華麗な技と熱きハートでJを席巻した“妖精”ドラガン・ストイコビッチ

2019.10.25 08:00 Fri
©︎J.LEAGUE
豊富なテクニックや創造性を持ち合わせた選手を多く輩出し、“東欧のブラジル”と称されたユーゴスラビア代表。しかし、その栄光は長くは続かなかった。

強豪国として、ヨーロッパで名を馳せていたものの、国家の解体に合わせて代表チームも1992年を最後に国際舞台から排除。制裁が解けた1998年のフランス大会がユーゴスラビアとして最後のワールドカップとなった。(後にセルビア・モンテネグロ代表やセルビア代表は出場)

そのユーゴスラビア代表の最後のメンバーであり、日本サッカー界にも多大なる影響を与えた男がいる。それが、ドラガン・ストイコビッチだ。
◆世界の舞台で活躍したキャプテン

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観客を魅了するプレーでJリーグの黎明期を支え、妖精を意味する“ピクシー”の愛称でも親しまれたストイコビッチ。ユーゴスラビア代表ではキャプテンを務め、同国の英雄でもあるストイコビッチは、キャプテンとして臨んだ母国最後のワールドカップで底力を見せつけた。

ドイツと同組になったユーゴスラビアは、初戦でイラン代表を下すと、2戦目のドイツ代表戦はストイコビッチを中心とした華麗なサッカーで試合を支配。自らもゴールを決め、一時は2-0とリードしたものの、結果は2-2のドローに終わった。
その後の3戦目のアメリカ代表戦にも勝利。グループリーグを2位で通過すると、決勝トーナメント1回戦ではオランダ代表と対戦。ストイコビッチが華麗にFKから同点弾をアシストしたが、後半アディショナルタイムに失点し、最後のワールドカップはベスト16に終わった。

ユーゴスラビアとして最後のワールドカップに出場したストイコビッチ。その舞台に立った時、すでにストイコビッチは名古屋グランパスでプレーしていた。
◆日本に衝撃を与えた“妖精”

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遡ること4年、1994年6月にストイコビッチは日本へとやってくる。その当時所属していたのは、フランスの名門・マルセイユ。現在は日本代表DF酒井宏樹が所属しているクラブだ。

ストイコビッチは、自身が生まれたセルビアのニシュでプロキャリアをスタート。ラドニツキ・ニシュの下部組織に14歳で入団すると、16歳でトップチームへ昇格。18歳でユーゴスラビア代表デビューを果たしている。

また、1984年のユーロでは、当時の大会最年少ゴールを記録。同年のロサンゼルス・オリンピックでは銅メダル獲得に貢献するなど順調にキャリアを積んだ。

持ち前の華麗なテクニックは多くの者を魅了し、ストイコビッチの存在はヨーロッパでも知れ渡る。加えて、その後多くのJリーグファンも体感することになる“闘志”を持ち合わせており、そのメンタリティがJリーグ、特に名古屋グランパスを大きく変貌させた。

◆名将と妖精の共演、名古屋の栄光

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ストイコビッチは、最終的に2001年まで名古屋に所属し、そのまま現役引退となったが、長年Jリーグでプレーを続けた要因の1つが名将の登場だ。

マルセイユで1992-93シーズンにチャンピオンズリーグを制した一員であり、リーグ5連覇を達成していたストイコビッチだったが、マルセイユの八百長が発覚。この影響でマルセイユはリーグ降格の処分も下された結果、ストイコビッチは半年間限定でヨーロッパを離れると決断し、名古屋へと加入した。

加入当初は、Jリーグのジャッジに馴染めずレッドカードやイエローカードを多く提示されていたストイコビッチだったが、チームの低迷に伴い新指揮官にアーセン・ヴェンゲル監督が就任することが決定。これにより、ストイコビッチもチームに残る決断を下した。

1995年シーズンも開幕当初は退場を繰り返したストイコビッチだったが、徐々に本領を発揮。かつての輝きを取り戻すと、リーグ戦で15ゴールを記録。また、天皇杯ではサンフレッチェ広島との決勝で勝利し、チームにタイトルをもたらした。ヴェンゲル監督の戦術とストイコビッチにけん引されたチームはついに花開き、ストイコビッチはこのシーズンのJリーグMVPを受賞している。

後にアーセナルの指揮官になるため、1996年9月に名古屋を離れたヴェンゲル監督だったが、その際にストイコビッチを連れて行くつもりだったと後に明かしている。しかし、ストイコビッチは名古屋との契約を延長。「家族」への想いもあり、名古屋へ留まることを決意する。
◆“イナット”でチームを鼓舞

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ユーゴスラビア代表でもキャプテンを務め、名古屋グランパスでもキャプテンを務めていたストイコビッチ。彼の人生は予想だにしない苦境の連続だった。

前述のマルセイユの八百長問題の前には、ユーゴスラビアが内戦の制裁を受けて1992年のユーロ出場権を剥奪。また、クロアチアがユーゴスラビアからの分離独立を宣言したことにより、ズボニミール・ボバンやダボル・シュケル、ロベルト・ヤルニらユーゴスラビアの主力選手がクロアチア国籍を選択し、チームを去っていった。

さらに、1999年にはNATO(北大西洋条約機構)によるユーゴスラビアへの空爆が開始。母国の政治問題にも翻弄されたサッカー人生だったが、ストイコビッチには“イナット”があった。

“イナット”とは、セルビア語で「意地」を意味するもの。追い込まれた状態を、一気にプラスに転換させるものであり、日本で言うところの「火事場の馬鹿力」だろうか。ストイコビッチは、この“イナット”でキャリアを積んできたと言ってもいい。

