【2022年カタールへ期待の選手㊽】柴崎二世の天才肌のボランチ、再開J2で完全復活へ。ポルトガル行きの行方は?/藤本寛也(東京ヴェルディ/MF)
2020.06.27 14:00 Sat
新型コロナウイルス感染拡大でストップしていたJ2の再開がいよいよ27日に迫ってきた。2月23日の第1節終了時点での状況をおさらいしてみると、上位はアルビレックス新潟、徳島ヴォルティスら10チームが勝ち点3で並んでいる。非常に混とんとした状態からのリスタートとなるのだ。J1最多得点記録の185ゴールを挙げている大久保嘉人が今季、鳴り物入りで加入した東京ヴェルディは、初戦で徳島に0-3で大敗。目下、ザスパクサツ群馬と並んで最下位に沈んでいる。しかしながら、再開後は長期離脱を余儀なくされていた若きキャプテン・藤本寛也がピッチに戻ってくると見られるだけに、巻き返しのチャンスは大いにある。「柴崎岳(デポルティボ・ラ・コルーニャ)二世」とも称される卓越したパスセンスと戦術眼を備えた技巧派ボランチの復帰は、J屈指の名門クラブに光明をもたらすに違いない。
「『柴崎岳選手に似てる』というのはよく言われます。僕もA代表の試合をよく見ますけど、なんか自分を見ているような感じがする。柴崎選手みたいな存在感の大きな選手になりたいですね」と本人も目を輝かせる。
99年生まれの藤本は山梨県出身。地元のアミーゴスFC、FCヴァリエ都留を経て、東京Vジュニア入りし、順調にカテゴリーを上げて2018年にはトップ昇格を果たした。非凡な才能は15歳の時点で高く評価されており、2014年には1つ年上の堂安律(PSV)、冨安健洋(ボローニャ)、田中碧(川崎フロンターレ)らとともにAFC・U-16選手権(タイ)に参戦。当時の指揮官は今季から東京Vコーチに就任した吉武博文監督だった。
「吉武さんに会ってなかったら、15歳から先のサッカー人生は充実したものにはならなかった。今のプレースタイルの原点は全て吉武さんに学んだもの。本当に感謝してます」と本人もしみじみ言う。当時のU-16日本代表はアジアを突破できず、批判も浴びたが、藤本自身は成長の歩みを止めることはなかった。堂安や冨安の後を追うようにユース代表へとステップアップ。2019年U-20ワールドカップ(ポーランド)で初めて年代別世界大会の舞台に立った。同大会では齊藤未月(湘南ベルマーレ)と鉄板ボランチを形成。第2戦・メキシコ戦(グディーニャ)では2アシストを記録するなど、絶大な存在感を示した。
貴重な経験を東京Vに還元すべく意欲を高めていたが、直後の昨年8月の鹿児島ユナイテッド戦で右ひざ前十字じん帯と半月板の損傷を負ってしまう。診断結果は全治8カ月。昨季後半を棒に振り、辛いリハビリ生活を強いられることになった。影山ジャパンの盟友だった安部裕葵(バルセロナ)や久保建英(マジョルカ)が世界に羽ばたく傍らで、藤本は大きな出遅れを強いられたのだ。
けれども、2020年に入ってから、環境は確実に変わりつつある。前述の通り、まず恩師・吉武監督が東京Vの一員に加わったのだ。「また吉武さんと一緒に戦えるのはすごく嬉しい」と本人も息を弾ませていたが、自身を高く買ってくれた指導者が近くにいてくれることは本当に心強いはず。実際、メンタル的な力強い支えになったことだろう。
J2開幕の2月はまだリハビリ中だったが、コロナ騒動で空白期間ができ、ケガを癒す時間が生まれた。「早くても3〜4月くらいに戻れればいい」と藤本は1月時点で復帰見通しを話していたが、リーグ中断期間を有効活用することができたのだ。
その5月にはポルトガル1部のジル・ヴィセンテへの移籍報道も浮上した。仮に海外移籍を選ぶにしても、欧州組の今夏はプレシーズンがほとんどない。ポルトガルも7月26日の最終節の後、新シーズンに向けて間髪入れず始動することになるため、選手の肉体的負担は大きい。今からJ2で何試合か戦い、徐々に状態を引き上げることができれば、過酷な環境に身を投じても耐えられるようになる。当の藤本が何を選択するか未知数ではあるが、ここから本格的に始まるシーズンが自身のキャリアを大きく左右するのは間違いないだろう。
