初出場のボスニア・HがW杯初勝利 イランは最下位で敗退《ブラジル・ワールドカップ》

2014.06.26 02:55 Thu
▽ブラジル・ワールドカップのグループF最終節、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表vsイラン代表がアルバドールのアレーナ・フォンチ・ノヴァで行われ、3-1でボスニア・Hが勝利を収めた。

▽連敗を喫してグループステージ敗退となったボスニア・Hは、第2節からスタメンを5人変更。大会初ゴールを挙げたイビセビッチなどが起用され、大会初勝利を目指した。一方のイランは、この最終節に勝利すれば、ナイジェリアの結果次第でグループステージ突破も可能となる。カルロス・ケイロス監督は、第2節と同じ先発メンバー11人を起用した。

▽試合は両チームのスタイル通り、ボスニア・Hがボールを保持してイランが自陣で守備を固める立ち上がりとなった。その中でボスニア・Hは、トップ下の位置に入ったピャニッチが自由に動いてボールに絡み、攻撃を構築する。3分には右サイドからヴァサジェビッチが入れたクロスをボックス右で収めたゼコがシュートを放つも、これはクロスバーの上に飛んだ。

▽ポゼッションで圧倒するボスニア・Hは、イランの堅守を崩すのに苦しむものの、エースの一振りで均衡を破る。23分、中央で仕掛けたゼコがボックス手前から左足を振り抜くと、鋭いシュートがゴール右隅に突き刺さり、ボスニア・Hが先制点を奪った。

▽リードを奪われたイランは直後の24分、右サイドの崩しからボックス右のショジャエイがシュート。しかし、これはクロスバーに弾かれ、こぼれ球に反応したゴーチャンネハドはオフサイドを取られる。同点のチャンスを逸したイランは、システムを[4-2-3-1]に変えてゴールを目指すも、1点のビハインドを負ったまま前半を終えた。

▽グループステージを突破するために勝利が必要なイランは、後半の頭からショジャエイを下げてヘイダリを同ポジションに投入。カルロス・ケイロス監督は、交代で状況の打開を図った。しかし、デヤガーが前線で奮闘するが、ボスニア・Hの守備を攻略するような攻撃を仕掛けられない。

▽イランの攻撃を難なく防ぐボスニア・Hは、追加点を奪うことに成功する。59分、敵陣でピャニッチがモンタゼリのパスをカットしてショートカウンターを発動。最後はスヴェン・スシッチのラストパスをボックス左で受けたピャニッチが丁寧にゴール右隅に流し込んだ。

▽2点差となり後がないイランは、ジャハンバクシュやアンサリファルドといった前線の選手を投入して逆転を目指す。すると、雨が強まってきた82分、CKの流れからボックス左に抜け出したネクナムの折り返しをゴーチャンネハドが押し込んでイランが1点を返した。

▽1点差に詰められたボスニア・Hだが、直後の83分にカウンターからサリホビッチのパスをボックス右で受けたヴァサジェビッチがシュートを決めてダメ押しゴールを奪取する。再びリードを広げたボスニア・Hは、このままイランの反撃を許さずに試合を終わらせて3-1で勝利。最終節でワールドカップ初勝利を飾った。一方のイランは、最下位でグループステージ敗退が決定した。

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