そのメンタリティは、名古屋でも影響を及ぼしている。Jリーグオリジナル10でありながら、優勝争いにすら加われていなかった名古屋だが、その闘志と“イナット”でストイコビッチはチームを牽引。ヴェンゲル監督の影響もあったが、チームは上位を争うチームに変貌を遂げた。

名古屋は、シーズン中に浮き沈みが激しいチームだったが、ここぞの場面でのストイコビッチのゴールがチームを救った。そして、諦めないメンタリティがチームメイトにも根付いていった。

ストイコビッチは、イエローカード、レッドカードを受ける回数が多かったのも、何もラフプレーが多かったわけではない。殆どが曖昧な判定への不服であり、抗議でカードを貰うことが少なくなかった。

プレー期間が長くない外国人選手だが、ストイコビッチは通算イエローカード数も外国人選手最多の72枚。レッドカードに至っては、Jリーグ最多の13枚だ。しかし、これは“イナット”の裏返しとも言える。

まだまだヨーロッパに比べてレベル差があった当時のJリーグでは、審判の能力も当然のことながら低かった。ストイコビッチは、自分が異を唱えることで、Jリーグのレベルと同時に、審判のレベルをも向上させていたのだ。

もちろん、自身が出場停止になることでチームの成績が落ちることもあったが、それすらもチームメイトを成長させた。華麗なテクニック、ゲームをコントロールする能力がありながら、メンタル面からもチームを鍛え直す、真の意味での“闘将”でもあったのだ。

◆妖精の魔法は続く

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名古屋で現役を退いたストイコビッチは、その後母国のサッカー協会会長や古巣であるツルヴェナ・ズヴェズダの会長を歴任した。

そして2008年、再び名古屋へと復帰。監督としてチームに戻ると、再び名古屋躍進の原動力となる。

就任1年目から、チームを優勝争いに押し上げると、2010年には名古屋にとって初となるJ1優勝を達成。間の2009年には、横浜F・マリノスのGK榎本哲也が蹴り出したボールを、革靴ながらダイレクトで蹴り返すと、ボールは見事にワンバウンドでゴールに吸い込まれた。(すぐに退席処分となったが、このシーンは世界中で話題となった)

引退してもなおチームに活力を与えたストイコビッチ。選手として、監督として名古屋に栄光をもたらせた“レジェンド”だ。常勝軍団である鹿島アントラーズにおけるジーコのような存在と言ってもよいかもしれない。

名古屋ファン、サポーターだけでなく、Jリーグのファン・サポーターにも愛されるストイコビッチ。華麗なテクニックと熱いハートを持つ“妖精”は今なお魅了し続けているのかもしれない。
《超ワールドサッカー編集部・菅野剛史》
多くのJリーグファンを虜にしたドラガン・ストイコビッチが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!