かつて柴崎も2010年U-20ワールドカップ出場を逃し、2012年ロンドン五輪落選を強いられ、A代表に呼ばれるたびにケガや病気で離脱するという苦境を強いられてきた。回り道を重ねて2018年ロシアワールドカップで大輪の花を咲かせ、今の地位を確実なものにしたのだ。ここまでは紆余曲折の連続だった藤本も挽回できるチャンスはまだまだいくらでもある。「柴崎以上の才能」と言われるボランチにはこの先、爆発的な成長を遂げ、五輪代表、日本代表へとステップアップしてもらわなければならないのだ。
「この1年は自分にとってすごく大きい。この1年が充実したものになるかならないかは自分次第。まずは公式戦に復帰して、そこで持ってる力のすべてを出せるようにしたいと思ってます」
そう語気を強める藤本の復帰戦は27日の町田ゼルビア戦になることが濃厚だ。将来の日本を背負うことになるかもしれない稀代のボランチの一挙手一投足を今、我々はしっかりと目に焼き付けておきたいものだ。
「『柴崎岳選手に似てる』というのはよく言われます。僕もA代表の試合をよく見ますけど、なんか自分を見ているような感じがする。柴崎選手みたいな存在感の大きな選手になりたいですね」と本人も目を輝かせる。
「吉武さんに会ってなかったら、15歳から先のサッカー人生は充実したものにはならなかった。今のプレースタイルの原点は全て吉武さんに学んだもの。本当に感謝してます」と本人もしみじみ言う。当時のU-16日本代表はアジアを突破できず、批判も浴びたが、藤本自身は成長の歩みを止めることはなかった。堂安や冨安の後を追うようにユース代表へとステップアップ。2019年U-20ワールドカップ(ポーランド)で初めて年代別世界大会の舞台に立った。同大会では齊藤未月(湘南ベルマーレ)と鉄板ボランチを形成。第2戦・メキシコ戦(グディーニャ)では2アシストを記録するなど、絶大な存在感を示した。
「未月とは相性がよかった。ハードワーカーの彼は動いてボールを取ってさばいて前に出る感じの選手。僕はどっちかというと真逆なタイプで、組み立てや予測が得意。攻守両面の特徴が全然違うので、やってて息が合うなと感じてました。カゲさん(影山雅永現U-19日本代表監督)からも『サボるな』『チームのために走れ』とかいろいろ言われていたけど、僕もそういうことは嫌いじゃなかった。世界で勝つために必要なサッカーが何なのかを理解できた気がします」と彼は神妙な面持ちで語っている。
貴重な経験を東京Vに還元すべく意欲を高めていたが、直後の昨年8月の鹿児島ユナイテッド戦で右ひざ前十字じん帯と半月板の損傷を負ってしまう。診断結果は全治8カ月。昨季後半を棒に振り、辛いリハビリ生活を強いられることになった。影山ジャパンの盟友だった安部裕葵(バルセロナ)や久保建英(マジョルカ)が世界に羽ばたく傍らで、藤本は大きな出遅れを強いられたのだ。
けれども、2020年に入ってから、環境は確実に変わりつつある。前述の通り、まず恩師・吉武監督が東京Vの一員に加わったのだ。「また吉武さんと一緒に戦えるのはすごく嬉しい」と本人も息を弾ませていたが、自身を高く買ってくれた指導者が近くにいてくれることは本当に心強いはず。実際、メンタル的な力強い支えになったことだろう。
J2開幕の2月はまだリハビリ中だったが、コロナ騒動で空白期間ができ、ケガを癒す時間が生まれた。「早くても3〜4月くらいに戻れればいい」と藤本は1月時点で復帰見通しを話していたが、リーグ中断期間を有効活用することができたのだ。
