ノルウェーの地で6失点大敗…モウリーニョ、“メインとサブの差”指摘も「私の責任」
2021.10.22 09:30 Fri
ローマのジョゼ・モウリーニョ監督が自戒の念を強めた。
ヨーロッパ・カンファレンスリーグ(ECL)グループCで2連勝スタートのローマ。21日に行われた第3節でFKボデ/グリムトとのアウェイ戦に臨んだが、前半に2失点を喫すると、後半も守りが崩れ、1-6の大敗を喫した。
24日に本拠地で行われるセリエA第9節のナポリ戦を視野に入れ、控え中心のメンバーで挑んだが、それが裏目に出て、監督キャリア1008試合目で最多6失点の大敗ゲームに。首位の座もFKボデ/グリムトに明け渡した。
そんなポルトガル人指揮官は試合後、イタリア『スカイ』で普段のメインメンバーとサブメンバーの間に大きなクオリティの差があると述べ、自身の非を口にした。
「このメンバーで行くと決めたのは私なのだから、責任は私にある。いくつかの意図があり、頑張っている選手に機会を与え、寒い天候での人工芝を考慮してスカッドを入れ替えるため。多くの選手を休ませることにしたのだ。今夜の試合でよりクオリティを示したチームに負けた。単純明快だ」
「どんな負けもダメージがある。選手とは正直に話をした。外でも正直であるわけにいかないが、このチームに限界のあるのを隠したりしない。1つのチームに代表的な13選手がいるが、その他とはレベルが違う。ポジティブな面を言うと、これで少なくとも『なぜいつも同じメンバーなのか』と誰からも聞かれなくなることだ」
ヨーロッパ・カンファレンスリーグ(ECL)グループCで2連勝スタートのローマ。21日に行われた第3節でFKボデ/グリムトとのアウェイ戦に臨んだが、前半に2失点を喫すると、後半も守りが崩れ、1-6の大敗を喫した。
24日に本拠地で行われるセリエA第9節のナポリ戦を視野に入れ、控え中心のメンバーで挑んだが、それが裏目に出て、監督キャリア1008試合目で最多6失点の大敗ゲームに。首位の座もFKボデ/グリムトに明け渡した。
「このメンバーで行くと決めたのは私なのだから、責任は私にある。いくつかの意図があり、頑張っている選手に機会を与え、寒い天候での人工芝を考慮してスカッドを入れ替えるため。多くの選手を休ませることにしたのだ。今夜の試合でよりクオリティを示したチームに負けた。単純明快だ」
「いつも同じメンバーで挑めるのなら、そうする。2つのグループの間にはクオリティで大きな差があり、リスクを伴うもの。私はこのチームの限界というものを認識しており、新たなことでもないが、もっと良いリアクションを期待した。繰り返しになるが、彼らを使ったのは私であり、私の責任だ」
「どんな負けもダメージがある。選手とは正直に話をした。外でも正直であるわけにいかないが、このチームに限界のあるのを隠したりしない。1つのチームに代表的な13選手がいるが、その他とはレベルが違う。ポジティブな面を言うと、これで少なくとも『なぜいつも同じメンバーなのか』と誰からも聞かれなくなることだ」
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ローマは23日、イタリア代表MFニッコロ・ピジッリ(20)との契約を2029年6月30日まで延長したことを発表した。 ローマ生まれで地元クラブのASDヘリオスから8歳でジャッロロッシのアカデミーに加入した万能型MFは、2023年5月に行われたセリエAのインテル戦でファーストチームデビュー。翌シーズンのヨーロッパリーグ(EL)のシェリフ戦では初ゴールも記録した。 迎えた今シーズンはダニエレ・デ・ロッシ、イバン・ユリッチ、クラウディオ・ラニエリと3人の指揮官の下でも信頼を獲得し、中盤の準主力に定着。途中出場が多いものの、ここまで公式戦31試合3ゴール1アシストの数字を残している。 さらに、その将来性を高く評価するルチアーノ・スパレッティ監督の下、昨年にイタリアのA代表デビューも飾っている。 クラブレジェンドであるフランチェスコ・トッティ氏が“ローマのガビ”と評する180cmのボックス・トゥ・ボックスMFは、セントラルMFを主戦場に高い戦術眼とテクニック、献身性を併せ持つ万能型。ローマ界隈ではトッティの良き相棒の一人として知られたシモーネ・ペッロッタの再来としての活躍が期待されている。 2025.02.24 07:00 Mon4
【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.18“カペッロ・ローマ”スクデットに貢献した中田/ローマ[2000-2001]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.18</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">2000-2001シーズン/ローマ 〜カペッロ・ローマ〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/2000-01roma.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ファビオ・カペッロ(54) 獲得タイトル:セリエA 攻撃力8:★★★★★★★★☆☆ 守備力8:★★★★★★★★☆☆ タレント7:★★★★★★☆☆☆ 連係8:★★★★★★★★☆☆ 選手層7:★★★★★★★☆☆☆</p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">常勝のカペッロ・ローマ</div> 1999-00シーズン、同じ街のライバル・ラツィオにスクデットを獲得され、ローマは屈辱のシーズンに終わった。迎えた2000-01シーズン、チームはフィオレンティーナから“ヴィオラの英雄”バティストゥータを獲得。その他、エメルソンやサムエルといった実力者を手に入れて、スクデットを獲得するために十分な戦力を整えた。 リーグが開幕すると、ローマはトッティの創造性溢れるプレーとバティストゥータらストライカーの決定力で破壊的な攻撃を見せつけた。さらに、就任2年目のカペッロ監督が採用する堅い守備戦術も機能し、着実に勝ち点を積み重ねていく。結局、序盤戦からほぼ独走状態を続けたチームは22勝9分3敗、68得点という成績で18年ぶり3回目のスクデットを戴冠した。 2年目のシーズンとなった当時の日本代表MF中田は、あくまでトッティの控えという位置付けだった。それでも腐らなかった中田は終盤戦の第29節、2位ユベントスとの天王山で大仕事をやってのける。2点ビハインドの中、トッティに代わって投入された中田は、見事なミドルシュートでゴールを奪取。さらに、再び自身のシュートからモンテッラの同点弾を演出した。この大一番での活躍が、ローマのスクデット獲得をより確実なものにしたといっても過言ではないだろう。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">前線のトライアングル</div> カペッロ監督の下、チーム内に規律と結果へのこだわりを植え付けられたローマ。守備面では、3バックの中央に入ったサムエルを中心に堅守を披露。ウイングバックに入ったカフーとカンデラは豊富な運動量で上下動を繰り返した。また、ボランチのエメルソンとトンマージが中盤で相手から自由を奪う。 そして、主に攻撃を担当したのが前線の3枚。トップ下に入るトッティを中心としたトライアングルで高速カウンターを仕掛けて得点を重ねた。中田がこの当時、ローマの攻撃がボールを縦に運ぶのが速すぎると漏らしたほど、彼らはボールを縦へ縦へと繋いで相手ゴールを目指した。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">MFフランチェスコ・トッティ(23)</span> ローマの“プリンチペ(王子)”が自身の愛する街に栄冠をもたらした。豪快なシュートに加え、柔らかなタッチのトラップやパスなど、ファンタジー溢れるプレーで攻撃陣を操った。13ゴール挙げるなど得点力を発揮したトッティは、ローマのバンディエラとして現役生活を終えた。 2019.04.12 12:00 Fri5