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豊富なテクニックや創造性を持ち合わせた選手を多く輩出し、“東欧のブラジル”と称されたユーゴスラビア代表。しかし、その栄光は長くは続かなかった。 強豪国として、ヨーロッパで名を馳せていたものの、国家の解体に合わせて代表チームも1992年を最後に国際舞台から排除。制裁が解けた1998年のフランス大会がユーゴスラビアとして最後のワールドカップとなった。(後にセルビア・モンテネグロ代表やセルビア代表は出場) そのユーゴスラビア代表の最後のメンバーであり、日本サッカー界にも多大なる影響を与えた男がいる。それが、ドラガン・ストイコビッチだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆世界の舞台で活躍したキャプテン</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191017_13_tw3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 観客を魅了するプレーでJリーグの黎明期を支え、妖精を意味する“ピクシー”の愛称でも親しまれたストイコビッチ。ユーゴスラビア代表ではキャプテンを務め、同国の英雄でもあるストイコビッチは、キャプテンとして臨んだ母国最後のワールドカップで底力を見せつけた。 ドイツと同組になったユーゴスラビアは、初戦でイラン代表を下すと、2戦目のドイツ代表戦はストイコビッチを中心とした華麗なサッカーで試合を支配。自らもゴールを決め、一時は2-0とリードしたものの、結果は2-2のドローに終わった。 その後の3戦目のアメリカ代表戦にも勝利。グループリーグを2位で通過すると、決勝トーナメント1回戦ではオランダ代表と対戦。ストイコビッチが華麗にFKから同点弾をアシストしたが、後半アディショナルタイムに失点し、最後のワールドカップはベスト16に終わった。 ユーゴスラビアとして最後のワールドカップに出場したストイコビッチ。その舞台に立った時、すでにストイコビッチは名古屋グランパスでプレーしていた。 <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=http://redirect.sega-net.com/rtw/191017_73658.html&c=sega_20191017_1">今ならストイコビッチが手に入る!<br />≪『サカつくRTW』はこちら≫</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆日本に衝撃を与えた“妖精”</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191017_13_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 遡ること4年、1994年6月にストイコビッチは日本へとやってくる。その当時所属していたのは、フランスの名門・マルセイユ。現在は日本代表DF酒井宏樹が所属しているクラブだ。 ストイコビッチは、自身が生まれたセルビアのニシュでプロキャリアをスタート。ラドニツキ・ニシュの下部組織に14歳で入団すると、16歳でトップチームへ昇格。18歳でユーゴスラビア代表デビューを果たしている。 また、1984年のユーロでは、当時の大会最年少ゴールを記録。同年のロサンゼルス・オリンピックでは銅メダル獲得に貢献するなど順調にキャリアを積んだ。 持ち前の華麗なテクニックは多くの者を魅了し、ストイコビッチの存在はヨーロッパでも知れ渡る。加えて、その後多くのJリーグファンも体感することになる“闘志”を持ち合わせており、そのメンタリティがJリーグ、特に名古屋グランパスを大きく変貌させた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆名将と妖精の共演、名古屋の栄光</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191017_13_tw4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> ストイコビッチは、最終的に2001年まで名古屋に所属し、そのまま現役引退となったが、長年Jリーグでプレーを続けた要因の1つが名将の登場だ。 マルセイユで1992-93シーズンにチャンピオンズリーグを制した一員であり、リーグ5連覇を達成していたストイコビッチだったが、マルセイユの八百長が発覚。この影響でマルセイユはリーグ降格の処分も下された結果、ストイコビッチは半年間限定でヨーロッパを離れると決断し、名古屋へと加入した。 加入当初は、Jリーグのジャッジに馴染めずレッドカードやイエローカードを多く提示されていたストイコビッチだったが、チームの低迷に伴い新指揮官にアーセン・ヴェンゲル監督が就任することが決定。これにより、ストイコビッチもチームに残る決断を下した。 1995年シーズンも開幕当初は退場を繰り返したストイコビッチだったが、徐々に本領を発揮。かつての輝きを取り戻すと、リーグ戦で15ゴールを記録。また、天皇杯ではサンフレッチェ広島との決勝で勝利し、チームにタイトルをもたらした。ヴェンゲル監督の戦術とストイコビッチにけん引されたチームはついに花開き、ストイコビッチはこのシーズンのJリーグMVPを受賞している。 後にアーセナルの指揮官になるため、1996年9月に名古屋を離れたヴェンゲル監督だったが、その際にストイコビッチを連れて行くつもりだったと後に明かしている。しかし、ストイコビッチは名古屋との契約を延長。「家族」への想いもあり、名古屋へ留まることを決意する。 <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=http://redirect.sega-net.com/rtw/191017_73658.html&c=sega_20191017_2">今ならストイコビッチが手に入る!<br />≪『サカつくRTW』はこちら≫</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆“イナット”でチームを鼓舞</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191017_13_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> ユーゴスラビア代表でもキャプテンを務め、名古屋グランパスでもキャプテンを務めていたストイコビッチ。彼の人生は予想だにしない苦境の連続だった。 前述のマルセイユの八百長問題の前には、ユーゴスラビアが内戦の制裁を受けて1992年のユーロ出場権を剥奪。また、クロアチアがユーゴスラビアからの分離独立を宣言したことにより、ズボニミール・ボバンやダボル・シュケル、ロベルト・ヤルニらユーゴスラビアの主力選手がクロアチア国籍を選択し、チームを去っていった。 さらに、1999年にはNATO(北大西洋条約機構)によるユーゴスラビアへの空爆が開始。母国の政治問題にも翻弄されたサッカー人生だったが、ストイコビッチには“イナット”があった。 “イナット”とは、セルビア語で「意地」を意味するもの。追い込まれた状態を、一気にプラスに転換させるものであり、日本で言うところの「火事場の馬鹿力」だろうか。ストイコビッチは、この“イナット”でキャリアを積んできたと言ってもいい。 そのメンタリティは、名古屋でも影響を及ぼしている。Jリーグオリジナル10でありながら、優勝争いにすら加われていなかった名古屋だが、その闘志と“イナット”でストイコビッチはチームを牽引。ヴェンゲル監督の影響もあったが、チームは上位を争うチームに変貌を遂げた。 名古屋は、シーズン中に浮き沈みが激しいチームだったが、ここぞの場面でのストイコビッチのゴールがチームを救った。そして、諦めないメンタリティがチームメイトにも根付いていった。 ストイコビッチは、イエローカード、レッドカードを受ける回数が多かったのも、何もラフプレーが多かったわけではない。殆どが曖昧な判定への不服であり、抗議でカードを貰うことが少なくなかった。 プレー期間が長くない外国人選手だが、ストイコビッチは通算イエローカード数も外国人選手最多の72枚。レッドカードに至っては、Jリーグ最多の13枚だ。しかし、これは“イナット”の裏返しとも言える。 まだまだヨーロッパに比べてレベル差があった当時のJリーグでは、審判の能力も当然のことながら低かった。ストイコビッチは、自分が異を唱えることで、Jリーグのレベルと同時に、審判のレベルをも向上させていたのだ。 もちろん、自身が出場停止になることでチームの成績が落ちることもあったが、それすらもチームメイトを成長させた。華麗なテクニック、ゲームをコントロールする能力がありながら、メンタル面からもチームを鍛え直す、真の意味での“闘将”でもあったのだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆妖精の魔法は続く</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20191017_13_tw5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">©︎J.LEAGUE<hr></div> 名古屋で現役を退いたストイコビッチは、その後母国のサッカー協会会長や古巣であるツルヴェナ・ズヴェズダの会長を歴任した。 そして2008年、再び名古屋へと復帰。監督としてチームに戻ると、再び名古屋躍進の原動力となる。 就任1年目から、チームを優勝争いに押し上げると、2010年には名古屋にとって初となるJ1優勝を達成。間の2009年には、横浜F・マリノスのGK榎本哲也が蹴り出したボールを、革靴ながらダイレクトで蹴り返すと、ボールは見事にワンバウンドでゴールに吸い込まれた。(すぐに退席処分となったが、このシーンは世界中で話題となった) 引退してもなおチームに活力を与えたストイコビッチ。選手として、監督として名古屋に栄光をもたらせた“レジェンド”だ。常勝軍団である鹿島アントラーズにおけるジーコのような存在と言ってもよいかもしれない。 名古屋ファン、サポーターだけでなく、Jリーグのファン・サポーターにも愛されるストイコビッチ。華麗なテクニックと熱いハートを持つ“妖精”は今なお魅了し続けているのかもしれない。 《超ワールドサッカー編集部・菅野剛史》<hr><div style="text-align:left;" id="cws_ad">多くのJリーグファンを虜にしたドラガン・ストイコビッチが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br /><br />天皇杯を制した1999年の名古屋グランパス時代のストイコビッチがゲームで復活する。あの興奮が『サカつくRTW』で蘇ること間違いなし。この機会に是非一度チェックしてみよう。</div><div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=http://redirect.sega-net.com/rtw/191017_73658.html&c=sega_20191017_3">今ならストイコビッチが手に入る!<br />≪『サカつくRTW』はこちら≫</a><hr></div> 2019.10.25 08:00 Fri
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「安らかにシニシャ」ストイコビッチ監督が、ユーゴスラビア代表として戦った同胞のミハイロビッチ氏を追悼「消えない足跡を残した」

