ジダン監督「チップを変えるチャンス」 解任も取り沙汰され始める状況に「自分はアンタッチャブルな存在じゃない」とも
2020.12.05 11:00 Sat
レアル・マドリーのジネディーヌ・ジダン監督が苦境からの立ち直りを目指した。クラブ公式サイトが伝えている。
スペイン代表DFセルヒオ・ラモスを筆頭に負傷者も相次ぎ、直近のラ・リーガ3試合で1分け2敗と思わしくない戦いが続くマドリー。さらに、1日に行われたチャンピオンズリーグ(CL)グループB第5節のシャフタール・ドネツク戦も0-2の敗北を喫して、クラブ史上初となるグループステージ敗退の危機に瀕するなど、低空飛行が続いている。
5日に敵地で行われるラ・リーガ第12節のセビージャ戦に先駆けた会見に出席したジダン監督は9日にCLでの命運がかかるボルシアMGとの最終戦を控えているが、選手たちに対する変わらずの信頼を強調した上で、リーグ戦の戦いに集中した。
「我々は状況を把握しているのと同時に戦いたいと思っている。チップを変えるチャンスであり、それこそが我々のやろうとしていること。難しい状況なのは重々承知で、同じような状況を何度も経験してきたが、明日に戦うべき試合がある。レアル・マドリーが何であるかを示すために、私は選手を非常に信頼している。私にとって、それが最も重要だ」
「明日の試合を考えず、他の試合について考えることはできない。非常に良い相手からポイントを掴み取らなければいけない。我々はこういった戦わなければならない試合が好きで、実際にそうしようとしている。今後に2試合があるのもわかっているが、まずはリーグ戦のことを考える」
「間違いないね。しかし、我々はこれまでも難しい時間を経験しているし、批判も受けた。それは今も同じ。でも、一番かって? そうかもしれないが、問題ない。こうしたことは考えるのではなく、選手がピッチで何をしてきたのかを考えるべき。明日は良いチームであることを示す絶好の機会。それだけだ」
「自分がアンタッチャブルな存在だと思ったことはない。選手としても、監督としても、人としてもだ。1人ひとりが何らかの理由でここにいて、最後の日まで過ごすためにここにいる。何が起こるかはわからないが、知っての通り、明日は試合があって勝つことだけを考えている。それ以外はどうでも良い。私にとって重要なのは選手と素晴らしい試合をして勝つことだ」
スペイン代表DFセルヒオ・ラモスを筆頭に負傷者も相次ぎ、直近のラ・リーガ3試合で1分け2敗と思わしくない戦いが続くマドリー。さらに、1日に行われたチャンピオンズリーグ(CL)グループB第5節のシャフタール・ドネツク戦も0-2の敗北を喫して、クラブ史上初となるグループステージ敗退の危機に瀕するなど、低空飛行が続いている。
5日に敵地で行われるラ・リーガ第12節のセビージャ戦に先駆けた会見に出席したジダン監督は9日にCLでの命運がかかるボルシアMGとの最終戦を控えているが、選手たちに対する変わらずの信頼を強調した上で、リーグ戦の戦いに集中した。
「明日の試合を考えず、他の試合について考えることはできない。非常に良い相手からポイントを掴み取らなければいけない。我々はこういった戦わなければならない試合が好きで、実際にそうしようとしている。今後に2試合があるのもわかっているが、まずはリーグ戦のことを考える」
また、チームの不振ぶりを受けて、解任の憶測も飛び交い始めるジダン監督は最も難しい状況を過ごしていると認め、自身はアンタッチャブルな存在ではないと語っている。
「間違いないね。しかし、我々はこれまでも難しい時間を経験しているし、批判も受けた。それは今も同じ。でも、一番かって? そうかもしれないが、問題ない。こうしたことは考えるのではなく、選手がピッチで何をしてきたのかを考えるべき。明日は良いチームであることを示す絶好の機会。それだけだ」
「自分がアンタッチャブルな存在だと思ったことはない。選手としても、監督としても、人としてもだ。1人ひとりが何らかの理由でここにいて、最後の日まで過ごすためにここにいる。何が起こるかはわからないが、知っての通り、明日は試合があって勝つことだけを考えている。それ以外はどうでも良い。私にとって重要なのは選手と素晴らしい試合をして勝つことだ」