その5月にはポルトガル1部のジル・ヴィセンテへの移籍報道も浮上した。仮に海外移籍を選ぶにしても、欧州組の今夏はプレシーズンがほとんどない。ポルトガルも7月26日の最終節の後、新シーズンに向けて間髪入れず始動することになるため、選手の肉体的負担は大きい。今からJ2で何試合か戦い、徐々に状態を引き上げることができれば、過酷な環境に身を投じても耐えられるようになる。当の藤本が何を選択するか未知数ではあるが、ここから本格的に始まるシーズンが自身のキャリアを大きく左右するのは間違いないだろう。
かつて柴崎も2010年U-20ワールドカップ出場を逃し、2012年ロンドン五輪落選を強いられ、A代表に呼ばれるたびにケガや病気で離脱するという苦境を強いられてきた。回り道を重ねて2018年ロシアワールドカップで大輪の花を咲かせ、今の地位を確実なものにしたのだ。ここまでは紆余曲折の連続だった藤本も挽回できるチャンスはまだまだいくらでもある。「柴崎以上の才能」と言われるボランチにはこの先、爆発的な成長を遂げ、五輪代表、日本代表へとステップアップしてもらわなければならないのだ。
「この1年は自分にとってすごく大きい。この1年が充実したものになるかならないかは自分次第。まずは公式戦に復帰して、そこで持ってる力のすべてを出せるようにしたいと思ってます」
そう語気を強める藤本の復帰戦は27日の町田ゼルビア戦になることが濃厚だ。将来の日本を背負うことになるかもしれない稀代のボランチの一挙手一投足を今、我々はしっかりと目に焼き付けておきたいものだ。
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東京V、ユース所属の4選手が来季トップ昇格内定! いずれも世代別代表歴のある“緑の新たなスター候補”
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新天地で早くも存在感示すMF福田湧矢…「間違いなくヴェルディのプラスになる」G大阪時代からの恩師も期待
東京ヴェルディに今シーズンから加入したMF福田湧矢が、新天地で順調なスタートを切っている。 生まれは福岡県北九州市ながら幼少期からガンバ大阪のファンだった福田は、東福岡高校で背番号10を背負った高体連屈指のアタッカーとして、2018年に憧れのクラブでプロキャリアをスタート。 同シーズンのリーグ開幕節でいきなりスタメンデビューとなる華々しいスタートを切ったが、以降は度重なるケガの影響でメインキャストを担うまでには至らず。2024シーズンはJ1第35節の名古屋グランパス戦で復活のゴールを記録したが、リーグ戦7試合1得点、天皇杯2試合の出場にとどまった。 そんななか、今冬の移籍市場では7年間を過ごしたG大阪を離れる大きな決断を下し、「ヴェルディのために自分のサッカー人生の全てをかけて戦います」という強い覚悟とともに自身初の移籍を果たした。 初の移籍とはなったものの、同い年でG大阪のチームメイトだったFW山見大登、短期間ながらガンバ大阪U-23でともにプレーしたMF食野壮磨の旧知の2人に加え、同世代や若手の多いチームへ馴染むのに時間はかからず。 沖縄キャンプでは日々のトレーニング、トレーニングマッチでも城福浩監督が志向するスタイルにすぐさま順応し、新加入選手のなかではアピールに成功している選手の筆頭だ。 左のウイングバックを主戦場に、1月28日に行われた名古屋グランパスとのトレーニングマッチでは2シャドーの一角でもプレー。最大の持ち味である推進力や切れ味鋭いドリブル突破でチャンスに絡みつつ、守備においても素早い切り替え、イーブンボールに対するアグレッシブなチャレンジと城福監督が志向するスタイルを体現した。 その名古屋戦について福田は「シャドーでのプレーはいつぶりかわからないぐらい久々で、感覚を思い出しながらのプレーでした」と個人として試行錯誤の一戦だったと振り返る。 「元々、ガンバのときにウイングバックもサイドバックをやっている時期もありましたし、その辺では困るようなことはないですね。