セルビア代表のドラガン・ストイコビッチ監督が、苦楽を共にしたシニシャ・ミハイロビッチ氏を追悼した。 現役時代はユーゴスラビア代表、セルビア・モンテネグロ代表としても活躍し、その左足から繰り出されるFKの精度は世界でも有数だったミハイロビッチ氏。ボローニャの監督を務めていた2019-20シーズン前のキャンプ中に急性白血病を患っていることを告白。その後は、化学療法と骨髄移植を行いながら、ボローニャを指揮。3回目の化学療法を終えた後は現場に完全復帰していた。 しかし16日に53歳の若さで他界。また1人、サッカー界のレジェンドが息を引き取った。 ユーゴスラビア代表として共にプレーしたストイコビッチ氏は、自身のインスタグラムのストーリーズを更新。仲間を追悼した。 「安らかにシニシャ」 「君はフットボールの世界で消えない足跡を残した」 「君を偉大な人間として、決して諦めずに戦うことの模範となった人物として覚えておく」 ユーゴスラビア代表として最後の出場となった1998年のフランス・ワールドカップ(W杯)では共に出場。ストイコビッチ監督はキャプテンとして出場し、ミハイロビッチ氏は大会でFKを決めるなど、ベスト16進出を果たしていた。 2022.12.17 15:05 Sat

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「Jリーグチップス」が復刻! 「Jリーグの日」特別企画で実現、220種のカードから1枚付き、試合会場で合計3万3000袋配布