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レアル・マドリーのトルコ代表MFアルダ・ギュレルとリバプールのハンガリー代表MFドミニク・ソボスライがSNS上で場外戦を繰り広げている。 両国は今回のインターナショナルマッチウィークに行われたUEFAネーションズリーグ(UNL)2024-25・リーグA/B昇降格プレーオフで激突。 トルコホームの1stレグをトルコが3-1で先勝していたなか、ハンガリーホームで行われた23日の2ndレグもトルコが3-0で快勝。2戦合計6-1の完勝でリーグA昇格を決めていた。 同試合ではチーム2点目を挙げたギュレルが1年前のフレンドリーマッチでも衝突が伝えられ、今回の再戦でもバチバチとやり合っていたソボスライに激しく詰め寄られた際に「黙れ」のジェスチャーを行い、小競り合いとなっていた。 ここまでであれば、試合中によくある揉め事として流されるはずだったが、試合後も怒りが収まらないハンガリー代表のキャプテンはハンガリー『Nemzeti Sport』がインスタグラムに投稿した当該のやり取りを収めた写真に対して、「1088」とのコメントを残した。 この数字はカルロ・アンチェロッティ監督の下、ポジション争いで苦戦するギュレルのマドリーでの今シーズンのプレータイムを揶揄したものとされ、物議を醸していた。 これに対して血気盛んな20歳MFも黙っておらず、自身のインスタグラムのストーリーズで反撃。「この男は冗談だ。6ゴールで黙るには十分じゃないのか?」とのキャプションとともに同じ画像とトルコの3-0のスコアを写した画像を投稿。 さらに、画像をよく確認すると、ハンガリーのスコアの下に「ソボスライ 1インスタグラムコメント」と細かな加工も加えられており、痛烈に煽り返した。 ここに至る両選手の衝突の経緯はわからず、外野がとやかく言うべきではないが、ひとまず互いに冷静さを取り戻し、今後は場外戦ではなく改めてピッチの上で白黒つけたいところか。 2025.03.25 06:30 Tue3
ノルウェー代表で定位置と背番号を譲った後輩…セルロートが5歳年下ハーランドをラ・リーガに勧誘?「適応間違いなし」
ビジャレアルのノルウェー代表FWアレクサンダー・セルロートが、マンチェスター・シティの同代表FWアーリング・ハーランドについて語った。 今季ラ・リーガ14得点、公式戦17得点のセルロート。過去2年のレアル・ソシエダ時代を上回るペースでネットを揺らす195cmストライカーだ。 当然、この活躍からノルウェーを代表するセンターフォワードなのは確か。しかし、ノルウェー代表には当代屈指のゴールマシーン・ハーランドがおり、A代表通算53試合18得点セルロートは左右どちらかのウイングが“守備位置”となる。 このように、ハーランドがいることで、ノルウェー代表だと本職ではないポジションを任されるセルロート。それでもスペイン『Relevo』のインタビューでは、ハーランドとの良い関係性を語る。 「アーリングとはとても仲が良いよ。もう5年くらいノルウェー代表で一緒だしね。彼は天性のリーダー的な部分を持つんだ。どちらかと言えば、陰から人知れずチームを支えるタイプかな。全てを口に出して引っ張るのではなく、黙々と率先して行動することができる」 数年前には、当時20歳そこそこで台頭してきたハーランドに、ノルウェー代表で背番号「9」を譲ったセルロート。 「彼はあの時すでにフットボーラーとして“ブランド”が出来上がっていたからね。NIKEとの繋がりも考えればピッタリだろう(笑) 彼のほうから『9が欲しい』って来たから、僕は11にしたんだ」 その一方、ハーランドは昨季があまりに強烈だったためか、最近は得点ペースの鈍化が指摘される。この件についてセルロートは、同じFWとして少しばかり不快感を抱いている様子だ。 「彼が自らの個人賞をチームの戦績より優先させているとでも? 僕の知る彼はそうじゃないし、もしそうだとしても口には出さない」 また、将来のレアル・マドリー行きが噂され続けていることについては歓迎。スペインサッカーへの適応も問題ないだろうとした。 「イングランドもドイツもスペインもそんなに異なるサッカーじゃない。リーグの特色をつけたがる人々が私見を言っているに過ぎないんだ。アーリングも間違いなくスペインにフィットする。選手からチームへ、チームから選手へ、お互いに適応の努力をすれば、適応できないなんてあり得ない」 2024.04.19 16:20 Fri4
40歳C・ロナウドが約400億円で3年連続最も稼いだアスリートに! メッシが5位、ドジャース・大谷翔平は9位
