、W杯出場は近づくはずだ。 実際、前回のロシアW杯最終予選では初戦でUAEに敗れたものの、続くアウェーのタイとホームのイラクに勝って、第4戦のアウェー・オーストラリア戦は原口のゴールで1-1と引き分け、ホームのサウジ戦では清武のPKと原口のゴールで2-1の勝利を収めて予選突破に前進した。 つまり、アウェーのサウジ戦は勝点3を奪えれば理想的だが、無理して勝ちに行く必要はない。勝点1を是が非でも持ち帰る戦いと言える。そのためのスタメンに誰がふさわしいのか。さらに言えば、必勝が義務づけられるホームでのオーストラリア戦に向けて、選手を温存するような戦い方ができれば理想的だ。 日本にとって10月の2試合は、最終予選最大のヤマ場と言える。11月はアウェー2連戦とはいえ相手はベトナムとオマーン(オマーンには勝たないといけないが)、年明けの4試合はオーストラリア戦をのぞいていずれもホームの戦いだからである。 ただ、それにしては盛り上がっていないのは、やはりアウェー戦が地上波での放送がなくなったため、前宣伝が不足しているからか。それともファン・サポーターの熱が冷めてしまったからだろうか。もしも日本がサウジに負けてW杯連続出場が危機的な状況に陥れば、97年フランスW杯アジア最終予選のような熱気と緊張感が蘇るなら、それはそれで歓迎したい気もしないではない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.09.29 15:00 Wed
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新規感染者の減少で入場人数の上限変更か?/六川亨の日本サッカーの歩み

毎月恒例のNPB(日本野球機構)とJリーグ、そして専門ドクター3氏による第39回対策連絡会議が9月21日に開催された。定刻どおり10時30分に始まったメディアブリーフィングは、冒頭で斉藤惇NPBコミッショナーが「今日は専門家の方々からご意見をいただきました。JリーグとNPBからの報告はありません」と言ったとおり、質疑応答でも質問は1つしか出ず、過去最短の21分間で終了した。 会議がスタートして約1年半、すでに「議論百出」といったところか。 それでもここ2週間は新規感染者が減少しているため、入場者数の制限について斉藤コミッショナーは「いまは50%もしくは5000人の少ない方ですが、希望としては50%か1万人、もしくは1万2000人の少ない方を認めていただきたい」と制限緩和に期待するコメントを口にした。 その上で、「トップ(菅義偉首相)が変わるので、コロナ対策室のトップがどうなるか。窓口がどうなるのか、早めに交渉に入りたい」との希望を述べた。 政府は10月4日に臨時国会を召集して菅首相の後任首相を選出する予定だ。このため新内閣が発足すれば、コロナ対策室のメンバーも変わるかもしれない。現状では19都道府県に出されている緊急事態宣言は、今月末で解除される可能性が高いだろう。 しかし政府は8月末に緊急事態宣言とまん延防止等重点措置の適用されている地域では、大規模イベントの参加人数を「収容人数の50%か5000人の少ない方」とする決定を10月末まで延長したままだ。そこで9月末で緊急事態宣言が解除された場合、新たなコロナ対策室と収容人数の上限について、斉藤コミッショナーは早急に協議したいとの意向を示したのである。 さらにワクチンの2回接種が徐々に浸透するにつれ、接種の証明書や検査の陰性証明書を組み合わせた「ワクチン・検査パッケージ」の活用による、飲食や旅行などの制限緩和についても意見が交換された。 座長であり東北医科薬科大学の賀来満夫ドクターは「具体的な方法論はこれから。議論はいま始まったばかり」と言うものの、村井満チェアマンは「ドクターの意見を聞きながらプランニングしたい。ワクチンや陰性証明書をどうするか。運営の議論もしっかりしていきたい」と、実際に導入した際は“誰”が“どこ”で、“どのように”チェックするのかも視野に入れていた。 奇しくも次回の対策連絡会議は10月4日の月曜日。ただし会議は午前中のため自民党の新総裁決定には間に合わないし、新内閣の発足と新たなコロナ対策室のスタートもそれ以降になる。それでもこのまま新規感染者の減少が続けば、スタジアムに多くの観客が戻る日もそう遠い日ではないかもしれない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.09.21 21:00 Tue