Jリーグは14日、5月15日の「Jリーグの日」を記念し、開幕当時に多くのファンに親しまれた「Jリーグチップス」を特別に復刻することを発表した。 1993年の開幕とともに人気を博した「Jリーグチップス(選手カード付)」が、32周年を迎えるJリーグに帰ってくることに。復刻版では、J1、J2、J3の全60クラブから各3名の合計180名に加え、1990年台の黎明期を支えたレジェンド35名、またJリーグ公認番組の特別カードも加えた、全220種のカードを制作している。 特別版の「Jリーグチップス」は、5月17日(土)、18日(日)に行われる試合を対象とし、来場者へ無料配布。配布される「Jリーグチップス」には、220種のカードのうち1枚がついてくることとなる。 また、「Jリーグチップス」の復刻をアピールする特別動画には、1993年のJリーグMVPである三浦知良の伝説的な受賞シーンを活用し、復刻のインパクトを表現。ナレーションは三浦本人が行っている。 なお、17日、18日にホームゲームが行われないクラブは、次のホームゲームにて配布されることとなる。その他、SNSキャンペーンでもプレゼントが予定されている。 復刻するレジェンド選手は、1993年のオールスター選出選手を中心に、1993年ベストイレブンや、1990年代の記録保持者の中から35名がカード化。Jリーグ公認の5つの番組の出演者がカードとなった特別カード5種も加わっている。 また、各クラブ1名と三浦知良はキラカードもあるとのこと。久々に楽しめる「Jリーグチップス」を、ぜひ会場で手にしてもらいたい。 特別動画に出演した三浦は、ファン・サポーターへメッセージを送っている。 「Jリーグ32周年ということで、僕から見てもJリーグは大変盛り上がっていると思いますし、J1・J2・J3あわせて60チームまで増え、全国各地にクラブが存在しています。地域の方々とサッカーを通じた交流も深まっており、お年寄りから子どもまでがみんな一緒となってサッカーというものを通じてコミュニケーションを取れている場がJリーグということで、Jリーグが32年前に理想としていた地域密着型にどんどん近づいているじゃないかなと思います」 「そういう意味ではやはりファン・サポーターの皆さんの応援、お力添えが本当に大切だなと思って、いつも感謝の気持ちでいます。これからもJリーグを応援してもらいたいですし、選手たちはもちろん全力で戦うことに集中し、いいサッカーを見せてもらえたらなと思いますし、みんなでJリーグを今後も盛り上げていってもらいたいなと思います。いつもありがとうございます」 <h3>■「復刻版Jリーグチップス」をスタジアムで来場者に無料配布!</h3> 2025年5月17日(土)・18日(日)にホーム試合を開催する全30クラブのスタジアムにて、合計33,000袋を配布いたします。当日アウェイ側のクラブにつきましては、次節以降のホーム開催試合での配布を予定しております。 ・対象:5月17日(土)・18日(日)に開催されるJリーグ公式戦(J1・J2・J3)の来場者 ・配布数:合計33,000袋(J1:各2,000袋、J2:各1,000袋、J3:各300袋) ※一般販売はございません ※配布方法はスタジアムによって異なります。詳細は各クラブ公式サイトをご参照ください ※現役選手カードは各スタジアムで同一のカテゴリーに所属する選手のみが封入されております(例:J1会場ではJ1選手のみが封入)。レジェンド選手カード、公認番組カードはランダムとなります <h3>◆「復刻版Jリーグチップスカード 全220種コンプリートセット」などが当たる!SNSキャンペーンも実施</h3> 「復刻版Jリーグチップス」の配布期間中、どうしてもスタジアム観戦に行けない・・・そんな方も「Jリーグの日」を一緒にお楽しみいただけるよう、「復刻版Jリーグチップス」や、「復刻版Jリーグチップスカード 全220種コンプリートセット」が当たるSNSキャンペーンを実施します。 ①「復刻版Jリーグチップス」が100名様に当たる!フォロー&リポスト キャンペーン 参加条件:Jリーグの公式Xアカウントをフォロー キャンペーン投稿をリポストまたは引用リポスト 応募期間:5月31日(土)23:59まで ②「復刻版Jリーグチップスカード 全220種コンプリートセット」が3名様に当たる投稿キャンペーン 参加条件:Jリーグの公式Xアカウントをフォロー 「#Jリーグの日 #一生一喜一憂しようぜ」をつけて、Jリーグで心を揺さぶられた思い出・記憶を投稿 応募期間:5月31日(土)23:59まで <span class="paragraph-title">【動画】Jリーグチップス、復刻。 懐かしの映像をオマージュ</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="5UIgs_DMGO0";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> <span class="paragraph-title">【リスト】「復刻」したJリーグチップスのカード220名</span> <span data-other-div="movie2"></span> <h3>【J1】</h3> ◆鹿島アントラーズ 鈴木優磨(キラあり)、柴崎岳、レオ・セアラ ◆浦和レッズ 関根貴大(キラあり)、西川周作、渡邊凌磨 ◆柏レイソル 細谷真大(キラあり)、古賀太陽、小泉佳穂 ◆FC東京 長友佑都(キラあり)、森重真人、安斎颯馬 ◆東京ヴェルディ 森田晃樹(キラあり)、谷口栄斗、宮原和也 ◆FC町田ゼルビア 昌子源(キラあり)、谷晃生、相馬勇紀 ◆川崎フロンターレ 高井幸大(キラあり)、山田新、脇坂泰斗 ◆横浜F・マリノス アンデルソン・ロペス(キラあり)、永戸勝也、山根陸 ◆横浜FC ンドカ・ボニフェイス(キラあり)、福森晃斗、新井瑞希 ◆湘南ベルマーレ 福田翔生(キラあり)、鈴木章斗、石井久継 ◆アルビレックス新潟 稲村隼翔(キラあり)、長谷川元希、藤原奏哉 ◆清水エスパルス 乾貴士(キラあり)、北川航也、山原怜音 ◆名古屋グランパス マテウス・カストロ(キラあり)、和泉竜司、森島司 ◆京都サンガF.C. 川﨑颯太(キラあり)、ラファエル・エリアス、鈴木義宜 ◆ガンバ大阪 宇佐美貴史(キラあり)、中谷進之介、黒川圭介 ◆セレッソ大阪 香川真司(キラあり)、北野颯太、キム・ジンヒョン ◆ヴィッセル神戸 武藤嘉紀(キラあり)、山川哲史、大迫勇也 ◆ファジアーノ岡山 江坂任(キラあり)、スベンド・ブローダーセン、木村太哉 ◆サンフレッチェ広島 佐々木翔(キラあり)、大迫敬介、東俊希 ◆アビスパ福岡 紺野和也(キラあり)、岩崎悠人、松岡大起 <h3>【J2】</h3> ◆北海道コンサドーレ札幌 高嶺朋樹(キラあり)、宮澤裕樹、近藤友喜 ◆ベガルタ仙台 郷家友太(キラあり)、相良竜之介、林彰宏 ◆ブラウブリッツ秋田 小松蓮(キラあり)、山田元気、諸岡裕人 ◆モンテディオ山形 土居聖真(キラあり)、ディサロ燦シルヴァーノ、山田拓巳 ◆いわきFC 遠藤凌(キラあり)、谷村海那、山口大輝 ◆水戸ホーリーホック 渡邉新太(キラあり)、飯田貴敬、松原修平 ◆RB大宮アルディージャ 杉本健勇(キラあり)、市原吏音、泉柊椰 ◆ジェフユナイテッド千葉 田中和樹(キラあり)、鳥海晃司、鈴木大輔 ◆ヴァンフォーレ甲府 三平和司(キラあり)、小出悠太、河田晃兵 ◆カターレ富山 碓井聖生(キラあり)、松田力、田川知樹 ◆ジュビロ磐田 渡邊りょう(キラあり)、川島永嗣、倍井謙 ◆藤枝MYFC 浅倉廉(キラあり)、金子翔太、千葉寛汰 ◆レノファ山口FC 亀川諒史(キラあり)、有田稜、ニック・マルスマン ◆徳島ヴォルティス 渡大生(キラあり)、児玉駿斗、ルーカス・バルセロス ◆愛媛FC 石浦大雅(キラあり)、甲田英將、谷岡昌 ◆FC今治 マルクス・ヴィニシウス(キラあり)、梅木怜、近藤高虎 ◆サガン鳥栖 ヴィキンタス・スリヴカ(キラあり)、西川潤、堺屋佳介 ◆V・ファーレン長崎 マテウス・ジェズス(キラあり)、山口蛍、増山朝陽 ◆ロアッソ熊本 岩下航(キラあり)、古長谷千博、上村周平 ◆大分トリニータ 清武弘嗣(キラあり)、野村直輝、ペレイラ <h3>【J3】</h3> ◆ヴァンラーレ八戸 音泉翔眞(キラあり)、蓑田広大、永田一真 ◆福島ユナイテッドFC 森晃太(キラあり)、針谷岳晃、城定幹大 ◆栃木SC 五十嵐太陽(キラあり)、矢野貴章、福森健太 ◆栃木シティ 田中パウロ淳一(キラあり)、都倉賢、マテイ・ヨニッチ ◆ザスパ群馬 青木翔大(キラあり)、米原秀亮、山中惇希 ◆SC相模原 島川俊郎(キラあり)、武藤雄樹、福井和樹 ◆松本山雅FC 菊井悠介(キラあり)、大内一生、山本康裕 ◆AC長野パルセイロ 浮田健誠(キラあり)、山中麗央、忽那喬司 ◆ツエーゲン金沢 パトリック(キラあり)、西谷優希、西谷和希 ◆アスルクラロ沼津 齋藤学(キラあり)、川又堅碁、柳町魁耀 ◆FC岐阜 山田直輝(キラあり)、荒木大吾、外山凌 ◆FC大阪 久保吏久斗(キラあり)、橋本陸、山本透衣 ◆奈良クラブ 鈴木大誠(キラあり)、生駒稀生、岡田優希 ◆ガイナーレ鳥取 田中恵太(キラあり)、普光院誠、温井駿斗 ◆カマタマーレ讃岐 森川裕基(キラあり)、後藤優介、左合修土 ◆高知ユナイテッドSC 小林心(キラあり)、福宮弘乃介、佐々木敦河 ◆ギラヴァンツ北九州 永井龍(キラあり)、樺山諒乃介、井澤春輝 ◆テゲバジャーロ宮崎 阿野真拓(キラあり)、橋本啓吾、井上怜 ◆鹿児島ユナイテッドFC 福田望久斗(キラあり)、山口卓己、武星弥 ◆FC琉球 富所悠(キラあり)、藤春廣輝、鈴木順也 <h3>【選手OB】</h3> 真田雅則(93年オールスター/WEST) 大嶽直人(93年オールスター/WEST) モネール(93年オールスター/WEST) 堀池巧(93年オールスター/WEST) 森保一(93年オールスター/WEST) 澤登正朗(93年オールスター/WEST) ジョルジーニョ(93年オールスター/WEST) 向島建(93年オールスター/WEST) 長谷川健太(93年オールスター/WEST) 永島昭浩(93年オールスター/WEST) ディド・ハーフナー(93年オールスター/WEST) 和田昌裕(93年オールスター/WEST) 三浦泰年(93年オールスター/WEST) 前田治(93年オールスター/WEST) 松永成立(93年オールスター/EAST) 勝矢寿延(93年オールスター/EAST) 中西永輔(93年オールスター/EAST) 井原正巳(93年オールスター/EAST) 加藤久(93年オールスター/EAST) 木村和司(93年オールスター/EAST) ラモス瑠偉(93年オールスター/EAST) リトバルスキー(93年オールスター/EAST) サントス(93年オールスター/EAST) 三浦知良(93年オールスター/EAST) 菊池新吉(93年オールスター/EAST) 北澤豪(93年オールスター/EAST) 柱谷哲二(93年オールスター/EAST) 柱谷幸一(93年オールスター/EAST) 大野俊三(93年ベストイレブン) 本田泰人(93年ベストイレブン) 風間八宏(日本人選手第一号ゴール) ジーコ(初代ハットトリック) 福田正博(日本人初得点王/1995) 本並健治(93年のオールスターに選出されていたが大怪我で出場せず) 城彰二(高卒ルーキーデビュー戦ゴール第1号) <h3>【公認番組】</h3> ◆KICK OFF!J 増嶋竜也、安田理大、福田正博、中澤佑二 ◆ラブ!!Jリーグ りんたロー。、せいや ◆FOOT×BRAIN+ 勝村政信、中根舞美 ◆MONDAY FOOTBALL みんなのJ 小野伸二 ◆オフ・ザ・ピッチ 小木博明 2025.05.14 15:55 Wed
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関西学生選抜と対戦するU-22 Jリーグ選抜メンバーが発表! G大阪のMF名和田我空や清水MF嶋本悠大など