アル・ナスルのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(40)が、再び世界で最も稼ぐアスリートとなった。アメリカ『フォーブス』が伝えた。 サッカー界のスーパースターの1人であるC・ロナウド。初めて世界で最も稼ぐアスリートになってから9年。40歳になった中で、3年連続5度目のナンバーワンとなった。 スポルティングCPで才能を見出され、マンチェスター・ユナイテッドで輝きを放ち、レアル・マドリーで全盛期を迎えると、ユベントス、ユナイテッドでプレーし、現在はサウジアラビアのアル・ナスルでプレー。AFCチャンピオンズリーグ・エリート(ACLE)では準決勝で川崎フロンターレに敗れてアジア王者は逃したが、その存在感は健在だ。 サッカー界のNo.1プレーヤーという肩書きは譲りつつあるものの、この1年間で稼いだ金額は推定2億7500万ドル(約399億6000万円)とのこと。これは自己最高記録であり、歴代でも2015年に3億ドル、2018年に2億8500万ドルを稼いだプロボクサーのフロイド・メイウェザーだけとなっている。 内訳としては2億2500万ドル(約326億9000万円)がアル・ナスルとの契約で手にしており、残りの5000万ドル(約72億7000万円)はピッチ外での収入となり、スポンサー契約などの収入と見られている。 サッカー選手ではトップ10にはアルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(インテル・マイアミ)が1億3500万ドル(約196億3000万円)で5位。8位に元フランス代表FWカリム・ベンゼマ(アル・イテハド)が1億400万ドル(約151億2000万円)でランクイン。トップ50に広げると、フランス代表FWキリアン・ムバッペ(レアル・マドリー)が9000万ドル(約130億9000万円)で16位、ブラジル代表FWネイマール(サントス)が7600万ドル(約110億5000万円)で25位、ノルウェー代表FWアーリング・ハーランド(マンチェスター・シティ)が6200万ドル(約90億1000万円)で34位、ブラジル代表FWヴィニシウス・ジュニオール(レアル・マドリー)が5500万ドル(約80億円)で46位、セネガル代表FWサディオ・マネ(アル・ナスル)が5400万ドル(約78億5000万円)で48位となった。 全体では2位にNBAのゴールデンステート・ウォリアーズのステフィン・カリーで1億5600万ドル(約226億7000万円)、3位にイングランドのプロボクサーであるタイソン・フューリーで1億4600万ドル(約212億2000万円)、4位にNFLのダラス・カウボーイズに所属するダック・プレスコットで1億3700万ドル(約199億1000万円)、5位がメッシとなった。 なお、日本人では9位にはMLBのロサンゼルス・ドジャーズに所属する大谷翔平が唯一入り1億250万ドル(約148億9000万円)。フィールド上で250万ドル(約3億6000万円)、フィールド外で1億ドル(約145億3000万円)を稼いでいるとされている。 <h3>◆最も稼ぐアスリートランキング 2025</h3> 1位:クリスティアーノ・ロナウド(サッカー/ポルトガル/40歳) 総収益:2億7500万ドル(約399億6000万円) 2位:ステフィン・カリー(バスケットボール/アメリカ/37歳) 総収益:1億5600万ドル(約226億7000万円) 3位:タイソン・フューリー(ボクシング/イギリス/36歳) 総収益:1億4600万ドル(約212億2000万円) 4位:ダック・プレスコット(アメリカン・フットボール/アメリカ/31歳) 総収益:1億3700万ドル(約199億1000万円) 5位:リオネル・メッシ(サッカー/アルゼンチン/37歳) 総収益:1億3500万ドル(約196億3000万円) 6位:レブロン・ジェームズ(バスケットボール/アメリカ/39歳) 総収益:1億3380万ドル(約194億4000万円) 7位:フアン・ソト(野球/ドミニカ共和国/26歳) 総収益:1億1400万ドル(約165億8000万円) 8位:カリム・ベンゼマ(サッカー/フランス/36歳) 総収益:1億400万ドル(約151億2000万円) 9位:大谷翔平(野球/日本/歳) 総収益:1億250万ドル(約148億9000万円) 10位:ケビン・デュラント(バスケットボール/アメリカ/35歳) 総収益:1億140万ドル(約147億3000万円) 2025.05.16 17:40 Fri5