カンナバーロがパルマ時代の逸話を暴露「アスプリージャが罰金を食べた」
2020.04.22 11:15 Wed
元イタリア代表DFのファビオ・カンナバーロ氏が、パルマ時代の逸話を明かした。
カンナバーロ氏は、ナポリの下部組織でキャリアをスタート。1995年7月に21歳でパルマへと完全移籍を果たした。
パルマには2002年7月にインテルへ移籍するまで在籍したが、その間にコッパ・イタリアを2度、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)を1度優勝するなど、各国のスター選手たちと共にチームの最盛期を過ごした。
そんなカンナバーロ氏は、のちにバロンドールを獲得するまでになるが、イタリア『スカイ・スポーツ』で過去の逸話を披露。当時あった罰金制度を語る中で、元コロンビア代表FWファウスティーノ・アスプリージャ氏の仰天行動を明かした。
「僕は若い頃にパルマに入り、当時のチームは本当に勝利のためにプレーしていた」
「キャプテンとしてのロレンツォ・ミノッティは、すべての罰金を記録していたことを覚えているよ。選手たちは、間違ったことをした際に、お金を支払わなければならなかったんだ」
アスプリージャ氏は、現役時代に何かとお騒がせをしてきたことでも有名で、過激な発言を含めてトラブルメーカーとしても知られていた。
カンナバーロ氏は、ナポリの下部組織でキャリアをスタート。1995年7月に21歳でパルマへと完全移籍を果たした。
パルマには2002年7月にインテルへ移籍するまで在籍したが、その間にコッパ・イタリアを2度、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)を1度優勝するなど、各国のスター選手たちと共にチームの最盛期を過ごした。
そんなカンナバーロ氏は、のちにバロンドールを獲得するまでになるが、イタリア『スカイ・スポーツ』で過去の逸話を披露。当時あった罰金制度を語る中で、元コロンビア代表FWファウスティーノ・アスプリージャ氏の仰天行動を明かした。
「キャプテンとしてのロレンツォ・ミノッティは、すべての罰金を記録していたことを覚えているよ。選手たちは、間違ったことをした際に、お金を支払わなければならなかったんだ」
「アスプリージャが支払う番になった時、彼は立ち上がって、罰金が書かれたリストの紙を食べていたけどね」
アスプリージャ氏は、現役時代に何かとお騒がせをしてきたことでも有名で、過激な発言を含めてトラブルメーカーとしても知られていた。
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パルマは21日、ミランの元イタリア代表DFアンドレア・コンティ(26)がレンタル移籍で加入することを発表した。 レンタル期間は2021年6月30日まで。また、レンタル終了後にパルマには買い取り義務が発生。2025年6月までの4年契約を結んだとのことだ。 コンティはアタランタの下部組織出身で、ペルージャやアタランタなどでプレー。2017年7月にミランへと完全移籍で加入した。 右サイドバックを主戦場に左サイドバックでもプレーするコンティは、ミランではシーズン半で公式戦351試合に出場し5アシストを記録していた。 今シーズンはここまでセリエAで3試合、ヨーロッパリーグで2試合に出場も、137分しかプレータイムがなかった。 2021.01.21 21:42 Thu4
GK鈴木彩艶を獲得のパルマ、下部組織育ちのスロベニア代表GKタークをポーランドに売却
エクストラクラサ(ポーランド1部)のルフ・ホジューフは16日、パルマからスロベニア代表GKマーティン・ターク(22)を完全移籍で獲得したことを発表した。 契約期間は2027年6月30日までの3年間となり、背番号は「88」を着用する。 タークはスロベニアのコペルの下部組織でプレーしていた中、16歳になった2019年8月にパルマの下部組織に加入。U-17、U-19でプレーし、2021年9月にファーストチームに昇格。元イタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォンらと共にプレーした。 レッジャーナやサンプドリアへのレンタル移籍を経験したターク。サンプドリア時代にセリエAで4試合に出場。パルマではセリエBで10試合の出場に終わっていた。 世代別のスロベニア代表ではキャプテンを務めていたターク。A代表にも招集された経験はあるが、ヤン・オブラクが君臨していることもありデビューは果たしていない。 パルマは今夏シント=トロイデンから日本代表GK鈴木彩艶(21)を獲得しており、押し出されることとなった。 2024.07.17 09:35 Wed5
