サーニャにトリノ行きの可能性? ザッパコスタの後釜か
2017.09.03 14:39 Sun
▽昨季限りでマンチェスター・シティを退団して以降、フリーの状態が続くフランス代表DFバカリ・サーニャ(34)にトリノ行きの可能性が浮上している。イギリス『デイリー・メール』が伝えている。
▽2014年にアーセナルからシティに加入したサーニャは、以降の在籍3年間で公式戦86試合に出場。アルゼンチン代表DFパブロ・サバレタ(現ウェストハム)と共にシティの右サイドバックを担ってきたが、昨シーズン限りで契約が終了し、現在はフリーの状態が続いている。
▽34歳というキャリアの終盤を迎えながらも依然として完成度の高いベテランDFには、ウェストハムやブライトン&ホーヴ・アルビオンなどプレミア勢が関心を示しているが、現時点で同選手は国外でのプレーを望んでいるという。
▽その中で先日にイタリア代表DFダビデ・ザッパコスタをチェルシーに放出したトリノが、ベンフィカやスポルティング・リスボン、ベシクタシュと共に有力な新天地候補となっているようだ。
▽なお、トリノは昨シーズンにシティからイングランド代表GKジョー・ハート(現ウェストハム)を1年間のレンタルで獲得しており、ハートからの助言でサーニャがトリノ行きを決断する可能性は十分にありそうだ。
▽2014年にアーセナルからシティに加入したサーニャは、以降の在籍3年間で公式戦86試合に出場。アルゼンチン代表DFパブロ・サバレタ(現ウェストハム)と共にシティの右サイドバックを担ってきたが、昨シーズン限りで契約が終了し、現在はフリーの状態が続いている。
▽34歳というキャリアの終盤を迎えながらも依然として完成度の高いベテランDFには、ウェストハムやブライトン&ホーヴ・アルビオンなどプレミア勢が関心を示しているが、現時点で同選手は国外でのプレーを望んでいるという。
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