逆に、シャドーの方がちょっと考えることが多い印象です」。 「昨日は芝の影響も多少ありましたが、まだ合わせるというところでは、もうちょっと時間がかかるかなとは思います」と、アタッキングサードでの連携面を課題として語った。 一方、ここまで新チームへの順応に関しては手応えを感じている。とりわけ、ガンバ大阪U-23でプロのイロハを叩きこまれ、東京V移籍に際しても決断の大きな要因のひとつにもなった森下仁志コーチ仕込みの守備面やハードワークへの自信を語る。 「守備のところはガンバ時代に仁志さん(森下コーチ)にかなりしごかれたので、めちゃめちゃできるようになって、逆にそれが強みになったという感じです。だからこそ、そこまでヴェルディに入ったから何かを変えることもなく、今までの自分のレベルを上げていったらすぐ馴染めるなと思っていました。ただ、それにプラスして意識は上がっているので、それがより速くなっている印象です」 その福田と東京Vで再会することになった森下コーチは、改めて教え子の人となりについて語ってくれた。 出会った当時はプロとして自身の特徴を出すことに苦労していたものの、高い向上心と物おじしないメンタリティによって、一人の指導者としても必ず伸びるタイプの選手だと感じていたという。 「僕が湧矢と出会ったときは、彼がプロに入って2年目。そのときに湧矢は1年目の開幕戦で高卒デビューして、その後はチームも彼もうまくいかずになかなか試合にも出られず。僕とは2年目の最初に出会って、そのときは自分の特徴というか、自分がどうやってこの世界で生きていくかで迷っている状況でした」 「その頃(のガンバ大阪U-23)はみんなが生きるか死ぬか。当時、僕が見させてもらっていた選手はそういう状況の選手たちだったので、やっぱりこの世界でいかに生きていけるか、生き抜いていくかというところで、それに何が必要かを常に練習から問いかけていました。彼は一番そういう部分(前述のハードワーク)が得意なところだった。すごく純粋で素直で、なんでも一生懸命にやる子なので、飲み込みというか、そういうのはすごく早かったです」 「ここ1、2年はケガが続いて心配して見ていた」と語るようにG大阪で不完全燃焼の日々が続いていたが、森下コーチは強い覚悟を持って東京Vへの移籍を決断した愛弟子の復活、さらなる躍進を確信している。 「(昨季終盤戦で)ケガから回復してだんだん状態も上がってきているなと。それでヴェルディから話があるということでした。彼もプロでの経験を積んできただけに、すごく覚悟を決めて、ここが勝負だと考えて来たと思います。昨日の試合(名古屋戦)を見ても、だいぶ僕が以前から知っている最高の湧矢に近づいている。やればやるほど良くなっていくと思います」 「元々とてもサッカーが上手な子ですし、ボールを持てるというか、ドリブルが得意な選手なので、ましてやメンタル的にもプレーを怖がらないですし、本当に体の状態だけ。間違いなくヴェルディのプラスになってくれると思いますし、だんだん習慣が上がっていけば、もう一回盛り返すというか、もう一度インパクトを残せる選手になると思います」 恩師の期待を受けながら捲土重来を期す新シーズンに向け福田は「一番はケガなく」とシーズンを通してのフル稼働を目標に掲げつつ、「一度去年のことは忘れて、また新しい1年と捉えて、去年以上の結果を出せるように、みんなで努力していきたい」と意気込む。 また、個人としては「ドリブルや局面を打開するところだったり、相手を剥がすところだったりで違う色を出していけたらなと思います」と、昨季J1リーグ6位に躍進したチームに新たな武器をもたらしたいとの決意を示した。 2025.02.02 16:00 Sun4
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