日本サッカー協会(JFA)とJリーグは1日、「JFA/J リーグポストユースマッチ」の第2回活動に臨む、U-22 Jリーグ選抜のメンバーを発表した。 「JFA/J リーグポストユースマッチ」は、23歳以下の世代を中心としたポストユース世代の発掘・強化を目的としたものとなり、12日、13日に活動が行われ、13日には関西学生選抜と対戦する。 U-20日本代表コーチの菅原大介氏が監督を務め、コーチには日本代表コーチの前田遼一氏、ガンバ大阪のコーチを務める遠藤保仁氏、サンフレッチェ広島でコーチを務める青山敏弘氏が就任している。 今回のメンバーには、J1での出場経験のある選手たちも顔を揃え、ガンバ大阪のMF名和田我空や清水エスパルスのMF嶋本悠大、サンフレッチェ広島のFW井上愛簾などが顔を揃えている。 <h3>◆U-22 Jリーグ選抜メンバー</h3> GK 張奥林(ガンバ大阪) 内山翔太(アルビレックス新潟) DF 北島郁哉(サガン鳥栖) 野田裕人(川崎フロンターレ) 田所莉旺(V・ファーレン⾧崎) 土屋櫂大(川崎フロンターレ) 松本遥翔(鹿島アントラーズ) 森壮一朗(名古屋グランパスU-18) MF 平賀大空(京都サンガF.C.) 由井航太(福島ユナイテッドFC) 揚石琉生(栃木SC) 名和田我空(ガンバ大阪) 嶋本悠大(清水エスパルス) 西原源樹(清水エスパルス) 濱﨑健斗(ヴィッセル神戸U-18) FW 杉浦駿吾(名古屋グランパス) ワッド・モハメッド・サディキ(FC琉球) 井上愛簾(サンフレッチェ広島) 2025.05.11 21:15 Sun
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名古屋がチームのピンチを救ったGKピサノアレックス幸冬堀尾とプロA契約締結「チームを勝たせられる選手に」

