磐田でもプレーした元イタリア代表FWスキラッチ氏が難民チームの指揮官就任 「サッカーボールが人生を変えてくれた」

2017.10.26 01:34 Thu
Getty Images
▽かつてJリーグのジュビロ磐田でも活躍した1990年イタリア・ワールドカップ(W杯)の得点王にも輝いた元イタリア代表FWサルバトーレ・スキラッチ氏(51)が、イタリアへの難民で構成されたアサンテ・カルチョの指揮官に就任した。同クラブの公式サイトが伝えている。
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▽現役時代に“トト”の愛称で知られたスキラッチ氏は、現在イタリアの地中海沿岸で問題となっているアフリカからのボート難民問題を解決するために一役買うことになった。▽同氏が監督に就任するパレルモに本拠を置くアサンテ・カルチョは、アザドとエロムにある難民収容センターで暮らすボート難民の若手選手で構成されるサッカークラブで、今後は1週間に3度のトレーニングを行い、地域リーグの試合に参加する予定だ。
▽シチリア島出身のスキラッチ氏は、今回の監督就任に際して以下のようなコメントを残している。

「サッカーボールが私の人生を変えてくれた」
「自分と同様にここでプレーする若者がそうなることを願っている。うまくいけば、我々はみんなをパレルモ(・カルチョ)に連れて行くことができるかもしれない」

▽今後アサンテ・カルチョでプレーする若者たちは、スキラッチ氏の指導の下、イタリアンドリームを目指す。

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スキラッチの思い出/六川亨の日本サッカー見聞録

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