ラツィオMFルーカス・レイバ、妻と子供はイタリアから脱出も「ブラジルも心配」
2020.03.20 22:12 Fri
ラツィオの元ブラジル代表MFルーカス・レイバが、母国への注意喚起を行った。
世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルス(COVID-19)の影響は、ヨーロッパではイタリアが最大の被害を受けている。
感染者は中国に次いで2位となると、死者数は中国を抜いて世界最多となっている状況だ。
現在はセリエAも中断し、自己隔離措置を取っているルーカスは、ブラジル『スポルTV』に自宅からビデオ出演。まだ感染が拡大していないブラジルのことを心配していると語った。
「両親、祖父母、ウイルスが深刻な影響を与える可能性のある人について考える。感染が毎日減少していくように、世界中で団結しなければならない」
「ここイタリアでは、残念ながら状況は非常に深刻で、多くの人が亡くなっており、感染者の数は日々増えている。チームトレーニングはなく、隔離されたままだ。とても難しいが、この状況がすぐに改善されることを願っている」
「ブラジルでも日ごとに感染者が増えていくことを知っている。多くの人々がとても早く広めたので、それを止める時間はなかった」
また、自身の妻と子供がイタリアを脱出してブラジルへ帰国していることも明かしたが、ブラジルで感染しないか心配は尽きないようだ。
「ブラジルの家族や友人も心配だ。最近、ここに潜む危険から逃れるために引っ越した妻や子供がいる」
世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルス(COVID-19)の影響は、ヨーロッパではイタリアが最大の被害を受けている。
感染者は中国に次いで2位となると、死者数は中国を抜いて世界最多となっている状況だ。
「両親、祖父母、ウイルスが深刻な影響を与える可能性のある人について考える。感染が毎日減少していくように、世界中で団結しなければならない」
イタリアで新型コロナウイルスの脅威を目の当たりにしているルーカスは、現在の状況を語った。
「ここイタリアでは、残念ながら状況は非常に深刻で、多くの人が亡くなっており、感染者の数は日々増えている。チームトレーニングはなく、隔離されたままだ。とても難しいが、この状況がすぐに改善されることを願っている」
「ブラジルでも日ごとに感染者が増えていくことを知っている。多くの人々がとても早く広めたので、それを止める時間はなかった」
また、自身の妻と子供がイタリアを脱出してブラジルへ帰国していることも明かしたが、ブラジルで感染しないか心配は尽きないようだ。
「ブラジルの家族や友人も心配だ。最近、ここに潜む危険から逃れるために引っ越した妻や子供がいる」
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「望んだ形ではないけど…」元ブラジル代表MFルーカス・レイバが心臓の問題で現役引退、リバプール、ラツィオでもプレー「健康が第一」
グレミオは17日、心臓の問題で休養していた元ブラジル代表MFルーカス・レイバ(36)の引退を発表した。 ルーカス・レイバは昨年12月、新シーズンに向けたメディカルチェックで心拍に異常があることが確認されており、追加の検査や治療が終わるまでの休養が発表されていた。 クラブの発表によると、ルーカス・レイバは心筋の瘢痕性線維症(はんこんせいせんいしょう)と診断されたとのこと。キャリアを続けることはリスクがあり、引退を余儀なくされることとなった。 グレミオは17日に記者会見を実施。ルーカス・レイバをはじめ、アルベルト・ゲラ会長やレナト・ポルタルッピ監督、チームドクターなどが出席した。 医師のマルシオ・ドルネレス氏は今回の検査結果について「昨日、全ての心臓病検査を終えました。全ての専門家と共に、この線維症と診断し、この病状の重要性とリスクを評価した後、健康へのリスクを考え、ルーカスに高パフォーマンスの身体的活動を続けないようにアドバイスし、推奨します」とコメント。激しいプレーが大きなリスクに繋がるとした。 ルーカス・レイバはこの記者会見で引退を発表。この数カ月のサポートに感謝した。 「この3カ月間、そして復帰してから受けた全てのサポートに対して、グレミオに感謝したいと思う。今日、引退を発表する」 「大変な時期であり、今回の件で泣いたのは初めてだと思う。本当に感謝しかない。このキャリアの全ての時間に感謝する」 「好きな場所で終えることになるが、好きな形ではない。新たなサイクルが華麗にスタートすることを確信している」 「みなさん本当にありがとう。元に戻れるかもしれないという多くの希望を持っていたが、そうではなかった。ただ、健康が第一だ」 「プロとしてプレーした3つのクラブと、サンパウロの内陸部にあるユースチームにも感謝したい。僕の物語はグレミオで始まった分ではないが、ここで重要なスタートを切ることができた」 「そして、僕がずっと望んでいた場所で、この物語は終わりを迎える。僕のキャリア、ここで受けた愛情に対し『感謝』という言葉を使いたい」 「クラブにとって難しい時期に戻ってきたけど、何らかの形で貢献することができたと思う。改めて、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」 ルーカス・レイバはグレミオの下部組織育ちで、2005年1月にファーストチームに昇格。2008年7月にリバプールへと完全移籍した。 リバプールでは9シーズンを過ごし、公式戦346試合に出場し7ゴール21アシストを記録。EFLカップの優勝を経験すると、2017年7月にラツィオへと完全移籍。ラツィオでは公式戦155試合に出場し2ゴール5アシスト。コッパ・イタリアで優勝を経験し、2022年7月にグレミオへと復帰していた。 復帰後のグレミオはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエB(ブラジル2部)に所属しており、リーグ戦17試合で3ゴールを記録。今季からはウルグアイ代表FWルイス・スアレスが加入し、元リバプールコンビが期待された矢先の病気発覚となっていた。 なおブラジル代表としては24試合に出場していた。 <span class="paragraph-title">【動画】グレミオ復帰後のルーカス・レイバのプレー</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="pt" dir="ltr">O bom filho à casa torna e assim ele fez. Começou a carreira aqui, tornou-se ídolo, ganhou o mundo e voltou em um momento difícil para ficar ao lado da nação gremista. E assim permanecerá, atuando fora dos gramados. Obrigada por tudo, <a href="https://twitter.com/LucasLeiva87?ref_src=twsrc%5Etfw">@LucasLeiva87</a>! Vamos por mais! <a href="https://t.co/ULas6aeB6J">pic.twitter.com/ULas6aeB6J</a></p>— Grêmio FBPA (@Gremio) <a href="https://twitter.com/Gremio/status/1636812400262299669?ref_src=twsrc%5Etfw">March 17, 2023</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2023.03.18 09:35 Sat2
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