名古屋グランパスは16日、GKピサノアレックス幸冬堀尾(19)とのプロA契約締結を発表した。 ピサノは名古屋のU-18出身。2024年にトップチームに昇格すると、YBCルヴァンカップの大宮アルディージャ(現:RB大宮アルディージャ)戦でデビューしていた。 2025シーズンも出番がなかなかなかった中、5月3日の清水エスパルス戦でGKシュミット・ダニエルが直前でアクシデントとなり急遽先発出場。無失点に抑えると、3試合連続先発起用され、チームも無敗を保っている。 ピサノは11日に行われた京都サンガF.C.戦でプロA契約締結条件を達成していた。ピサノはクラブを通じてコメントしている。 「このたび、プロA契約を締結することができ、大変嬉しく思います。チームの勝利と個人の成長のためにこれからも全力を尽くし、チームを勝たせられる選手になれるようにこれからも頑張りたいと思います。 引き続き応援よろしくお願いします!」 2025.05.16 19:55 Fri
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福岡が土壇場の金森健志の今季初ゴールで勝ち点1をもぎ取る!名古屋は終盤先制も決めきれずにドロー【明治安田J1第17節】

17日、明治安田J1リーグ第17節でアビスパ福岡と名古屋グランパスがベスト電器スタジアムで対戦した。 一時は首位に立つも6戦未勝利で12位まで転落した福岡。3連敗中と苦しい流れの中、前節からは4名を変更。永石拓海、橋本悠、見木友哉、シャハブ・ザヘディが外れ、村上昌謙、田代雅也、前嶋洋太、紺野和也が入った。 対する名古屋は降格圏で苦しんでいた中、直近3試合は負けなしの1勝2分け。前節からは2名を変更し、河面旺成、内田宅哉が外れ、佐藤瑶大、徳元悠平が入った。 苦境を抜け出したいホームの福岡。しかし13分、名古屋は敵陣でボールを奪うと、パスを受けた和泉竜司がミドルシュートを狙うが、わずかに枠を越える。 さらに18分、再び名古屋は敵陣でビルドアップを奪うと、パスを受けたマテウス・カストロがボックス手前から左足ミドルも枠を外れていく。 福岡は20分、紺野のパスをボックス手前で受けた名古新太郎がシュートも力なく枠に飛ばず。23分には前線でボールを奪い、最後は岩崎悠人がシュートもオフサイドとなる。 名古屋は28分、マテウス・カストロがボールを奪うと、ダイレクトで横パスを繋ぐと、最後は折り返しを走り込んだ稲垣祥がシュートも枠外。福岡は35分、紺野の右サイドからのクロスを、ファーサイドで 志知孝明がヘッドで合わせるが、枠を捉えられない。 互いにゴールが遠い中で、前半はゴールレスで終了。後半も立ち上がりから名古屋のペースで試合が進み、攻め込んでいくが、やはりゴールが遠い。 福岡はなかなか攻撃で良い形が作れず、名古屋の圧力に負けていく中で、試合は終盤へ。すると81分に名古屋がワンチャンスをものにする。 原輝綺のスルーパスで背後を取った中山克広がボックス内右からグラウンダーのクロス。ファーサイドに走り込んだ徳元がしっかりと合わせ、名古屋が終盤に先制に成功する。 福岡は終盤で手痛い失点を喫した中、残り時間はなし。ラストプレーとなった後半アディショナルタイム5分、松岡がゴール前にアバウトにボールを入れるも、三國ケネディエブスがヘディングでクリア。しかしこれが藤本一輝に当たると、こぼれ球を金森健志が蹴り込み土壇場で同点に追いつく。 その後も福岡は攻め込んだが同点止まり。福岡は連敗を「3」でストップ。名古屋は追いつかれた中で、4戦負けなしとなった。 アビスパ福岡 1-1 名古屋グランパス 【福岡】 金森健志(後45+5) 【名古屋】 徳元悠平(後36) 2025.05.17 16:35 Sat
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“Jリーグの日”5月15日からJリーグがYouTube&TikTokで32試合フルマッチライブ配信! 各シーズンの名試合を1試合ずつ厳選

