31歳アストーリの訃報を受け、恩師らが体調不良に…元フィオレンティーナ同僚は失神

2018.03.05 17:54 Mon
フィオレンティーナの主将DFダビデ・アストーリの急逝の知らせを受け、恩師であるカリアリの指揮官ディエゴ・ロペスらが体調不良を訴えた。『Goal』の取材により明らかとなった。

アストーリは2008年から2014年までカリアリに所属。1998年からカリアリでプレーし、引退後は下部組織やトップチームの指導者としてチームに残ったロペスにとって、31歳のDFはチームメートであり、教え子だった。その後、ボローニャやパレルモの指揮官を経て、昨年10月、カリアリに復帰。4日は、ランチタイムにキックオフが予定されていたジェノア戦に向けて敵地で準備を進めていた。指揮官はアストーリの訃報の知らせを受けると、体調不良を訴えた。

一方、今冬の移籍市場でフィオレンティーナを退団し、エスパニョールに加入したMFカルロス・サンチェスも大きなショックを受けている。アストーリとは1年半にわたりフィレンツェでともにプレー。4日、リーガ・エスパニョーラでは第27節が通常通り開催され、コロンビア代表MFはレバンテ戦(1-1)終了後に元同僚の訃報を知らされた。C・サンチェスは直後に失神し、倒れないようチームメートに支えられる事態となった。ロッカールームへと引き上げた際は、涙を流し、悲嘆に打ちひしがれていたと伝えられている。

エスパニョールの主将MFビクトル・サンチェスは、「大丈夫だが、彼にとってつらい知らせだったようだ」とC・サンチェスの状態を説明した。なおスペインの報道によれば、コロンビア人MFはフィオレンティーナ時代のチームメートとともにアストーリの葬儀に出席するため、イタリアへ向かうようだ。


提供:goal.com

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<script>var video_id ="a6xzzZGKikI";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 同じ日本代表で左利き、ゲームを作るプレーが求められた2人は、選手と監督という立場が変わっても、何かでつながっていたのだろう。それだけ会心のゴールであり、喜びを分かち合いたくなるものだった。 今なお、チームの練習に参加し、サッカーを続けている中村。今後は指導者になることは予てから口にしていたが、理想の監督像は作らないようにしているという。 「選手の時はありましたが、それはあまり作らない方が良いのかなと。自分の感覚とか、物差しでやると、逆に伝わらなかったり、良いことがないかもしれないんじゃないかなという感じでもいます」 「演じなければいけない時もあるかもしれないですし、B級(ライセンス)を取るときも、自分は答えをわかっているから教えすぎだと言われて、なるほどなと思いました。そこを促して、気付かせるということも大事だと思います。まだまだ色々なことを勉強しなければいけないので、今のところ作らないようにしています 型にハマった指導をせず、向き合う選手や状況に対応していきたいという考えもあるのだろう。数多くの監督の下でプレーし、様々な世界を経験したからこその決意なのかもしれない。 その中村だが、自身も称された“ファンタジスタ”について、今後期待する選手の名前を挙げた。それは「小野伸二ですね。そこは変わらないです」。北海道コンサドーレ札幌に所属する43歳は、中村も日本代表としても一緒にプレーした仲。そして、“ファンタジスタ”が再び必要になる時代が来ると考えているという。 「今の時代という言い方はあまり好きではないですが、中央はプレッシャーが360度きますが、そのポジションの選手が必要になる時が自分はあると思いますし、そういう人を逆に潰さないようにしていきたいという気持ちがあります」 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