マルディーニ氏に続きカカ氏も?レオナルド氏が入閣の可能性を示唆
2018.08.07 14:45 Tue
ミランのテクニカル・ディレクターであるレオナルド氏が6日、パオロ・マルディーニ氏のミラン幹部就任会見に出席し、レジェンドの入閣を歓迎したほか、元ブラジル代表カカ氏も加わる可能性を示唆した。イタリア紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』が6日、伝えている。
長らく幹部入りの可能性が報じられてきたレジェンド、マルディーニ氏のミラン復帰が正式に発表された。レオナルド氏は旧友との再会を喜んでいる。
「パオロの返事は以前から取り付けていた。ここは彼の家だ。彼のそばで仕事ができることを嬉しく思う。彼の堅実で努力家である面が好きだが、これはミランの選手に相応しい態度であると言える。マルディーニとは、21年前からお互いを知っている。彼は友人であり、だからこそ仕事を共有したいと思った。彼の存在は私にとって力になる」
「勝者ミランの歴史を象徴する人物でもある。彼のようなチームへの忠誠、勝利のシンボルでもある唯一無二の存在を持つクラブは他にない。(ジェンナーロ)とともに、トライアングルを組んで協力していきたい。結果がもたらされることを願っている。以前のようにカップ戦で優勝できるようにならなければならない」
続いてレオナルド氏は、ブラジル代表の後輩であるカカ氏のフロント入りの可能性を示唆した。カカ氏も2003年から2009年にかけてミランに在籍し、チャンピオンズリーグ制覇など、“ロッソネーリ”黄金期を支えた。昨年12月にMLSのオーランド・シティで現役引退を発表していた。
「リッキーは参加の意思を表明してくれた。クラブとは絆で結ばれているだろう。どのような形になるかは分からないが、彼は幹部としての仕事を学ぶことに意欲的だ。9月にはここへ来てくれると思う。だが想像力を働かせるのは待ってくれ…ここへ来る目的は、まず連絡を取るためだ。はっきりとした役職もない」
提供:goal.com
長らく幹部入りの可能性が報じられてきたレジェンド、マルディーニ氏のミラン復帰が正式に発表された。レオナルド氏は旧友との再会を喜んでいる。
「パオロの返事は以前から取り付けていた。ここは彼の家だ。彼のそばで仕事ができることを嬉しく思う。彼の堅実で努力家である面が好きだが、これはミランの選手に相応しい態度であると言える。マルディーニとは、21年前からお互いを知っている。彼は友人であり、だからこそ仕事を共有したいと思った。彼の存在は私にとって力になる」
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「リッキーは参加の意思を表明してくれた。クラブとは絆で結ばれているだろう。どのような形になるかは分からないが、彼は幹部としての仕事を学ぶことに意欲的だ。9月にはここへ来てくれると思う。だが想像力を働かせるのは待ってくれ…ここへ来る目的は、まず連絡を取るためだ。はっきりとした役職もない」
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1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.25</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">2003-2004シーズン/ミラン 〜アンチェロッティのピルロシステム〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/2003-04milan.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:カルロ・アンチェロッティ(44) 獲得タイトル:セリエA 攻撃力8:★★★★★★★★☆☆ 守備力9:★★★★★★★★★☆ タレント9:★★★★★★★★★☆ 連係9:★★★★★★★★★☆ 選手層8:★★★★★★★★☆☆ </p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">セリエAで圧倒</div> 1980年代にサッキ、1990年代にカペッロの下で黄金期を築いたミランは、2000年代ではアンチェロッティ監督に率いられて名門としての強さを誇示した。2002-03シーズンにユベントスとの激闘を制してCLのタイトルを獲得したミランは、アンチェロッティ体制下3年目のシーズンである2003-04シーズン、さらに磐石なチームへと昇華する。 まずは、ローマからカフーを獲得し、ウィークポイントだった右サイドバックを補強。さらに、当時まだ無名だったカカをサンパウロから招き入れた。そのカカはすぐさまチームに馴染み、ルイ・コスタからトップ下のポジションを奪った。そして、セリエAでは一貫した強さを披露。第18節以降から首位の座を守り、当時の最多勝ち点記録(勝ち点82)を更新してスクデットを獲得した。 ただ、CLでは思わぬ展開となった。決勝トーナメント準々決勝でデポルティボと対戦したチームは、1stレグをホームで4-1と快勝。しかし、リアソールでの2ndレグでは“スーペル・デポル”の破壊力に屈して0-4の大逆転劇を許し、まさかの敗退。大会2連覇を成し遂げることはできなかった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピルロ・システム</div> 選手時代にもミランで活躍したアンチェロッティはこのシーズン、ピルロを生かすためのスタイルを確立。守備の時間を減らすためにポゼッションを高め、ピルロに自由を与えながらも、その脇のガットゥーゾやアンブロジーニを守備に集中させ、攻守のバランスを保った。 両サイドバックが比較的高い位置を取ったが、ガットゥーゾやセードルフ、アンブロジーニが卓越した戦術眼でうまくカバー。さらに、マルディーニとネスタという当時世界でも指折りのセンターバック2枚が安定した守備を披露し、相手の攻撃を未然に防いでいった。 攻撃面では、ピルロから送られる良質なロングボールを軸に、前線3枚を中心としたカウンターが大きな武器だった。このシーズンのシェフチェンコは確かな決定力を発揮し、自身2度目のセリエA得点王に輝いている。その他、FWとしてマルチなプレーを見せるトマソン、相手DFとの巧みな駆け引きからゴールを奪うインザーギらアタッカー陣の質も高かった。そして、新進気鋭のカカは高速ドリブルで攻撃に幅を持たせ、チームに不可欠な存在となった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">MFアンドレア・ピルロ(25)</span> インテル時代など、元々トレクァルティスタ(トップ下)を主戦場としていたが、レジスタ(中盤の底)へのポジション変更を機にその才能が一気に開花。卓越したボールコントロールと高精度のパスでピッチにアートを描いた。その決定的なパスは相手DFを絶望の淵に陥れたほど。両脇にガットゥーゾやセードルフといった戦術眼に優れた選手が守備力を補ってくれたことで、自身の能力を思う存分に発揮することが可能だった。 2019.04.15 22:00 Mon4
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