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WEリーグ開幕戦で感じたこと/六川亨の日本サッカーの歩み

昨日12日、華々しく開幕したWEリーグ。味の素フィールド西が丘の東京V対浦和の試合を取材した。試合はカウンターから浦和のDFラインの裏を突いた東京Vが植木理子のゴールで先制すれば、前線に安藤梢(165cm)と塩越柚歩(166cm)の大型FWを擁し、後半からはエースの菅澤優衣香(169cm)を投入した浦和が、菅澤と塩越のゴールで2-1と逆転勝利を収めた。 開幕戦にもかかわらず、タイムアップの瞬間に東京Vの選手はピッチに崩れ落ち、浦和の選手は優勝したかのように喜びを爆発させた。それだけ女子初のプロリーグである「WEリーグ」の誕生は、彼女たちにとって画期的な出来事だったのだろう。 WEリーグのチームには15名以上のプロ契約選手を保有することが義務づけられている。そして東京Vの登録選手は20名。そのせいかどうか詳細を確かめることはできなかったが、スタメンのリザーブ選手の登録枠は7名に対し、東京Vは6名の選手しか登録していなかった。ベテランの岩清水梓や大会前に移籍した宇津木瑠美らはメンバー外だった。ここらあたりもプロとなったことで、クラブチームの運営(経営)の難しさが出ているのかもしれない。 そもそもWEリーグは、地盤沈下の著しい日本代表の強化のための環境整備、選手の地位向上、小中高生の育成など底辺の拡大を目的に創設された。 93年に開幕したJリーグもそうだったが、「昨日までアマチュアの選手が、今日からプロになりました」と言ってすぐに技術が向上するわけではない。こちらは長い時間を要する。しかしそれでも環境が整備されたおかげで徐々にではあるが、選手のフィジカル(スピードとスタミナ)強化とプロとしての自覚は促進された。選手は毎日サッカーに専念できるからだ。 そして今までは、対外的に所属クラブの親会社の社員だったりアルバイトだったりという身分が、晴れて「プロ選手」と名乗れるようになった。これまでも「プロ選手」と名乗ることはできても、社会的に認知されていなかった。その意味でもWEリーグの創設は意義深い。 底辺の拡大も時間をかけて地道にやるしかないが、昨日の西が丘サッカー場では、バックスタンド右側に水色のユニホームを着た女子小学生の一団がいた。Jリーグが成功した一因に「地域密着」がある。WEリーグも同様に、ホームタウンの女子小学生チームを毎試合招待したり、サッカー教室を開いたりして地域密着を積極的に進めるべきだろう。 すでに西が丘サッカー場の周辺には、東京Vが北区と板橋区をホームタウンにするポスターが掲出されている(西が丘サッカー場は北区にあるが板橋区とも隣接)。そして、いかに露出を増やして認知度を高めていくか。これが今後のWEリーグの一番の課題になるだろう。選手たちは子供たちにとって、憧れの存在にならなければいけないからだ。 露出に関してはもう一言。昨日の試合では東京VがA4で6ページの観戦パンフレットを無料配布していた。これまであまり女子リーグを取材してこなかったので、サッカー専門誌が発行しているJリーグのような、全チームを網羅した選手名鑑が売っていないか探したところ、残念ながら発見することはできなかった。 もしかしたらコロナ禍で、金銭のやりとりによる感染のリスクを避けるためスタジアム内では販売していなかったのかもしれない。そこでネットで検索したら、ぴあMOOKから「オフィシャルガイドブック2021-22」(1100円)が発行されているのを知ったので、早速ポチッと購入した。 どんな選手が、どのチームにいるのか調べるのも名鑑の楽しみではないだろうか。そして試合会場でも、名鑑を販売していることをアナウンスするだけでも効果はあると思うが、いかがだろうか。まずはファンに知ってもらうことがプロ選手のスタートだと思うからだ。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.09.14 12:10 Tue
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