Jリーグは9日、Jリーグ開幕32周年を記念して、過去のリーグ戦32試合をJリーグ公式YouTube・TikTokチャンネルにて連続ライブ配信することを発表した。 1993年5月15日に開幕したJリーグ。今年で32周年を迎える中、Jリーグの日 特別企画として5月15日(木)の5時15分から「32試合フルマッチライブ配信」を実施する。 5月17日(土)の12時40分まで、連続して32試合のフルマッチを配信。1993シーズンから2024シーズンのリーグ戦のうち、毎シーズン1試合をピックアップして配信します。2016年以前の試合については、実況・解説を再収録して行われる。 なお、アーカイブは行われないため、ライブ配信でのみ楽しめることとなる。 <h3>◆Jリーグの日特別企画 32試合フルマッチライブ配信リスト</h3> ・1993年 Jリーグサントリーシリーズ 第1節 ヴェルディ川崎 vs 横浜マリノス 実況:平畠啓史 / 解説:水沼貴史 ・1994年 Jリーグサントリーチャンピオンシップ 第2節 ヴェルディ川崎 vs サンフレッチェ広島 実況:平畠啓史 / 解説:水沼貴史 ・1995年 Jリーグサントリーシリーズ 第13節 ベルマーレ平塚 vs 鹿島アントラーズ 実況:八塚浩 / 解説:名良橋晃 ・1996年 Jリーグ 第29節 鹿島アントラーズ vs 名古屋グランパスエイト 実況:八塚浩 / 解説:名良橋晃 ・1997年 Jリーグ1stステージ 第1節 ガンバ大阪 vs ベルマーレ平塚 実況:原大悟 / 解説:永島昭浩 ・1998年 Jリーグ2ndステージ 第8節 ジュビロ磐田 vs ジェフユナイテッド市原 実況:永田実 / 解説:松原良香 ・1999年 サントリーチャンピオンシップ 第2戦 清水エスパルス vs ジュビロ磐田 実況:永田実 / 解説:松原良香 ・2000年 Jリーグ ディビジョン1 2ndステージ第15節 ヴィッセル神戸 vs 京都サンガF.C. 実況:原大悟 / 解説:永島昭浩 ・2001年 サントリーチャンピオンシップ 第2戦 鹿島アントラーズ vs ジュビロ磐田 実況:八塚浩 / 解説:名良橋晃 ・2002年 Jリーグ ディビジョン1 1stステージ 第12節 ジュビロ磐田 vs ガンバ大阪 実況:桑原学 / 解説:福西崇史 ・2003年 Jリーグ ディビジョン1 2ndステージ 第15節 横浜F・マリノス vs ジュビロ磐田 実況:原大悟 / 解説:長谷川アーリアジャスール ・2004年 Jリーグ ディビジョン1 1stステージ 第1節 ヴィッセル神戸 vs ジェフユナイテッド市原 実況:下田恒幸 / 解説:水沼貴史 ・2005年 Jリーグ ディビジョン1 第34節 川崎フロンターレ vs ガンバ大阪 実況:下田恒幸 / 解説:水沼貴史 ・2006年 Jリーグ ディビジョン1 第34節 浦和レッズ vs ガンバ大阪 実況:原大悟 / 解説:坪井慶介 ・2007年 Jリーグ ディビジョン1 第1節 浦和レッズ vs 横浜FC 実況:原大悟 / 解説:坪井慶介 ・2008年 Jリーグ ディビジョン1 第34節 ジェフユナイテッド市原 vs FC東京 実況:桑原学 / 解説:石川直宏 ・2009年 Jリーグ ディビジョン1 第34節 浦和レッズ vs 鹿島アントラーズ 実況:原大悟 / 解説:坪井慶介 ・2010年 Jリーグ ディビジョン1 第12節 FC東京 vs 清水エスパルス 実況:桑原学 / 解説:石川直宏 ・2011年 Jリーグ ディビジョン1 第7節 川崎フロンターレ vs ベガルタ仙台 実況:平畠啓史 / 解説:ワッキー ・2012年 Jリーグ ディビジョン1 第33節 サンフレッチェ広島 vs セレッソ大阪 実況:平畠啓史 / 解説:柿谷曜一朗 ・2013年 Jリーグ ディビジョン1 第33節 セレッソ大阪 vs 鹿島アントラーズ 実況:平畠啓史 / 解説:柿谷曜一朗 ・2014年 J1昇格プレーオフ 準決勝 ジュビロ磐田 vs モンテディオ山形 実況:原大悟 / 解説:坪井慶介 ・2015年 明治安田生命 Jリーグチャンピオンシップ 決勝 第1戦 ガンバ大阪 vs サンフレッチェ広島 実況:永田実 / 解説:藤本淳吾 ・2016年 明治安田生命J1リーグ 1stステージ第5節 ガンバ大阪 vs 横浜F・マリノス 実況:永田実 / 解説:藤本淳吾 ・2017年 明治安田生命J1リーグ 第34節 川崎フロンターレ vs 大宮アルディージャ 実況:西岡明彦 / 解説:名良橋晃 ・2018年 明治安田生命J1リーグ 第21節 ヴィッセル神戸 vs ジュビロ磐田 実況:寺西裕一 / 解説:佐藤慶明 ・2019年 明治安田生命J2リーグ 第42節 柏レイソル vs 京都サンガF.C. 実況:原大悟 / 解説:松原良香 ・2020年 明治安田生命J1リーグ 第30節 川崎フロンターレ vs 横浜F・マリノス 実況:下田恒幸 / 解説:福田正博 ・2021年 明治安田生命J1リーグ 第26節 アビスパ福岡 vs 川崎フロンターレ 実況:南鉄平/ 解説:森﨑浩司 ・2022年 明治安田生命J1リーグ 第24節 川崎フロンターレ vs 横浜F・マリノス 実況:西岡明彦 / 解説:福田正博 ・2023年 J1昇格プレーオフ 決勝 東京ヴェルディ vs 清水エスパルス 実況:原大悟 / 解説:清水範久 ・2024年 明治安田J1リーグ 第1節 東京ヴェルディ vs 横浜F・マリノス 実況:下田恒幸 / 解説:水沼貴史、槙野智章 <span class="paragraph-title”>【動画】Jリーグの日特別企画 32試合フルマッチライブ配信!</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="CFavXpQ3W5w";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2025.05.09 14:15 Fri

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