「才能の塊 」当時19歳の“悪童”バロテッリが決めた圧巻の無回転FK【ビューティフル・フリーキック】
2020.09.12 18:00 Sat
サッカーにおいて、試合を決める大きな要素の一つであるフリーキック(FK)。流れの中ではなく、止まった状態から繰り出されるキックがそのままゴールネットを揺らせば、盛り上がりは一気に最高潮へと達する。この企画『Beautiful Free Kicks』(美しいフリーキック)では、これまでに生まれたFKの数々を紹介していく。
今回は、元イタリア代表FWマリオ・バロテッリがインテル時代に決めたフリーキックだ。
気づけば30歳を迎えたバロテッリだが、頭角を現したのは2010年まで在籍したインテル時代だった。2009-10シーズンには当時まだ19歳ながら公式戦40試合に出場し11ゴール9アシストを記録。インテルの3冠達成に戦力として大きく貢献した。
2009年12月9日に行われたチャンピオンズリーグ(CL)グループステージのルビン・カザン戦では、そのポテンシャルを見せつける圧巻のFKを決めている。
バロテッリは2019-20シーズンから故郷のブレシアに加入。しかし、シーズン終盤にかけてはクラブとの確執により構想外に。加えて、ブレシアのセリエB降格に伴い、今夏の退団が決定的な状況。今後の動向に注目したところだ。
今回は、元イタリア代表FWマリオ・バロテッリがインテル時代に決めたフリーキックだ。
◆19歳のバロテッリが放った圧巻の無回転FK
気づけば30歳を迎えたバロテッリだが、頭角を現したのは2010年まで在籍したインテル時代だった。2009-10シーズンには当時まだ19歳ながら公式戦40試合に出場し11ゴール9アシストを記録。インテルの3冠達成に戦力として大きく貢献した。
2009年12月9日に行われたチャンピオンズリーグ(CL)グループステージのルビン・カザン戦では、そのポテンシャルを見せつける圧巻のFKを決めている。
インテルが1-0とリードして迎えた64分、ゴール正面の位置でFKを獲得する。ゴールまでは30m以上距離があったものの、キッカーのバロテッリは直線的な助走から右足を一閃。放たれた無回転シュートは、相手GKの目の前で大きくブレ、ゴール中央上に突き刺さった。
バロテッリは2019-20シーズンから故郷のブレシアに加入。しかし、シーズン終盤にかけてはクラブとの確執により構想外に。加えて、ブレシアのセリエB降格に伴い、今夏の退団が決定的な状況。今後の動向に注目したところだ。
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インテルのトルコ代表MFハカン・チャルハノールが古巣のミランやかつての同僚であるスウェーデン代表FWズラタン・イブラヒモビッチへの不満を露わにした。イタリア『スカイ』が伝えている。 2017年から加入したミランで10番としてプレーしてきたチャルハノールだが、昨夏に契約満了で退団すると、ライバルクラブであるインテルにフリー加入。これを裏切りと受け取ったミランファンからは激しい批判を浴びせられた。 チャルハノールは今季公式戦46試合に出場して8ゴール13アシストの成績を残し、国内カップ戦2冠を達成するなど加入シーズンながら上々の成績を残したが、スクデットは古巣のミランに奪われている。 トルコ『Tivibu Spor』のインタビューに応じたチャルハノールは今季を振り返り、スクデットこそ逃したもののインテルには満足しているとコメント。その上で、ミランではファンから冷たい仕打ちを受けていたことへの不満も漂わせた。 「新しいチームに適応するのは困難だったけど、一生懸命働いたよ。イタリア王者のクラブに加われるとわかって、それは僕にとって素晴らしいチャンスになった」 「チームはスクデットを獲得できず、代わりに古巣が獲得したせいで、人々はまるで僕に責任があるかのように言ってきた。ただ、インテルではとても幸せであり、ファンのサポートはとても助かるよ。ミランで4年間プレーしても、スタンドのファンは誰も僕の名前を歌わなかった。でもインテルではウォーミングアップをするだけで、毎回歌ってくれる」 また、チャルハノールはミランの優勝パレードにおいて、「ハカンに言いたいことはあるか?」とファンに問いかけるなど、自身を挑発してきたイブラヒモビッチに反撃。今季はケガもあり存在感を示せなかった選手による、注目されるためのアピールだったと感じているようだ。 「イブラヒモビッチは18歳ではなく、40歳の男だ。ただただ、注目されるのが好きなんだろうね。彼は今シーズンのスクデット獲得には何も貢献せず、そもそもほとんどプレーしていなかった。だからこそ、とにかく注目されたいがため何でもするんだろう」 「ミラン時代、いつも彼は僕に電話をかけてきて、食事やバイクに誘ってくれた。とても尊敬していたが、自分の本にも僕のことを書いたようだね。何か書かないと、空白になってしまうからだろう。正直なところ、気にしないのが一番だよ」 2022.06.23 12:35 Thu4
「時々サッカーが恋しくて悲しい」トニ・クロース氏が近況と“イタリアサッカー”を語る「セリエAでプレーするとしたら…」
元ドイツ代表MFのトニ・クロース氏が近況を語った。 昨季限りでスパイクを脱いだ稀代の名手、トニ・クロース。比類なきプレーメーカーを失ったエル・ブランコ、レアル・マドリーに全くもってその影響がないと言えば、嘘になる。 クロース氏は16日、2024年ゴールデンボーイ賞への出席でイタリア・トリノへ。主催者であるイタリア『トゥットスポルト』のインタビューで、近況を語っている。 「最近? 幸せを享受していて、おかげさまで忙しいよ。ときどきサッカーが恋しくなるのは否定しない。6歳から続けてきたスポーツを離れ、改めて人生がサッカー中心に回っていたのだと実感したね。そう考えると、少し悲しい」 「とはいえ、人生で“章”を閉じるべき瞬間は必ずやってくる。次の章へ進まねばならないから決断したんだ。ありがたいことにサッカーで色々勝ち取ってきたしね。満足感がある…でも、やっぱり悲しさに包まれる日もある」 “イタリアサッカーは再興していますか?” 「ここ数年で再びレベルがかなり上がったんじゃないか? 指標は欧州での大会。数年前にインテルがチャンピオンズリーグの決勝へ進み、アタランタは無敵と思われたドイツ王者(レバークーゼン)を撃破した。ここ最近では、ベルナベウでマドリーに勝ったチーム(ミラン)もある」 「スペインに住んでいたころ、何度かセリエAのチームから打診がきた。マドリーを離れるアイデアがなかったわけだが、イタリアのサッカーは好きだ。この上なく戦術的な一方、技術も激しさも求められる点が好ましい」 「セリエAのチームでプレーするならどこにしよう…そうだね、環境を知らないから1つ選ぶのは難しいが、たぶん私ならインテルのサッカーは苦にしないだろう」 「なぜなら、インテルは既存の選手たちが自信を持ち、クオリティを兼ね備え、どのチームと対戦しても落ち着きを失わない集団だからね」 2024.12.17 19:45 Tue5
